ヘルスケア業界における業界変革シナリオ

構造変化の加速に伴って今後起こり得る業界再編の可能性など業界変革のシナリオを提言します。

ヘルスケア業界は、高騰する医療費、医療従事者や予算などのリソースのひっ迫、後発薬の拡大や創薬アプローチの変化、新たなモダリティやデジタルテクノロジーの勃興、医療制度改革、地域包括ケアシステムの進展などにより、すでに業界構造の変革期を迎えています。さらに、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大によって、人々の行動変容が強制的に進展し、従前からの構造変化がより一層加速しています。本稿においては、こうした構造変化の加速に伴って今後起こり得る4つの業界再編の可能性と、データバリューチェーンへの投資の活発化について、業界変革のシナリオを提言します。

業界再編の4つのシナリオ

1.消費者行動の変化

COVID-19感染リスク回避の中、高齢者を中心に不要不急の受診控えが進展・継続しています。このインパクトの大きさは診療科ごとにバラつきがあり、精神科などでは影響は軽微な一方、小児科や整形外科、消化器内科などではより大幅な患者減に直面しています。全体としては来院患者数が2020年5月実績で前年同月比2割減となるとともに、診療報酬の高い手術などの稼働率低迷で、医療機関の経営圧迫が顕在化しつつあります。従前より収益性に課題を抱えている国内医療機関が多かった中、COVID-19の拡大は経営を一層悪化させ、医療機関の統廃合への圧力となり得ます。

2019年9月に厚生労働省が、急性期医療の診療実績の少なさや近隣の類似機能を持つ医療機関の存在などを基準に全国約440の公立・公的病院をリスト化し、各都道府県に対して再編・統合によるダウンサイジングの検討を依頼しました。これに対し、COVID-19の拡大の中で、医療業界などを中心に、定常時の稼働だけでなく感染症への対応を考慮すべき、といった慎重な意見が出され、検討期限は延期されています。しかし、医療費拡大の抑制や、医療需要の比重が急性期から回復期/慢性期へのシフトへの対応などを鑑みると、再編・統合は不可避な流れと考えられます。このため、COVID-19の拡大は、一時的な検討の停滞をもたらしてはいるものの、中長期的には再編・統合を加速させる可能性もあると推察されます。

また、受診控えは、医療機関のみならずその周辺プレーヤーの業績にも影響を与えています。医療機関の経営不振は投資控えや経費削減につながり、医療機器メーカーや医療機器卸、SPD(Supply Processing Distribution)など医療機関向けサービス事業者にとって業績下振れの要因となっています。そのほか、受診控えに伴う処方箋発行数の減少の中、処方の長期化はあるものの、処方量はトータルで見ると数パーセント程度減少しており、製薬会社や薬局、医薬品卸事業者の業績にも影響が出ています。

消費者の不要不急の受診控えはCOVID-19の拡大による一時的な行動変容ですが、事態の長期化が不可避となりつつある中、消費者の行動が定常化する可能性があります。従来の消費者行動を前提とした事業モデルが成立しなくなり、医療機関を中心とした業界再編・変革が加速すると考えられます。

2.MR活動へのさらなる制約

製薬会社のMRは、その人員数とセールスモデルの両面から長年課題が指摘されてきました。

まず、人員数については、新薬減少と後発品の拡大の中で、業界全体で過剰な状態が続いていると言われています。MR認定センター発刊のMR白書によれば、国内のMR人員数は2013年度の65,752人をピークに減少に転じ、2018年度は59,900人まで減少しました。しかしながら、米国ではMR人員が2006年代半ばの10万人*2から2014年には6.6万人*3まで3割以上も減少しており、国内でのMR人員はさらなる縮小余地があると推察されます。

また、セールスモデルについても、製薬会社のコンプライアンスの一層の強化や、医療機関へのMR訪問規制、デジタルツールの発展に伴い、MRのあり方の変革の必要性は従前から叫ばれてきました。しかしながら、既存の人員を抱えた状態で急激な変革のハードルは高く、変革は緩やかなものにとどまっていました。

こうした中、COVID-19の拡大により、業界団体や医療機関からMRの訪問自粛要請が出され、製薬会社各社は営業モデルの変革や人員数の適正化を加速させざるを得ない状況になりつつあります。足元では、MRによるWeb会議やメール数の増加など、チャネルを対面からデジタルにシフトするだけの対応が多い一方、より本質的な変革に進展する可能性も高くなっています。従来の「プッシュ型セールスモデル」から「プル型エンゲージメントモデル」へ構造変化が起こり、営業活動のあり方や優秀なMR像、必要なMR規模が大きくシフトしていくと考えられます。

従来のプッシュ型セールスモデルでは、医師との関係性維持の営業活動に主眼が置かれ、高い人間力と役立つ情報を提供できる「いつも顔が見える」営業ジェネラリストが求められてきました。このモデルでは多くの医師をカバーし、医薬品情報だけでなく一般的な情報も含めて情報提供の頻度を高める必要があるため、プライマリー領域、スペシャリティ領域双方に多数のMRが必要となり、製薬会社各社は全国的に多くのMRを配置するとともに、CSO(Contract Sales Organization)を活用してきました。

一方、プル型エンゲージメントモデルにおいては、医師が必要とする、医学エビデンスに裏付けられた医薬品情報だけを効率的かつタイムリーに提供することが求められます。MRは疾患や製品に対する専門性のみならず、デジタルやデータ分析に対するケイパビリティを具備しなければなりません。このプル型モデルにおいては、スペシャリティ領域では一定のMRが引き続き必要となるものの、長期収載品が多いプライマリー領域ではデジタルサービスに代替されたりすることで大幅なMR需要減が予想されます。

こうした営業モデルの変化によって、MR要員のMA(Medical Affairs)やPMS(Post Market Surveillance)への配置転換などの組織体制変革に加え、MR機能のカーブアウトや、CSO業界における需要減と再編が一層進展する可能性があると推測されます。

*2: Pharma 2020: Marketing the future - Which path will you take?https://www.pwc.com/gx/en/pharma-life-sciences/pdf/ph2020-marketing.pdf

*3:  Cegedim Strategic Data, Worldwide Pharma Industry Sales Force Trends,
https://www.cegedim.com/Communique/CSD_SalesForceLevels2013_eng.pdf

3.治験におけるパラダイムシフト

臨床試験の担い手であるCRO(Contract Research Organization)業界では、ここ数年、臨床試験の小規模化と複雑化という事業環境に直面してきました。疾患ごとの細分化や国際共同試験に伴う国内での試験症例数の減少、当局のガイドライン強化に伴う試験の複雑化は、今後も継続するトレンドであり、事業構造変化が経営課題となっていました。

こうした状況の中で、COVID-19の拡大は臨床試験の運用にさらなるチャレンジをもたらしました。感染防止の観点で、医療機関側がモニターの病院への訪問自粛を要請し、治験の中断・遅れが顕在化しました。COVID-19の拡大が表面化した3月末の製薬会社へのアンケート調査では、治験計画に影響がないと回答した開発パイプラインは全体の4割にとどまり、6割は中断もしくは延期の影響があると回答したとの結果もあります。その一方で、COVID-19の集団免疫獲得が現実的ではない中、COVID-19拡大収束の必要条件であるワクチンや治療薬の開発に対して、従来では考えられないような開発の超短期化が世界的に要請されています。言い換えるならば、現在の状況は、治験に対して相反する要請を突き付けている状況とも言えるでしょう。

こうした相反する要請を解決するには、従来の治験のアプローチでは不可能で、「バーチャル臨床試験(decentralized clinical trial)」*4や「後ろ向き研究の活用」*5など、感染リスクを抑えながら治験を大幅に効率化するような新しいパラダイムの浸透加速が求められます。いずれも、医師会や当局の慎重な姿勢などから浸透が停滞してきましたが、COVID-19の拡大が治験のパラダイムシフトの加速をもたらす可能性はあるでしょう。

こうした治験のパラダイムシフトが進展した場合、CRO業界も大きな影響を受ける可能性があります。従来のCROのビジネスモデルは、極論を言えば、モニター数のスケール勝負のビジネスモデルでした。しかし、上述のようなパラダイムシフトが進展すると、モニター数の需要が縮小するとともに、デジタルテクノロジーなど必要なケイパビリティも大きく変化すると想定されます。ICONによるMapi Groupの買収、 Pharmaceutical Product DevelopmentによるEvideraの買収、CTI Clinical Trial & ConsultingによるEurotrialsの買収など、大手CROによるデジタルテクノロジーやRWDの収集・分析のケイパビリティ獲得のためのM&Aが進展しました。今回のCOVID-19の拡大を起点として、こうしたデジタルケイパビリティ獲得のためのM&Aが一層加速するとともに、CRO業界の変革と再編が進む可能性があります。

*4: バーチャル臨床試験:患者が医療機関に訪問しなくても在宅でオンライン診療などの仕組みを活用して治験を実施できるソリューション

*5: 後ろ向き研究の活用:過去の治験データやリアルワールドデータ(RWD:治験のようなコントロール環境下ではなく実環境で観測されたデータ)などの活用により、前向き試験の必要数の最小化を目指すアプローチ

4.サプライチェーンリスクの顕在化と新しいモダリティの勃興加速

COVID-19の拡大がグローバルサプライチェーンの寸断リスクを顕在化させたことも記憶に新しいでしょう。これまで製薬会社各社は、サプライチェーンの安定供給は十分留意しつつも、コスト最適化の観点からグローバルな調達網を構築してきました。例えば、米国では原薬やAPIの3割を中国・インドに依存しており、一方、インドでもAPI調達の6割を中国に依存していました。また、原薬やAPIのさらに上流の原材料までさかのぼってみると、中国メーカーに依存しており、中国のロックダウンの影響を連鎖的に受けるという現象も見られました。加えて、インドなど各国政府が原薬・製剤の輸出を制限するという事象も発生しました。

多くの製薬会社にとって、このようなパンデミックによるサプライチェーンリスクの顕在化は、調達・サプライチェーン戦略を再考するのに十分なインパクトとなったと考えられます。実際、各国の政府やメーカーは、医薬品製造や原薬調達のオンショア化の方向で検討を進めています。例えば、米国議会では、安全保障上の問題を受け、医薬品製造を自国に戻す法案を作成しています。

こうした製薬会社による生産体制およびサプライチェーンの見直しは、製薬会社内のトランスフォーメーションにとどまらず、その周辺のサプライヤーの業界構造にも大きな影響をもたらします。現状、CDMO(Contract Development and Manufacturing Organization)業界は分散したプレーヤー構造にありますが、従前からのBCPを含む安定供給体制の構築と品質管理要件の高度化に対するニーズもあいまって、CDMO間のM&Aや、製薬会社からの製造設備買収などを通じて、大手CDMOへの集約が進展する可能性は十分あるでしょう。

また、COVID-19の拡大は、新しいモダリティの普及を加速させる可能性もあります。COVID-19用ワクチンとしてmRNAワクチンなどの新しいモダリティが注目される中、通常の開発リードタイムを大幅に短縮するスケジュールで開発が進展しています。新しいモダリティは異なる製造技術が求められることから、これまでも技術獲得手段としてM&Aが活用されてきました。Thermo Fisher ScientificによるBrammer Bioの買収、CatalentによるParagon Bioservicesの買収の他、AGCによるMolecular Medicineの買収もこのタイプのM&Aに分類されるでしょう。COVID-19の拡大は、新しいモダリティ技術獲得のためのCDMOのM&Aも活発化させ得ると推察されます。

データヘルスへの投資の活発化

ヘルスデータの利活用は、医薬品開発や医療サービスの効率化、QOL(Quality of Life)の向上など大きなポテンシャルが期待されつつも、個人情報保護やセキュリティを含むELSI(Ethical, Legal and Social Implications)の観点への対応から、市場の立ち上がりに時間を要してきました。

ところが、COVID-19の拡大によって、医療リソースが有限であり、科学的根拠に基づくリソースの最適配置が必要であるということが、業界関係者のみならず一般消費者も含めた認知として浸透しつつあります。これまで国民皆保険で充実した医療サービスを享受してきた一般消費者には必ずしも現実問題として捉えられていませんでしたが、COVID-19によって物理的に医療リソースに限りがあることが可視化されました。また、COVID-19に対してさまざまな臆測が飛び交う中で、科学的根拠の重要性に対しても認知が高まりつつあると言えます。こうした状況の中で、各社は長期的な視点で、データヘルス領域に対する出資を活発化し始めています。

データヘルスはデータの種類やソースが多岐にわたることに加え、データの用途も幅広く、それらが多対多の関係にあるという特徴を持っています。このため、1)データ生成・捕捉、2)2次利用向け加工・管理、3)データに基づく各種サービス、から構成される「データバリューチェーン」が必要となります。測定・捕捉されるデータは、医療機関の診断・検査情報、健康保険組合の組合員情報、患者・消費者のバイタルデータ、レセプトを含む財務情報など、データの種類・ソースが多岐にわたります。また、これらのデータを2次利用するためには、クレンジングや匿名化、データ間の統合など、各種加工サービスが必要です。さらに、これらのデータは、創薬・開発の効率化、予防・治療の高度化、保険商品の高度化などさまざまな用途で活用されるポテンシャルを要します。

当然のことながら、こうしたデータバリューチェーンを1社で完結することは不可能でしょう。このため、さまざまなプレーヤーがデータバリューチェーン上でのポジショニングや他社との提携を通じて、エコシステム構築を模索しています。大手ITプラットフォーマーによるヘルスケア領域への参入、製薬会社や医療機器メーカーによるデジタルヘルス領域への投資の活発化、数多くのデジタルヘルスユニコーンの勃興など、さまざまなプレーヤーが入り乱れる構造となっています。AppleのApple Watch*8の医療機器活用(国内では2020年9月に承認)、GoogleのFitbitへの買収提案(2020年10月現在、未締結)、塩野義製薬による中国平安保険グループとの合弁会社設立、大日本住友製薬によるRoivant Scienceへの出資、癌治療のデータプラットフォームを目指すTEMPUS、2019年に上場した医療データプラットフォーマーのHealth Catalystなどが、その具体的な事例の一部となります。データバリューチェーンを巡った業界横断的なM&Aや業界再編は、今後より一層活発化していくでしょう。

*8:Apple Watchは、Apple Inc.の商標です。

 

ここまでCOVID-19の拡大を起点としたヘルスケア業界の業界再編の4つのシナリオと、データバリューチェーンへの投資の活発化について概説してきました。いずれも新しく勃興した構造変化ではなく、従前から進行していた構造変化が、COVID-19の拡大をトリガーとして大きく加速したものです。これらの業界再編のシナリオは、それぞれ特定の領域を中心としたものとなりますが、ヘルスケア業界が相互に連関したバリューチェーンを構成している中、いずれの変化も少なくとも間接的には他のステークホルダーにも影響を与えると考えられます。また、デジタルヘルスによるデータバリューチェーンの勃興は、長期的には新たな参入者も含めて、全てのステークホルダーを巻き込んだ新たな業界構造の再編を引き起こす可能性があります。

業界が大きな変曲点を迎えるにあたり、どのような構造変化が起きるのか、その中で自社がどのようなポジショニングと戦略を描くべきかを考えるべき時に来ています。従来以上に、業界全体の構造変化を俯瞰し、将来の業界のあり方に対して独自のビジョンを構築し、変化を先取りしたアクションをいち早く実行できるかどうかが、今後の競争力を大きく左右するでしょう。本稿が業界構造変化のトレンド理解や戦略構想検討の一助になれば幸いです。また、このような変曲点において、PwCはヘルスケア業界および当該業界に参入しようとされている多様な企業に、業界分析や戦略構想検討、M&Aや提携を含めた戦略実行など多角的な支援を提供してまいります。

執筆者

加納 真

ディレクター, PwCアドバイザリー合同会社

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西川 裕一朗

パートナー, PwCアドバイザリー合同会社

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クリストファー アルバーニ

パートナー, PwCコンサルティング合同会社

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宋 云柯

シニアマネージャー, PwCコンサルティング合同会社

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