国連ビジネスと人権の作業部会 訪日調査ミッション終了ステートメントについて

ESG/サステナビリティ関連法務ニュースレター(2023年10月)

近時、日本を含む世界各国において、ESG/サステナビリティに関する議論が活発化する中、各国政府や関係諸機関において、ESG/サステナビリティに関連する法規制やソフト・ローの制定または制定の準備が急速に進められています。企業をはじめ様々なステークホルダーにおいてこのような法規制やソフト・ロー(さらにはソフト・ローに至らない議論の状況を含みます。)をタイムリーに把握し、理解しておくことは、サステナビリティ経営を実現するために必要不可欠であるといえます。当法人のESG/サステナビリティ関連法務ニュースレターでは、このようなサステナビリティ経営の実現に資するべく、ESG/サステナビリティに関連する最新の法務上のトピックスをタイムリーに取り上げ、その内容の要点を簡潔に説明して参ります。

今回は、国連ビジネスと人権の作業部会が8月4日に公表した「訪日調査ミッション終了ステートメント」についてご紹介します。

I. 訪日調査ミッション終了ステートメントの公表

国連ビジネスと人権の作業部会(Working Group on Business and Human Rights)は、本年7月24日から8月4日まで訪日調査を実施し、政府、ビジネス界、市民社会、業界団体、労働組合、労働者、学識者、弁護士その他ステークホルダーとの会合を行いました。訪日調査ミッション終了ステートメント(「本ステートメント」)1は、訪日調査の終了に際し、8月4日に公表されたものです。

同作業部会は、国連人権理事会の下、2011年に設立され、ビジネスと人権に関する指導原則の促進、普及及び実施、同指導原則の実施における取組及び教訓の情報交換及び促進、並びに勧告の評価及び実施を委託された組織であり、5名の独立した専門家から構成されています2。また、同作業部会は、特定のイシューや懸念について国、地域及び国際的な水準での意識の向上の機会を与える目的から加盟国の訪問調査の実施を委託されています3。訪問調査は、作業部会からの要望を受け入れた加盟国に対して行われ、特定の課題及び全般的な人権状況の評価がなされます。調査結果及び勧告事項については、人権理事会への報告書として公表されることとなります4

訪日調査の最終報告書は、2024年6月に国連人権理事会に提出される予定とされています。本稿では、本ステートメントにおける指摘内容の概要を概説します。

II. 日本におけるビジネスと人権の概況

本ステートメントが指摘した日本におけるビジネスと人権の概況は次の通りです。

1. 人権を保護する国家の義務

  • 特に東京以外の地方では、国連ビジネスと人権に関する指導原則(「UNGPs」)とビジネスと人権に関する行動計画(「NAP」)に対する認識が全体として欠けている現状が見られる。
  • 企業や企業団体のほか、労働組合、市民社会、地域社会の代表、人権活動家など、あらゆる関係者に、UNGPsとNAPに基づくその人権上の義務と権利を十分に理解させる必要があるところ、こうした関係者がNAPの策定に十分に関与した形跡はなく、地方では、NAPの存在それ自体を知らないとするステークホルダーも多く存在する。
  • NAPの改訂を行う際には、ビジネスと人権の政策に関するギャップ分析を取り入れ、優先課題を洗い出すとともに、あらゆる関係者の明確な責任や時間軸、成否を監視、評価するための主要実績指標(KPI)を含む実施形態を明らかにすべき。
  • 政府系企業(SOE)が範を垂れることができるよう、取り組みを継続し、さらに強化すべき。具体的には、人権指標を含む環境・社会・ガバナンス(ESG)要素に関する組織的かつ有意義な報告を要求したり、とりわけ企業の司法および司法外苦情処理メカニズムとの全面的協力の義務づけや、人権侵害に対する実効的な救済の提供を通じ、被害者の救済へのアクセスを確保したりといった措置があり得る。

2. 人権を尊重する企業の責任

  • 従業員への継続的な人権教育の取り組みや職場レベルでの苦情処理メカニズム整備など積極的な実践が見られる一方、移民労働者や技能実習生の取り扱い、過労死を生む残業文化、そしてバリューチェーンの上流と下流で人権リスクを監視、削減する能力を含め、さまざまな問題で大きなギャップが残っている。
  • 各種の企業(大企業・多国籍企業と家族経営企業・中小企業)間で、UNGPsの理解と履行の間に大きなギャップが存在する。
  • ビジネス界の様々なステークホルダーは作業部会に対し、政府がUNGPsのピラー1(国家の人権保護義務に関するUNGPsの第一の柱)に基づく義務をもっと積極的に果たす必要性を指摘している。
  • タイムリーでそれぞれの企業に合わせた、ニーズへの対応を基本とする能力構築が必要。

3. 救済へのアクセス

国家司法メカニズム

  • UNGPsや、LGBTQ+の人々に関するものなど、事業活動の関連で生じるさらに幅広い人権問題に対する裁判官の認識が低い。

国家非司法的メカニズム

  • 国家人権機関(「NHRI」)は、ビジネス関連の人権侵害事例における救済プロセスの強化と、企業関係者や監査人、裁判官、国選弁護人のビジネスと人権に関する研修の促進に欠かせない役割を演じるところ、日本には専門のNHRIがない。

非国家苦情処理メカニズム

  • 作業部会が面会した大企業のほとんどは、苦情処理メカニズムを設置、運営しているものの、ステークホルダーの中には、職場での不祥事を通報することで、報復(職を失うなど)を受けるおそれを口にする向きもあった。

III. ステークホルダー集団と関心のある課題領域

人権への負の影響の評価に当たっては、社会的に弱い立場に置かれ又は排除されるリスクが高くなり得る集団や民族に属する個人への潜在的な負の影響に特別な注意を払うことが望ましいものとされています。一般的に脆弱な立場に置かれやすいステークホルダーの例としては、外国人、女性や子ども、障がい者、先住民族、民族的、種族的、宗教的又は言語的少数者が挙げられます5

本ステートメントでは、リスクのあるステークホルダー及び懸念される分野として、次のものが指摘されています。

1. 女性

女性に関しては、男性とは異なるリスクがあり得ることに留意するとともに、企業が人権デューディリジェンスを実施する際にはジェンダー平等の観点を踏まえる必要があるとされます6。セクシャルハラスメントを含む各種ハラスメントの問題も従来から指摘されてきましたが、本ステートメントでは、次の諸点が指摘されています。

  • 日本で男女賃金格差がなかなか縮まらず、女性の正社員の所得が男性正社員の75.7%にすぎない。
  • 日本のジェンダーギャップ指数のランキングが2023年の時点で146か国中125位と低いこと。
  • 非正規労働者全体の68.2%と高い割合を占めている一方で、男性の非正規労働者の80.4%の賃金しか稼いでいない。
  • 企業幹部に女性が占める割合は15.5%にすぎないことを考えれば、女性の社会進出の遅れは依然として、官民がさらに懸念すべき動向となっている。

2. LGBTQI+

本年、いわゆるLGBT理解増進法7が施行されたほか、トランスジェンダー職員のトイレの利用に関する最高裁判決8が出されるといった動きがありましたが、LGBTQI+の人々については次のような指摘がなされています。

  • トランスジェンダーの人々に本名の開示や、履歴書への性転換前の写真貼付を求めるなどの憂慮すべき職場慣行は、LGBTQI+の人々の権利を実効的に保護する包括的差別禁止法の必要性をさらに際立たせている。

3. 障がい

障がい者の人権を巡っては、障がいを理由とする差別の解消の推進に関する法律及び障がい者の雇用の促進等に関する法律により、企業も合理的な配慮が求められ、従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める障がい者の割合を法定雇用率以上とする義務が課されています。本ステートメントにおいては、雇用問題について指摘がなされました。

  • 労働市場と労働力への障がい者のインクルージョンを図る必要がある。
  • 「障がい者の雇用の促進等に関する法律」により、民間セクターに法的な障がい者雇用枠が設けられており、民間企業について2.3%、政府機関について2.6%と定められているが、総人口に占める障がい者の割合は7%であることから、この数字にはさらに改善の余地がある。

4. 先住民族

2007年に「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が国連で採択され、先住民族は、集団又は個人として、国際法・基準等で認められたすべての人権と基本的自由を十分に享受する権利を持つことが確認されました。先住民族の強制移住を禁止する同宣言第10条は、自由意思による、事前の、十分な情報に基づく同意(「FPIC」)がなければ転住を行ってはならない旨を定めており、FPICは資源の開発、利用、採取などについても義務付けられています。本ステートメントにおいては、FPICを含めアイヌの人々の問題が指摘されています。

  • アイヌの人口調査は行われていないため、その差別が可視化されたり、語られたりすることはなく、アイヌの人々は今でも、教育や職場で差別を受けている。よって、差別のない権利と機会均等を確保するための措置が必要である。
  • 「先住民族の権利に関する国際連合宣言」に定めるとおり、アイヌの人々の権利を守るうえで、政府と企業がアイヌの人々のFPICを確保することが不可欠。

5. 部落

部落差別の問題は、日本社会における差別の問題として長らく指摘されており、差別解消のための法的措置もとられてきましたが、本ステートメントにおいては、次の点が指摘されています。

  • 日本では「部落差別の解消の推進に関する法律」(平成28年法第109号)が成立しているものの、ヘイトスピーチ(特にオンラインと出版業界)や職場差別(一次面接の質問などを通じ)など、被差別部落民にまつわる人権問題があること。

6. 労働組合

労働組合の問題も、従来から結社の自由に関連した問題が指摘されてきました。近年でも団体交渉の拒否や労働組合への加入をきっかけとした懲戒解雇・配転といった事例が問題となるほか、オンコールワーカーによる労働組合結成や外国人労働者の労働組合加入など新しい問題が指摘されていますが、本ステートメントにおいては、次の点が指摘されています。

  • 外国人技術労働者を支援する労働組合の間で、積極的な実践が行われているが、労働組合結成に際する困難、さまざまな部門でのストの実施を含む集会の自由に対する障壁、さらには労働組合員の逮捕や訴追の事例などが存在する。

7. 健康、気候変動、自然環境

企業活動が引き起こす環境汚染、地球温暖化及び気候変動の問題は、従来から指摘されてきました。本ステートメントにおいては、個別の問題が指摘されるとともに、次の全般的な問題点が指摘されています。

  • 健康に対する権利をはじめとする人権に事業活動が及ぼす影響と、クリーンで健康的かつ持続可能な環境との間に関連性があることに対する認識が、多くのステークホルダーの間で依然として弱い。
  • 政府と企業がゼロカーボン経済への移行を確保するために、十分な努力を払っていない。
  • 特に先住民族に関し、環境問題に対するステークホルダーの懸念に取り組む政府のメカニズムは依然として存在しない。
  • 作業部会はまた、東京や大阪、沖縄、愛知でパーフルオロアルキル化合物およびポリフルオロアルキル化合物(PFAS)による水質汚染の事例を聞いている。

8. 技能実習制度と移民労働者

外国人技能実習生の問題は、アメリカ国務省の人身取引報告書において指摘されるなど、近年大きく取り上げられています。外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律に基づいて、技能実習制度の改正も図られていますが、本ステートメントにおいては、次の点が指摘されています。

  • 日本の外国人労働者は、リスクの高い状況に置かれ、情報が共有される言語や媒体によって、情報へのアクセスに困難を覚えているだけでなく、煩雑な申請プロセスにも苦労している。

9. メディアとエンターテインメント業界

メディアとエンターテインメント業界における各種ハラスメントや労働問題の存在が従来から指摘されてきましたが、本ステートメントにおいても、個別事案の問題に加えて、次の全般的な問題点が指摘されています。

  • この業界の搾取的な労働条件は、労働者で対する労働法による保護や、ハラスメントの明確な法的定義の欠如と相まって、性的な暴力やハラスメントを不問に付す文化を作り出している。例えば、女性ジャーナリストが性的なハラスメントや虐待を受けても、放送局が一切の救済措置を講じないという事例、アニメ業界での極度の長時間労働や、不正な下請関係に関連する問題ゆえに、クリエイターがその知的財産権を十分に守られない契約を結ばされる例が多いという情報を得た。

IV. おわりに

本ステートメントの概要は以上です。限られた期間での訪日調査の結果であり、必ずしも日本社会ないし日本企業が直面している人権課題のすべてが網羅的に扱われているわけではないものと思われます。また、作業部会による勧告内容が如何なるものとなるかは2024年6月に公表予定の最終報告書を待つ必要があります。もっとも、ビジネスと人権の取組みを進める企業としては、本ステートメントにて指摘された人権課題が海外の人権専門家の目にも重要な課題と映っていることを念頭に置くことは、今後の取組みのためにも有益と考えられます。

https://www.ohchr.org/sites/default/files/documents/issues/development/wg/statement/20230804-eom-japan-wg-development-japanese.pdf

2 https://www.ohchr.org/en/special-procedures/wg-business

3 https://www.ohchr.org/en/special-procedures-human-rights-council/country-and-other-visits

4 訪問調査が完了した加盟国に関する報告書等の資料は国連人権高等弁務官事務所のウェブサイトで閲覧可能です(https://www.ohchr.org/en/special-procedures/wg-business/country-visits)。

5 国連指導原則18、ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会議(2022年9月)「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/business_jinken/dai6/siryou4.pdf )17頁等

6 前掲注5ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会議17頁等参照。

7 「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(令和5年法律第68号)

8 最判令和5年7月11日(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/191/092191_hanrei.pdf

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執筆者

北村 導人

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山田 裕貴

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