
自由貿易体制の今後と関税に関する企業対応
2025年3月13日、PwC Japanグループは、「自由貿易体制の今後と関税に関する企業対応」に関する講演を開催しました。主要国がさまざまな物品に対して追加的な関税を賦課する姿勢を示し、企業が受けるリスクに注目が集まる中、当日は経済安全保障の推進を担当する日本企業関係者を中心に参加いただきました。今回の講演について、概要をご紹介します。
「米国一強時代の終焉」が現実味を増す中、ウクライナやパレスチナでの争いに出口は見えず、原油・ガスの需給にも影響が及んでいます。各国の経済政策が「安保ファースト」に傾く中、米国には化石燃料への回帰、欧州には再生可能エネルギー政策の位置付け見直しの動きが見られ、一方グローバルサウス諸国では原子力発電の需要が高まっています。こうした国際経済のトレンドと各国のエネルギー政策のあり方の変容は、日本のエネルギー産業や企業にどのような影響を与えるのでしょうか。エネルギー安全保障に造詣が深いポスト石油戦略研究所代表の大場紀章氏をお迎えし、PwC Japanグループの専門家と議論しました。
出演者
ポスト石油戦略研究所 代表
大場 紀章氏
PwC Japanグループ エネルギー・素材事業部 リーダー、パートナー
片山 紀生
PwC Japan合同会社 マネージャー
藤澤 可南子
藤澤:
PwC Japanグループでは2022年から毎年、各企業向けに地政学リスク・経済安全保障のトレンドと翌年の10大リスクをレポートし、不確実性の下での事業戦略策定に役立てていただいています。翌年注意すべきリスク事象だけでなく、その底流にある大きなトレンドも提示していますが、昨年の「2025年地政学リスク展望」で指摘した3つのトレンドの1つは、新興国の台頭に伴い米国の地位が相対的に低下する「米国一強時代の終焉」でした。また10大リスクの筆頭には「トランプ2.0」を挙げました。米国はトランプ大統領の下、パリ協定からの再離脱を表明したり、IRA(米国インフレ抑制法)に基づく支出を一時停止する大統領令を発したりするなど、前政権が進めたクリーンエネルギー政策の大転換を図っています。
片山:
さらに各種クリーンエネルギーに対するトランプ2.0の化石燃料回帰の影響も、PwCは独自に評価しています(下図参照)。太陽光と風力の指標はダウングレードとした一方、ブルー水素・グレー水素※1やCCS(二酸化炭素回収・貯留技術)などの化石燃料に関する技術支援は継続が期待できるとみています。また、ガス業界では水素を活用したeメタン※2やCCSバリューチェーン構築の進展などに注目しています。私どもはこのように評価していますが、大場さんはトランプ2.0のエネルギー政策とクリーンエネルギーへの影響をどのようにご覧になりますか。
図1:クリーンエネルギー移行の鍵となる7つの技術
大場:
第2次トランプ政権のエネルギー政策は、①国内の石油生産促進と規制緩和(いわゆる「ドリル・ベイビー・ドリル、掘って掘って掘りまくれ」)、②バイデン前政権下のクリーンエネルギー政策の転換、③通商政策に関連するエネルギー政策、の3つに分けて整理できます。
①は、トランプ氏の思惑どおりにはいかないでしょう。大統領には石油会社に増産を命じる権限がなく、ドリル(鉱物資源の採掘)をするかしないかは石油会社が決めることだからです。あくまでトランプ支持者へのアピールとみるべきです。
では、最も注目される②はどうか。一時停止されているIRAの税控除や補助金の全てが廃止されるのか、それとも部分的廃止や変更にとどまるのかがポイントで、党派抗争の中で決まってくるとみています。種類別にみた場合、陸上風力向けの優遇は維持される可能性が高い一方、洋上風力と太陽光は大幅にカットされる恐れがあるとみています。陸上風力は共和党の地盤である内陸州で、洋上風力と太陽光は民主党系が強い沿岸州で多く導入されているからです。ただし、これらは州政府の管轄権限が強いため、連邦政府の意向がさほど大きく影響しない可能性もあります。
水素の扱いも注目ポイントの1つです。IRAで規定されたクリーン水素(ブルー水素とグリーン水素)の普及のための根拠となる法規には、米国内国歳入法第45Q条(Section45Q)、米国内国歳入法第45V条(Section45V)、米国内国歳入法第48条(Section48)の3つがあります。Section45QはCCSの炭素回収量に応じた生産税控除(Production Tax Credit:PTC)、Section45Vはクリーン水素の製造量に応じたPTC、Section48はクリーン水素製造設備への投資税控除(Investment Tax Credit:ITC)です。
このうちSection45QとSection45Vで明暗が分かれるといわれています。Section45Qは、CCSを併用するブルー水素に石油会社がコミットしていることから維持される可能性が高いとされるのに対し、Section45Vは、水素の製造量が増えれば歳出が増えるため、カットされる可能性が高いとの見立てです。※3
ポスト石油戦略研究所 代表 大場 紀章氏
片山:
風力プラントについては地元の政党勢力を詳細にみる必要があることが分かりました。全体の方向性はPwCの分析と大きく相違なさそうですね。水素については、米国の水素サプライチェーンに日本企業も参画していますから、政策転換がどう帰着するかを引き続き注視する必要があります。
日本のエネルギープレーヤーにとっては、LNGの行方も気になるところです。石破首相は2025年2月にトランプ大統領と会談し、米国産LNGの輸入を増やすと表明しました。この点についてはどのような評価が妥当でしょうか。
PwC Japanグループ エネルギー・素材事業部リーダー、パートナー 片山 紀生
大場:
日本の事業者はすでに需要量以上のLNGを購入し、余剰分は他国に転売しています。米国からの輸入が増えたとしても転売分が増えるだけでしょう。アラスカLNGについては、日本は米国側が求めていた上流(探鉱・開発・生産段階)投資を約束しませんでしたが、今後の関税交渉の中で重要な外交カードとなるでしょう。
藤澤:
「2025年地政学リスク展望」で指摘した3大トレンドのもう1つは、国際経済分野での「安保ファーストの経済運営」でした。「米国一強時代」が終焉して国際秩序が不安定化したことで、各国は経済体制や産業政策を安全保障の視点で捉え直し、かつてのような経済の合理性だけではなく、安全保障上の合理性に基づく経済政策を採用し始めています。トランプ2.0のエネルギー政策の転換も同じ文脈上の変化だと捉えています。
一方、EUでは2024年12月にフォンデアライエン体制の2期目がスタートしました。GXとDXを成長ドライバーにして戦略的自律を目標とした1期目とは異なり、2期目の大目標は「産業競争力強化」であり、グリーン産業はそれを実現する1項目に位置付けられました。エネルギー安全保障の観点も含め、さらに「安保ファーストの経済運営」へと重心が移りつつあるといえます。こうした欧米のエネルギー政策の変化をどうご覧になっていますか。
PwC Japan合同会社 マネージャー 藤澤 可南子
大場:
米国のIRAも、欧州のグリーンディールもそうですが、米国と欧州が推進してきたグリーン政策は、実は「自国・地域がどれだけ儲けられるか」を考えたものであり、その本質は国内・域内向けの産業保護政策です。米国はその手法こそ「補助金」から「関税」に変わりましたが、“行政による補助金”から“大統領による関税”に手段が変わっただけで、産業保護政策である点では一貫しています。
同様に、欧州の変化も権力構造で捉え直すことができます。私は、EUのグリーン政策には「強すぎるドイツに対する締め上げ策」の側面があったと考えています。「ドイツの国力は十分に弱まった。そろそろグリーン政策の手綱を緩めようか」という段階に入ったわけです。ESG投資も構造は同じで、企業は“儲かるから”やっていた。ご承知のとおり、グリーン政策への政治的反発(グリーン・バックラッシュ)の広がりを受け、ESG投資から撤退する動きがあります。これも各国内での権力争いをみながら、企業が儲かる分野を判断している動きと受け止めるべきで、今はESG投資よりもAIへの投資などのほうが儲かると判断しているのでしょう。
藤澤:
ESGやDEI(多様性・公平性・包摂性)に対し欧米で広がる政治的な批判は、党派の勢力拡大が目的とみられ、当面は続きそうです。ただ結果として「儲からないESG投資」は淘汰されていくかもしれません。
片山:
AIについては、米国・中国を筆頭に各国が「安全保障の問題」「産業競争力という経済安全保障の問題」として注力しています。
エネルギー問題の文脈からは、AIの急速な普及に伴いデータセンターの電力需要が急拡大し、将来的な電力不足が懸念されています。電力会社としては、電源不足は絶対に避けねばなりませんが、かといって過剰投資にも気を付ける必要があり、判断が難しいところではあります。
片山:
「クリーンエネルギー移行の鍵となる7つの技術」に示したように、PwCは原子力発電の動向にも注目しており、廃炉や小型モジュール式原子炉(SMR)への投資案件などを支援しています。日本の原子力政策についてはどのようにご覧になっていますか。
大場:
こう申し上げると驚かれる方も多いかもしれませんが、「日本のGX政策にとって、原子力はとても重要な位置を占める」というのが私の考えです。「GX政策の半分は原子力」だとすら思っています。
片山:
興味深いですね。詳しくお聞かせください。
大場:
つまり、原子力の推進は国内的に風当たりも強いが日本のGX政策にとって重要であり、企業にはビジネスチャンスにもなり得るということです。その意味で、日本企業も原子力に本格的に取り組んでしかるべきなのです。もちろん、原子力発電所の新規建設は安全性の問題やファイナンスの課題を伴いますが、本来は日本にとってのビジネスチャンスにもなり得るものであり、推進するための諸条件を整えることこそが必要です。
藤澤:
電力需要が急伸しているグローバルサウス各国は原子力発電にとても前向きです。日本は原子力発電技術を持っており、こうした国々にとって日本との協力は魅力的に映る可能性がありますね。ただ、原子力発電は日本にとって極めてセンシティブなテーマで、積極な推進姿勢を取ることにはいまだリスクを感じる企業もあると思います。この点についてはいかがでしょうか。
大場:
韓国が自国で新型原子力発電所をつくる前にアラブ首長国連邦(UAE)でつくり、稼働させるなど、他国では海外展開を先行させる事例もあります。中国やロシアも原子力発電を積極的に売り込む中で、地政学リスクを勘案すると日本の原子力発電の導入にメリットを感じる、という国が出てくる可能性もあります。個人的には、日本も海外展開戦略を大胆に検討していく必要があると思います。
藤澤:
ここまで、示唆に富んださまざまな視点をご提示くださいました。地産地消が可能な再生可能エネルギー(再エネ)は地政学リスク軽減には有益であるとも考えられますが、日本の再エネ政策はどうあるべきだとお考えでしょうか。
大場:
一般論として「再エネ=コストが高くて不安定」という言説がありますし、トランプ2.0やグリーン・バックラッシュなどの逆行的な動きを見て、再エネの時代は終わったのかとの印象を持つ方がいるかもしれません。確かに、今は重要な転換点ではあります。しかし、地政学リスク軽減の観点では再エネを最大限導入するのは必要なことです。「安保ファーストの経済運営」という国際経済のトレンドを踏まえれば、日本にとっても引き続き、再エネの導入拡大は重要なテーマであり続けます。
片山:
日本のエネルギー自給率は10%台と低いものの、太陽光発電の国土面積あたりの発電導入容量は主要国の中で最大です。政策的な舵取りは簡単ではありませんが、他国に先行するこうした強みも生かして、新たな勝ち筋を見出す努力を続ける必要はあるでしょう。
気になるのは、日本の水素政策にトーンダウンが窺える点です。日本は世界で初めて水素の国家戦略を策定した国です。トランプ2.0の動きも踏まえて、これからの日本の水素政策はどうあるべきとお考えでしょうか。
大場:
ご指摘のとおり、日本のエネルギー政策の中で水素の位置付けがトーンダウンしている面はあります。第7次エネルギー基本計画(2025年2月)では「水素ステーション」の文字が消えましたし、「GX2040ビジョン」でも言及がありません。水素への関心の低下は否めないでしょう。
ただ一方で、水素発電やアンモニア混焼を重視する姿勢は打ち出しています。私は、日本の水素政策の最終到達点はアンモニア混焼だと考えています。特に、天然ガス由来のブルー水素から作られるブルーアンモニアは、LNG案件にならない規模のガス田の活用方法として、LNGよりも貯蔵効率の高い燃料として、あるいは国内の火力発電にCCSをつけるのを回避する方法として有望視されています。また、発電以外にもガラス工業や製鉄などさまざまな産業分野での応用も見込まれています。
片山:
だからこそ、電力会社もアンモニア混焼の実証試験に取り組んでいるわけですよね。水素については引き続き推進を目指す韓国のような国もあります。PwCとしては、直近の水素市場はグレー水素が大半を占めるものの、段階的にブルー水素が伸びを示していき、2050年にはグリーン水素が中心となると評価しています。
藤澤:
アンモニアは安価で安定的に供給でき、運搬も容易ですから、注目度が高いですよね。水素については、日本企業が築いてきた水素運搬や圧縮などの技術を生かした展開が望まれます。
片山:
低炭素化・脱炭素化技術はすでに収益事業になっていますし、サステナビリティの要請が直ちに大きく後退することは考えにくいでしょう。しかし、各国が自国の利益を優先するエネルギー政策の動きや、グリーン・バックラッシュのような揺り戻しの波が、短期的なもので終わるとも言い切れません。
エネルギー産業界や企業は、既存の枠組みにとらわれず、平時から複数のシナリオとオプションを持ち、ポートフォリオを組んで柔軟に対応できるよう構え、これからもレジリエンスを高め続ける必要があります。PwCとしても不確実性の下で皆さまの意思決定に寄与できるよう、大場さんのような外部の「知」との連携を続けてまいりたいと思います。
※1:人為的に産生する水素を製造方法や工程で分類した呼称。それぞれ、「グリーン水素=再エネを用い、水を電気分解してつくる。工程でCO₂を出さない」「ブルー水素=化石燃料を用いてつくる。産生の工程で出るCO₂は回収・貯留し、大気中に放出しない」「グレー水素=化石燃料を用いてつくる。CO₂を大気中に放出する」の意味を持つ
※2:グリーン水素等の非化石エネルギー源を原料として製造された合成メタン(日本ガス協会の定義による)。都市ガスのインフラをそのまま使えるメリットがあり、次世代エネルギーの1つとして注目されている。2050年にはガス利用の9割をe‐メタンに置き換える目標が掲げられている
※3:2025年5月、Section45Vは2026年1月1日以降適用しないという内容を含む「大きく美しい 1つの法案(The One Big Beautiful Bill)」が米国下院を通過。7月以降、上院の議論を経て決定予定。
2025年3月13日、PwC Japanグループは、「自由貿易体制の今後と関税に関する企業対応」に関する講演を開催しました。主要国がさまざまな物品に対して追加的な関税を賦課する姿勢を示し、企業が受けるリスクに注目が集まる中、当日は経済安全保障の推進を担当する日本企業関係者を中心に参加いただきました。今回の講演について、概要をご紹介します。
国際経済のトレンドと各国のエネルギー政策のあり方の変容について、ポスト石油戦略研究所代表の大場紀章氏をお迎えし、PwC Japanグループの専門家と議論しました。
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