2025年3月13日、PwC Japanグループは、企業の経済安全保障推進のあり方を議論する場としてラウンドテーブルシリーズを立ち上げ、「自由貿易体制の今後と関税に関する企業対応」に関する講演を開催しました。主要国がさまざまな物品に対して追加的な関税を賦課する姿勢を示し、企業が受けるリスクに注目が集まる中、当日は経済産業省から講師をお招きし、世界の貿易保護主義と日本の通商政策、越境取引などについてPwCの専門家と議論しました。本稿では今回の講演の概要をご紹介します。
第二次世界大戦終了以降、世界は自由貿易に向けた道を歩んできました。GATTやWTOでの貿易自由化に加え、1990年代後半からは、二国間での貿易を自由化する目的の国際条約である自由貿易協定(FTA)・経済連携協定(EPA)を締結し、FTA/EPA網を形成することで貿易自由化を推進する流れが加速しました。2010年代後半には、複数国にまたがる広域FTA/EPA、いわゆる「メガFTA」(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)や地域的な包括的経済連携(RCEP)協定を代表とする)が登場し、グローバル化がさらに進展するとともに、ほぼ世界全域で、国レベル・個人レベルでの所得の増加がもたらされました。
図表1:増加するFTA
こうした中、2001年にWTO加盟を果たした中国は、外資を呼び込むとともに輸出を拡大し、経済を成長させるなどグローバル化の恩恵を受けましたが、一方で、WTOルールに必ずしも適合しない資金支援や、外資企業に対する技術移転の強要などの自国産業保護政策が散見され、米国などから批判されることがありました。加えて、輸出入や操業関連規制などを通して他国の意思決定に圧力をかけるといった「経済的威圧」についても問題視されました。
欧米諸国は2010年代後半以降、中国のこうした動きへの対抗施策を進めました。米国は第1次トランプ政権以降、対中追加関税で牽制しつつ、バイデン政権では自国の供給網強化を方針に掲げ、例えば2021年のインフレ抑制法(IRA)やインフラ投資雇用法(IIJA)、2022年のCHIPSおよび科学法など、さまざまな施策を打ち出しました。半導体や電気自動車(EV)・蓄電池など重要物品の国内生産に対する資金支援、国内の研究開発能力の増強、政府調達における国産品調達割合の増加などがその内容となっています。
EUも、パンデミックやウクライナ紛争を契機に、グリーン産業やデジタル産業を重点と定め、域内産業の育成・競争力強化を目指した産業政策を実施しました。その中には、域内生産への資金的支援、特定国からの輸入に依存する構造を脱するための調達多角化の支援、対内直接投資規制の見直しによる技術流出の防止、域外産品の過剰流入を阻止するための関税措置などが含まれています。
さらに、今年1月に大統領に返り咲いたトランプ氏は、全ての国からの鉄鋼・アルミ製品や、中国・カナダ・メキシコからの特定製品の輸入について追加関税を賦課する姿勢を示しました。対象の決定や措置の検討・実施は非常に速いスピードで進んでおり、全ての国に対してその国の対米関税と同じ水準の関税を賦課する相互関税など、さらなる関税措置が考えられます。相手国の米国産品購入増や産業の米国回帰を促進することを企図したものですが、グローバル化の中で生産と流通の最適化を図ってきた企業はサプライチェーンの再考を迫られています。
日本政府は、WTOやEPA/FTAを通じて貿易自由化を進めてきました。WTOには、関税やその他のルールに関する「交渉機能」、各国の協定履行状況をモニタリングする「監視・審議機能」、「紛争解決機能」の3つの機能があり、ルールに基づく多国間貿易体制の根幹として、引き続き役割を果たしています。特に難しい課題を含む新たな分野では、166カ国全体で新たなルールに合意するのには課題があり、ルールが守られなかった場合の「紛争解決機能」も第二審にあたる上級委員会が機能停止中であるなど、WHOを中心とする多角的貿易体制は機能不全に陥ったとの指摘もあります。また、輸出入の制限を経済的武器のように扱うといった近年の動きにも対応していく必要を認識しており、従来のような、貿易投資の障壁を下げる以外の対応も今後の貿易振興のために必要ではないかという議論も出てきています。しかし、日本がイニシアチブをとった電子商取引などいくつかの分野では、複数の関心国でのルール交渉も一定の成果を上げており、関税に加えて投資やサービスなどについてもルール形成に向けた交渉をしていく方針です。紛争解決機能については、二審に代わる機能として創設された「多国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA)」には50以上の国・地域が参加しており、機能回復を目指した制度改革の議論を続けていきます。
過去30年にわたりWTOの下で作り上げてきた多角的貿易体制は引き続き重要であり、日本政府として各国と連携しながらその機能の維持強化に取り組みます。
日本は現在、50カ国との間で21の経済連携協定を署名・発効済みであり、これらの国々との貿易は日本の貿易総額の8割に達します。EU、ASEAN、中国、米国といった主要な貿易相手とは既に協定を有しており、まだ協定を結べていない南米や中東など新興国とも交渉を行っているところです。また、こうした新興国を中心に、81カ国との間で50以上の投資協定を締結・発効済みで、これらはEPAの投資章とともに、海外ビジネスでの投資財産を保護する役割を担っています。
貿易・投資の自由化だけでなく、新しい課題に対処するルールをEPA/FTAに取り込む動きも出てきています。CPTPPは昨年英国の加入が正式に発効して現在12カ国が参加する協定となっていますが、一般見直しに向けた議論の中で、自由化率の向上だけでなく、サプライチェーンの強靭化など最近の国際経済の課題に対応できるようなルールの追加も話し合っています。また、米国前政権がイニシアチブをとって発効したインド太平洋経済枠組み(IPEF)のサプライチェーン協定は、平時・危機時のサプライチェーンを強化していく内容です。経済安全保障のような新しい課題に取り組んでいくにあたって、サプライチェーンについてのルールをEPA/FTAに取り込んでいくことは1つの重要な論点と認識しています。
これまで、輸出入規制というと、許可申請のプロセス設計や該非判定の結果を受けた議論が行われてきましたが、経済安全保障推進の流れの中で、そもそも事業戦略の中で輸出入規制をどう考えていくか、規制を遵守しながら生産拠点間でどう技術を共有して効率化を図っていくかといったような、より戦略的な視点にも注目が集まり始めたように思います。関税についても、既に形成されたサプライチェーンの中で必要となった額を支払うことが所与であり、その中でFTA/EPAをどう使って税額を削減するかがこれまでの課題でしたが、各企業は今後、こうした関税コストへの意識を戦略作りの段階から取り入れていく必要があるのではないかと考えています。
米国の政権交代後、関税コスト増に対する危機感が強まっていますが、そもそも数年前から、さまざまな国において、国内産業の保護などのため、関税や通関コストを上昇させる動きがありました。一方で、FTA網の構築などにより、関税コストを削減する機会も増えているという二面的な状況があります。
そのため、関係性が近く各国の関税政策の食い違いが比較的少ない国の間でのサプライチェーン構築や、関税コストを考慮した物流・商流の検討といった戦略的な対応が必要になります。関税政策の変化の影響が比較的少ないサプライチェーンを考えるにあたって、FTA/EPAの存在は1つの指針であり、特に多国間のEPA/FTAは、より柔軟なサプライチェーンの検討を可能にするというメリットがあります。
例えば日本とベトナムで貿易を行う場合、日ベトナム、日ASEAN、CPTPP、RCEPという4つのFTA/EPAを利用することが可能ですので、関税削減対象品目とそのスケジュール、満たすべき原産地基準などを勘案して、その中から最も条件の良いものを選ぶことになります。そのため、FTA/EPAの利用にあたっては、原材料・部品の調達戦略の検討やサプライチェーン構築の段階からFTA/EPAを考慮しておくことが必要です。
また、完成品の段階で越境させるのか・到着地で最終加工を行うのか、製品価格の構成要素の一部を切り離して、課税標準である越境時点での製品価格を下げられないかといった検討を行い、関税コストの適正化を行うことも可能です。中継国を介して米国を最終目的地とする取引では、中継国から米国への輸出価格ではなく、当初輸出国から中継国への輸出時点の価格を課税標準として申告することを可能とする、米国独自の制度が利用できる場合もあります。
サプライチェーンを変更するよりも多少ハードルの低い手段として、このように物流や商流を検討して関税コストをマネージしていくことも検討に値するでしょう。
戦略を考えるにあたっては、その実現を支える人や組織、インフラなどが必要になりますが、日系企業はこの部分に課題を抱える企業が多いと感じています。グローバルで関税コストの管理を考えていなかったり、通関業者に全て任せてしまい物流・商流や関税コストの実態が把握できていなかったりする企業は、関税コストを増減させる政策が出たときに、そのインパクトを正確に把握できず、政策を戦略的に活用できなくなってしまいます。専門的知識・能力を持った人材の不在、組織体制の未整備、システムやインフラの不備といった要因が絡み合い、リスクの把握や定量的分析、対応のための投資判断ができないといった状況に陥っている企業もあるのではないでしょうか。
図表2:関税を考慮した事業戦略と関税マネジメント体制の構築
ITシステムを導入して中央管理型の関税コスト管理を行っている事例は他国企業で多く見られ、グローバル競争の中で、関税コストの定量的把握と戦略的検討ができないことはハンディキャップになり得ると考えられます。経営陣を含めてこうした課題を認識し、関税コストのマネジメントを戦略的に実施することが、今後ますます重要になると考えています。
米国と中国の間での貿易摩擦や英国のEU離脱を巡る混乱など、地政学リスクのレベルが高まっています。日本企業にも、リスクマネジメントに地政学の視点が必要です。事業に対する影響の評価、リスクの定量化、シナリオ予測などの手法を用いて、地政学リスクによる損失の軽減や未然防止に向けた効果的・効率的な対策立案と実行を支援します。
PwCコンサルティングはリスクと機会を切り口に、変化の激しい現代社会においてクライアント企業が重要リスクの特定し、デジタル化のベースとなるリスク対応に取り組むことを支援し、そのレジリエンス高度化に貢献します。
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