創薬研究における生産性向上

前編ー今、問い直す『生産性』の意味

  • 2023-12-13

概略

創薬研究は、新しい医薬品を開発するための複雑な過程であり、製薬企業は毎年多額の投資を行っています。しかし、新薬の研究開発は不確実性が高く、成功率の低下とコストの増加が問題となっています。本稿では、製薬業界における創薬研究の生産性を、リソースの使用を最大化し、プロセスに必要な時間とコストを最小限に抑えながら、病気を効果的に治療する新薬を特定および開発する能力として定義し、「価値」「品質」ならびに「オペレーションコスト」の3つの要素が生産性にどのように影響を及ぼすかを分析しています。

はじめに

創薬研究は、病気を効果的に治療できる新しい医薬品をつくり出す、複雑かつ困難なプロセスです。 製薬業界は、有効で安全な医薬品を市場に投入することを目標に、創薬研究に毎年多額の投資をしていますが、成功率は低下しコストは増加の一途をたどっています。これは、創薬研究にとって本質的問題ともいえる、新薬の研究開発が不確実性を伴う過程であることに起因しています。実際、研究段階でつくられた多くの化合物(医薬品の候補品)が正式な医薬品として市場に出ることはほとんどありません。医薬品開発には10年以上かかることが多く、研究開発の過程で生じた大多数の失敗の費用を、成功したごくわずかの医薬品の売上によって回収する必要があります。このように元来リスクが高く多額の投資が必要な新薬の研究開発に対し、資産、人材、情報、能力を最大限に活用し、創薬研究の成功率を上げること、すなわち生産性を向上させることは、長年の間、常に製薬企業の研究における主要なテーマとなってきました。

研究の生産性を向上させるため、パイプラインの分析とその最適化、および重要業績評価指標(KPI)による組織マネジメントが確立され、1990年代から2000年代初頭にかけて製薬業界は大幅な成長と革新の時期を経験し、多くの新薬が開発されて市場に投入されました。また、M&Aの増加に伴い、パイプラインの統合や研究開発マネジメントの再編ニーズの高まりを見せたのもこの時期です。さらに、創薬研究におけるコストの上昇と成功率の低下が認められ、持続可能性に対する懸念から、業界の生産性についての精査と議論の増加につながり増加へとつながったのです。2008年の金融危機後の数年間、製薬業界はコスト削減と効率改善を求める圧力の高まりに直面し、創薬研究の生産性に関する議論の重要性がより深まりました。近年は機械学習や遺伝子編集などの新しい技術やアプローチの出現により、創薬研究におけるイノベーションの可能性が再び注目され、創薬研究の在り方そのものを大きく見直すことが求められています。

このように、製薬業界における創薬研究の生産性に対する課題の焦点は時間の経過とともに変化してきましたが、その重要性は変わることなく存在し続けています。本稿では、そもそも創薬基礎研究が高めるべき生産性とは何か、その定義と本質について新たな視点を提供し、その重要性を再確認します。

1. 創薬研究における生産性と、それを規定する要素

生産性向上に必要なアプローチを検討するためには、まず創薬研究における生産性の定義を明確にすることが必要です。生産性とは、同じリソースを使用して得られる研究成果の量や質を指します。次に、生産性の高低を左右する要素を洗い出すことが不可欠です。これらの要因を明確にすることで、具体的な改善策を策定する手助けとなります。最後に、生産性の向上を目指す上で重要となる項目やKPIを明示することが望まれます。KPIは、目標達成のための重要な指標であり、これを設定することでチーム全体の方向性を明確にし、目標達成のプロセスを効果的に管理・監視することができます。

創薬研究の生産性の高さは、製薬会社が有望な医薬品候補を効率的かつ効果的に特定し、開発プロセスを進め、最終的にタイムリーかつ費用対効果の高い方法で市場に投入できることを意味します。一方、生産性の低さは、製薬会社が新薬を市場に投入する際に重大な課題と障害があることを示しています。

したがって製薬業界における創薬研究の生産性は、リソースの使用を最大化し、プロセスに必要な時間とコストを最小限に抑えながら、病気を効果的に治療する新薬を特定および開発する能力として定義できます。そこで本稿における「創薬研究の生産性」を、「価値」「品質」ならびに「オペレーションコスト」の3つの要因に分け、これらの概念を以下のように定義しました(図表1)。

図表1:創薬研究における「生産性」の概念

創薬研究における「生産性」の本質

創薬研究における生産性の指標については、さまざまな議論がなされています。パイプライン内の新薬候補の数は有用な指標になる可能性がありますが、必ずしも薬の品質や可能性を反映しているわけではありません。同様に、企業にとって重要な投資収益率(Return On Investment/ROI)は、医薬品開発が公衆衛生に及ぼす影響を完全にとらえることはできません。市場投入までの時間を指標とするのであれば、企業が新薬を市場に投入できるスピードは創薬研究の生産性の尺度にもなり得ます。しかしながらこの指標では、臨床試験や規制当局の承認など、医薬品開発プロセスの効率も含まれてしまいます。最終的に、創薬研究の生産性を測定するための最も包括的なアプローチには、指標を複合的に考慮して使用することになるでしょう。

本稿における概念としての生産性は「ヒト臨床での予見性の確立までをいかに迅速化し、成功への自信を深められるかという信念」と定義します。具体的には、創薬研究で見いだされた医薬品候補が特定の疾患または状態の治療に有効である可能性を示すこと、すなわち臨床におけるProof-of-Concept(PoC)試験でポジティブな結果が得られることとなります1。この考えは、「創薬研究の仕事は化合物を作るところまで」とされる一般的なイメージとは異なりますが、臨床段階でPoCを確立することが製薬業界での創薬研究の成功の指標として妥当であると考えます。その理由は2つあります。第一に、医薬品候補の潜在的な有効性と安全性をヒトで実証することは、その医薬品をさらに追求する価値がある証拠になるためです。第二の理由は、この証拠は製薬会社が科学的および技術的能力を潜在的なパートナー、投資家、そして顧客に対して、さらなる開発のための資金を確保するための妥当性を示すことになるからです。

創薬研究における生産性の構成要素①:価値

創薬研究における価値とは、アンメット・メディカル・ニーズ(UMN)2の大きさと、それをどのように充足させるかの方法です。治療薬が存在しない疾患、治療法があっても十分な効果が期待できない、あるいは多額の費用がかかる、効果の発現まで時間がかかるといった疾患は、アンメット・メディカル・ニーズが大きいと言えます。価値における主要な課題には、どのような疾患領域に注力するのか、ターゲットに対して選択肢としてどのようなモダリティ3を持つべきか、目指すべき革新性(治療の効果の程度)などが含まれます。また充足の方法には、モダリティの選択やオープンイノベーションの推進といった活動が含まれます。すなわち価値とは創薬戦略そのものであり、組織に施した理想と方針に基づいて行われる創薬活動です。経営側には、競合環境の激化やモダリティへの多様化といった外的要因、中長期の経営計画を達成するための新たな領域への拡大(または選択と集中)といったニーズに対して、適切なテクノロジーへの投資配分の見直しと事業機会の創出が求められます。

創薬研究における生産性の構成要素②:品質

品質とは、科学的妥当性です。科学的妥当性を構築するのは、データに基づき薬の作用機序を説明できるか、研究段階から将来実施するヒトを対象とした試験(臨床試験)でも有効性が期待できるか、いかに早期に開発リスク(安全性の懸念)を予見して将来の失敗を最小限にするかなどの問いに対し、より信頼できる、または仮説を立証するための最短アプローチを採用する力です。科学レベルの高さが成功確率を高めると考えることができます。すなわち、品質を生み出す源泉は人材であり、サイエンティストの量と個々の科学レベルに依存します。人員の質と増加は生産性向上に直結するため、本質的にはマネジメント課題となります。例えば、もし人員を3分の1にしたら、同じ品質を確保するためには1人当たりの生産性を3倍に上げる方法を考えなくてはなりません。持続的な品質向上には、業界におけるリーダーシップや新しい取り組みを歓迎する価値観、仕組みはもちろん、雇用や採用制度、評価制度、報酬体系、キャリアパスがモチベーションを維持し続けられる環境か、人材流出が起きていないかを観察する必要があります。仮に制度やキャリアパスにおける選択肢の乏しさなどを理由に優秀な人材が退職し、その後、自身でベンチャー企業を立ち上げるなどの事態に至った場合、企業にとっては大きな損失となります。

創薬研究における生産性の構成要素③:オペレーションコスト

最後の「オペレーションコスト」は創薬研究に費やす時間(スピード)とコストを意味し、いわばオペレーションの効率性を表わしています。創薬プロジェクトの費用と時間を測定し効率的なオペレーションモデルを確立すること、デジタル(コンピューティングとデータに関連する全て)を導入しビジネスに画期的な変化をもたらすことでトランスフォーメーションを実現すること、また適切な動機づけによって組織目標に沿った行動を促すことで効率性を高めます。

現在、特にデジタル化を取り入れることで大きな変革が期待されている分野が、ビックデータとAI(人工知能)です。ビックデータは一般的に巨大で複雑なデータセットを意味し、膨大な情報処理を行うAI(創薬では往々にして、データのパターンを発見するアルゴリズムである機械学習)によって、創薬および開発を効率的に進め、かつコストを抑えることが期待されています。実際、この考えには合理性があります。医薬品開発過程が複雑であること、またその過程で大量のデータが発生すること、そして元来、生命現象そのものが複雑であることが、新薬の研究開発における不確実性と困難さを生み出しており、創薬がAIのアプリケーションにとって有望かつ理想的な分野と見なされているのです。米国では80年以上にわたり義務づけられていた動物実験を撤廃し、実験結果がなくても新薬の承認が可能になりました4。すでにビックデータとAIの導入は創薬研究活動の効率性向上においては所与と認識されており、中心的課題は、最新のアプローチ、すなわちデータサイエンス(広義にはデータからインサイトを得ること。バイオインフォマティクス、統計学、計算生物学を含む)とデータエンジニア(取り込みやクリーニングといったデータ構造と、クラウドなどのデータを格納するシステムを操作する人)、従来のアプローチを組み合わせるためにはどうしたらよいかにシフトしています。このようなトランスフォーメーションには、現場のマネジメントとリーダーシップが必要となります。

創薬研究の生産性を高めることは、取りも直さず「価値」と「品質」を向上させ、「オペレーション」と「コスト」効率をいかに高めるかを追求した結果、自分たちのやり方が正しいと信じる力の向上に他なりません。

2. 今こそ必要とされる創薬研究の生産性向上

製薬業界は、薬の価格設定、リアルワールドデータを活用したエビデンスジェネレーション、ヘルスケアへのアクセスなど他の重要な課題にも取り組む必要があるため、生産性の議論には必ずしも十分な注目が払われていません。しかし、創薬研究の生産性の問題は、製薬業界にとって依然として重大な懸念事項です。新薬を市場に投入するために必要なコストと時間は増加し続けており、保険者や規制当局から、新しい治療法の価値と有効性を実証する責任が求められています。こうした背景を踏まえて、以下の3つの大きな要因が、創薬研究の生産性を迅速に見直し、向上させる必要性を一層強化しています。

1) エマージングテクノロジーの台頭

創薬ターゲットの特定、プロセス合理化によるコストの削減、マルチオミクスによるデータの増大と多様化への対処、タスクの自動化による効率の向上であるパラダイムシフトをテクノロジーの進歩が、そして価値の高い医薬品を開発する現実的な機会をモダリティの多様化が提供しつつあります。製薬会社は、競争力と生産性を維持するために、これらの進歩に後れずについていく必要があります。

2)個別化医療と希少疾患への強い関心

患者が個々のニーズに沿った治療を求めているため、個別化医療の需要が高まっています。研究の生産性を見直すことは、企業が個別化された治療法を開発するのに役立ちます。また希少疾患治療の市場が拡大しており、製薬会社がこれらの疾患の治療薬を開発することが重要になっています。

3)製薬企業への社会的期待の高まり

新薬は、命を救い、生活の質を向上させる可能性を秘めていますが、医療費は世界的に上昇し続けており、製薬業界は医療費全体の適正化を実現する費用対効果の高い治療法を開発するよう圧力をかけられています。また、抗生物質耐性菌の出現や感染症といった公衆衛生のニーズも一層高まっています。製薬会社が研究の生産性を最大化することが重要です。そうすることで、新しい治療法をより早く市場に投入し、より多くの人々を助けることができます。

おわりに

創薬研究における生産性の考え方は企業によって異なり、それは製薬企業における経営戦略、研究開発の指針、優先的な研究領域、内製化されている技術やその優位性など、多岐にわたる要因によって形成されています。しかしながら、これら3つの急激な外部環境の変化が、創薬研究部門の責任者が研究の生産性を早急に見直して向上させる必要があることを強調しており、創薬研究部門はヒト臨床での有用性が期待できるまでの過程を迅速化して、成功への自信を深める仕組みを再構築する時期にきているのです。

1 PoC(Proof of Concept)試験は、開発中の薬物の有効性を実証する臨床試験

2 治療法がない疾患に対する医療ニーズ、または既存の治療よりどの程度優れているか

医薬品の作られ方の基盤技術の方法・手段、もしくはそれに基づく医薬品の分類

4 FDA no longer needs to require animal tests before human drug trials
https://www.science.org/content/article/fda-no-longer-needs-require-animal-tests-human-drug-trials

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後編ーパイプライン分析とKPIの最適化による包括的なアプローチ

創薬研究の生産性向上には、体系的かつ包括的なアプローチの採用が必要です。後編では、創薬パイプラインの分析と評価、組織KPIの最適化と利活用、部門の壁を越えたアクションなど、製薬会社全体の仕組みを見直す包括的アプローチを紹介します。

執筆者

堀井 俊介

パートナー, PwCコンサルティング合同会社

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船渡 甲太郎

パートナー, PwCコンサルティング合同会社

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佐久間 仁朗

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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