Healthcare Hub 医彩

第23回 医療現場の「当たり前」を変える──滅菌管理業務の科学的改革

  • 2025-07-16

医師や看護師などの医療従事者、最新の知見や技術を持つ研究者、医療政策に携わるプロフェッショナルなどを招き、その方のPassionに迫るとともに、目指すべき将来像を探る「医彩」。第23回は、医療現場の安全を支える滅菌管理業務に光を当てます。患者の生命に直結する重要な業務でありながら、十分な理解を得られていない滅菌業務。この根本的な課題はどこにあるのでしょうか。東京科学大学病院基盤診療部門材料部部長の久保田英雄准教授と株式会社名優代表の山根優一氏をお招きし、制度・教育・現場改革の視点から実践的なお話を伺いました。(本文敬称略)

(左から)久保田 英雄氏、山根 優一氏、増井 郷介

登場者

東京科学大学病院基盤診療部門材料部部長
准教授
久保田 英雄氏

株式会社名優
代表取締役
山根 優一氏

PwCコンサルティング合同会社
ディレクター
ヘルスケア担当
増井 郷介

※所属法人名や肩書き、各自の在籍状況については掲載当時の情報です。

Passion~ヘルスケアの道を切り拓く情熱~

滅菌管理業務は「裏方」じゃない──現場で感じた危機感とは

増井:最初に久保田先生が滅菌管理業務に関心を持ったきっかけを教えてください。

久保田:私は元々脳神経科学を研究しており、「滅菌」とはまったく縁がありませんでした。ただ脳神経科学の研究にはデータ解析が必要だったので、ソフトウェア会社を設立し、自らデータ解析・可視化ソフトを開発・販売していたのです。そうしたことをやっているうちに、所属していた大学病院から「病院経営の可視化の一環としてシステム化を推進するからやらないか」と呼び戻され(笑)、診療に使用する医療材料や滅菌器材を管理する材料部に、教員として着任しました。そこで初めて「滅菌管理業務」に触れたのです。

滅菌管理業務とは、再使用可能な医療機器を洗浄・消毒・滅菌し、無菌状態にして手術や処置で使用できるよう整える業務です。しかし現場では、「誰が」「何を」「どのように」作業しているのかが曖昧で、標準化もされていなかったのです。

東京科学大学病院基盤診療部門材料部部長 准教授 久保田 英雄氏

増井:「医療の安全性を支える基盤業務が曖昧」では、患者は不安です。

久保田:さらに不安にさせて申し訳ないのですが、医療従事者は滅菌の管理業務を理解していません。「滅菌器に入れれば菌は死ぬでしょう」程度の認識しかない。技術的な問題以上に、医療従事者の理解不足が問題だと痛感しました。

この問題の根底には、医学教育システムの偏りがあります。実は、医学教育の中に再生処理の実務について学ぶ機会はほぼありません。微生物学などの一部として「滅菌」は習いますが、実際に行われている洗浄・消毒・滅菌についてはほとんど知らないのです。

山根:その問題は私も痛感しています。名優では主に滅菌管理部門向けの製品を販売していますが、現場でも基本的な滅菌の概念から説明しなければならないことが多々あります。本来、医療従事者なら知っているべきことなのですが……。

久保田:もう1つ深刻な問題は、病院の経営層が滅菌管理を優先的に捉えていないことです。滅菌管理部門は「裏方」扱いされがちですが、実際には病院の生命を支える重要部門です。しかし評価が低く、予算も人員も十分とはいえません。この状況では現場がいくら努力しても限界があります。

増井:お話を伺っていると、久保田先生の滅菌管理業務に対するパッションは、危機感だと感じます。

久保田:そうですね。情熱を傾けているのは「リスクマネジメント」の徹底です。病院の使命は患者さんを治療するとともに、人々の健康と幸せに貢献することです。そのためには質の高い医療の提供を阻害するリスクを排除しなければなりません。そうした観点から現場に関わって最初に感じたのは、「医療現場の滅菌管理はリスクでしかない」ということでした。

例えば医療機器メーカーの使い捨て製品の品質保証は非常に厳格です。そして、現場では院内で滅菌処理したものが、メーカーの使い捨て製品と同等の品質だと盲信しています。誤解を恐れずに言えば、これまで院内の滅菌処理でも感染が発生しなかったのは、患者さんの免疫力のおかげで「たまたまセーフ」だったからです。この環境は絶対に改めなければいけないと思いました。

山根:企業の立場からも同じ危機感を持っています。医療はエビデンス(科学的根拠)を重視しますが、滅菌の分野はエビデンスを基本とする意識が極端に低いと感じています。現場は「今までどおりの方法」を忠実に守ろうとする傾向が強いですが、その方法が科学的根拠の無い慣習であるケースが多いです。

Transformation~変革へのあくなき挑戦~

慣習から科学的根拠への大転換、現場を変える具体的アクションプランとは

増井:お二人のお話から、現在の滅菌管理業務が抱える課題の深刻さがよく分かりました。では、この状況をどう改善していくべきでしょうか。

久保田:何より、滅菌処理に対する「関心」を高めることが出発点です。残念ながら、医療従事者はもちろん、行政を担う厚生労働省の関係者も、この分野の重要性を十分に理解していません。現場でどれほど不十分な処理が行われていても、注目されることがほとんどないのです。まずはこの「無関心」に対してメスを入れなければなりません。

山根:私たち医療メーカーも、製品提供だけでなく、「気づきのきっかけ」を提供する役割があると考えています。例えば、私たちは洗浄や滅菌の結果を視覚的に示すインジケータを用いて滅菌不良の可能性を可視化し、認識変容を促しています。実際に「滅菌できていない」状況を可視化して、現場の認識を変える取り組みを進めています。自分たちのやり方に疑問を持ってもらい、「ではどうすればよいか」と考えてもらう。これが第一歩だと考えています。

株式会社名優 代表取締役 山根 優一氏

久保田:山根さんが指摘した「可視化」は非常に重要です。曖昧だったプロセスを白日の下にさらすことで、滅菌管理の問題を現場が認識できるようになります。そして、それを支えるのが「標準化された教育」です。滅菌業務に関わる全ての人が、共通の知識と技術を土台として身につけること。それが安全な医療の基盤になります。

増井:その教育体制の構築で、久保田先生はガイドライン整備にも深く関わっておられると伺いました。

久保田:はい。これまで日本医療機器学会を通じて、教育ツールの整備やガイドラインに基づく評価ツールの策定を進めてきました。学会としては2000年に「医療現場における滅菌保証のガイドライン」を初めて発表し、2021年にはその改訂第5版を公表しました。ガイドライン2021の特徴は、現場の業務水準の理想型を示したことにあります。ただし、実施には難しい点もあり、また、どのように検証や改善すればよいかわかりにくい部分もあるため、「医療現場における滅菌保証のための施設評価ツール」を策定し、どのように評価し、改善に結びつけるかまで明示しました。

ただし、評価の目的は「責任追及」ではありません。現場の努力を正当に評価し、継続的な支援につなげることに主眼を置いています。実は、従来のガイドラインではA・B・Cといった推奨度が導入されていましたが、一部、質の保証という観点ではなく、施設の規模や予算などの面から実施しやすいかどうかという観点で設定されていたものもありました。しかし、滅菌の質に施設規模の大小などは関係ないはずです。一定の基準をクリアして、はじめて保証されるべきです。しかし、医療現場の実態を無視して四角四面に実施を唱えても意味がありません。全ての施設が最低限満たすべき「共通基準」をクリアできるように各施設の水準をどのように評価、判断し、向上させるかを見えるように施設評価ツールとして明示しました。

増井:理想像の提示から、現場が実行可能な目標への転換ですね。

久保田:そのとおりです。どれだけ理想を掲げても、現場にとって実行不可能なものであれば定着しません。滅菌処理は技術的業務であると同時に、「現場の習慣」や「属人的な判断」に依存しやすいという側面もあります。ですから「教育による意識の底上げ」と「評価による支援」の両輪で進めなければ、真の改善は実現できません。

山根:そうした意味で、私たちが提供するインジケータ製品も、単なる確認ツールではなく「教育支援ツール」としての側面を持っています。しかし現状では、滅菌業務の知識と技術の土台作りにおいて、抜本的な改善が必要です。例えば、2023年の調査*1では、滅菌プロセスのバリデーション(妥当性確認)を実施している施設は、実施が求められる施設全体の約4割に過ぎません。

*1滅菌保証に関する実態調査報告書6

増井:つまり「6割の施設では滅菌プロセスの妥当性を科学的に証明できていない可能性がある」という……。

PwCコンサルティング合同会社 ディレクター ヘルスケア担当 増井 郷介

山根:そのとおりです。滅菌業務は「事故が起きなければ問題にならない」分野であり、そのぶん、軽視されがちです。例えるなら、自動車のエアバッグですね。事故が起こらない限り、正しく機能しているか誰も気づかない。ですが、いざ事故が起きたときに「機能していませんでした」では、取り返しがつきません。

こうしたリスクを未然に防ぐためには、プロセスのバリデーションを行い、その正当性を日常的に確認する体制が不可欠です。そしてその結果を、第三者にも説明できる形で記録・管理することが「品質保証」につながります。

久保田:山根さんのご指摘は、私たちが目指すべき未来像です。私は再生処理を行う全ての医療機関で、滅菌プロセスの科学的検証と品質保証が当たり前に行われる状態を実現したいです。例えば欧州では、滅菌業務は医療安全の中核として位置づけられており、滅菌専門の職業訓練校も存在します。

一方、日本ではまだそうした体系的な教育基盤が整っていません。今後は、病院業務にも製造業と同等の品質管理視点が求められると考えています。滅菌業務は単なる作業ではなく、「工程の再現性」や「製品としての品質保証」を前提とした業務なのです。

実際、欧州では「ISO13485」などのような国際的な品質マネジメント規格に準拠した体制づくりが進んでいます。今後の日本でも、こうした基準に準じた運用ができなければ、医療機関としての信頼性が問われる時代になるでしょう。

増井:そのとき必要になるのが「現場経験や慣習」ではなく、「共通言語としての品質保証」ですね。

久保田:そのとおりです。誰もが理解できるルールに基づいて業務を可視化し、外部にも説明可能な形で維持・改善を行うことが、真の安全性につながります。

Future~競創の先に広がる未来~

「見えない安全」を可視化する、次世代に託す安全な医療の礎

増井:最後に、今後の展望をお聞かせください。

山根:現場に対して一気に完璧を求めると、必ずどこかで挫折してしまいます。滅菌管理のガイドラインには理想的な手順が明記されていますが、知識がなければ読み解くことすら難しい。また人的・物的リソースに限界がある医療現場では、全てを一度に実践するのは現実的ではありません。

だからこそ私たちは、洗浄・組立・包装・滅菌といった各工程の中で「ここは絶対に外せない」というポイントを明確にし、優先順位をつけながら一歩ずつ実践していく方法を提案しています。継続的な取り組みと経験の蓄積が、信頼される現場をつくる基礎になると考えています。

もう1つ、私たちが注力しているのは、滅菌業務に携わる「人」にスポットライトを当てることです。先に久保田先生が指摘されたとおり、滅菌業務を担当する中央材料室は「裏方」扱いされがちです。だからこそスタッフを対象にしたインタビュー企画を通じて光を当てたいです。「なぜこの仕事に関わるようになったのか」「どんなやりがいを感じているのか」といった現場の声を可視化し、製品の宣伝ではなく、「人に寄り添う」情報を積極的に発信し、その社会的価値を伝えていく必要があると感じています。これは私たちだけでなく、業界全体として取り組むべき課題です。

(左から)山根 優一氏、久保田 英雄氏、増井 郷介

久保田:とてもよい取り組みですね。実は中央材料部で働く方々の中には、当初は希望してこの職に就いたわけではなく、配属によって関わるようになった人も少なくありません。しかし、その中には強い使命感を持ち、現場で懸命に取り組んでいる方が数多くいます。

そうした現場の声や想いを社会に届けることは、この仕事の正しい理解や地位向上につながります。現場の全ての人が、必要な知識と技能を身につけ、自らの業務に誇りを持てる環境を整える。それが、いわば「教育の民主化」です。希望に反して配属された人でも、適切な学びと支援があれば、使命感を持って働けるようになりますし、人材確保にも直結します。

増井:まさに変革における「人」の可視化ですね。こうした動きを加速させるために、国や行政、メーカーに対して期待することはありますか。

久保田:製品設計を担うメーカーには、滅菌処理の現場に対するより深い理解と責任を求めたいと思っています。開発担当者の多くは、実際の再生処理工程を知らないまま設計を進めてしまっているケースもあり、結果として、洗浄や滅菌しづらい器材が現場に供給されていることもあります。製品の設計段階から、実際の再生処理工程を考慮した開発を求めたいですね。

山根:そのとおりです。器材は「作って終わり」になるのではなく、滅菌処理される現場での工程や条件まで見越して設計しなければなりません。そうした意味では器材構造や添付文書も含めて見直しが必要です。そして、患者さんにも「この器材は本当に滅菌されているのか」という視点を少しでも持っていただきたいと考えています。

久保田:そうですね。患者さんが注意を向けることで現場に緊張感が生まれ、改善のきっかけになります。日本では、患者の声や世論が大きな力を持っています。ですから、手袋の交換や器材の取り扱いなど、ちょっとした点に着目することで「この病院で安心して手術を受けられるか」を判断する材料になります。それが当たり前になれば、滅菌管理業務に対する理解も進むのではないでしょうか。

増井:まさに「見えない安全」を「見える信頼」へとつなげていく活動ですね。お二人の取り組みは、医療の「当たり前」を問い直し、新たな基準を築く第一歩だと感じました。本日はありがとうございました。

主要メンバー

増井 郷介

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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