
不透明な時代と向き合う変革、生き残りの鍵に
関税政策を巡る混乱で世界経済の先行きは不確実性を増し、深刻化する気候変動の影響やAIをはじめとするテクノロジーの進化も待ったなしの対応を企業に迫っています。昨日までの常識が通用しない不透明な時代をどう乗り越えるべきか。これからの10年を見据えた針路の定め方について、PwCのグローバル・チーフ・コマーシャル・オフィサー(CCO)であるキャロル・スタビングスと、PwC Japanグループで副代表およびCCOを務める吉田あかねが意見を交わしました。
テクノロジーが爆発的なスピードで発展を遂げ、イノベーションの波が押し寄せる現代社会。ビジネスの在り方や労働の価値・役割にも大変革が求められており、個人や企業、社会や国にとって「アップスキリング」が最重要課題として浮上している。2020年2月26日に開催された「PwC グローバル メガトレンド フォーラム 2020」のキーノートセッションでは、PwC Japanグループ代表・木村浩一郎がファシリテーターを務め、PwCが毎年実施している『世界CEO意識調査』の最新の結果を共有。その上で、PwC グローバル戦略・リーダーシップ開発リーダーのブレア・シェパードとともにアップスキリングの重要性について議論した。続いて、経済産業省 商務情報政策局 情報技術利用促進課長 瀧島勇樹氏と株式会社日立アカデミー 代表取締役社長 迫田雷蔵氏が順に登壇し、日本の社会と企業におけるアップスキリングの取り組みを紹介した。
キーノートセッションでは、第23回世界CEO意識調査の結果を踏まえ、企業を取り巻く最も大きな課題の1つである「アップスキリング」について、さまざまな議論および意見が交わされた。
木村はまず、「アップスキリングは、急速に変化する経済環境におけるニーズを満たすために、人材の能力と雇用可能性を拡大する取り組み」と定義。さらにシェパードは「アップスキリングはスキルアップと同義ではなく、あらゆる個人や組織を包括する広範囲なイニシアチブ」とし、以下のように具体的にその意味を解説した。
「アップスキリングの対象は2つ。1つは個人、そしてもう1つが組織です。個人のアップスキリングとは、デジタルスキルの獲得だけではありません。テクノロジーが我々に及ぼす作用を理解し、デジタル化した社会を生き抜くために必要な能力を身につけることを指します。一方、組織にとってのアップスキリングとは、変化をもたらす人材を獲得することであり、さらに言えば、企業が進むべき方向に進むためには何が必要かを認識し、それを実現できるように社員のスキル習得を促すことです」
現在、グローバルネットワーク全体で社員のアップスキリングの取り組みを強化しているPwCだが、その背景には「クライアントのニーズの多様化と拡大がある」とシェパードは述べる。クライアント企業は監査や財務に関する情報のみならず、サイバーリスクや気候変動リスクなど、さまざまな変化やリスクに対する知見とソリューションを求めている。そしてその変化は非常にダイナミックに起きており、アップスキリングを積極的に実践することでしか、こうしたクライアントの要求に対応することができない。
一方で、アップスキリングは世界的な課題でもある。世界銀行のデータによれば、全世界人口のうち実に60%がデジタル経済から取り残されている。また、若年層の失業者は2013年時点で約7,450万人に上り(PYXERA Global調べ)、職についている若者も今後2030年までに20~40%が自動化の影響を受けて失業する可能性がある(PwC英国調べ)という精度の高いデータもある。テクノロジーや自動化がさまざまな労働を代替するスピードが高まる中、世界中のすべての人と協力して、世界全体をアップスキリングすることが急務であるというのがPwCの認識であり、自社の積極的な取り組みにつながっているゆえんでもあるとシェパードは説明する。
続いて、シェパードはアップスキリングに対する日本社会の“危機意識の低さ”にも言及した。CEOへの意識調査では日本企業は将来に対して非常に大きな不安を持っているという結果が出ているものの、社会人を対象とした『デジタル環境変化に関する意識調査』では日本の回答者の58%が自動化を脅威とは感じていないと答えている。これは、日本以外の世界の国々とは異なる結果だ。さらにシェパードは、「日本では3分の1以下の人しか新たなスキルの習得を行っていない」という同調査の結果に警鐘を鳴らし、「マッチング」の重要性を改めて強調。個人が成長しなければならないと強く思うこと、一方で企業側が変化のために何が必要かを認識すること。その2つがうまく組み合わされない限り変化は起きないと指摘した。
デジタル環境変化に関する意識調査の結果より
「日本では、変わらなければならないという危機意識が共有されておらず、組織の変化を促す人材が見つからない状況に陥っています。問題は受け身な姿勢。日本の社会人は企業や政府がスキルの習得機会を提供してくれるのではないかと期待しています。しかし、ほとんどの諸外国ではアップスキリングは個人の責任・責務であると考えられています。このセッションをご覧の方々には、すぐにでも行動を起こしていただきたい。そうでなければ、恐ろしい未来が訪れるかもしれません」(シェパード)
危機感と課題の共有後、キーノートセッションは「日本社会のチャレンジ」というテーマに移行。経済産業省 商務情報政策局 情報技術利用促進課長の瀧島勇樹氏が登壇し、アップスキリングの先にある「デジタルトランスフォーメーション」(以下、DX)に関する取り組みについて、経験と知見を共有した。
PwC Japanグループ代表 木村浩一郎(左)、経済産業省 商務情報政策局 情報技術利用促進課長 瀧島勇樹氏
瀧島氏は、日本企業とDXを取り巻く現状および課題を整理。DXをサッカーに例え、「『どんなサッカーがしたいか』を思い描くことが練習のモチベーションになる」と述べた上で、同様に「DXには経営戦略が不可欠」とし、経営者がデジタルで何を変えたいのか、どんなビジネスを創造していくのか、ビジョンを示すことが何より重要であると指摘した。経営戦略そのものを描き切れていないと、DXに思い切って投資できないからだ。なお、経済産業省と東京証券取引所が行った調査によれば、日本の9割近い企業がDX推進の方針やビジョンに関して回答できず、回答があった企業の中でも3分の1しか具体的な方針等を明示できていないという。
DX推進についての方針・ビジョン策定にかかる日本の現状
「ビジョンに関して言えば、経営者サイドと現場サイドの認識の乖離も問題です。経営者サイドがビジョンを示していると思っていても、現場はそう思っていないケースが多々あります。認識の乖離は、アップスキリングによって何を達成するのか、もしくはそもそもアップスキリングに取り組まなければならない理由は何かを曖昧にさせます。また、日本企業のIT関連費用の8割は現行ビジネスの維持運営(ラン・ザ・ビジネス)に向けられています。一方で戦略的なIT投資に、資金や人材はほとんど振り当てられていません。新しいところに投資が生まれないという現状は、アップスキリングのモチベーションにつながらないという問題に直結します」(瀧島氏)
日本企業においては「技術的負債も問題だ」と瀧島氏は続ける。技術的負債とは、短期的な観点でシステムを開発した結果、それぞれのシステムが複雑に絡まり合って“スパゲティ化”し、長期的に保守・運用費が高騰することで“負債化”することを指す。企業が技術的負債を抱えると、AI(人工知能)やデータ分析などを学んだ高度デジタル人材を、保守など既存業務に追いやるという悪循環が生まれる。人材側のアップスキリングのインセンティブにならず、ひいては企業と人材のミスマッチの要因になる。
そのような現状を踏まえ、瀧島氏は個々人が能動的にアップスキリングを実現していくためには、社会や企業に自らのキャリアを捧げ、実現したい理想が溢れる“場”がたくさんあることが重要だと説く。それは、シェパードが先に指摘した「マッチング」に近いニュアンスでもある。
経済産業省では今後デジタルガバナンスコードに沿った企業の認定制度を確立していくほか、東京証券取引所と共同で選定している「攻めのIT経営銘柄」を「DX銘柄」に改める施策を協議中だという。アップスキリングのための自由な場を創出するために投資を増やし、かつ財務KPIと連動させるなどポジティブなガバナンス機能を持った企業を、積極的に認証・支援していく仕組みづくりだ。また、「未踏プロジェクト」「AI Quest」「第四次産業革命スキル習得講座認定制度」などの施策に代表されるような、社会全体のアップスキリングのための場の創出にも引き続き注力していくという。
瀧島氏は最後に「社会全体のアップスキリングを見据えたとき、天才や尖ったデジタル的才能を持った人材の育成、ビジネスとエンジニアを掛け算・ブリッジできる人材の育成、そしてデジタル化に取り残される人々のスキル転換をサポートするリカレント教育という3つの柱が重要になると考えています」と語り、アップスキリングの将来像を示した。
続いて「日本企業のチャレンジ」というテーマのディスカッションでは、株式会社日立アカデミー 代表取締役社長の迫田雷蔵氏が登壇し、日立グループにおけるDXとその実現を支えるアップスキリングの取り組みを紹介。「日立グループはトップの強力なリーダーシップのもと、デジタルで社会課題を解決する社会イノベーション事業でグローバルリーダーになるという目標を掲げている」と語る迫田氏は、DXを実現していくためのポイントを示唆した。
株式会社日立アカデミー 代表取締役社長 迫田雷蔵氏
「まず日立グループが取り組んだのはDXのフェーズの分解。DXには、今までにない新たな産業・ビジネスモデルをゼロから生み出す『ビジネスモデルイノベーション』、既存ビジネスモデルを変革することで顧客価値を向上させる『プロダクトイノベーション』、サプライチェーンの再構築など既存ビジネスにおけるプロセスを改革する『プロセスイノベーション』、そして、各プロセスの効率を向上させる『業務改善』の各フェーズがあります。私が見る限り、それらが一緒くたに議論されているような気がしています。フェーズを分解することで、人財育成の対象や方針がはっきりしてくるのです」
日立グループが考えるDXのフェーズ
日立グループでは、フェーズの整理に基づき、DX推進のための人財像も明確に定義。本質的な課題を発見し、解決策の策定・合意形成・施策評価などを牽引する「デザインシンカー」、AIや数理統計などを駆使しデータを利活用する「データサイエンティスト」、サイバー・フィジカルの両面で企画から運用まで推進・支援する「セキュリティスペシャリスト」、デジタル技術を活用したシステムを設計・実装・運用する「エンジニア」、そしてOT(制御・運用技術)や業務の知識を持ち、現場へのソリューションの適用を推進・支援する「ドメインエキスパート」など、多様な人財の育成を進めているという。
「世の中では、データサイエンティストやセキュリティスペシャリストなど、いわゆる高度デジタル人財にのみフォーカスが当たっています。しかし同時に、課題を発見・定義するドメインエキスパートも相当数必要であり、企業のやりたいことを実装するエンジニアも欠かせません。各人財がトータルで力を発揮してこそ、企業のDXを進める推進力になります」(迫田氏)
日立グループではまた、「従来の事業領域においてもデジタル活用力を強化すべきだと考え、DX推進に注力している」と迫田氏。2019年度にはDX研修体制を整備・拡充し、100講座を用意したという。また2020年度にはケイパビリティのレベル別研修プログラムを開発・提供し、DX関連のリカレント教育を強化している。高度デジタル人財を育成するだけでは不十分であり、全社的にアップスキリングの裾野を広げることが重要というのがその趣旨だ。
セッション終盤に再び登壇したPwCのブレア・シェパードは、瀧島氏、迫田氏の事例紹介や知見の共有を受け、「データからだけでは見えない、日本社会および企業の動きに非常に勇気づけられた」と振り返った。続けて個人のアップスキリングに話題を移し、若者世代と中高年のそれぞれにとって適切なアップスキリングの在り方について語った。
PwC グローバル 戦略・リーダーシップ開発リーダー ブレア・シェパード
「将来的にコンピューターは自らプログラミングできるようになるでしょうし、研究室で行われている多くの研究も自動化していくでしょう。そう考えると、現在、社会がSTEM(科学、技術、工学、数学)を重視しすぎていて、政治学、社会学、心理学といった人文分野を軽視する傾向にあることが危惧されます。それは結果として、テクノロジーで何をするのかに対する知見が乏しい集団を生み出し、社会にとってネガティブな結果を生み出しかねません。若い人たちには、バランスの取れた“tech-savvy(技術に精通した)ヒューマニスト”を目指すようアドバイスしたいですね」(シェパード)
また中高年世代には、今持っているスキルが仕事につながらなくなったときには、そのスキルをレベルアップさせるだけでなく、全く違う分野に飛び込んで挑戦するという選択肢もある、と提案。そうした挑戦には大きな楽しみも伴うはずだと勇気づけた。
これに対し、木村は「若い世代とともに新しいことを学び続けるのは楽しく前向きなこと」と自身の経験を振り返った上で、「とはいえ、やはりアップスキリングは個人だけの問題ではなく、企業も政府も、誰もがそれぞれの責任として取り組まなければならない大きな課題」と指摘。企業にとっては、この課題に真摯に向き合うことがステークホルダーからの信頼の構築につながると、その重要性を改めて強調した。
シェパードもこれに賛同し、「アップスキリングに取り組まなければ、企業も、国も、個人も重要性を失ってしまいます。『取り組まない』ことの危険性は極めて大きい」と警鐘を鳴らした。
最後に木村は、「企業を取り巻く環境は目まぐるしく変化しています。そうした中でも、社会の課題をしっかりと見据え、責任感をもってそれに取り組んでいけば、信頼の構築とビジネスの成功につながるはずです」とセッションを締めくくった。
1978年神奈川県生まれ。2001年東京大学法学部卒後、経済産業省入省。2008年ハーバード大学公共政策学修士卒。インドなど新興国へのシステム・インフラ輸出政策の立案・実施、中小企業金融政策、サイバーセキュリティ政策に従事。2018年から大臣官房会計課政策企画委員として、予算要求のとりまとめ、経産省のDXを推進。2019年、商務情報政策局企画官に就任し、「21世紀の『公共』の設計図 ちいさくて大きいガバメントのつくりかた」の提言を、G20デジタル大臣会合における「Data Free Flow with Trust」「Governance Innovation」などのコンセプトをとりまとめる。2019年7月より現職。
1983年、日立製作所入社。一貫して人事・総務関係の業務に携わる。電力、デジタルメディア、情報部門の人事業務を担当後、2000年から本社にて処遇制度改革を推進。2005~09年、米国に本社があるHitachi Data SystemsでHR部門Vice Presidentを務める。その後、本社グローバルタレントマネジメント部長(2012年~)、中国・アジア人財本部長(2014年~)、人事勤労本部長(2016年~)等を経て、2017年4月より日立総合経営研修所取締役社長。2019年4月に日立アカデミーが設立され、初代社長に就任。
1963年生まれ。1986年青山監査法人に入所し、プライスウォーターハウス米国法人シカゴ事務所への出向を経て、2000年には中央青山監査法人の代表社員に就任。2016年7月よりPwC Japanグループ代表、2019年7月よりPwCアジアパシフィック バイスチェアマンも務める。
2012年2月より、PwCの戦略およびリーダーシップ開発のグローバルリーダーを務め、PwCネットワークにおける戦略、リーダーシップ、カルチャーの取り組みをリード。リーダーシップ、企業戦略、組織デザイン等の領域で100社以上の企業や政府にアドバイスを提供した経験を有し、50以上の書籍や記事を執筆。デューク大学フュークア・スクール・オブ・ビジネスの名誉教授、名誉学長でもある。
※ 法人名、役職、本文の内容などは掲載当時のものです。