第21回 サステナビリティ報告のマテリアリティを考える──持続可能な社会にとって大事なこと(後編)

  • 2025-05-20

はじめに

前編では、EUのサステナビリティ報告制度の概要とマテリアリティの考え方について整理しました。後編の今回は、IFRSのサステナビリティ報告制度の概要とこの制度におけるマテリアリティの考え方を整理した上で、両制度の関係や課題について考察して本稿をまとめます。

なお、文中の意見に係る部分および仮訳は筆者の私見であり、PwC Japan有限責任監査法人および所属部門の正式見解ではありませんのであらかじめご了承ください。

1 IFRSによるサステナビリティ開示基準(ISSB)と制度の概要

国際的な財務報告基準をリードしてきたIFRS財団の傘下にある国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)は、2023年6月、サステナビリティ開示基準の最終版を公表しました。

IFRS(国際財務報告基準)は140を超える国や地域で適用されていますが、財務報告においてもESG(環境、社会、ガバナンス)の重要性が高まる中、統一的な開示基準のなかったサステナビリティ情報に対する解決策として、ISSBの基準はIFRSのサステナビリティ版として位置付けられます。

ISSB基準は、2024年1月以降の年次報告書から適用可能で、その導入時期は各国に委ねられています。日本では、サステナビリティ基準委員会(SSBJ)がISSBをもとにした日本基準を最終化しており、早ければ2027年3月期から、一部のプライム市場上場企業には当該基準に従った開示が求められる方向となっています。

現在、公表されている基準は、「サステナビリティ関連財務情報の開示に関する全般的要求事項(IFRSS1)」と「気候関連開示(IFRSS2)」の2つで、これらは一体的に適用することが求められており、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の枠組みに沿っているのが特徴です。その具体的な開示内容を図表1にまとめました。

図表1:IFRS S1/S2において要求される開示内容

出所:IFRS S1/ S2をもとにPwC作成

2 ISSB基準におけるマテリアリティの考え方

ISSB基準のマテリアリティ(重要性)は、その判断の際、財務的な影響にフォーカスするシングルマテリアリティを採用します。

図表2にISSB基準におけるマテリアリティに関する要求事項をまとめました。この内容は基準本文の「概念的基礎」に記述されており、その考え方は、ESRS※1の財務マテリアリティと同様、特定情報の省略や誤表示、不明瞭な記述によって報告利用者の意思決定を左右するような情報を重要とみなしています。

図表2:ISSB基準「概念的基礎」におけるマテリアリティの記述内容

項目 説明
適正な表示 マテリアリティは、サステナビリティ開示の文脈において、関連する項目の性質および/または規模に基づく
重要性
  • 企業の見通しへの影響が合理的に見込み得るサステナビリティ関連のリスク・機会に関してマテリアルな情報を開示しなければならない
  • マテリアルとは、サステナビリティ開示の文脈において、その情報が省略あるいは誤表示されるか不明瞭な場合に、報告書の利用者の意思決定に影響を与えると合理的に見込み得ることを意味する

出所:IFRS S1/ S2をもとにPwC作成

3 ISSB基準におけるサステナビリティ関連のリスクおよび機会の識別

ISSB基準におけるサステナビリティ関連のリスクおよび機会は、企業とそのバリューチェーンを通じたさまざまな外部環境との直接あるいは間接的な相互作用から生じます。これらの相互作用は、キャッシュフローを生み出すための企業活動が外部の資源や関係に依存しあるいは影響を与える中で生じ、短・長期にわたって企業財務に影響を与えるリスクや機会を生じさせる要因となると考えられています。

ISSB基準では、開示すべきリスクや機会の識別について、図表3のような事項を定めています。

図表3:ISSB基準におけるリスクおよび機会の識別

サステナビリティ関連リスクおよび機会の識別
  • (過大なコストや労力をかけずに)報告日時点で利用可能な全ての合理的で裏付け可能な情報(*)を用いて、企業見通しに影響を与えると合理的に見込み得るリスクおよび機会を識別し、関連するバリューチェーンの範囲を決定する(幅広さ、構成を含む)。
  • リスクおよび機会の識別にあたり、IFRSサステナビリティ開示基準のほか、SASB※2スタンダードの開示トピックを参照し、その適用可能性を考慮しなければならない。また、CDSB※3フレーム適用ガイダンス等を参照し、その適用可能性を考慮することができる。

*合理的で裏付け可能な情報には、外部環境の一般的な状況や当該企業に固有の要因のほか、過去の事象、現在の状況および将来の状況の予想に関する情報が含まれることがあり、企業のリスク管理プロセス、産業および同業者グループの経験ならびに外部格付け、レポートおよび統計情報等内外のデータソースが利用可能。識別にあたって情報の網羅的な探索を行う必要はないが、その評価は時間の経過とともに変わることがある。

バリューチェーンを通じてのサステナビリティ関連のリスクおよび機会の範囲の再評価
  • 重大な事象や状況に重大な変化が発生した場合、バリューチェーンを通じて影響を受ける全ての関連リスクおよび機会の範囲を再評価しなければならない。重大な事象または状況の重大な変化には、例えば次のものが含まれる場合がある。

(a)サプライヤーの温室効果ガス排出を著しく変えるような変更

(b)企業のバリューチェーンを拡張する合併または買収

(c)想定外の新たな規制導入によるサプライヤーへの影響

出所:IFRS S1をもとにPwC作成

4 ISSB基準のマテリアリティ判断における主な留意事項

ISSB基準のマテリアリティ(重要性)判断における具体的な内容は、付録B「適用ガイダンス」に記述されており、その主な留意事項を図表4にまとめました。

図表4:ISSB基準適用ガイダンスにおけるマテリアリティ表に関する主な記述

基本事項
  • 企業の見通しへの影響を合理的に見込み得るサステナビリティ関連リスク・機会に関して重要性ある情報を開示する
  • 重要性は、一般目的財務報告書の主要利用者の意思決定に及ぼす影響によって判断し、この意思決定は、有価証券や金融取引、経営者行動に影響する権利行使に関連する
  • 意思決定は、将来キャッシュフローの金額、時期および不確実性、ならびに経営者等の受託責任に関する評価に依存する
  • 意思決定への影響評価の際、利用者特性や企業状況を考慮し、利用者ごとの情報ニーズや要求は相反したり、時間の経過とともに進展することがある
重要性ある情報の識別
  • 重要性判断は企業固有であり、本基準は重要性の量的閾値や特定状況における重要性を前もって決定していない
  • 重要性ある情報を識別するために、まずIFRSサステナビリティ開示基準を適用し、該当する基準がない場合、他のガイダンスの情報源に関する要求事項を適用する
  • 識別した情報について、定量的・定性的要因を考慮し、他の情報とも組み合わせてサステナビリティ関連財務開示全体における重要性を評価する
  • アウトカムが不確実で将来起こり得る事象情報の重要性を判断する際には、将来のキャッシュフロー額、時期および不確実性への潜在影響、ならびにアウトカムの範囲とその内での発生可能性を考慮する
  • 一般目的財務報告書の利用者が、関連リスク・機会による財務影響を十分理解できない場合は、要求事項以外に追加的な情報を開示する
  • 状況や環境の変化によって過去開示情報の重要性も変化することがあるため、各報告日時点で重要性の判断を再評価する

出所:IFRS S1をもとにPwC作成

考察

財務に関するマテリアリティ評価については、ESRSにおいてもISSBと同様に、一般目的財務報告の利用者の意思決定に影響するかどうかが決め手です。しかし一方で、ESRSは、財務のほかに環境や社会への影響(インパクト)の観点からもマテリアリティ判断を求めています。

ESRSとISSBは、世界的に活動する企業にとって事実上のダブルスタンダードとなり、開示実務を複雑にする恐れがありますが、これに対して、2024年5月にEFRAG※4とIFRS財団が「Interoperability Guidance(相互運用ガイダンス)」を共同で公表しました。

このガイダンスでは、企業は2つの基準を併せて考慮し、どちらかの基準に準拠するには2つの基準全ての要求事項を充足する必要があるとしていますが、財務マテリアリティの考え方は両者で整合性が取れているとしているため、2つの基準に準拠するには、結果的にESRS基準のマテリアリティ評価を行うことになると考えられます。なお、これによって、従来の財務報告においても、サステナビリティ関連情報がより広範囲になるとともに、その決定プロセスがよりロジカルになるのではないかと予想されます。

一方、マテリアリティプロセスにおいて大きな課題となりそうなのが、ESRSがいうところの「推定と結果の不確実性」です。情報の不確実性は財務報告でも悩みの種ですが、サステナビリティ報告では情報の種類が多く広範囲に及ぶため、影響の測定に不確実性を伴うケースが格段に増えるはずです。ESRSでは、こうした場合のマテリアリティ判断にあたっては、以下を考慮する必要があります。

  • イベントによる潜在的な財務への影響
  • 起こり得る事象から生じる人や環境への影響の深刻度および可能性
  • 想定される結果が及ぶ範囲とその可能性

これらを考慮するには、仮定や推定値を利用することになりますが、これまでの自主的なサステナビリティ報告においても、そうした開示が行われてきたものの、特に比較可能性の観点から多くの指摘がありました。

これに対してESRSは、利用する仮定や推定値が合理的に説明されている限り、測定の不確実性が高くても情報の有用性は必ずしも妨げられないとしています。しかしこれは、不確かな情報に関する利用者側の責任を一定程度認めたようにも見え、従来の企業報告の信頼性は全て企業が負うという認識を改める必要があるかもしれません。今後、AIなどの活用によって、より確度の高い将来的あるいは偶発的な情報の生成が期待されますが、そうした情報の不確実性の壁は決して低くありません。

5 おわりに

サステナビリティには、お金やビジネスとの関係を明らかにできていない課題が数多くあります。産業界が長年取り組んできた温暖化問題でさえ、改善されるどころかむしろ悪化しているのは、企業行動を左右する財務報告がビジネスとの関係を整理できていないことを示しています。これ以外にも、複雑な生物多様性問題をはじめ、人権や格差といった価値観が絡んだ人間社会の相対的な問題について、従来の財務報告が全てを整理することは困難でしょう。

企業が資本主義経済の主体である以上、企業報告がお金をモノサシにしてサステナビリティを考えるのは必然ですが、ESRSが、財務とは別に、環境や社会へのインパクトをマテリアリティ判断に使用するというのは企業報告にとって大きな変革といえます。

しかし、社会が求める重要なサステナビリティ事象を客観的に測定・報告することは容易ではありません。ESRS、ISSBのどちらも、企業が自ら行うマテリアリティ評価に対しては常に恣意性の問題が潜んでおり、さらには、サステナビリティ特有の不確実な情報やビジネスとの関係が不明瞭な情報も含まれます。

こうした懸念に対処する企業の責任はこれまで以上に重くなるのはもちろんですが、一方で、持続可能な社会の実現に向けて、そうした情報を活用する報告利用者は、これまで以上に企業報告の信頼性にも厳しい目を向けることが求められます。

サステナビリティ報告を財務報告と同じ水準に引き上げる目的でGRI※5が設立されて四半世紀、サステナビリティ報告が本格的な制度化に向けて動き出したことで、GRIの描いた企業報告がやっと見えてきましたが、その実践はこれからです。



※1 ESRS:European Sustainability Reporting Standards(欧州サステナビリティ報告基準)

※2 SASB:Sustainability Accounting Standards Board

※3 CDSB:Climate Disclosure Standards Board

※4 EFRAG:European Financial Reporting Advisory Group

※5 GRI:Global Reporting Initiative