前編では、EUのサステナビリティ報告制度の概要とマテリアリティの考え方について整理しました。後編の今回は、IFRSのサステナビリティ報告制度の概要とこの制度におけるマテリアリティの考え方を整理した上で、両制度の関係や課題について考察して本稿をまとめます。
なお、文中の意見に係る部分および仮訳は筆者の私見であり、PwC Japan有限責任監査法人および所属部門の正式見解ではありませんのであらかじめご了承ください。
国際的な財務報告基準をリードしてきたIFRS財団の傘下にある国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)は、2023年6月、サステナビリティ開示基準の最終版を公表しました。
IFRS(国際財務報告基準)は140を超える国や地域で適用されていますが、財務報告においてもESG(環境、社会、ガバナンス)の重要性が高まる中、統一的な開示基準のなかったサステナビリティ情報に対する解決策として、ISSBの基準はIFRSのサステナビリティ版として位置付けられます。
ISSB基準は、2024年1月以降の年次報告書から適用可能で、その導入時期は各国に委ねられています。日本では、サステナビリティ基準委員会(SSBJ)がISSBをもとにした日本基準を最終化しており、早ければ2027年3月期から、一部のプライム市場上場企業には当該基準に従った開示が求められる方向となっています。
現在、公表されている基準は、「サステナビリティ関連財務情報の開示に関する全般的要求事項(IFRSS1)」と「気候関連開示(IFRSS2)」の2つで、これらは一体的に適用することが求められており、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の枠組みに沿っているのが特徴です。その具体的な開示内容を図表1にまとめました。
図表1:IFRS S1/S2において要求される開示内容
出所:IFRS S1/ S2をもとにPwC作成
ISSB基準のマテリアリティ(重要性)は、その判断の際、財務的な影響にフォーカスするシングルマテリアリティを採用します。
図表2にISSB基準におけるマテリアリティに関する要求事項をまとめました。この内容は基準本文の「概念的基礎」に記述されており、その考え方は、ESRS※1の財務マテリアリティと同様、特定情報の省略や誤表示、不明瞭な記述によって報告利用者の意思決定を左右するような情報を重要とみなしています。
図表2:ISSB基準「概念的基礎」におけるマテリアリティの記述内容
| 項目 | 説明 |
| 適正な表示 | マテリアリティは、サステナビリティ開示の文脈において、関連する項目の性質および/または規模に基づく |
| 重要性 |
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出所:IFRS S1/ S2をもとにPwC作成
ISSB基準におけるサステナビリティ関連のリスクおよび機会は、企業とそのバリューチェーンを通じたさまざまな外部環境との直接あるいは間接的な相互作用から生じます。これらの相互作用は、キャッシュフローを生み出すための企業活動が外部の資源や関係に依存しあるいは影響を与える中で生じ、短・長期にわたって企業財務に影響を与えるリスクや機会を生じさせる要因となると考えられています。
ISSB基準では、開示すべきリスクや機会の識別について、図表3のような事項を定めています。
図表3:ISSB基準におけるリスクおよび機会の識別
| サステナビリティ関連リスクおよび機会の識別 |
*合理的で裏付け可能な情報には、外部環境の一般的な状況や当該企業に固有の要因のほか、過去の事象、現在の状況および将来の状況の予想に関する情報が含まれることがあり、企業のリスク管理プロセス、産業および同業者グループの経験ならびに外部格付け、レポートおよび統計情報等内外のデータソースが利用可能。識別にあたって情報の網羅的な探索を行う必要はないが、その評価は時間の経過とともに変わることがある。 |
| バリューチェーンを通じてのサステナビリティ関連のリスクおよび機会の範囲の再評価 |
(a)サプライヤーの温室効果ガス排出を著しく変えるような変更 (b)企業のバリューチェーンを拡張する合併または買収 (c)想定外の新たな規制導入によるサプライヤーへの影響 |
出所:IFRS S1をもとにPwC作成
ISSB基準のマテリアリティ(重要性)判断における具体的な内容は、付録B「適用ガイダンス」に記述されており、その主な留意事項を図表4にまとめました。
図表4:ISSB基準適用ガイダンスにおけるマテリアリティ表に関する主な記述
| 基本事項 |
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| 重要性ある情報の識別 |
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出所:IFRS S1をもとにPwC作成
財務に関するマテリアリティ評価については、ESRSにおいてもISSBと同様に、一般目的財務報告の利用者の意思決定に影響するかどうかが決め手です。しかし一方で、ESRSは、財務のほかに環境や社会への影響(インパクト)の観点からもマテリアリティ判断を求めています。
ESRSとISSBは、世界的に活動する企業にとって事実上のダブルスタンダードとなり、開示実務を複雑にする恐れがありますが、これに対して、2024年5月にEFRAG※4とIFRS財団が「Interoperability Guidance(相互運用ガイダンス)」を共同で公表しました。
このガイダンスでは、企業は2つの基準を併せて考慮し、どちらかの基準に準拠するには2つの基準全ての要求事項を充足する必要があるとしていますが、財務マテリアリティの考え方は両者で整合性が取れているとしているため、2つの基準に準拠するには、結果的にESRS基準のマテリアリティ評価を行うことになると考えられます。なお、これによって、従来の財務報告においても、サステナビリティ関連情報がより広範囲になるとともに、その決定プロセスがよりロジカルになるのではないかと予想されます。
一方、マテリアリティプロセスにおいて大きな課題となりそうなのが、ESRSがいうところの「推定と結果の不確実性」です。情報の不確実性は財務報告でも悩みの種ですが、サステナビリティ報告では情報の種類が多く広範囲に及ぶため、影響の測定に不確実性を伴うケースが格段に増えるはずです。ESRSでは、こうした場合のマテリアリティ判断にあたっては、以下を考慮する必要があります。
これらを考慮するには、仮定や推定値を利用することになりますが、これまでの自主的なサステナビリティ報告においても、そうした開示が行われてきたものの、特に比較可能性の観点から多くの指摘がありました。
これに対してESRSは、利用する仮定や推定値が合理的に説明されている限り、測定の不確実性が高くても情報の有用性は必ずしも妨げられないとしています。しかしこれは、不確かな情報に関する利用者側の責任を一定程度認めたようにも見え、従来の企業報告の信頼性は全て企業が負うという認識を改める必要があるかもしれません。今後、AIなどの活用によって、より確度の高い将来的あるいは偶発的な情報の生成が期待されますが、そうした情報の不確実性の壁は決して低くありません。
サステナビリティには、お金やビジネスとの関係を明らかにできていない課題が数多くあります。産業界が長年取り組んできた温暖化問題でさえ、改善されるどころかむしろ悪化しているのは、企業行動を左右する財務報告がビジネスとの関係を整理できていないことを示しています。これ以外にも、複雑な生物多様性問題をはじめ、人権や格差といった価値観が絡んだ人間社会の相対的な問題について、従来の財務報告が全てを整理することは困難でしょう。
企業が資本主義経済の主体である以上、企業報告がお金をモノサシにしてサステナビリティを考えるのは必然ですが、ESRSが、財務とは別に、環境や社会へのインパクトをマテリアリティ判断に使用するというのは企業報告にとって大きな変革といえます。
しかし、社会が求める重要なサステナビリティ事象を客観的に測定・報告することは容易ではありません。ESRS、ISSBのどちらも、企業が自ら行うマテリアリティ評価に対しては常に恣意性の問題が潜んでおり、さらには、サステナビリティ特有の不確実な情報やビジネスとの関係が不明瞭な情報も含まれます。
こうした懸念に対処する企業の責任はこれまで以上に重くなるのはもちろんですが、一方で、持続可能な社会の実現に向けて、そうした情報を活用する報告利用者は、これまで以上に企業報告の信頼性にも厳しい目を向けることが求められます。
サステナビリティ報告を財務報告と同じ水準に引き上げる目的でGRI※5が設立されて四半世紀、サステナビリティ報告が本格的な制度化に向けて動き出したことで、GRIの描いた企業報告がやっと見えてきましたが、その実践はこれからです。
・IFRS S1号「サステナビリティ関連財務情報の開示に関する全般的要求事項」(2023年6月)
・IFRS S2号「気候関連開示」(2023年6月)
・Commission Delegated Regulation(EU)2023/※5GRI:Global Reporting Initiative 2772 of 31 July 2023 supplementing Direc tive 2013/34/EU of the European Parliament and of the Council as regards sus tain ability reporting standards.
・EFRAG IG 1:Materiality Assessment.
・EFRAG/IFRS ESRS–ISSB Standards Inter operability Guidance(2024年5月)
・PwCウェブサイト「CSRD(企業サステナビリティ報告指令)対応支援」
・PwC「欧州サステナビリティ報告基準(ESRS)の適用を支援する4つの主要文書の公表」(2024年6月)
・日本貿易振興機構JETRO「CSRD適用対象日系企業のためのESRS適用実務ガイダンス」(2024年5月)
※1 ESRS:European Sustainability Reporting Standards(欧州サステナビリティ報告基準)
※2 SASB:Sustainability Accounting Standards Board
※3 CDSB:Climate Disclosure Standards Board
※4 EFRAG:European Financial Reporting Advisory Group
※5 GRI:Global Reporting Initiative