薬剤耐性の対策において製薬企業に求められること

「薬剤耐性」と引き起こされる問題

「薬剤耐性(Antimicrobial Resistance:AMR)」という言葉をご存じでしょうか。

薬剤耐性とは、細菌やウイルスなどの微生物が抗微生物薬への抵抗力を獲得することであり、それらの微生物による感染症を従来の方法では予防、治療できなくなることを意味します。

現に薬剤耐性菌の中で最も頻度が高いメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)の感染症患者は、薬剤耐性が無い微生物による感染症の患者と比べて死亡率が60%以上高くなるとの報告*1があります。

この先薬剤耐性への対策を講じない場合、2050年には薬剤耐性感染症による死亡者数が世界で年間1,000万人に上るとの予測*2(以下、「オニールレポート」)も示されており、2022年9月時点の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による世界の累積死亡者数(約650万人)と比較しても、人類に与える影響の大きさが窺えます。

オニールレポートによる薬剤耐性に起因する死亡者数と COVID-19による世界の累積死亡者数

薬剤耐性への対策

薬剤耐性の問題は、世界初の抗菌薬であるペニシリンを発見したアレキサンダー・フレミングが約80年前に既に指摘していました。その後新たな薬剤耐性菌の発生と、これらに対する抗菌薬の開発が競うように進む中で、ヒトや動物の排せつ物に含まれる薬剤耐性菌が水や土壌を汚染し、環境由来の感染を引き起こすことが判明するなど、医療現場での取り組みに限らず、ヒト、動物、環境に配慮した「ワンヘルス」のアプローチが必須であることが分かってきました。

2015年に世界保健機関(WHO)で「AMRグローバル・アクション・プラン」が採択された後、2016年には日本においてもAMR対策アクションプランが策定され、厚生労働省、農林水産省などの関係省庁、都道府県、研究機関、医療関係者、民間企業などがさまざまな取り組みを行っています。また、SDGsのゴール達成に向けた活動の進捗を測る指標(SDGグローバル指標)にも「選択抗菌薬耐性菌*による血流感染の割合」が盛り込まれており、薬剤耐性は国際社会全体の課題の1つに位置付けられています*3、*4

*メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)、第三世代セファロスポリン耐性大腸菌

ワンヘルスアプローチ、かつSDGsのテーマに含まれていることを踏まえると、薬剤耐性の問題解決は、地域や専門分野をまたいだ幅広いコラボレーションなくして解決できないものになっていると言えるでしょう。

製薬企業に求められるもの

薬剤耐性への対抗策として製薬企業に寄せられる期待の代表例は、薬剤耐性感染症の新たな予防、治療手段の開発です。しかし、製薬企業からみると、画期的な新薬の開発にはコストがかかるうえ、薬剤耐性の発生を抑える種々の活動も存在することから新薬の使用機会は限定的であり、薬剤耐性感染症に関するビジネスを描きにくい現状にあります。この点を解決するため、新薬の承認取得時にインセンティブという形で報酬が付与される「製造販売承認取得報償付与指定制度」や、医薬品の使用量に関係なく一定金額が支払われる「定期定額購買制度」など、「プル型インセンティブ」と呼ばれる制度の導入が議論されています。

しかし、医薬品を扱う企業として薬剤耐性に取り組む余地は他にもあります。例えば以下のような取り組みが挙げられます。

  1. 研究開発部門の取り組み:感染症領域のナレッジマネジメント
    かつて感染症は日本で新薬開発が活発に行われる疾患領域の1つでしたが、予防、治療の選択肢が増えてきたことで、製薬企業の研究開発の主なターゲットはがんなどに移っていきました。直近ではCOVID-19の治療薬開発が行われているものの、これ以外の感染症を対象とした新薬開発は非常に少ない状況です*5、*6
    感染症領域の新薬開発は独特の難しさがあります。ヒトや動物の免疫機構を理解し、対象となる微生物を効果的に攻撃しつつ高い安全性を確保できる作用機序のシーズを見出したうえで、非臨床試験、臨床試験で最適な用法・用量を慎重に見極める必要があります。また、既存薬との交差耐性リスクを克服することも求められます。したがって、感染症は研究開発担当者の豊富な知識、企業内の研究開発経験の蓄積が特に要求される疾患領域の1つであると言えます。
    しかし、このままではこれまで日本で培ってきた感染症領域の研究開発のナレッジが失われていくおそれがあります。薬剤耐性を克服しうる予防、治療手段の研究開発に挑戦できる前提として、製薬企業内のナレッジを継承、維持する体制の構築が不可欠ではないでしょうか。
  2. 製造部門の取り組み(1):薬剤耐性リスクを踏まえた排水管理・処理
    医薬品の製造所からの排水に含まれる抗微生物薬の成分が、環境中の薬剤耐性菌を生み出す要因の1つになっていると考えられています。一部の製薬企業では、製造所ごとに排水による環境汚染状況をモニタリングして情報公開したり、排水に含まれる抗微生物薬の成分を酵素や電気化学的分解により処理するなどの取り組みが行われています。今後もこのような取り組みが拡大していくことが期待されます。
  3. 製造部門の取り組み(2):安定供給の実現
    近年、原材料の調達や製造過程の管理などに問題が生じ、医薬品の供給が滞る事例が散見されます。問題が発生した医薬品を必要とする患者に供給できなくなるだけでなく、1つの医薬品の供給が停止することで代替需要が急増し、他の医薬品も供給が難しくなる場合もあり、医療の提供に大きく影響しかねない問題です。この供給問題は抗菌薬においても発生しています。特定の抗菌薬の供給が停止・不足したために、治療目的には合致しない抗菌薬を使用した場合、薬剤耐性の発生リスクを高めてしまうことが懸念されます。医薬品を安定供給する体制の整備および構築は、薬剤耐性対策の側面からも求められています。
  4. コマーシャル、メディカル部門の取り組み:一般市民や医療関係者の教育・啓発
    薬剤耐性に関する意識調査*7、*8において、一般市民の約4割、医学部6年生の約3割が「抗菌薬は風邪やインフルエンザに有効である」と回答しました。実際には、細菌を攻撃する抗菌薬をウイルス由来の感染症である風邪やインフルエンザに用いても効果を期待できないのですが、上述の意識調査結果はこのことを知らない人が一定数存在することを浮き彫りにしました。抗菌薬を安易に使用してしまうと、体内に存在する細菌が薬剤耐性を獲得するリスクが高まります。一般市民、医療関係者を目指す学生、医療関係者の効果的な教育・啓発は薬剤耐性の対策を行う上で重要な課題の1つです。
    一般市民向けの教育・啓発の手段として、紙媒体やウェブサイトでの情報提供、市民公開講座の開催、キャンペーンの実施などが挙げられますが、いずれも薬剤耐性に関心がない方々には届きにくいでしょう。このような方々にも情報を届けるためには、情報発信の頻度を上げて目に留まる機会を増やしていく必要があると考えます。COVID-19の流行により感染症対策への感度が高まっている今、政府や専門家からの情報発信に加えて、製薬企業からも薬剤耐性に関する情報を発信してもよいのではないでしょうか。例えば、ウェブサイトで身近な感染症の予防策や病態、薬剤に関する基本的な情報と併せて薬剤耐性を取り上げたり、患者団体との交流で薬剤耐性について知っていただく機会をつくったりしても良いかもしれません。
    これらの活動を行う際には、「薬剤耐性」、「抗生物質」などの医療用語を一般市民から見ても概念が分かりやすい単語に置き換える工夫も考えたいところです。国立国語研究所の「『病院の言葉』を分かりやすくする提案」*9では、「(薬剤)耐性」について「人が病気や薬の副作用などに耐える性質」であると誤解される場合があると述べています。また、「抗生剤(抗生物質)」についても、一般市民に広く知られている用語ではあるものの、具体的に何に効いて何に効かないかはあまり知られていないと指摘しています。一般市民にも薬剤耐性の問題解決に取り組んでもらうためには、まず伝わりやすい言葉を用いた説明が重要です。しかし、上記はいずれも長年使用されてきた用語であり、これらに馴染んでいる医療関係者や専門家にとっては別の単語への置き換えには抵抗を感じるかもしれません。製薬企業など医療現場から少し離れた立場が一歩を踏み出すことを期待します。
    医療関係者への情報提供についても、抗微生物薬の営業担当者では担当製品の売上と報酬を切り離した評価体制とすることで、抗微生物薬の適正使用の推進と販売活動のバランスをとった活動を実現する企業が現れました。コマーシャル部門のあり方の好事例といえるのではないでしょうか。この先、同様の施策を試みる企業が増えていくものと予想します。

これまでお示ししたように、製薬企業にとって、薬剤耐性は一部門の課題ではなく全社で中長期的に取り組むべき課題です。環境や社会を変えていく活動を部門横断で進めていくことで、社員一人ひとりの社会貢献意識の向上につながるとともに、ESG経営にもつながる内容であり、製薬企業の社会的価値の向上にも資するものと考えます。

総括

薬剤耐性は古くから問題視され、多くの取り組みが行われてきましたが、解決までの道のりはまだ途上です。薬剤耐性感染症の予防、そして治療手段の提供を担う製薬企業には、これらの手段の安定供給、新規手段の開発が求められています。

しかし、上述のように製薬企業が薬剤耐性に対して果たせる役割はこれにとどまらないものと考えます。また、例えば、低中所得国の感染症の診断、治療の環境整備を支援するなどの活動も考えられるかもしれません。国際社会全体の課題解決にあたって、製薬企業がより一層重要なプレイヤーとして活躍することを願っています。

*1:WHO「Fact sheet: Antimicrobial resistance」
https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/antimicrobial-resistance

*2:JIM O’NEILL「Tackling Drug-resistant Infections Globally: Final Report and Recommendations」
https://amr-review.org/sites/default/files/160518_Final%20paper_with%20cover.pdf

*3:外務省「SDGグローバル指標(SDG Indicators)」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/statistics/goal3.html

*4:WHO「Indicator 3.d.2: Proportion of bloodstream infections due to selected antimicrobial-resistant organisms, median (%)」
https://www.who.int/data/gho/indicator-metadata-registry/imr-details/5751

*5:鍵井英之「医薬品開発パイプラインのモダリティと適応症に関する調査」
https://www.jpma.or.jp/opir/news/062/pdf/pdf-05-01.pdf

*6:舘田一博「抗菌薬開発停滞の打破へ向けて」 
https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/102/11/102_2908/_pdf

*7:大曲 貴夫「厚生労働科学研究費補助金(新興・再興感染症及び予防接種政策推進研究事業): 令和2年度分担研究報告書: 医療機関等における薬剤耐性菌の感染制御に関する研究:医療関連感染(HAI)サーベイランスに関する研究」
https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/report_pdf/20HA2003-buntan.pdf

*8:Hagiya, Hideharu「Antibiotic literacy among Japanese medical students」
https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/ja/list/ou_authors/%E3%81%BF/8408d65018c7446974506e4da22f6611/item/60646

*9:国立国語研究所「病院の言葉」委員会「『病院の言葉』を分かりやすくする提案」
https://www2.ninjal.ac.jp/byoin/pdf/byoin_teian200903.pdf

執筆者

増井 郷介

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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福本 大一郎

アソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

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