
通信市場が飽和状態となっている現状を踏まえ、テレコム業界の各社は異業種との協業や連携による非通信分野での新規事業創出に取り組んでいます。
PwCコンサルティングは、テレコム業界内のクライアントを業界横断で支援する専門チームを組織し、事業内容や事業モデルの変革を支援しています。「Telecom transformation」シリーズの第3回目となる本稿では、「ヘルスケア・ライフスタイル」領域のプロフェッショナルとともに、テレコムとの掛け合わせが生み出す未来について語りました。
(左から)岡田 太郎、辻 愛美
▼プロフィール
PwCコンサルティング合同会社
シニアマネージャー
辻 愛美
聞き手(ナビゲーター)
PwCコンサルティング合同会社
ディレクター
岡田 太郎
岡田:
辻さんは大手通信キャリアの出身で、PwCコンサルティングに入社後はデジタル技術による業務改革や、通信との掛け合わせによるマーケティングセールスの戦略策定などへと活動範囲を広げてきました。その経験を生かして、現在はPwCコンサルティングのヘルスケア参入支援(Healthcare entrants initiative)や、組織横断型イニシアチブに加わっていますね。
辻:
はい。テレコム業界を始め小売や金融といったあらゆるインダストリーのクライアント向けに、業界の枠にとらわれず、ヘルスケア分野への新規事業創出や事業拡大を支援しています。
岡田:
ヘルスケアは、一般的には健康管理や病気の治療といった医療が中心の分野ですが、もう1つ次元を広げてライフサイエンスとして見ると、ヘルステックやバイタルデータの活用なども含みます。事業対象の範囲が広いのが特徴ですね。
辻:そうですね。支援するクライアントも幅広く、民間事業者にとどまらず、医療費の増加や社会保障問題の解決に取り組む国や自治体など公的機関も含みます。
PwCコンサルティング合同会社 シニアマネージャー 辻 愛美
岡田:
通信とヘルスケア・ライフスタイルの掛け合わせでは、テレコム業界はデータの通り道である通信網を持っていること、そして、データの入手元でありユーザーでもある顧客基盤を持っていることが強みです。そこを起点に考えると、個人のヘルスデータを活用するサービスが増えることが通信ニーズを高めていく鍵となりそうですね。
辻:
データ活用は、既存業務の効率化や、各業界で共通の課題である人手不足の解消にもつながります。現状を見ると、スマートフォンに加え、ウェアラブルデバイスの普及も相まって、情報通信が民主化され、個人のヘルスデータを取得・記録しやすい環境が整いました。次の課題は、取得したデータを分析し、その結果を価値ある情報としてユーザーに戻すことで、ビジネスや業務を高度化することだと考えています。
岡田:
データ活用の促進では、データを取得するデバイス開発がポイントの1つだと思っています。近年はスマートフォンのインテリジェンスが高度化しデータ取得のハードルが低くなっていますが、私自身デバイスが好きということもあり、スマートフォンに代わる新しいデータ取得のデバイスや技術がスタートアップなどから生まれてきてほしいという期待があります。
辻:
データ取得は、腕時計型やリング型のデバイスが普及し始めていますよね。最近では眼鏡型や衣類型、靴型も登場、スマートコンタクトレンズの開発も進み、デバイスそのものが進化しています。ただ、課題もあります。それは、データ取得にあたって、ユーザーのエフォートを限りなくゼロに近づけるということです。例えば、睡眠のデータは腕時計型や寝具・衣服に取り付けるデバイスによって取れるようになりましたが、食事や服薬のデータは取りにくいのが現状です。いつ、何を食べたかをデータ化するためには、ユーザーが写真を撮るなどしてデータを入力しなければなりません。
岡田:
その日に食べた料理を撮影して送信する手間を繰り返さなければならないことがハードルになっているのですね。
辻:
自分の健康を管理する意味や価値を理解している人は、入力にかかる手間を惜しみません。しかし、彼らはいわばイノベーターやアーリーアダプター層であり、その後に続くマジョリティ層ではほとんどの人が「面倒だなあ」と感じます。データ活用を進めるためには彼らをいかに巻き込むかが重要で、ユーザーの手間や労力がかからない状態でデータを取得できるようにすることが重要です。
岡田:
事業者側としてはデータ取得の自動化を、データの提供者であるユーザー側では無意識に近い状態でデータ提供できる仕組みづくりが必要ですね。
辻:
例えば、食事のデータを取ることは難しいですが、キャッシュレスなど買い物がスマート化されていれば、食品の購買データから食事記録を類推することで、料理の写真を撮らなくても食事データを取得できます。薬の服用では、包装シートに付けたセンサーで薬を出す際の「パチッ」という音を検知し、飲み忘れたり、2回服用しようとしたりした時にアラートを出す製品が提供されています。テレコム事業者だからこそデータ通信と、データ取得におけるデバイス開発の双方を支えることができます。
PwCコンサルティング合同会社 ディレクター 岡田 太郎
岡田:
ヘルスケア・ライフスタイルへの新規参入にはどのようなトレンドがありますか?
辻:
デジタルデータを活用した高度化や効率化といったデジタルヘルスへの参入が進んでおり、流通・販売においては薬事承認を必要とする医療機器プログラム(Software as a Medical Device:SaMD<サムディー>)と、健康増進を目的とした非医療機器プログラム(Non-SaMD<ノンサムディー>)とで住み分けがなされています。SaMDは治療用アプリなどのデジタル治療(Digital Therapeutics:DTx<ディーティーエックス>)を含め、承認には臨床試験が課せられ、開発までに一定の時間とコストがかかります。さらに保険収載の課題もあり、そもそも開発・販売には高度な専門性も必要です。そこに参入障壁があるため、現行では、異業種からヘルスケア・ライフサイエンスに踏み込む企業の多くは事業化実現の可能性が高いNon-SaMDを主なターゲットとする傾向があります。
岡田:食品会社や飲料会社などが健康食品やサプリメントを手がけるのも、そのような背景ですね。
辻:
健康食品やサプリメントは新たな収益源として確立しつつありますが、薬機法(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)などで制限されない経口食品は科学的根拠の無い「眉唾もの」が含まれるかもしれず、そのようなものを口にすると健康リスクに発展することも考えられます。これは消費者側のリスクであると同時に、事業者側のリスクでもあり、法改正による対策が厳しくなっていく中で、どこでビジネスチャンスを探し、どのように事業展開していくかを見定める難しさがあります。
岡田:
この領域での事業創出に取り組む際には、医療や法律などに関して高度な専門性を持つ人を育てるか、外部から調達しなければなりませんね。
辻:
領域の専門性に加えて、点ではなくトータルにつながったビジネスをデザインすることも重要です。そのためには、患者のニーズや満足度を理解するためのペイシェントエクスペリエンスや、予防に関心を持つ消費者のカスタマーエクスペリエンスを踏まえて、ペインやゲインを明らかにする必要があります。これも課題の1つで、一般的な商品開発ではユーザーの体験を細かく追求しますが、ヘルスケア・ライフスタイル分野はまだ踏み込む余地があるのではないかと感じることがあります。
岡田:
生産設備を持つデバイスメーカーやテクノロジー系メーカーは、既存の製品を進化させることによってヘルスケア・ライフスタイル領域に踏み出しやすいように見えます。しかし、実際には新業につなげられる技術要素は少なく、ハードデバイスを製造するための投資が大きくなるといった課題があります。その点でも、1社で取り組むのではなく、企業間の新たな連携の座組みが重要ですね。
辻:
そう思います。業界横断の例としては、健康増進型保険が挙げられます。 これは金融、小売、通信などの座組みで構成されますが、加入者の意識・行動を変容することで、健康リスクを抑えることを目的としたものです。例えば加入者がドラッグストアに入ると商品がレコメンドされたり、加入者が健康になることで保険料が安くなるなどの仕組みがあります。
岡田:
レコメンドのベースとなる健康や医療のデータはPHR(パーソナルヘルスレコード)であり、日本では個人情報保護法上の要配慮個人情報を含みます。テレコム業界の視点ではPHRを安全な環境でやりとりできる環境を構築し、その安全性が世の中に認知されると、自分の個人情報を提供する心理的なハードルが下がり、そこで新しいサービスの開発と普及も進んでいくように思います。
辻:
PHRは今後マイナンバー制度との連携によりさらなる普及が予想されますが、一方で自分のデータを、誰が、どう使うかを自分で判断することが前提であり、本人同意に関する仕組みもテレコム業界が担う重要なポイントです。また、医療データとしてはEHR(エレクトロニックヘルスレコード)やEMR(エレクトロニックメディカルレコード)の活用も重要です。より社会性が高い取り組みとして、例えばスペシャリティ領域と呼ばれるがんや希少疾患などの専門性が高い疾患領域での医療の発展に向けて、データを利活用できる環境を作り、治療法が見つかっていないアンメットメディカルニーズに対応していくことが求められます。ここは産学官に加えて民(国民・生活者)との連携も重要で、消費者でありユーザーでもある国民・生活者がデータ活用を監視、信頼する体制を構築し、産学官民のクワトロヘリックス(4者間連携)を実現していくことが大切です。
岡田:
テレコム業界の社員でも親の介護に直面している世代が多く、これから5年くらいでヘルスケア・ライフスタイルを取り巻く環境が大きく変わると見ている人が多い印象を受けます。団塊世代の高齢化とともに要介護の高齢者が増え続け、生産年齢人口の負担が大きくなるのを防ぐためには、新たなビジネスやエコシステムが生まれるはずであり、生まれなければならない、という認識が働く世代にも強くあるのです。
辻:
日本は平均寿命が80代、健康寿命が70代で約10年の差があります。最後の10年を寝たきりで過ごす人が多い実態を変えていくためには「ピンピンコロリ」と言われる健康長寿を実現する予防の取り組みが不可欠ですよね。そこでキーワードとなるのがライフコース(生まれてから亡くなるまで)に渡るヘルスケアの実践です。病気や介護を必要としてからではなく、若く健康な勤労世代も、もっというと若い子どもや赤ちゃんの頃から、全ての人がQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を高めることが求められます。テレコム業界のアプローチとしては、自社のあらゆる年代をカバーする顧客基盤に向けて、食事や睡眠といった日常に近い健康支援を経年で提供することが重要だと思います。今後はマイナポータルとの連携によるサービスや価値拡大も見込めます。
岡田:
全世代向けの予防意識を向上させていく施策としては、例えば、健康増進の取り組みを評価してポイントを付与するなど、継続して取り組むための ゲーム性と経済性がある仕組みを作るアプローチが考えられるかもしれません。
辻:
重要なポイントだと思います。報酬獲得の魅力が認識されれば、予防につながる行動が健康維持の仕組みに自然と組み込まれるでしょう。もう一歩踏み込むと、日本は国民皆保険制度が機能しているため、その安心感があって「病気になったら病院に行けば良い」と思っている人が大半です。しかし、それが社会的な負担を大きくしています。例えば、人工透析のような高度な治療を受ける人と受けなくても良い人の医療費には約5倍の差がありますが、予防が進めば医療負担の軽減も期待できます。このような意識に変わっていくと、ウェルビーイングな暮らしを送るために、各自が能動的にデータ、商品、サービスを活用していくように変わります。それを支えるのは通信ネットワークで、テレコム業界もその点を訴求しながら社会課題解決の観点でヘルスケア事業を設計していくことが大事です。
岡田:
テレコム業界において機会はあれど、ヘルスケア・ライフスタイル事業への参入は容易ではなく、製薬会社や医療機器メーカーといった従来のヘルスケア事業者との連携が不可欠だと考えます。大きな成果につなげていくためには、予防、未病、ウェルビーイングなどが両業界で共通のキーワードになるように思います。
また、本人だけの取り組みだけでなく、子ども向けであれば子どもを取り巻く家族へのアプローチ、高齢者向けであれば、その家族へのアプローチなど多面的に考えられますね。
辻:
テレコム業界各社は、数年前から中長期の経営計画の中でヘルスケア分野への進出を掲げていますし、従来のヘルスケア業界である製薬業界でも「Around the Pill」や「Beyond the Pill」をキーワードとして、医薬品以外の価値創出とビジネス拡大を目指しています。ところが、企業方針では新しい領域へのチャレンジや異業種との連携を模索しながらも、現場は目の前の売上を追わなければなりません。ここは戦略策定や事業支援の専門家によるオーケストレションが必要なところで、私たちPwCコンサルティングが貢献できる領域であると思います。
岡田:
そのとおりですね。私たちは業界の壁を超えたナナメのコラボレーションが得意です。インダストリー(業界軸)の壁を越えて専門家を収集し、新たなアプローチで課題解決に導けるチームとネットワークがあります。
辻:
業界横断で組織的にヘルスケア分野への進出支援を行っているコンサルティングファームは少なく、私たちの大きな強みです。この分野において、組織横断型で培った知見と経験はクライアントにも期待していただきたいことの1つです。また、私たちはDXやAIといったデジタル活用も先行し、ヘルステック領域の知見も豊富です。さらには、官民両方で多様なヘルスケア事業に関わってきた実績もあります。これらの強みを発揮して、ヘルスケア・ライフスタイル分野の事業開発をリードしていきたいと思っています。