シリーズ:TCFD開示に向けたビジネスにおける気候変動リスクと機会の理解 第5回:資産運用セクター

2021-05-20

第5回:資産運用セクター


金融業界にとって気候変動は大きなシステミックリスクと認識され、近年、直面している重大な課題の1つと言えます。2021年のダボス会議1では、最も影響が大きいリスクには「気候変動の緩和や適応への失敗」、発生可能性が高いリスクには「異常気象」が挙げられています。運用資産が110.9兆ドル2を超える中、この世界的な課題に正面から取り組むためには、運用会社による積極的なアプローチが不可欠です。2017年に気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)最終報告書の公表以来、TCFD勧告の要件がグローバル投資家に賛同される一方、2020年10月に発行された「TCFD 2020 Status Report」によると、資産運用業界ではTCFD勧告の要件と完全に整合するまでに、いまだ大きなギャップがあります。

今回は「TCFD対応の現状とハイリスクセクターにおける気候リスク・機会の概要」で紹介したTCFDが定義する気候関連のハイリスクセクターのうち、特に資産運用業界中心に金融セクターを取り上げ、運用会社が気候関連のリスクと機会を自らの事業で考慮するための重要な課題、対応の方向性について整理します。なお、文中の意見にわたる部分は筆者の見解であり、所属する組織を代表するものではない旨をあらかじめお断りしておきます。

運用会社にとっての主要な課題

PwC Japanグループがさまざまな運用会社と議論した経験から、運用会社のTCFDまたは気候変動への主な取り組み課題は、下記4つに整理できます。

  • 課題1 適切なシナリオ分析のアプローチの検討
  • 課題2 パッシブ運用での戦略・リスク管理対応
  • 課題3 気候関連のエンゲージメントアプローチの検討
  • 課題4 気候関連の指標と目標の設定
運用会社にとっての 主要な課題

各課題の内容と対応

課題1 適切なシナリオ分析のアプローチの検討
(関連するTCFD中核項目:戦略)

TCFDは、気候変動の財務的影響を理解するためにシナリオ分析の実施を要請しています。長期の時間軸で複数の気候シナリオ別にリターンにどのような影響があるかを検討する必要がありますが、現時点では明確な基準があるわけではなく、国連環境計画・金融イニシアティブ(UNEP-FI)のワーキンググループ、いくつかの専門機関、それぞれの運用機関で分析手法の確立が試行されています。

主要メソドロジー

多くの第三者専門機関が投資家向けの気候関連のシナリオ分析ツールを開発しています。主要なものとして次の2つのメソドロジーが挙げられます。

  1. 投資先企業の炭素排出経路を予測するメソドロジー
    • 各投資先の将来の炭素排出経路を予測し、パリ協定の2℃目標などに整合した排出経路と比較することで、投資先企業またはポートフォリオが2℃目標とどのくらい整合しているのかを評価できる。
  2. 気候変動が投資先企業の将来の財務実績に対する影響を予測するメソドロジー
    • 気候変動によって投資先企業の財務業績が将来的にどの程度変化するかを予測し、投資ポートフォリオのリスクと機会を評価できる。

多くの運用機関は、初期対応として各投資先の将来の炭素排出経路を予測するメソドロジー1を利用しています。最近では、投資ポートフォリオのリスクと機会の特定をするためにメソドロジー2を検討する運用機関も増加しています。さらに、一部の欧州系の大手運用会社では、自社で独自のメソドロジーを使ってシナリオ分析ツール開発に取り組んでいる事例も見られます。

メソドロジーの検討にて考慮すべき要素

実際にシナリオ分析のメソドロジーを検討する際には、以下の3要素を考慮する必要があると考えられます。

  • パリ協定に沿った2℃未満シナリオを含む複数の気候関連シナリオを利用できること
  • 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)、国際エネルギー機関(IEA)などの信頼できる情報源によって開発された気候シナリオデータを選択できること
  • 10年~30年の中長期に時間軸が設定できること
分析対象

多様な資産クラスや運用戦略(パッシブ、アクティブ)のポートフォリオを保有する運用会社は、自社の投資ポートフォリオに適合するアプローチを選択する必要があります。内部資源(スケジュール、予算、人員)が限られる中、まずは、気候変動の観点から自社ポートフォリオ(資産クラス、運用戦略、セクターなど)をハイレベルで評価し、優先順位をつけて実施計画の策定を行うことが推奨されます。加えて、運用会社は、分析結果をどのように投資判断およびリスク管理プロセスに組み込んでいくのか、どのように社内外向けコミュニケーションに活用するのかを明確にすることが重要です。

初期のシナリオ分析においては、同業他社の対応と比較したうえで、自社の業界における位置付けを理解し、顧客であるアセットオーナーからの期待を把握することで、重要なインサイトが得られるでしょう。

データの制約

気候関連のシナリオ分析の対応において懸念されることが多いのは、データの制約です。各社の気候関連の情報開示は充実傾向にありますが、運用会社が必要とする全ての情報が開示されているわけではありません。

このような状況に対して、グローバル運用会社では、初期段階では上場株式または社債のポートフォリオを対象としながら、他のアセットクラスへのアプローチを検討している事例が多く見られます。完璧な分析や測定を求めるよりも、データの制約を理解したうえで、「できることから始める」という姿勢が重要です。特に分析の初期段階おいて、運用会社は、外部専門機関を活用して、分析上の課題と分析結果の妥当性をしっかりと見極め、経験を積んでいく必要があるでしょう。

課題2 パッシブ運用での戦略・リスク管理対応
(関連するTCFD中核項目:戦略、リスク管理)

TCFD勧告では、気候関連のリスクと機会を全ての金融商品や投資戦略へ組み込むことが求められていますが、パッシブ運用においてこれをどう考慮するかは、悩ましいポイントの1つと考えられます。

気候変動を考慮したポートフォリオ調整と構築

このような状況に直面し、一部の運用会社は新たなパッシブ運用戦略を生み出し始めています。例えば、一部の欧州系大手運用会社は、既に移行リスクや物理的リスクのシナリオ分析の結果とその他のESG評価結果を用いて、パッシブ運用ポートフォリオにおける各投資先企業のウェイトを調整するようにしています。また、気候変動を考慮した基準(温室効果ガス(GHG)排出量、パリ協定の2℃目標との整合性など)に基づき構築したインデックスを採用する運用会社も見られます。

「できることから始める」

しかしながら、新たなパッシブ運用戦略を開発・適応することは必ずしも容易ではなく、時間がかかる場合があります。ここでも課題1と同様に、万全の準備を整備してからではなく、「できることから始める」ことが大切です。例えば、半分以上の投資ポートフォリオがパッシブ運用になっている、ある米系大手運用会社は、2020年から全アクティブ運用ポートフォリオに気候関連リスクを含むESG要因を統合し始めると宣言し、パッシブ運用への対応は継続的に模索することを外部向けに公表しました。

課題3 気候関連のエンゲージメントアプローチの検討
(関連するTCFD中核項目:リスク管理)

化石燃料関連セクターを除外したインデックスをベンチマークとしたファンドに投資する、化石燃料セクターからのダイベストメントは世界的なトレンドとなっていますが、こうした化石燃料に関わる業界への投資を除外することで、運用会社はリスクだけでなく重要な投資機会も一緒に失ってしまう可能性があります。高リスクな投資先企業との対話などのエンゲージメント活動を通じた対応が、最も効果的かつ実現性の高い手段でしょう。より効果的に投資先企業の気候変動問題への取り組みを改善し、低炭素経済への移行を加速させるために、エンゲージメント先の選定基準、対話の内容、管理またはモニタリング方法を明確にしていく必要があります。

エンゲージメント対象の選定(誰と対話をするか)

エンゲージメント先の選定には、GHG排出量、気候関連の情報開示の状況、またその他の気候変動影響への感応度の高さを基準として用いるのが一般的です。

例えば、欧州系の大手運用会社では、パッシブ運用ポートフォリオの投資先企業を対象にシナリオ分析を実施し、各企業の将来の炭素強度3を推算したうえで、2℃目標への整合性が低く、かつ情報開示のレベルが低下している投資先企業をエンゲージメント対象として選定し、これまでに数十社以上のエンゲージメント活動を実施しているという事例があります。

エンゲージメントの内容(どのような対話を行うか)

気候関連のエンゲージメント活動をより効果的に行うために、パリ協定の2℃目標との整合性だけではなく、気候変動が投資先企業のビジネスにどのような財務影響を与えるかを理解し、その理解を投資先企業と共有することが重要です。

G7シャルルボワ・サミットで発足したサステナビリティや長期的成長を推進する機関投資家イニシアチブ(ILN:Investor Leadership Network)が発行した「機関投資家向けのTCFDガイドライン」4によると、運用会社がエンゲージメント対象である投資先企業へ要請すべきアクションの例として、以下が挙げられます。

  • TCFD勧告に沿った情報の開示
  • 気候リスクと機会の対応をビジネスに組み込むためのプロセスの明確化
  • 2℃目標のシナリオを考慮した移行計画の策定
  • GHG排出量(第三者保証を受けたスコープ1~3)の開示
  • パリ協定とScience Based Targets (SBT)が求める水準に整合したGHG排出削減目標の設定
エンゲージメントのモニタリング(どのように管理するか)

エンゲージメント活動が投資先企業の課題改善に確実につながっているかを把握するために、各エンゲージメント先の対応状況を適切にモニタリングするプロセスを確立し、さらにモニタリングの結果を開示することが重要です。

例えば、欧州系の大手運用会社では、気候変動を含むESGエンゲージメント活動の一環として、エンゲージメント先の対応状況を5段階で進捗管理し、各対応段階にある企業数の割合を毎年開示する事例があります。

課題4 気候関連の指標と目標の設定
(関連するTCFD中核項目:指標と目標)

TCFDの「 2020 Status Report」によると、資産運用業界では、気候関連の指標と目標への対応の開示が、対象となっているハイリスク業界の中で最も進んでおらず、今後TCFDが特に注力する領域になっていくと考えられます。

気候関連の指標と目標を設定することは、気候関連のリスクと機会を評価と管理するために不可欠の要素であり、これらの情報を明確に開示することが重要です。気候関連の指標と目標を開示している運用会社の多くは、ポートフォリオのGHG排出関連の指標(炭素強度、カーボンフットプリント、加重平均炭素強度など)を開示しています。これに加え、一部の欧米系大手運用会社では、GHG排出ゼロを目指し、パリ協定の2℃シナリオに整合に投資方針を合わせ、以下のような指標も開示しています。

  • 運用資産総額(AUM)におけるパリ協定2℃目標またはネットゼロ目標と整合する資産の割合
  • 運用資産総額(AUM)におけるグリーンファイナンスの割合
  • 新規投資額におけるグリーンファイナンスの割合

終わりに

2020年後半から、グローバルにおける気候変動情報の開示義務化の拡大や、「2050年までに運用先の温暖化ガス排出量実質ゼロ(ネットゼロ)を目指す」投資家グループNet Zero Asset Managers Initiative(NZAM)の設立などの動きから、資産運用業界において気候変動を含む持続可能な投資への対応に関する要請がますます高まっていると言えます。気候変動/TCFDの重要性が認識されているものの、資産運用業界の気候変動/TCFDへの対応にはまだギャップが存在しているため、資産運用会社は早急に中長期的な気候変動対策を推進することが重要です。

注記

1:ダボス会議:スイス・ジュネーブに本拠を置く非営利財団、世界経済フォーラムが毎年1月に、スイス東部の保養地ダボスで開催する年次総会。この会議では毎年、世界を代表する政治家や実業家が一堂に会し、世界経済や環境問題など幅広いテーマで討議し、各界から注目され、世界に強い影響力を持つ。

2:PwC、「資産運用――『素晴らしい新世界』から新常態へ 過去の予測と現状の考察」
https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/thoughtleadership/awm-from-a-brave-new-world-to-a-new-normal.html

3:炭素強度:ポートフォリオの構成企業の単位売上高あたりCO2排出量(Carbon intensity)

4:「TCFD Implementation, Practical Insights and Perspectives from Behind the Scenes for Institutional Investors」、The Investor Leadership Network (ILN) 、2019年9月

執筆者

山崎 英幸

ディレクター, PwCサステナビリティ合同会社

張 逸群

シニアアソシエイト, PwCあらた有限責任監査法人

※法人名・役職などは掲載当時のものです。

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