アップスキリングによる監査業務変革

  • 2023-08-25

はじめに

近年、生成AIの発展が話題になるなど、デジタル関連の技術の進歩や企業のデジタル化は加速しています。新たなテクノロジーの登場により、従来のビジネスプロセスが陳腐化するリスクが企業には存在し、従業員も同様に従来のスキルが通用しなくなる可能性があります。

このような環境の中、デジタルトランスフォーメーション(DX)を活用したビジネスプロセスやビジネスモデルの変革の必要性が高まっていますが、これは単に新しいシステムやツールを導入するだけでは実現できず、それらを有効に使いこなして初めて実現することができます。また、新たなスキルへの適応は、専門的なスキルを持つ一部の職員だけでなく、トップ層から監査業務を行っている現場の職員までが理解し、活用できることが重要となります。こうした新たな技術や業務に適応し、スキルを習得するための取り組みは「アップスキリング」と呼ばれ、多くの企業がDXに取り組む中で耳にする機会も増えてきました。

PwCあらた有限責任監査法人(以下、PwCあらた)は、デジタルテクノロジーを活用して監査業務の変革を進めており、その実現には職員のアップスキリングが不可欠であると考えています。本稿ではPwCあらたで導入したデータ分析ツールの事例をもとに、監査変革の実現に向けた職員のアップスキリングの取り組みやその成果について紹介します。なお、本文中の意見に係る部分は、全て筆者個人の私見であり、PwCあらたの正式見解でないことをあらかじめお断りします。

PwCあらた有限責任監査法人(以下、PwCあらた)は、デジタルテクノロジーを活用して監査業務の変革を進めており、その実現には職員のアップスキリングが不可欠であると考えています。本稿ではPwCあらたで導入したデータ分析ツールの事例をもとに、監査変革の実現に向けた職員のアップスキリングの取り組みやその成果について紹介します。なお、本文中の意見に係る部分は、全て筆者個人の私見であり、PwCあらたの正式見解でないことをあらかじめお断りします。

1 データ分析ツールの導入とアップスキリングの必要性

(1)データ分析ツールの導入

PwCあらたでデータ分析ツールを導入した背景として、監査業務におけるデータ加工の課題が大きく2つありました。1つは、膨大なデータのデータ加工の効率化や高度化です。監査業務では被監査会社からさまざまなデータを受領し、監査の目的に応じて利用しやすいように加工してから監査の手続を行います。従来、この作業は主に表計算ソフトを用いて行っていましたが、加工手順が複雑な場合にはデータ加工に多くの時間を要していました。また、大企業の監査では表計算ツールでは処理しきれない膨大なデータを受け取ることもあり、課題となっていました。

もう1つの課題は、データの加工処理の標準化です。これまでも表計算ソフトのスキル向上の取り組みを実施してきましたが、表計算ソフトでは個々人のスキル差によりデータ加工の品質にばらつきがあり、属人的なデータ加工が行われるため引き継ぎや繰り返しの利用が難しく、毎年同じようなデータ加工を行うにもかかわらず、作業時間の効率化が進まないことがありました。

これらの課題に業務効率化の余地があると考え、瞬時に膨大なデータの加工が可能であり、データ加工のプロセスが全て記録され、視覚的にデータ加工の内容が理解できるデータ分析ツールを導入しました(図表1)

図表1: データ分析ツールによる自動化

(2)アップスキリングの必要性

新たなデジタルツールを導入する際には、ツールの利用対象者は誰なのか、そのために必要なスキルをどのように身につけていくかを決めておく必要があります。この点、被監査会社のデジタル化に応じて監査で扱うデータの量や複雑性も増加していく中で、監査の目的に合わせて正しくデータを加工するスキルは、監査人にとって今後さらに重要になると考えられます。そのためには、社内の職員全員がデジタルツールの利用に抵抗のないマインドセットを持つことが重要であり、PwCあらたでは全てのパートナーおよび職員の標準スキルセットとして設定しました。さらに、全職員にライセンスを付与することで、いつでもツールを利用できる環境を整備しました。

しかし、当然ながら、利用環境を整えただけではスキルは身につきません。職員のデジタルリテラシーにはずいぶん差があり、「ノーコードツール」と呼ばれる特別なプログラミングスキルを必要としないツールであっても、使用経験がない人にとっては適切に扱うのは簡単ではありません。マインドセットの醸成を含め、新たなツールに適応するための学習機会を提供する必要がありました。また、データ加工の属人化や低品質な開発といった表計算ツールの利用時に起きていた問題を繰り返さないために、ツールの導入を機に標準的な開発手法を含むベストプラクティスの普及や、監査現場と連携した運用後の継続的なサポートが必要でした。これらの取り組みの中で、ツール導入後にアップスキリングを成功させるためのさまざまな課題が明らかになってきました(図表2)

これらの課題を解決し、アップスキリングを実現するためのアプローチとしてPwCあらたでは、(1)デジタル研修の実施、(2)利用推進・技術サポートのための専門チームの設立、(3)現場のDX推進をリードするメンバーの配置の3つを掲げています。以下ではそれぞれについて詳しく見ていきます。

図表2: デジタル化に求められる多面的な要素

2 PwCあらたにおけるアップスキリングの主な取り組み

(1)デジタル研修の実施

1つ目は、研修によるデジタルリテラシーの向上です。PwCあらたでは、パートナーから新入職員までの約3,000人を対象に、デジタルツールを使いこなすスキルとマインドセットを持つために「Digital BootCamp」という研修(以下、デジタル研修)を2日半かけて実施しています。この研修では、目指すべきアシュアランス業務の将来像のイメージを共有したうえで、デジタルツールを導入した目的やメリットを説明し、データ分析ツールやデータ可視化ツールの基本的な操作を学ぶことで、「デジタルにより業務が変化する意識」や「全員のスキルセットが変化する意識」を植え付けます。

実務の中でデータ加工を行う機会の多い若手職員、特に定期採用の新入職員に対しては、デジタルスキルを向上させるため、デジタル研修に加えて、1週間の対面でのデジタルに特化した研修を2021年から開始しました。デジタル研修では、操作方法を学ぶインプットが中心の内容ですが、この研修は、監査実務を想定したデータ加工を実際に行うアウトプットを中心としています。研修を受講した新入職員は、現場でデジタル化を推進する即戦力として活躍し、デジタルリテラシー向上の一翼を担っています。

(2)利用推進・技術サポートのための専門チームの設立

2つ目は、現場の職員をサポートし、デジタルツールの利用を推進するための専門チームの設立です。デジタル研修で学ぶのは基本的な操作方法であり、実際に業務で活用する場合は被監査会社から受領したデータに応じて適切な加工を行う必要があり、誤ったデータ加工や低品質な開発といった品質上の問題を起こさないための運用ルールの設定が不可欠でした。

また、デジタルツールの普及状況を把握するために定期的に実施している社内アンケートによると、データ分析ツールを利用していない職員の回答として「自身のデジタルスキルに不安がある」「利用できるシーンが分からない」「利用してみたが途中でエラーが発生して解決できなかった」などさまざまな要因が浮かび上がりました。

このような課題への対応としてPwCあらたでは、利用促進や技術的なサポートを行う専門チームを設立しました。社内で利用しているプラットフォーム上で研修では伝えきれなかった機能の説明や、エラーが出た場合の対処方法、先行して利用しているユーザーの成功事例の紹介など、利用促進のための情報を提供しています。さらに、オンラインのサポート窓口を設置し、サポート希望者に対してチャットツールを用いて技術的な支援を行っています。

(3)現場のDX推進をリードするメンバーの配置

最後は、現場でDX推進をリードするメンバーの配置です。デジタルツールを実務で活用する際、被監査会社の業種に特有のデータ分析や自動化に適した業務内容の検討など、研修で扱われる標準的な内容を、それぞれの業務に適合するように修正しつつ活用していく必要があります。このような細かな差異をトップダウンで対応するのは限界があります。そのため、現場の業務内容に精通している各部門の職員からデジタルツールを習得し、現場へのデジタルツール利用の検討・導入を行う「デジタルアンバサダー(デジアン)」、デジアンの活動を統率し、所属部門にDXの活動を発信する「デジタルチャンピオン(デジチャン)」と呼ばれるメンバーを選出し、彼ら・彼女らが所属部署のデジタル文化の醸成やデジタルツールの実務導入をリードしています。また、利用推進・技術サポートの専門チームからデジチャン・デジアンに研修を行い、デジチャン・デジアン自身が担当業務の知見を反映して所属部署内で研修を行うことで、より効果的に組織全体にDXの取り組みを広めるなど、組織内での連携を図っています。

また、各部署のデジチャン・デジアンが集まり、それぞれの部署での成功事例やデジタル文化を醸成するための取り組みを共有するセッションを定期的に開催するとともに、共有された他部署の取り組みを所属部署での活動に反映するというサイクルを作っています(図表3)

また、各部署のデジチャン・デジアンが集まり、それぞれの部署での成功事例やデジタル文化を醸成するための取り組みを共有するセッションを定期的に開催するとともに、共有された他部署の取り組みを所属部署での活動に反映するというサイクルを作っています(図表3)。そこでPwCあらたは、2030年に向けた新たな挑戦として、今後アシュアランスに求められるであろう3点(図表2)に対して、テクノロジーを活用したアプローチを行っています。このアプローチにより、次世代にも利用できるサステナブルな監査テクノロジープラットフォームを構築することで、「信頼のバトン」を次世代に渡すことができると考えています。大限に発揮し、監査に関わる全てのステークホルダーが心身ともに健康的な状態で活躍することで実現される監査です。 VUCA(社会やビジネスにおいて、環境が目まぐるしく変化し、将来の予測が難しい状態)の時代に、社会に信頼を築き
図表3: トップダウンとボトムアップの連携による監査現場の支援

3 取り組みによる効果について

これまでに紹介した取り組みの結果、直近の社内アンケートでは職員の4割以上が日常的にデータ分析ツールを利用しており、PwCあらた全体ではツール導入前と比較して、年間数万時間の時間削減という劇的な効果を得ることができました。時間削減により職員の日々の業務負荷も軽減され、より付加価値の高い業務へ注力できるようになりました。それ以上に重要なのは、さまざまな施策の実施により、職員一人一人が新たなデジタルスキルを習得し、DXを推進することが可能であると示したことです。

監査業務の変革は今も進んでおり、今後も私たちに求められるデジタルスキルがさらに高まっていくことは間違いありません。PwCあらたでは、これからもデジタル社会に信頼を築くリーディングファームを目指して、人財の育成を進めていきます。

情報の信頼性についても担保されていなければなりません。

執筆者

PwCあらた有限責任監査法人
アシュアランス・イノベーション&テクノロジー部
シニアマネージャー 先山 剛史