地政学的リスクに見舞われる中東欧地域のビジネス環境

  • 2023-06-08

はじめに

2004年5月、旧共産圏のポーランド、チェコ、ハンガリー、スロバキア等の加盟により、欧州連合(EU)が東方に大きく伸張しました。欧州単一市場は一挙に地理的拡大を果たし、約1億人を新たにその勢力圏に取り込み、国際的にもその存在感を高めました。

新加盟国政府は、安価で豊富な労働力、教育水準の高さ、EUの補助金を原資とした投資インセンティブ等をその魅力に掲げ、積極的な誘致活動を展開しました。そしてこの20年、外資系企業は中東欧を欧州経済圏における製造拠点と位置づけ、活発な投資を行ってきました。日系企業でも2000年初頭から、特に製造業で旺盛な投資意欲が見られ、現在、中東欧全域で1,500社弱が事業拠点を設けています。

ただ、日系企業による新規進出の勢いは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)発生前にすでに緩やかになっていました。制度の枠組みはEUルールに調和していますが、人種や文化背景が異なる多様な国々から構成される欧州でのビジネス拡大は容易ではなく、運営面の複雑さ、収益性を高めることの難しさが改めて認識されてきたことが背景にあります。

それが今、欧州において、環境側面からの社会変革、技術革新、経済構造の転換の機運が高まっており、これに伴う新たなビジネスチャンスを求めて、多くの日系企業がその基盤となる中東欧地域に再び興味を抱いています。

このような状況の中で、2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻しました。地理的に近接し影響を肌で感じる中東欧諸国の経営者の間では、地政学的リスクが改めて懸念材料として取り上げられるようになっています。本稿では、中東欧地域を取り巻く現在の事業環境を俯瞰してみたいと思います。


1 ビジネスリスクの高まる中東欧

ロシアによるウクライナ侵攻は、すでにサプライチェーンのひっ迫に苦しんでいた中東欧地域の企業に、さらなる試練をもたらしています。紛争は、主にエネルギー源や食料品などの投入財や原材料調達に影響を及ぼし、世界レベルでの価格高騰を引き起こしています。西側諸国によるロシアへの一連の制裁によって、ロシアとの貿易取引は停滞し、ロシアは世界金融の枠組みからも排除されています。EU諸国は、ロシア産エネルギー資源への依存からの脱却を図り、化石燃料の輸入量は急減していますが、一部の取引は継続しています。

ロシアによる侵攻直後から、石炭、石油、天然ガス等のエネルギー市場の価格が急騰し、これが広範囲にわたって生産コストの増加要因となっています。新型コロナウイルス感染症の拡大で経済見通しの悪化や需要減退のために、原油や天然ガスの価格が一旦は下がりました。しかし、紛争勃発前からすでにエネルギー価格は上昇局面にあり、紛争がさらなる価格の押し上げ圧力となりました。

ウクライナやロシアは、小麦や肥料といった農産品の主な生産国・輸出国でもあります。これらの物品の供給不足懸念から、世界的に関連製品の価格も上昇しています。食料価格指標は、エネルギー価格に密接に連動し、似たような価格の変動を示します。エネルギー源の価格上昇と原材料の供給不足が相まって、欧州全域でインフレ圧力が高まり、食料品価格の歴史的上昇をもたらしています(図表1)。

図表1:インフレ率(2022年平均)

  ポーランド チェコ ハンガリー
消費者物価指数(CPI) 14.3% 15.1% 14.6%
  • 食料
15.4% 16.7% 27.8%
  • エネルギー
29.8% 30.9% 15.4%
  • 食料およびエネルギーを除く
9.1% 12.2% 10.2%

出典:OECD Data

ウクライナ紛争は価格変動のみならず、サプライチェーンにも多大な影響を及ぼしています。新型コロナウイルス感染症に端を発した貨物輸送の混乱や港湾の混雑状況に拍車がかかっています。一時、国際配送の遅延、コンテナ不足、運送費の急上昇が観察されました。ニューヨーク連邦準備銀行が公表する「グローバルサプライチェーン圧力指数(GSCPI)」の推移を見ると、近年では、特にコロナ禍とウクライナ紛争が、世界のサプライチェーンに大いなる混乱をもたらしたことが読み取れます(図表2)。これらの社会的要因が、半導体不足に困窮している中東欧地域の製造業に追い打ちをかけ、経営者の懸念も強まっています。

2 中東欧地域の経営者の見解

世界CEO意識調査(中東欧地域版)

PwCは毎年「世界CEO意識調査」を通じて、中東欧地域の企業経営者から、経営環境、優先的課題、将来の見通しなどの認識をヒアリング調査しています(第26回は2022年10月から11月にかけて、世界105カ国・地域のCEO4,410人を対象に調査を実施。中東欧版では約100名の中東欧CEOにご協力いただきました)。

ウクライナ紛争は当地域の経済活動に影を落とし、全世界的な潮流と軌を一にして、事業環境の不確実性を高めています。中東欧地域のCEOも世界経済の見通しには悲観的であり、自国経済の先行きにも不安を抱いています。このような環境にあっても、当地域のCEOたちはこれを変革の機会と捉え、地政学的脅威、狂乱物価、不安定な経済環境といった困難に立ち向かっていく姿勢が見受けられます。組織変革の必要性も同時に感じ取り、コロナ禍で普及したリモートワークのように、この危機的状況を中長期的に自社の利益に転換していけるメカニズムを模索しています。

経済の見通しとリスクへの対応

中東欧企業のCEOの74%が、世界経済の成長は今後12カ月のうちに減速すると予測しています。コロナ渦が収束に向かうにつれて景気回復期待が一旦は高まっていましたが、ロシアによるウクライナ侵攻、エネルギー価格やコモディティ価格の高騰、加速する賃金上昇、インフレの進行といった歴史的要因が積み重なったことで、この期待が見事に打ち砕かれた格好です。

中東欧は、ロシア産の天然ガスへの依存度が高く、難民の大量流入もあり、紛争の影響をより肌で感じている経済圏です。CEOはこれまで以上に、自国経済や既存事業に注力する傾向にあります。コロナ禍や地政学的混乱の最中では、より近隣地域でのビジネスを構築することを重視し、サプライチェーンの短縮化・強靭化を図る施策を検討しています。

中東欧企業のCEOが認知するビジネス上の最大の脅威として、戦争や紛争といった「地政学的リスク」がまず挙げられますが、それ以上に、日々のオペレーションにおいては、「高インフレ」が頭を悩ます要因となっています。この2つは「マクロ経済の不安定さ」とともに、懸念材料のトップ3を構成しています。これらの課題は相互に干渉し合い、懸念を増幅させています。紛争が物価を押し上げ、中東欧の中央銀行も例にならい金融引き締め策を取っているため、これが経済成長の足かせになっています。

自社の財務状況がひっ迫する中、中東欧企業のCEOもまた、その対策として「売上拡大」と「コスト削減」を計画および実施しています。そして58%のCEOが、自社製品の売価の値上げを実施済みです。膨れ上がるコストを顧客に転嫁していかなければ生存できないという切迫感がうかがえます。そして半数超の51%は営業費用の節減を、44%が近時のサプライチェーン問題を受けて代替的な調達先を探索しています。一方、投資活動の抑制を検討しているリーダーは21%に留まり、新規雇用の停止や人員削減、報酬カットを考えるCEOは少数派です(図表3)。

中東欧のマネジメントは、再発の可能性があるサプライチェーンの断絶を強く心配しています。眼前に横たわる脅威を肌で感じており、それゆえに必要な対策を取り始めています。変革が喫緊の課題となり、企業体質の強靭化に資する活動を推進しています。

エネルギー面での自立は優先課題の1つ

ロシアによるウクライナ侵攻は、これまでロシア産ガスに過度に依存してきた中東欧諸国を、ある意味、目覚めさせるきっかけとなりました。中東欧企業のCEOの48%が、今後10年、新たなエネルギー源への転換が、将来の自社ビジネスに相当程度、影響を及ぼすと考えています(図表4)。さらに、46%のCEOは、今後1年のうちに代替エネルギー源への移行のための投資を計画していました(図表5)。これは、脱炭素化に向けた企業の対応力を高めていく点で期待できる兆候です。組織やビジネス構造を強化するための投資を優先させ、早期に対策を講じることができれば、将来の競争優位を勝ち取ることができます。

3 EUおよび中東欧諸国の国家助成について

EU基金と国家助成

本節では、中東欧の主要3カ国(ポーランド、チェコ、ハンガリー)について、エネルギー関連の企業向け支援制度を概観します。EU加盟国であるこれらの国々は、自国予算を財源とした国家助成制度を備えるだけでなく、EU基金から補助金を享受しています。ただ、EU加盟国が実行できる国家援助は、EUで決められたルールの範疇でしか認められていません。

EU基金は、欧州における経済的・社会的結束の強化、国・地域間の格差是正、経済発展の支援、教育レベルの向上など、EU全体としての国力強化を目指しており、幅広い財政支援や技術支援のプログラムを有しています。EU基金は、現金での補助や優遇利子率による貸付プログラム等によって提供されます。

そして加盟国ごとに、この資金をいかなる分野に振り向けていくかの戦略を具体的に計画していきます。近年では、高付加価値をもたらす知識集約型産業の誘致、革新的製造技術の導入、研究開発拠点の設立、雇用創出や人材スキルの向上、情報通信技術の開発やデジタル化、低・脱炭素社会の実現に向けた環境投資といった領域に、多くの資金を割り当てるよう軸足が移ってきています。

EUとしてのエネルギー支援政策

投資誘致型の支援の他、EU全体の共通利益に適合する重要な目的のためにもEU予算は確保されます。ウクライナ侵攻に多大な影響を受けている企業や家計を救済する目的で、エネルギー関連の優遇支援も多く導入されています。欧州委員会は、2022年5月、「REPowerEU計画」の詳細を発表し、ロシアによるウクライナ侵攻によって引き起こされたエネルギー市場の混乱に対処していく方針を示しました。この計画では、欧州のエネルギーシステムをロシア産の化石燃料への過度な依存状態から解放し、それと同時に、EUを挙げて気候変動危機にも取り組んでいくという、野心的な社会変革の針路が提案されています。

このREPowerEU計画は、エネルギーの節減、エネルギー調達源の多様化や、家庭・産業・発電業界において化石燃料を置換する再生可能エネルギー源の迅速な普及を目指しています。REPowerEU計画の資金面での主たる柱に、「復興・強靭化ファシリティ(Recoveryand Resilience Facility)が設定されています。この枠組みのもとで、関連インフラ投資への資金手当てやエネルギー源の転換・効率的利用を実現するための協調計画が策定され、改革の実行が支援されています。加盟各国は、これを自国の「復興・強靭化計画」に統合し、各国レベルでの具体的な改革や投資の支援につなげていきます。このパッケージの中で提供される省エネやエネルギー転換に向けた投資への資金援助は、差し迫ったエネルギー危機に対処しつつ、かつ、コスト削減も図っていくという、効率的で時宜を得た打ち手となっています。

さらに、紛争の影響を受けて混乱している加盟国経済を援助する目的で、欧州委員会は2022年3月に、既存の国家援助規則の下での柔軟な対応を可能とする「国家助成に関する緊急危機対応フレームワーク(Temporary Crisis Framework)」を設定しました。このフレームワークでは、喫緊の課題解決のために、一定額の補助金、政府保証や特恵金利での貸付による流動性支援、エネルギー価格の高騰に関係する補償といった大きく3種類の援助を提案しています。この援助により、加盟国では、特に大量にエネルギーを消費する企業に対して部分的な補償を実現し、ガス・電気代の急騰による追加負担を和らげることが可能となっています。各加盟国はEUの国家援助規則に沿った形で、自国の状況に適合する支援政策を設計し導入できる環境が整ったことになります。なおこのフレームワークは、2023年3月に、新たな「緊急危機対応・移行フレームワーク(Temporary Crisisand TransitionFramework)」へと移行し、既存スキームの適用延長、ならびに、支援の拡充が図られています。

4 エネルギー関連の支援制度

最後に、中東欧主要国で導入されているエネルギー関連の国家支援制度の一部を紹介します。先述のように、各加盟国の補助金制度は、自国予算に基づく場合であっても、EUの国家援助規則に準拠した制度設計が求められます。

家計や企業を高騰するエネルギー価格から保護するため、これらの国では似たような「電気代・ガス代の上限価格制度」を採用しています。エネルギーの消費者への請求にあたって、一定の基準消費量(例えば、参照期間の平均消費量)までは、市場価格よりも低い制限価格が適用されるという仕組みです。エネルギーの利用者は価格に天井が設定されることでインフレの影響を制限することができます。他方、エネルギー供給業者へは政府補助金による補填がなされます。これは消費量を制限するものではありません。一定の基準量を超過する使用については、市場価格が適用されることになります。

図表6に示すように、電気代・ガス代等のユーティリティコストや原材料コストの高止まりに苦しむ企業を救済するため、各国政府は、時限的な補助金制度を立ち上げています。

図表6:損益悪化企業を援助する補助金制度の一例

  ポーランド チェコ ハンガリー

助成形態

現金での補助

現金での補助

現金での補助

対象企業

エネルギー大量消費企業、かつ、指定産業セクターに属する企業

エネルギー大量消費企業、ないし、エネルギー中程度消費企業

指定の投資内容に関係する生産活動を行う全ての大規模企業

申請条件

営業損失が生じている企業で、特に:

  1. 2022 年の参照期間中、前年比で営業利益が40%以上減少、もしくは
  2. 2022 年の参照期間中、営業損失を計上

エネルギー大量消費企業、ないし、指定産業に属する企業の場合:

  1. 営業損失を計上、および、
  2. 適格エネルギー費用が、営業損失の50%

以上

最低投資額 50万ユーロ
投資期間 最大24カ月
投資維持期間 12カ月
人員保持義務  従業員の 90%
助成金額

適格費用の50%を超えず、最大400 万ユーロ(基本プラン。ただし増額プランあり)

※適格費用は、電気代・ガス代の高騰に伴って生じた「増分コスト」

  • エネルギー大量消費企業:適格費用の50%相当
  • 指定産業に属する企業:適格費用の70%相当(最大額は、営業損失の80%と2 億コルナ〔12億円相当〕の少ないほう)
※適格費用は、電気代・ガス代の高騰に伴って生じた「増分コスト」

最大、1,500万ユーロ
最大助成割合:投資金額の45%まで(ブダペスト30%まで)

【補完的措置】
政府保証付き融資プログラム:さまざまな目的の資金調達に保証を付す

  • 融資元本の80%までの保証
  • 優遇金利(ユーロ建 3.5%、フォリント建 5%)

出典:PwC作成

5 おわりに

狂乱する物価、サプライチェーンの混乱、地政学的衝突などの重大リスクの複合発生という、先例のない厳しい環境にさらされている中東欧の経営者たちの間では、将来への悲観論が広まっています。そして、眼前に立ちはだかる喫緊の諸問題への対応に日々追われています。

新型コロナ危機前から計画していたプロセス改善プロジェクトなどが一時棚上げになったままのケースも多々見られます。ただその状況下でも、従業員向けスキルアップ支援などの人材投資は、引き続き優先的対応が求められる分野です。労働力やスキルの不足への対処、従業員の動機付けや関与度の向上は、中東欧地域でのビジネスの成否を大きく左右する重要な経営課題の1つです。

リーダーたちの意を決した変革行動や、ビジネス再構築のためのビジョンの発信が、近年、中東欧ではかつてないほど力強く現れてきています。そして、中長期にわたって社会的価値を創造し、利害関係者と幅広く協調していくことの重要性も改めて認識されてきているようです。中東欧の主要国がEUに加盟してから約20年が経過しました。今や、事業環境や制度の枠組みは、西欧諸国とほぼ遜色ありません。中東欧地域への投資とビジネスの将来性が今再び、脚光を浴びています。

本稿で取り上げたEUや中東欧各国の各種支援策は、社会環境の変化に即応してその内容が頻繁に改正されています。最新の情報や動向を注視し、優遇措置の効果的な活用を検討していくことが望まれます。



執筆者

PwC Central and Eastern Europe
ディレクター 山﨑 俊幸