「匠」の減少―技能継承におけるAI活用の道しるべ―テクノロジー最前線 データアナリティクス&AI編(7)

2022-09-22

匠の引退とAIを用いた技能継承の相性

少子化による新規就労者の減少と並行する形で、日本の高度経済成長を支えた団塊世代が引退を迎えています。昨今、雇用延長や再雇用などにより、高齢化した団塊の世代をつなぎとめる対策がとられていますが、それは減少を緩やかにするための施策であり、抜本的な解決が求められています。

この労働人口の減少という社会課題は、2つの問題を内在しています。1つ目は「高い技術を持った匠がノウハウを頭の中にだけ持っていて、その暗黙知を継承することなく引退してしまうこと」、2つ目は「新規就労者が減っており、今まで以上に少ない人数で効率的に業務をこなす必要があること」です。

図表2 労働人口の減少、高技能者の引退、業務の効率化

この問題に対処する1つの解としてAIの活用が考えられます。AIは、ヒトがさまざまなことを経験し、脳に記憶するのと同じように、過去のナレッジを読み込み、モデルとして保存します。また、AIは人の手を介さずに答えを導くため、効率性に富む、という特性を持っています。この2つの特徴を加味すると、労働人口の減少という問題に対し、AIは最適なソリューションとなり得るのでは、と考えられます。

技能継承のアプローチ

AIを用いた技能継承について、私たちはさまざまな企業とタッグを組んで共同研究を進めています。その議論の中で、企業の方から「どのように進めていけばよいのか?」というご相談を受けます。

この質問の回答として行う標準的なアプローチは、業務の棚卸しです。まずは、特定の部門で行っている業務をリスト化します。リスト化ができたら、優先度を判断します。この優先度の判断は、「重要性」と「特殊性」の軸で考えます。前者の「重要性」は、匠の方が引退したら、売上の損失や著しい生産性の悪化といった大きなリスクを伴うか、後者の「特殊性」は匠の方が何名いるか、引退したら代替要員を確保できるかなどの観点で考えます。こうしてスコアリングを行い、技能継承に伴うAI化の優先度を決めます。

図表3 技能継承の対象業務選定

優先度を定めることができたら、優先度の高い上位の10業務などをピックアップし、「ルールベースで簡単に処理できる業務」と「複雑な判断を伴う業務」に仕分けます。ここでも経理部を例にとり、概要を説明します。経理部が、営業部門からタクシー代としてA地点からB地点まで2,710円といった申請を受けた場合、社内の精算基準と照らし合わせ、5,000円以下、部長承認済といった理由から承認を行うケースを考えます。このような業務は、ルールに基づいた自動化が見込まれるため「ルールベースで簡単に処理できる業務」に分類できます。

一方で、営業部門から10名の会食で100,000円といった申請を受けた場合、社内の経費精算基準を照らし合わせるものの、「取引先は同席か?」「取引先はどのような会社か?(存在する会社か?公務員ではないか?)」「取引先の費用は含んでいるか?」「領収書の人数と一致しているか?」「手書きの領収書ではないか?」「事前申請はあったか?」「過去に同じ申請はなかったか?」といった詳細確認が必要な場合があります。このような業務は個別の問い合わせや領収書の現物確認などを伴うため、「複雑な判断を伴う業務」になります。

実はこの振り分けが重要です。この振り分けにより、本当にAI化すべき業務が浮かびあがってきます。「ルールベースで簡単に処理できる業務“」はRPA等を用いて一定のロジックで自動化する業務であるためAIが不要です。一方、「複雑な判断を伴う業務“」はRPAや単純なシステムで代替できないため、AI化が求められる業務になります。また、AI化が求められる業務を超えた領域として、現在できていないが、AIによって新しく実現できるようになる業務も視野に入れることができます。

図表4 振り分けイメージ

ここまで進んだら、特定業務のAI化を企画し、技術検証を進めていくことになります。技術検証を行うには、データ収集から始めます。

データセンシングとAI化 

データを集める際に重要なことは「匠がどのように判断しているのか?」という点です。そのため、私たちが技能継承を支援する際には、匠のインタビューから始めます。インタビューでは、所属や業務を確認させていただいた後、どういった判断を行っているのかを質問します。判断ポイントを聞く際に注意すべきポイントは、何を基にその判断をしたのかです。後続でそのデータを収集し、AIに学習させる必要があるからです。

必要なデータを特定したら次はデータ収集です。データが既に存在している場合はそのデータを使いますが、もしすぐに利用できるデータがない場合はデータ取得の検討から着手します。昨今、データセンシングを行うデバイスは価格が数千円レベルまで下がってきているので、いきなり高価なデバイスを扱うことはせず、安価なデバイスを用いて特定の領域のみデータ取得を行います。こうして匠と同じ判断をするためのナレッジベースを作ります。

図表5 データ取得方法と利用デバイス

ナレッジベースができたら、次はAI化に着手します。正直なところ、AI化はどのような手法でも構いません。大事なことはAIが学習を行って導き出した結果が、「匠と同じ結果になったか」「根拠となるデータは同じか」です。これを検証するには、現場の方にご協力いただいて、AIが導き出した結果と根拠となるデータを繰り返し照らし合わせ、繰り返し感覚を近づけていくアジャイル型のアプローチが必要になります。

AIの導き出した結果が8割以上の精度で匠の出した結果と一致するようになったら、業務トライアルや運用について検討を進めていく必要があります。

業務トライアル、運用で注意すべきこと

業務トライアルは3カ月~6カ月といった期間を設定し、利用者を絞り込んで、業務に活用いただきます。このフェーズで重要なことは、実際に利用いただく部門で「便利」と思ってもらうことです。その後の社内のAI推進を活性化させるためにも、AIを味方と思ってもらい、「AIを使いたい」と感じていただく必要があります。そのためには、ユーザーの要望をAIやAIを取り巻く各種システムに反映しながら一緒に作りあげていく雰囲気作りが重要となります。

図表6 業務部門と協働

また、一方で継続的な運用プロセスについても意識していく必要があります。AIに対して一度学習させて終わりというケースは少なく、日々発生するデータを継続的にAIに学習させていくケースがほとんどです。この運用は、バッチ処理で月次でAIの学習処理を起動させることから始めますが、AIの本数増加や時系列での性能変化をトレースしたいといったニーズが出てきた場合には、MLOps(Machine Learning Operations:機械学習オペレーション)を使って管理することを推奨します。

AIによる業務の高度化

既存業務で技能継承を行う際のAIについてご紹介してきましたが、AIは既存業務や人間の限界を超える可能性を持つことを最後に補足しておきます。
 
AI化を進める過程で、クライアントから「今まで気づいていなかったデータの関連が分かった」という声をいただきます。これは、AIが結論を出すまでの過程で、関連するデータを定量的に扱うという特性と関連しています。今までデータAで判断していたが、実はデータBの方が特性を表していると分かった場合、今後の業務はデータBを使ってさらに精度の高い業務にシフトすることができます。また、今までデータCが関連していないと思っていたが、実は関連があったといった場合、データCの改善を行うアプローチをとることで、品質不良や故障の削減につながるケースもあります。

図表7 AI化による業務の高度化

執筆者

H .Numata

H.Numata
国内シンクタンクを経て、現職。製造業、金融業、サービス業、医療業界など、多様な業界に対するテクノロジー全般のコンサルティング業務に従事。AI、新規事業開発、PMOを専門領域とする。

PwC Japanグループでは、データアナリティクス領域でご活躍いただける方を募集しています。本記事に関連する求人情報は以下ページよりご覧ください。

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テクノロジー最前線―先端技術とエンジニアリングによる社会とビジネスの課題解決に向けて

データアナリティクス&AI編

(1):テック人材の採用と維持における企業の課題
(2):フィーチャーエンジニアリングとは?
(3):SNSを活用したコロナ禍における人々の心理的変化の洞察
(4):自然言語処理(NLP)の基礎
(5):今、データサイエンティストに求められるスキルは何か?データサイエンティスト求人動向分析
(6):コロナ禍における人流および不動産地価変化による実体経済への影響
(7):「匠」の減少―技能継承におけるAI活用の道しるべ
(8):開示された企業情報におけるESGリスクと財務インパクトの関係性の特定
(9):ビッグデータ分析で特に重要な「非構造化データ」における「コンピュータービジョン(画像解析)」とは
(10):自然言語処理・数理最適化による効率的なリスキリングの支援
(11):スポーツアナリティクスの黎明 サッカーにおけるデータ分析
(12):AIを活用した価格設定支援モデルの検討―外部環境変化に即座に対応可能な次世代型プライシング
(13):MLOps実現に向けて抑えるべきポイントー最前線
(14):合成データにより加速するデータ利活用

エマージングテクノロジー編

(1):ブロックチェーン技術の成熟度モデルとステーブルコインの最新動向について
(2):3次元空間情報の研究施設「Technology Laboratory」のデジタルツイン構築とデータの管理方法
(3):3次元空間情報の研究施設「Technology Laboratory」における共通ID「空間ID」と自律移動体の測位技術
(4):G7群馬高崎デジタル・技術大臣会合における空間IDによるドローン運航管理

エンジニアリング編

(1):COVID‐19パンデミック下のオンプレミス環境におけるMLOpsプラクティス
(2):機械学習を用いたデータ分析
(3):AWSで構築したIoTプラットフォームのPoC環境をGCPに移行する方法
(4):テクノロジーの社会実装を高速に検証するPwCの独自手法「Social Implementation Sprint Service」-テクノロジー最前線
(5):自動車業界におけるデジタルコックピットの擬人化とインパクト
(6):成熟度の高いバーチャルリアリティ(VR)システム構築理論の紹介
(7):イノベーションの実現を加速する「BXT Works」とは
(8):Power Platformの承認機能、AI Builderを活用して業務アプリを開発する方