Social Impact Initiative 社会を変える旅に出る ―社内外で仲間を集め、コレクティブインパクトを創出していく―

第12回 「テックインクルージョン」で実現するマイノリティの豊かな未来

  • 2024-04-02

「テックインクルージョン」という概念

企業や自治体でのダイバーシティ&インクルージョンの取り組みは、年々活発化してきています。

これらの取り組みを推進するにあたっては、2022年にリンダ・ヤコブ・サデー氏とスマダール・ネハブ氏が共同執筆し、スタンフォードソーシャルイノベーションレビューに発表した論文「疎外された地域を人材の宝庫に変えるテックインクルージョン」が参考になると考えています。

現在、世の中のマジョリティが自分たちの領域にマイノリティを呼び込むことでインクルージョンの実現を目指す取り組みは数多く見られますが、この論文においては、マジョリティがマイノリティの領域に歩み寄ることで、社会の格差や不平等が大きく改善される可能性があることが解説されています。これはテクノロジーに強みをもつイスラエルを拠点に創られた概念であり、まだ考え方として一般に普及しておらず、また実証のケースもほとんどありません。

私たちSocial Impact Initiativeでは、この概念の真意を解釈し、テクノロジーとソーシャルの領域を掛け合わせ、市場形成まで見すえた考え方として発展させ、外部との協業を重ねながら、日本社会で使えるモデルを作り上げることを目指しています。

まず、「マイノリティ」とはどのような人々なのでしょうか。一般的には、人数の多少に関わらず、社会的影響力が低い人々を「マイノリティ」と呼び、本稿でもそのように定義します。また、そのような人々のみで物事を主体的に推進することは極めて難しい点に特徴があります。多くの企業や自治体は、マイノリティを取り残さない包摂社会をうたっていますが、その取り組みの多くは、マイノリティがマジョリティに合わせるという考え方が主となります。

マイノリティがマイノリティである所以は、マジョリティに合わせることが困難であるためです。したがって、このやり方にはついていけない人が出てきます。世の中の仕組みの圧倒的多数はマジョリティを対象として成立しているため、もともと存在する社会的不平等を固定化させ、また拡大させている可能性があります。

テックインクルージョンの考え方は、マイノリティをマジョリティに組み込んでいくのではなく、マイノリティの人々が集う「場所」のど真ん中に「市場」を作ってしまおう、という考え方であり、これまでのインクルージョンを社会に実装するやり方とは大きく異なる、全く新しい概念です。

精神発達障がい者の就労支援について

就職率・定着率がともに低い現状

テックインクルージョンの対象はさまざまなマイノリティであり、解決すべき課題も多岐にわたります。具体的な考察を深めるため、本稿では精神発達障がい者の就労支援を例に取り上げて解説します。

精神発達障がい者は年々増加傾向にあります。内閣府の調査では、2020年時点で約615万人となっており、これは2014年の392万人と比較して約1.6倍となっています。民間企業における障がい者の法定雇用率は2023年12月時点で2.3%。これは2024年4月には2.5%、2026年7月には2.7%と段階的に引き上げられる予定です。しかし、この法定雇用率を達成した企業の割合は2022年時点で48.3%であり、精神発達障がい者の就労は依然として厳しい状況です。

さらに注目すべきは、これらの人々が企業に就職した後です。1年後の職場定着率は49.3%で、他の障がいと比較しても低い水準に留まっており、職場に定着しないという厳しい現状を物語っています。

精神発達障がい者の就職率や定着率が低い一番の原因は、就職者の希望と雇用主である企業のニーズにミスマッチが起きているためです。精神発達障がいという特性上、本人の特性・能力・障がいの度合、できること・できないことなどが見えづらいため、応募・選考プロセス・定着の全ての過程でミスマッチが起きる可能性があります。

採用現場でミスマッチが起きている

精神発達障がい者の就職率と定着率を向上させ、就職希望者と雇用主間にミスマッチが起きないようにするためには、以下3つの対策が必要です。

①特性・能力・障がいの度合いなどの見える化とマッチングの進化

就職は、応募・選考プロセス・定着を通じて達成されます。全ての過程において、就労希望者の特性・能力・障がいの度合い、企業が求める人材の能力などの見える化が必要です。就労希望者側からすると、自分のできることが企業の求めていることと一致しているか、できないことを企業側がどれぐらい重視しているかに不安を抱えています。企業側も同様です。そのため、採用基準が定めづらく、一般採用より明確になっていないこともあります。

本来、選考プロセスでは両者間でしっかりとした対話を行い、できることとできないことなどを明確にした上で採否を判断すべきですが、互いの踏み込みが甘く、不明瞭な部分が残ったまま採用に踏み切るケースも散見されます。その結果として、ミスマッチが発生してしまいます。ミスマッチを減らすためには、特性・能力などの見える化と、両者のマッチング精度の向上が求められます。

②就労支援を集団最適から個別最適へシフト

現在、精神発達障がい者に紹介される仕事は、単調で安価な仕事が多く、やりがいを見出すことが非常に困難です。そのため、就職希望者自身が「やりがいを見出すことができる仕事」に就ける環境を整えることが重要です。

何らかのダメージを受けてドロップアウト(退職)してしまったものの、前職では高収入の仕事に就き誇り高く働いていた人や、仕事にやりがいを感じて自らの成長を楽しみながら働いていた人もいます。致し方ない事情でドロップアウトした後は、二度とそういった仕事に就けないというのは、あまりにも残念です。

就職先をこれまでの集団最適から、個人の特性・能力・障がいの度合いなどに合わせた個別最適へシフトさせる必要があります。精神発達障がいなどを持ちつつも、個人の特性を踏まえた上で仕事を選ぶことができ、できる限り得意な領域で仕事にやりがいを持ちながら働ける社会であることが望まれます。

③マジョリティとマイノリティをつなぐパートナーシップの強化

就職希望者と企業側のニーズを取り持ち、マッチングを行うことは非常に難しいと言われています。精神発達障がいに関する専門的な知識や接し方などには専門的なノウハウが必要な上に、両者のニーズをくみ取りながら、最適な仕事に就けるようなサポートが求められます。両者の橋渡しする中間支援を行う人々を増やしていく必要があることは言うまでもありませんが、これらのスキルやノウハウは個人に内包されたものであるため、そうではない人が簡単に真似することはできません。

現在、この中間支援の役割を多くの非営利団体が担っていますが、負荷が高く、数に対応しきれず、高度化できないというもどかしさを抱えています。マイノリティとマジョリティのパートナーシップの間の全面的な強化が必須だと考えます。

コレクティブインパクトアプローチを使って、それぞれが動く

次に私たちが考えるべきことは、「こうした一部のマイノリティにかかわる課題に、どのようにマジョリティを巻き込んでいくのか」です。

現代社会において、人々には「インセンティブがないと『しない』」という考え方があふれています。何らかの財やサービスを提供した人は、それに見合うリターンを受け取ることを前提とする仕組みで物事をまわしています。

であれば発想を転換し、この課題についても当事者と周辺の人々の双方がメリットを受けられ、その結果、社会のみんなが幸せになれるという状況を作ってしまえば、真に集団の利益につながるのではないでしょうか。

そのためには、「共通のアジェンダのもと、それぞれが持つパワーを持ち寄って、それぞれがアクションをとって達成しよう」とする「コレクティブインパクトアプローチ」をこの課題に適用させることが有用です。

共通のアジェンダは、

  • 精神発達障がいの有無に関わらず、やりがいをもって働ける社会を作ること

と設定することができます。

コレクティブインパクトアプローチにおいて、関与する人々およびステークホルダーは、共通のアジェンダに沿っていれば、「何を課題とするか」や「どんなアクションを行うか」は異なっていても構いません。異なっているからこそ、コレクティブインパクトを創出できるのです。

 

当事者 自らの成長を実感しながら働き、一定の収入を得ること。それが本人の努力次第で伸ばしていけること
企業 有能な人材を採用すること。法定雇用率を満たすこと。社会に「多様性を受け入れる」という考え方を醸成すること
中間支援団体 マイノリティとマジョリティをつなぎ、1人でも多く自己実現ができる当事者を増やすこと
官公庁 就職率や定着率を上げること
人材サービス会社 新しい就職市場を作ること
学術研究者 新しい領域でマッチング理論を実践すること
業界 労働力不足を補えること

通常、関与する人々が同じ方向を向いて、共通のアジェンダの実現を目指すためには、それぞれがメリットを受け取れる状態でないと成立しません。それが資本主義経済の大きな考え方であり、現代社会のルールです。

その「メリット」とは、経済的価値・金銭によるリターンであることが通常です。しかし、経済的価値の追求は短期視点にとどまる傾向があります。一方で社会価値の追求には中長期視点が不可欠です。

短期的な経済価値と中長期的な社会価値を両立させるためにも、大きなレベルで「共通のアジェンダ」を設定して、ステークホルダーの方向性をそろえることや、「中長期的な経済価値創出の視点」も持つことが重要となります。

1つの新しいマーケットをデザインする

「中長期的な経済価値創出」とは、1つの新しいマーケットを作るということになります。

それは、テックインクルージョンの核となる「マイノリティの人々が集う『場所』のど真ん中に『市場』を作ろう」とする考え方につながっていきます。その「市場」に集う人々を増やし、経済圏を作る動きを起こしていくことが求められます。

通常、資本主義の「市場」は、価格均衡で成り立ちます。「買いたい」と思う人と「売りたい」と思う人、つまり需要と供給が一致する価格で取引がなされます。しかし、本稿で扱っているような人材採用の市場は、価格均衡だけでは成り立ちません。企業側が人材を求めるにあたっては、必ずしも安価という点だけではなく、能力とやる気があるという点も大きな要素となります。経済的価値や金銭だけで取引ができない市場においては、この特徴を活かしてマッチングを行うマーケットをデザインする必要があります。

そのために重要なのは、以下の3点です。

まず、市場を作るためには、取引を希望する参加者を大勢集めることが大事です。この例でいうと就職希望者と雇用企業になります。いまさまざまな場所で小規模に精神発達障がい者の採用に取り組んでいる関係者を1カ所に集めます。そして、そこに市場を作り、彼ら彼女たちと企業双方において、最高のマッチングを行えるようにします。市場を機能させるためには、需要と供給の量を増やすことが、第一条件となります。

次に、希少資源を育成することが重要になります。需要と供給の価格均衡だけでは取引が成立しない市場においては、希少資源が取り引きされます。希少資源とは、「需要は多いけれど供給が追いつかない」というアンバランスを引き起こすものです。この例でいうと「社会からのニーズはあるが、できる人がいない」といったような仕事に就けるように、希少資源となるスキルを身に付けられるよう支援を行うことがポイントとなります。

例えば具体的な職種として、テクノロジーに関わる仕事が想起されます。テクノロジーの開発や運用は、自分の頭で考えながらも確実にある正解を導き出すことの積み重ねです。全部ではなく、部分的に仕事を切り出していけば、求められる成果を出せる可能性はあります。高度な技術開発職であれば人手不足という背景もあり、高収入も見込めるでしょう。

最後は、隣接する市場を持つことです。つまり、市場を孤立させず、関連する業界としっかりと結びつきを持たせることです。マイノリティとマジョリティを分断させず、パートナーシップを強化していきます。この例では、精神発達障がい者向けの就職市場は、一般採用の就職市場と隣接していること、また福祉業界と接地面を広く持たせること、企業の人事部と連携しながら社会人人生にすき間を生まない、あるいは戻って来れる場として明確に広く認知されることが求められます。

テックインクルージョンの可能性を想起する

これまでは就職希望者の特性・能力・障がいなどの度合いを人の手や経験を介して明らかにしてきましたが、テクノロジーを使えばより細かく、より精度高く見える化することができます。尖ったスキルがない場合は、適する仕事を探し当てて、提案して、就労移行を支援します。テクノロジーに関わる仕事は難易度が高いと思われがちですが、分解して得意とする領域を探し当て、そのためのスキルを習得することは可能です。それができれば、「市場」で希少性をアピールできる人材へと導くことができます。

そして、そうした人々や企業を1カ所に集め、数を増やして、マッチング精度を高めていきます。それは、就職率や定着率を高めるとともに、よりやりがいをもって働きたいと願う人々の希望となります。

私たちは、テックインクルージョンモデルをまず就労支援の現場に導入することを推奨していますが、可能性はその限りではありません。社会にはさまざまなマイノリティが存在しており、それらへの応用も可能です。

例えば、子育てにひと段落がついた女性たち。専業主婦だった人たちの就職意欲も今後は高まっていくでしょう。

定年退職後のシニア層も、今後大きな就職市場へ発達していくでしょう。戦前にできた定年制は一定の年齢になると能力が下がってくるという前提でしたが、現在の社会にはそぐわず、また能力が下がるとしてもそれは全てではなく一部と考えるのが適切です。ここでも能力の見える化とマッチングの進化が必要になってくるでしょう。

テックインクルージョンの考え方を提唱できるのは、テクノロジーが進化してきたからに他なりません。

いまテクノロジーは、人々の生活を便利にすること、より豊かさを追求すること、マジョリティの多様なニーズに応えていくことに使われる傾向があります。しかし、社会には決して十分と言えない状況に身を置く人々もおり、働くことや生きることに問題を抱えています。ネガティブインパクトの軽減にテクノロジーを使おうと考えること、目指す未来をデザインして、その実現のためにテクノロジーを使おうという発想を持つことが必要です。

「テックインクルージョン」の可能性が精神・発達障がい者の活躍を照らす

障がいなど人の属性に関わらず、テクノロジーの力で多様性の包摂を実現する「テックインクルージョン」について、株式会社 キズキ 代表取締役社長 安田祐輔氏と取締役 林田絵美氏にお話を伺いました。

前編:「テクノロジー×ヒト」の支援が障がい者雇用の礎を築く
後編:テクノロジーが促す障がい者雇用の最適解とは

執筆者

下條 美智子

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

Email

佐藤 彰

アソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

Email

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