これからの病院経営を考える

第9回 これからの精神科医療

  • 2023-08-10

世界標準と一線を画す日本の精神科医療

精神病床の数や入院患者の在院日数を諸外国と比較すると、日本の精神科医療の特異さが見えてきます。国によって精神病床の定義が異なるものの、OECD加盟国36カ国における精神病床数全体のうち、実に約4割を日本が占めています。また、入院患者の平均在院日数に至っては、OECD加盟国の平均が1カ月程度であるのに対し、日本は9カ月にも及びます(図表1)。

図表1 OECD加盟国と日本の精神病床数および平均在院日数の比較

なぜこれ程までに日本の実態と世界標準の間に乖離が生じているのでしょうか。これにはいくつかの理由があります。日本では1950年代から国策により、医師や看護師の配置数を一般病床と比べて緩和する医療法上の基準が採用され(いわゆる精神科特例)*2、民間に担わせる形で精神病床が増加し続けてきました。背景には、精神障害当事者を隔離し、家庭や社会から排除しようとする動きがあったと考えられています*3。差別や偏見に加え、患者を入院させ続け、病床を埋めることで稼ぐという精神科病院の収益モデルが、社会的入院を引き起こし、平均在院日数の長期化を招いたと言えるでしょう。なお、2022年6月30日時点で精神科病院に1年以上入院している患者は16万人、20年以上入院している患者は1.9万人にのぼります*4

国は入院中心の医療から地域への移行を掲げているものの実態は進んでいない

長期入院は国民医療費の増加という観点からも望ましいものではありません。国際的な批判の高まりもあり、国は2004年に「精神保健医療福祉の改革ビジョン」を策定し、入院中心の医療から地域への移行を促進する方針を掲げました*5

国はこの改革ビジョンの中で、新規入院患者の速やかな退院や、長期入院患者の地域生活への移行促進といった施策を進めることで、2004年からの10年間で7万床の削減を目標として掲げていました。しかし、実際には1.8万床の削減に留まり、2022年時点においても目標数値の65%程度となる4.6万床の減少に留まっています(図表2)。なぜ、病床削減が計画どおりに進まないのか、日本の精神科医療の課題を検討してみましょう。

図表2 日本における精神病床数の推移(目標・実績)

日本における精神科医療の課題

排除・隔離によって始まった日本の精神科医療の根底には、精神障害者への偏見や差別意識がありました。それが精神科医療の「閉鎖性」を生じさせ、日本における精神科病院の収益構造と相まって、患者の入院長期化につながっていると考えられます。入院が長期化すると、家族や社会の関心がますます希薄化し、さらなる長期入院を引き起こし、受け皿不足もあって社会復帰がより困難になっていると言えるでしょう(図表3)。

図表3 長期入院と病床数の増加を生む日本の精神科医療の構造

根底となる「①偏見・差別意識」に関しては、特に日本人は周囲と違う行動をとる人に対して不寛容であるとの研究結果もあります*6。また、精神障害当事者の家族を抱えることで偏見や差別を受けたり、理不尽な思いを経験したりした人も約3割に上ります*7。こうした意識は、精神科病院の住宅地からの移転要請などにも表れ、簡単には地域への移行が進まず、「⑦退院困難」や「⑧受け皿不足」にも影響を及ぼしています。

「②隔離・閉鎖」という状況は、患者への虐待や暴行事件の温床にもなりやすく、精神科病院における暴行事件が相次いで明らかになっています。精神科病院に対する行政監査も書類の閲覧が主であり、実態の解明や改善に結びつきにくいとの声も上がっています。

「③精神科病院の収益構造」については、病床を埋めることで稼ぐ仕組みとなっている他、地域で診るよりも入院させた方が診療報酬点数が高く、地域移行を促進するにあたって主体となる事業者のインセンティブが働きにくいという実態があります。そのため、地域移行の「⑧受け皿不足」が解消されず、結果として精神病床が長期入院患者の受け皿にならざるを得ないという現状があります。

「④入院長期化」に関しては、改善が見られているのも事実です。近年の新規入院患者のうち、約9割は1年以内に退院しています*8。一方で、以前から長期入院している患者の退院はほとんど進んでいないのが実情です。国の調査によれば、このうち約7割の患者は精神状態が極めて重症、または合併症治療などが必要であるため退院が困難ですが、残りの約3割の患者については、居住場所や在宅サービスの支援体制が整備されれば退院可能とのことで*9、短期的にはこの3割に該当する患者をいかにして地域に移行するかが課題と言えるでしょう。現状では精神障害当事者の就労支援や地域における訪問診療体制、退院後の生活を送る場などの「⑧受け皿不足」が指摘されています(図表4)。

図表4 長期入院患者に関する退院可能性および退院困難な理由の調査

民間に担わせる形で増加した日本の精神病床数は、9割超を民間の医療機関が占めており、国や自治体が強制力を持って病床削減を主導することが難しい状況にあります*10。また、上述の課題やアプローチ方法に関しては、精神科医療に携わる関係者の中でも捉え方が異なっており、業界として必ずしも同じ方向を向いているわけではないことも日本の精神科医療における課題の1つと考えられます。

諸外国における動向

精神科医療の課題に対しては、諸外国も時間をかけて向き合っています。

  1. 偏見・差別意識への取り組み―教育制度の構築―
    欧米諸国では「誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会」である共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育が浸透しています。特にイタリアでは、保育園から大学まで保育・教育の全ての学校段階において障害のある人も特別学級ではなく、障害のない人と同様のクラスでの教育(インクルーシブ教育)が1970年代より保障されています*11。幼い頃から障害の有無に関わらず分け隔てなく接する環境や教育制度の構築が重要と言えるでしょう。
  2. 早期発見・治療による入院患者抑制の取り組み―早期介入の実現―
    精神疾患も早期の発見・治療がなされれば回復も早く、軽症で済むことが分かってきています。精神疾患を最も発病しやすいのは10~20代の若者と言われており、オーストラリアや英国では、重症化の防止や入院抑制の観点から、若年層における精神疾患の早期の発見・治療の実践が積極的に行われ、すでに成果をあげています*12。特にオーストラリア政府は、2020年時点で12歳から25歳までを対象としたメンタルヘルスの不調を含む多種多様な相談が可能なオフィスを国内全土に111カ所設けており、相談しやすい雰囲気を醸成することで敷居を低くし、積極的な早期介入を実現しています*13
  3. 病院から地域への移行―単科精神科病院の廃止―
    人権尊重を重視する欧米諸国では、1960年代より入院中心の医療から地域でケアを行う形への移行が進められています。中でもイタリアは単科の精神科病院を廃止し、合併症や外科的な処置が可能な総合病院の中で限定的な病床を有する以外は、地域の精神保健センターを中心とした在宅ケア体制を構築していることで知られています。精神保健センターでは、食事の場や居住の場が提供されている他、人間関係のネットワーク作りが支援されています*14、15
  4. 社会復帰支援の取り組み―社会との調整役の存在―
    スウェーデンでは、1995年から精神科の患者の代理人として活動するパーソナルオンブズマン(以下「PO」)制度が導入されています。POは自治体が雇用主となるものの、行政や病院、家族からも独立した立場にあり、精神障害当事者の自己選択と地域生活を支えるため、本人からの依頼に基づいて行政サービスや医療機関、地域社会とのつながりを形成するなどして、社会で暮らすための調整役を担っています*16

ここまで諸外国の例を見てきましたが、この全てが必ずしも上手くいっているわけではありません。WHOは精神科医療を地域社会に組織的に分散させることを長年推奨してきましたが、まだ道半ばの状態です。直近のレポートによれば、多くの国では研修実施やガバナンス面に進歩が見られるものの、早期介入や心理的・社会的ケアの充実には課題が残るとしています*17

これからの日本の精神科医療

では、これからの日本の精神科医療には何が求められているのでしょうか。

まず、課題の根底と考えられる私たちの「①偏見・差別意識」を変えていくことが必須であると言えるでしょう。日本におけるインクルーシブ教育は端緒についたばかりです。短期的には、地域移行に向け、精神科病院自体が既存の枠を超えて、地域住民への理解や関係者の受入意識を促進する取り組みを実施していくことが重要と考えられます。その中で、地域住民を交えての夏祭りやアートフェスタの開催、地域の方が気軽に立ち寄れるカフェの併設(就労支援を兼ねる)など、精神科病院の「②隔離・閉鎖」という状況を打破し、地域にオープンにするという取り組みが日本においても徐々に見られるようになってきています。

また、医療スタッフもより一層、病院から外に出て精神障害当事者およびその家族を支援していくことが求められるでしょう。このような動きを促進する仕掛けとして、日本でも「ACT(包括型地域生活支援プログラム)」と呼ばれるプログラムが実践され始めています。ACTは多職種(医師、看護師、作業療法士、就労支援の専門家など)から構成されるチームであり、利用者が希望する生活が実現できるよう、さまざまなサービスを提供しています*18。長期入院患者の地域への移行には、上記のような利用者や家族に対する粘り強い説得や、地域資源の掘り起こしといったソーシャルワークが極めて重要であると考えられます。

また、「③精神科病院の収益構造」を見直すためには、受け皿となる施設へのインセンティブ設計や、医療のみならず、生活支援や就労支援と一体化した報酬設計など、「精神病床の入院長期化を防ぐ仕組み化」が求められます。入院から地域への流れを本格的に進めるためには、入院に重点を置く既存の精神科医療に対する診療報酬体系の構造的な見直しが必須と言えるでしょう。

症状や要因が人それぞれである精神疾患と付き合いながら、社会生活を送ることは容易ではなく、患者家族には精神的・体力的にも追い詰められている方も少なくありません。こうした状況を最も理解していると考えられる精神科医療に携わってきた当事者も、真剣に精神科医療を変えていくためにできることを考え、実践することが求められます。

これからの精神科医療を変えていくためには、国、病院、スタッフ、そして地域に住む私たち一人ひとりの関心と行動が重要であり、精神科医療の未来は私たちの手に委ねられていると言えます。

参考資料:

*1:WHO “The World health report  2001 : Mental health : new understanding, new hope.”
https://apps.who.int/iris/bitstream/handle/10665/42390/WHR_2001.pdf?sequence=1&isAllowed=y

*2:厚生労働省「地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会」第10回資料
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_25546.html

*3:齋藤正彦(2020年).『都立松沢病院の挑戦』.岩波書店

*4:厚生労働省「精神保健福祉資料」令和4年度630調査結果
https://www.ncnp.go.jp/nimh/seisaku/data/630.html

*5:厚生労働省「精神保健医療福祉の改革ビジョン」
https://www.mhlw.go.jp/topics/2004/09/dl/tp0902-1a.pdf

*6:Gelfand MJ, Raver JL, Nishii L, Leslie LM, Lun J, Lim BC, et al. Differences between tight and loose cultures: A 33-nation study. Science. 2011; 332: 1100-1104.
https://www.researchgate.net/publication/51169484_Differences_Between_Tight_and_Loose_Cultures_A_33-Nation_Study

*7:公益社団法人全国精神保健福祉会連合会「精神障害当事者の家族に対する差別や偏見に関する実態把握全国調査」
https://seishinhoken.jp/files/medias__files/src/01e8qzrvk05dfx5ybqs05rbkyr.pdf

*8:厚生労働省「地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会」第4回資料
https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/000892236.pdf

*9:厚生労働省「精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築⽀援事業」
https://www.mhlw-houkatsucare-ikou.jp/pdf/22case01.pdf

*10:厚生労働省「医療施設調査」
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00450021&tstat=000001030908&cycle=7&tclass1=000001169866&tclass2=000001169867&tclass3val=0

*11:内閣府「平成22年度障害のある児童生徒の就学形態に関する国際比較調査報告書」
https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/tyosa/h22kokusai/2_3.html

*12:厚生労働省「e-ヘルスネット 生活習慣病予防のための健康情報サイト」
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-08-002.html

*13:内野敬(2020年).「オーストラリアにおける若年者に対する早期診断・支援・介入の軌跡」
https://medical-society-production-jseip.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/uploads/paper/pdf/63/5_1_2020_14.pdf

*14:小田晶彦(2018年).「イタリア精神科医療における脱施設化を考える」
https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1200080640.pdf

*15:大阪精神医療人権センター「イタリアにて~日本でもできると感じた理由~上野秀樹│人権センターニュースバックナンバー」
https://www.psy-jinken-osaka.org/archives/etic/2555/

*16:石田晋司(2003年).「スウェーデンにおける精神障害者支援から考える日本の精神障害者地域生活支援の在り方」
https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/19785504.pdf

*17:WHO(2021年).WHO report highlights global shortfall in investment in mental health
https://www.who.int/news/item/08-10-2021-who-report-highlights-global-shortfall-in-investment-in-mental-health

*18:厚生労働省:ACTガイド「包括型地域生活支援プログラム」
https://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/cyousajigyou/jiritsushien_project/seika/research_09/dl/result/07-02b.pdf

執筆者

小田原 正和

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

Email

碓井 麻理子

アソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

Email

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