医療データ分析による健康・長寿社会へのフォーカス

はじめに

人生100年時代の到来により「老後」と捉えられていた期間が延び、社会全体で人生の後半を健康に過ごすニーズが高まっています。健康を維持するためには、健康を損なう前段階での予防活動が重要とされており、政府はICT技術革新、医療データをフル活用することでこれらの課題に応える社会を目指しています。

一方で足元のコロナ禍においては、消費者間で保障に対する価値が再認識され、保険加入ニーズが増えていますが、生活・行動様式の変化により死因・婚姻数・出生数などに大きな変化が表れ始め、将来的な生活習慣病の悪化が懸念されています。

この現在進行中の大きな社会・経済の変化も踏まえ、民間保険会社が従来の保険事業において柔軟な商品・保障を提供し、従来の事業を超えて消費者のヘルスケアニーズに応える将来像が見えてきます。

本稿では、健康・長寿問題に関する現状と変化について解説し、主に生活習慣病予防に関し医療データ利活用の先にある保険の将来像について論じます。なお本稿における見解は著者個人の意見であり、PwCあらた有限責任監査法人および所属部署の正式見解でないことをあらかじめご承知おきください。

1 社会の変化と健康課題へのフォーカス

経済・社会課題の先進国として、我が国はさまざまな課題に直面し続けています。特に医療・保険分野では、高齢化、長寿化、それに伴う医療・介護費用の増加が止まらず、人生100年時代、長寿が当たり前の世の中で、いかに健康で元気に生きるかが国民的な関心事になっています。

この健康長寿の指標として使用される健康寿命とは「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」で定義されます。図表1ではその推移を示しています。

健康寿命の考え方をWHO(World Health Organization:世界保健機関)が2000年に提唱して以降、男性で8年、女性で12年程度、人生の終末期に不健康で過ごしています。これは高齢者の医療費増加の原因のひとつとして指摘されています。医療費を抑制するためには、不健康にならず、なったとしても重症化させない取り組みが肝要です。

次に、死因別に見た死亡者数を見てみます(図表2)。この図からもわかるとおり、がん(悪性新生物)が最大の死因となっています。一般に、がんは高齢になると罹患率が上昇することが知られています。がん以外では、心疾患、脳血管疾患等の生活習慣に起因するものが上位に並びます。

がんについては、罹患部位ごとにリスクファクターが異なることが知られていますが、いずれにせよ早期発見が治療の成功への鍵と言われ、現在早期発見に向けた医療技術の開発が進展しています。

一方、生活習慣病は高血圧症や脂質異常等が原因となって引き起こされます。悪化して病気と診断されるまでは自覚症状が現れず、自分の健康状態悪化を改善する機会がないことが問題視されています。また、一度悪化が定着すれば元の健康な状態に戻りづらい不可逆性も特徴的です。これらの特性から、健康に対する無関心な層にも未病の段階から関心を持ってもらい、病気へと進行させない予防活動はますます重要性を増しています。

昨年2020年から現在にかけて、新型コロナウイルス感染症の影響で人々の行動様式が変化したことから、人口動態、外部環境が変化しています。本稿執筆時点(2020年12月)における最新の統計*1では、2020年1月~10月の死亡総数は14,315人減(マイナス1.2%)、出生数は17,234人減(マイナス2.3%)等、人口動態への影響は大きく、例年の傾向とは大きく異なっています。

海外と比べ日本国内においては死亡者も少なく比較的新型コロナウイルスによる超過死亡率は低いと考えられているものの、高リスク者である高齢者や基礎疾患がある人にとっては合併症による死亡の影響は他国同様に高くなっています。また、新型コロナウイルス感染防止のために外出を控えることによる国民全体の健康状態は、生活習慣病者の病状悪化を潜在的にもたらしかねません。

健康課題は国民的な課題であり、公的医療保険機能を担う国民健康保険(以下、国保)・健康保険(以下、健保)組合等の公的保険者、および公的保険の補完機能を担う民間保険会社においても重大な関心事になっています。上述のとおり、コロナ禍中の現在、健康課題や人口動態は大きな構造的変化にさらされています。公的保険者においては一層の健康維持をどのように実施するか、民間保険会社においてはどのように保険引受リスクを管理すべきか、医療データ分析によって現状把握の精緻化が重要です。

2 医療データ分析――既存の医療ビッグデータ

上述した公的保険者および民間保険会社の課題解決に向け、複数の視点から医療データを分析する必要があります。図表3では、分析時に重要になるデータバイアス、追跡可能性、民間利用可能性の観点から現存するデータの種類別に特徴をまとめています。

表中、保有主体が国や地方公共団体である国民データと、民間データプロバイダが保有している民間データが存在しています。国保の保有するデータを一元化した、国民健康保険中央会の保有する介護に関するデータベース(以下、KDB)は本稿執筆時点では民間への第三者提供が行われていませんが、NDB、DPCデータは大学・一部民間企業での研究目的での利用が可能です。一方、民間健保レセプト等データや民間DPC/電子カルテ等の病院データは、対象が全国民の一部であり、利用目的の制限はあるものの、民間データプロバイダから購入利用が可能となっています。

国民データと比較すると、民間データはデータクレンジング済みであるため分析目的での活用が行いやすい反面、データの取得範囲が提携健保組合や提携病院からと限られています。このため、国民全体や民間保険の被保険者を母集団とする予測に用いる場合等、目的に応じて、群団性の違いによるバイアス(例えばhealthy worker bias等*2)に配慮が必要です。例えば、医療保険の保険料設定の際に、純保険料の十分性を予測する場合などがこれに当たります。

「健康日本21(第二次)(平成25年度~平成34年度)」の流れを受け、国は医療保険者に対して、データをもとにした保健事業の効率的・効果的な実施を促すため、データヘルス計画を設定することを義務づけています。医療保険者はその計画の中で、レセプト・健診データによる現状分析に基づくKPI設定、それによる予防・行動変容策の策定、継続的な改善策実施のためのPDCAサイクルを実行しています。

3 医療データ分析――保険者のアプローチ

1で述べた健康課題解決には、健康リスクの高い人およびその前段階の無関心層向けのアクセスが重要ですが、どのようなアプローチができるでしょうか。ここでは公的保険者のハイリスクアプローチについて紹介します。

政府は「データヘルス計画作成の手引き」の中で、公衆衛生学における集団のリスク削減手法として、集団全体のリスクを下げるポピュレーションアプローチと、リスクの高い人のリスクを抑えるハイリスクアプローチを組み合わせることを推奨しています。医療保険者の保有するレセプト・健診データと介護保険データを連携させて分析することで母集団の健康リスクを浮き彫りにし、上記のKPI設定とハイリスク者への有効なアプローチが可能になるのです(図表4)。

ハイリスクアプローチの例としては、糖尿病等で重症化の恐れのある被保険者への特定健診受診勧奨・特定保健指導等の行動変容を促す取り組み、およびかかりつけ医との連携等の施策が挙げられます。ハイリスクアプローチの実施においてはアウトカム(重症者の減少)へつながる施策が求められます。

これに関し、最新の分析手法を駆使した機械学習手法による疾患リスク予測モデルによって個人レベルでのハイリスク者への重点的・効率的な介入策を採ることが有効になり得ます。一方で、被保険者・患者がなぜリスクが高いのかの納得感を得るため、この予測モデルには、予測性能だけでなく説明能力が求められます。

4 医療データ分析――民間保険会社のアプローチ

民間保険会社各社ではどのようなアプローチを採っているのでしょうか。近年、民間健保のレセプト・健診データを含む医療データを活用した商品開発や、引受査定基準の拡大・見直しが積極的に行われています。図表5は生命保険各社による、近年の生命保険商品の開発状況を示しています。

この中でも特に、業界標準的な告知内容では保険に加入しづらい既往歴を持つ人のために、告知内容を一定程度簡素化した引受緩和型の医療保障や、生活習慣病保障を提供する商品、治療継続期間や支出実態に即した新商品が注目されています。このような消費者の重症化への心理的経済的負担軽減等のニーズに応えるため、民間健保データ等の医療データ分析による商品開発が行われているのです。

また、既往症まで到達していないが未病水準の人や、健康意識の高い消費者向けには、健康増進型保険と呼ばれる健康維持や予防に特化した商品が近年開発されています。日々の歩数によって保険料割引を与えるインセンティブとするタイプの商品や、健康診断結果をアップロードすることによって保険料を割り引く商品が開発されています。

商品開発はシステム開発費用がかさむ等の制約があり難しいという場合にも、引受査定基準の見直しを継続的に行うことで、既往症を持つ人向けの引受緩和型商品の開発に近い消費者ニーズに応えることが可能になります。伝統的に元受保険会社は自社の支払実績や再保険会社への出再経験をもとに引受査定基準の見直し(緩和)を行ってきました。自社の引受情報および支払実績では補足できない、謝絶した申込情報や引受経験が不十分な情報を医療データ分析によって補足することで、従来引受不可能であった人を引き受ける余地が生まれる可能性もあります。この領域では、今まで明らかになっていなかった情報の因果関係・相関調査に疾患リスク予測モデルを活用する動きも出てきています。

5 おわりに――データヘルス社会進展に向けて

厚生労働省が公開している「今後のデータヘルス改革の進め方について*3」内のデータヘルス分析においては、既存の医療・介護データベース(NDB/KDB/DPC)の連結解析、および公益目的での分析が目標として掲げられています。公的保険においては、PHR(Personal Health Record)の活用など患者個人の利便性向上と診療の効率化も伴いつつも、医療・介護データベースを活用した課題描出とさらなるアウトカム指標改善のための施策進展が見込まれます。

一方で民間保険会社においては、従来型の保障提供に加え、顧客の疾病予防を支援することで、より幅広いヘルスケアステージにおいて顧客と関わりを持つことが可能になるでしょう。民間保険会社は従来、保険加入後は住所変更等を除いて保険金・給付金の支払まで顧客接点が少ない点が課題とされていました。顧客との接点拡大、それに伴う顧客ニーズに沿ったサービス提供に向けて、利用可能なデータ獲得には、顧客の利便性向上などメリットをセットで提供することが肝要になります。保険会社の支払実績は図表3のデータベースとは異なる貴重なデータであり、国民データとの相乗効果を持つものと考えています。

図表6は生命保険協会が提示している生命保険会社の将来像です。このような将来を具現化するために、どのような段階を踏むべきでしょうか。筆者の私見ではありますが、大きく分けて2つの段階を踏むように考えています。第1ステップは自社内の有効活用されていないデータ(過去の引受査定情報等で十分活用されていない検査値の項目や投薬情報等)の活用です。これら項目の活用により、新しい引受査定方法の開発等さまざまなイノベーションが可能となります。

第2ステップとして、部門間で連携を行う体制・プラットフォームの構築です。大手民間保険会社ではDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進していますが、医療データのみならず種々のデータも活用すべきです。金融庁も規制当局としての立場から「基幹系システム・フロントランナー・サポートハブ*4」を設置し、この動きを支援しています。

上記の段階を踏むことでヘルスケアサービスへ活用される一方、同時に従来の保険事業にも大きな機会が生まれることが期待されます。例えば、従来近視眼的にサイロ型で行われてしまいがちな収益・リスク管理を、より全社的な部門横断の形へと高度化することが可能になるでしょう。また、自社の経験と外部の情報を用いた商品開発を想定した、データ獲得戦略が実行可能になるメリットも生まれます。

またデータプラットフォームを整備することにより、近年、発展・普及が著しい機械学習手法を活用する余地も生まれます。データサイエンティスト・アクチュアリーが鮮度の高い高品質なデータを利活用することにより、高性能の予測モデルの構築が可能になるでしょう。結果、具体的な疾患リスク削減への介入など、顧客体験を高める真に付加価値が高いサービス提供が可能になります。一方で、このような機械学習モデル、特にディープラーニング手法の活用に際しては、一般にモデル結果を解釈することが難しく、予測性能と説明力がトレードオフとなることが知られています。分析者として、結果に対するアカウンタビリティを発揮することが、データヘルス社会の進展には欠かせません。

筆者らは分析の専門家であるアクチュアリーとしての分析手法の深化にとどまらず、データ利活用に関する計画・知見を主体的に提供することで、時代の要請に応えて参ります。


*1 厚生労働省.2020.「人口動態統計速報(令和2年10月分)」
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/s2020/10.html

*2 Toshiki Fukasawa, Nanae Tanemura, Shinya Kimura, Hisashi Urushihara, 2020.“Utility of a Specific Health Checkup Database Containing Lifestyle Behaviors and Lifestyle Diseases for Employee Health Insurance in Japan,” Journal of Epidemiology , 2020, Volume 30 Issue 2, pp.57-66.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jea/30/2/30_JE20180192/_article

*3 厚生労働省,2019.「今後のデータヘルス改革の進め方について(概要)」
https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/000545973.pdf

*4 金融庁,2020.「基幹系システム・フロントランナー・サポートハブの設置について」
https://www.fsa.go.jp/news/r1/sonota/20200326.html


執筆者

鈴田 雅也

PwCあらた有限責任監査法人
第二金融部
パートナー 鈴田 雅也

板倉 兼介

PwCあらた有限責任監査法人
第二金融部
シニアマネージャー 板倉 兼介