金融機関における人権リスクの管理態勢高度化―人権リスク評価の実施について

2022-10-31

1. はじめに

人権リスクを巡る国内外の動向

日本政府は2022年9月13日に「責任あるサプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン(以下「ガイドライン」)」を発表し、金融機関をもとより、日本企業全般に求める対応や要件を明確化しました1。国連指導原則が示すとおり、企業には事業活動を行う主体として人権を尊重する責任があり、ガイドラインの発表は企業による国際スタンダードを踏まえた人権尊重の取り組みをより一層促進する契機となりました。今般のガイドラインには法的効力がないものの、十分な実効性を伴わない場合は、将来的に法制化される可能性も指摘されています。またクロスボーダーで活動する日本企業に対しては、各国・地域の人権法制への遵守が求められる可能性があります。違反した場合には企業ブランドのイメージ低下につながるだけでなく、各国法に基づいた罰則が課される場合があるため、事業を行う上で「ビジネスと人権の問題」は無視できない経営リスクであると言えます。したがって、国内企業においても人権尊重のための社内フレームワークを早急に整備し、対応することが望ましいと言えます。

金融機関における人権リスク管理高度化に向けて」で示したとおり、2011年の国連人権理事会において「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下「指導原則」)が支持されたことを機に、欧米諸国の企業を中心に人権尊重への取り組みや、それらに関する事項の開示義務を課す人権法制の整備が加速しています。2022年には米国のウイグル強制労働防止法などが新たに施行され、欧州ではEUコーポレートサステナビリティデューディリジェンス(CSDD)指令案が公表されました。

国内金融機関における対応の必要性

指導原則には、企業自らが直接的に引き起こしている人権侵害のみならず、負の影響を助長したり、直接関与したりしている(事業・製品・サービスと結びついている)人権侵害についても対応すべきと示されており、金融機関は投融資を通じて人権に負の影響へ及ぼす可能性があると言えます。金融機関のバリューチェーンには、投融資先、保険の引受先など多様な取引先が存在し、その業態・業種も非常に広範にわたるという特殊性があるため、自社にとって重要となる人権リスクを特定し、リスク評価をすることが非常に大切です。また、人権を取りまく状況は政治的・経済的・地政学的な影響を受けやすい動的なリスクとなり得るため、継続的かつ反復的に取り組むことが必要となります。本稿では、ガイドラインを踏まえた人権デューデリジェンスの全体像を整理した上で、金融機関における人権リスク評価の具体的な流れについて述べていきます。

2. 概要

(1)人権デューデリジェンスの全体像

今般のガイドラインは、指導原則の枠組に即して、企業における人権尊重の取り組みを「(1)人権方針を策定すること」「(2)人権デューデリジェンスを実施すること」「(3)救済メカニズムを設置すること」の3つの柱に分類しています(図表1)。

経済産業省と外務省の合同調査の結果によると、回答した東証一部・二部上場企業等760社の約7割が人権方針を策定していることが分かりました。その一方で、人権デューデリジェンスを実施している企業は5割程度に留まっています(2021年11年時点)2。人権デューデリジェンスを実施していない理由としては「実施方法がわからない」という回答が最多で、適切な手続きを実施するための助言を求めている企業が一定数生じていることが窺われます。

次項では、金融機関が人権デューデリジェンスのPDCAサイクルを回す上で、最初のステップとして求められる「負の影響の特定・評価」の具体的なプロセスについて焦点を当てていきます。

図表1:企業における人権尊重の取り組み 全体像

(2)金融機関における人権リスク評価の流れ

負の影響の特定

今般のガイドラインは、「多くの企業にとって、人的・経済的リソースの制約等を踏まえると、全ての取組を直ちに行うことは困難である」場合は、より深刻度の高い人権への負の影響から優先して取り組むべきであるとしています1。人権リスクにおける深刻度とは、リスクが顕在化した場合の「人」に対するリスクの深刻さを指しており、その範囲、規模、救済困難度によって判断されます。特に金融機関は調査対象範囲が多岐にわたるため、サプライチェーン上において起こり得る人権課題も広範となります。そのため、顧客ポートフォリオ全体の中で人権リスクが重大な領域を特定し、それに応じて優先順位を付けることがより有用になると言えます。したがって、自社の各事業活動で負の影響が生じ得る人権の種類を横断的に幅広く理解することが推奨され、より具体的に検討すべき人権リスクを整理することが求められます。またガイドラインでは、社内の専門家からの意見聴取や、従業員および投資家など各種ステークホルダーとのエンゲージメントを通じて人権リスクを洗い出すことや、各リスクの深刻度・発生確率に関するインプットを収集することが推奨されています1。優先的にデューデリジェンスを実施する取引先範囲の絞り込みをするにあたっては、重大となる人権リスクを踏まえながら、自社への影響(例:金銭的影響・戦略的影響・代替・解決難易度など)や人権リスクの蓋然性の観点などから行うことが有用となります(図表2)。

図表2:重要となる人権リスクの特定と 取引先の優先順位付け(例)

負の影響の評価

人権デューデリジェンスにおいてリスク評価を実施する際には、新規の見込み顧客のスクリーニングや、既存の取引先の定期的なレビューを、以下のとおり二階層のプロセス(1次・2次スクリーニング)に分けて取り組むことが推奨されます3

①1次スクリーニング

1次スクリーニングは広範囲であるため、既存の顧客評価プロセスに人権リスクを含めたES(環境・社会)評価を組み入れることが考えられます。顧客のKYC/CDD管理で示したとおり、欧米ではKYC(顧客確認)の一環として、ESGのアセスメントを同時に実施する先進的な金融機関もみられます。また、RPA(Robotic Process Automation)やテキストマイニングなどのテクノロジーを活用したスクリーニングの自動化や、ESGリスク評価を包含したKYCプロセスの外部委託などを通じて、1次スクリーニングのプロセスを効率化しています。

企業は直接契約関係にある1次サプライヤーだけでなく、サプライチェーン全体をアセスメント対象とする必要があるため、優先順位に即して評価指標をある程度絞って1次スクリーニングを実施していくことが推奨されます。また、人権リスクが高いと判断された場合には、追加で人権アセスメントを実施することや、取引先として除外するかどうかの判断を迅速に行うことが重要になります。自社の人権リスク評価スキームに沿った形で1次スクリーニングを実施するためには、前項(負の影響の特定)で示した、重要となる人権リスクを事前に特定しておくことがポイントとなります。

②2次スクリーニング(高度な人権アセスメント)

1次スクリーニングを通じてリスクが高いと判断された企業がある場合や、各企業のセクターポリシーにおいて高リスクと規定されている事業分野・地域に抵触した場合は、より高度な人権アセスメントを実施する必要があります。このプロセスにおいて重要となる点は、「(1)多様な情報ソースを用いた人権リスク評価を実施すること」と、「(2)特定の事業・地域ごとに評価項目をカスタマイズすること」です(図表3)。本ステップはESリスクの専門チームが実施することが望ましく、NGOや市民社会団体などから情報を追加で収集することや、時には顧客とのエンゲージメントを通じて得た情報を活用することが効果的であると言えます。

図表 3

3. おわりに

日本政府からガイドラインが発表された今、自社およびサプライチェーン全体における人権リスクを網羅的に検討し、あらゆるステークホルダーからのインプットをもとに重要な人権リスクを特定することが求められています。人権リスク評価の結果、負の影響が高いと判断された取引先に対しては、取引を停止することも選択肢の1つですが、その運用について金融機関は特に注意すべきだと考えます。負の影響を解消する手段としてビジネス上の取引を直ちに停止することは、投融資を実行する金融機関としての「優越的地位の濫用」につながる可能性があるとともに、(取引先の従業員の解雇などにより)負の影響がさらに深刻になる可能性があります。そのため、取引停止は最後の手段として検討し、適切と考えられる場合に限って実施されるべきとの考え方が提示されています。

昨今の国際的な議論では、環境・社会問題を重視する政治的要請の高まりや地政学的環境の変化の影響を受け、気候変動などの環境面(E)と、人権侵害などの社会面(S)のリスクを一体のものとして考えるケースが増えています。私たちは、金融機関がESGを重視する経営を推進するにあたっては、ESリスク管理を包括的に行うことのできる体制を構築していくことが望ましいと考えています。

PwCは、海外で先進的な取り組みを行っている金融機関や、グローバルに活動するメーカーなどへの支援実績を豊富に有しており、それらを通じて得られた知見を活用することで、さまざまな領域において金融機関の人権リスク管理高度化を支援しています。

【PwCの提供価値】

  • 人権デューデリジェンスに係る国際基準の把握、プロセスデザインのアドバイス
  • 主要国の法令・規制遵守への対応
  • 人権リスク分野における国内外の最新動向のアドバイス
  • 対応が求められる重要リスクの洗い出し
  • 金融機関のプロセス・システム・データを勘案した具体的な人権リスク管理手法の提示
  • PwC海外オフィスにおいてESG要素を組み入れたKYC業務委託を実施中。グローバルネットワークにおける知見および支援経験による具体的な実務プロセスの提案

1 経済産業省, 2022.「責任あるサプライチェーン等における 人権尊重のためのガイドライン」

2 経済産業省, 2021.「『日本企業のサプライチェーンにおける人権に 関する取組状況のアンケート調査』 集計結果」

3 OECD, 2019. 「責任ある企業融資と証券引受のためのデュー・ディリジェンス」

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執筆者

三尾 仁志

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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水野 誠

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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星川 コーディー

シニアアソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

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