企業サステナビリティ報告指令(CSRD)は、欧州連合(EU)におけるサステナビリティ報告を強化し、投資家や経営層、その他サステナビリティ報告書の利用者に比較可能で信頼性の高い情報を提供することを目的としています。PwCは、2025年からCSRDに基づく報告が始まったNFRD(非財務情報報告指令)の対象企業250社のCSRDに基づくサステナビリティ報告書を分析しました。本レポートでは、企業がダブルマテリアリティに基づいて識別したインパクト・リスク・機会(IRO)のトピックや、それをどのように評価しているかが業界別に整理されています。さらに、スコープ3を含む気候変動関連の開示や保証に関する洞察も示しています。
いわゆるオムニバス提案の議論は行われているものの、EUに一定規模以上の拠点を持つ日本企業も、適用条件を満たせばCSRDに基づく情報開示が求められます。本レポートが、日本企業がCSRDに対する理解を深め、業界のベストプラクティスを知り、高品質のサステナビリティ報告を行う一助になれば幸いです。
本コンテンツは、In search of sustainable value: The CSRD journey beginsを翻訳したものです。翻訳には正確を期しておりますが、英語版と解釈の相違がある場合は、英語版に依拠してください。
2025年2月から徐々に始まっていた動きが、確かな流れに変わりました。EU域内に拠点を置く、または上場している数百の企業により、CSRDに基づくサステナビリティ報告書の公表が進んだためです。CSRDが企業による報告の形式を変えるものにとどまらず、行動の変化を促す試みであることに鑑みると、これは大きな意味を持ちます。CSRDは企業に対して、サステナビリティの幅広いトピックに照らしてリスクと機会を評価することに加え、社会や環境に対する自社のインパクトを徹底的に分析し、開示することを求めています。つまり、企業による価値の創造と価値の保全が問われているのです。
CSRD報告は、経営層の全員が注意を払うべきものであると私たちが考えるのはこのためです。投資家は間違いなく注目するでしょう。PwCが実施した「グローバル投資家意識調査2024」によれば、70%以上の投資家が、企業はサステナビリティを企業戦略に直接組み込むべきだと回答しています。また、報告に関するルールは流動的であるものの、「ダブルマテリアリティ」などの基本原則が変わることはないでしょう(最近提案された変更点を含め、CSRDの詳細については、下記「CSRDについて」を参照してください)。
初期段階である今、経営層、投資家、その他のサステナビリティ報告書の利用者は、次の3つの問いに高い関心を寄せています。
この答えを見つけるために、私たちはAIを活用したツールとPwCの専門家の知見を組み合わせて、公開されている250社のCSRD報告書を調査しました。調査した企業の70%以上が欧州5カ国の企業であり、その中でもドイツ、スペイン、オランダの3カ国はまだCSRDを国内法化していません。言い換えれば、この3カ国の企業は、CSRDを受けた法的な報告義務は負っていないにもかかわらず、報告することを選択したということです。おそらく、高品質のサステナビリティ報告は、事業全体にわたって、より効果的で情報に基づいた意思決定を行うための基盤であるという考えを支持しているのだと考えられます。
調査を進める中で、多くの企業が新しい報告体制を理解しようと努めている途中であることが明らかになりました。例えば、インパクト、リスク、機会の開示が10未満であった企業もあれば、120を超える開示をしている企業もあります。もちろん、IROの数が多ければ優れたサステナビリティ報告書であるとは限りません。企業の事業範囲や複雑さに応じて当然、差異はあるでしょう。しかし、企業が基準に沿った報告の経験を重ねるうちに、ベストプラクティスが明確になり、ステークホルダーの意見も反映されていけば、今後数年間でより一貫性のある開示が見られると予想しています。
新たな報告体制の基盤であるESRSでは、10のトピック別基準を設けて、環境、社会、ガバナンスの個別トピックがカバーされるようになっています。私たちが調査した報告書において、含まれている頻度が特に高いトピックは、予想どおり、「気候変動」、「自社の労働者」、および「企業の行動倫理」でした。ほぼ全ての企業が、それぞれに対して少なくとも1つは、インパクト、リスクまたは機会を開示していました。
「気候変動」関連の開示を行わなかった企業は2社のみでした(サービス業1社とソフトウェア会社1社)。この2社は、ESRSで求められているように、気候がマテリアリティの基準を満たさず、自社やステークホルダーにとってインパクト、リスク、機会のいずれにも該当しない正当な理由を説明していました。
開示の割合が低かったトピックは、「生物多様性および生態系」(46%)、「汚染」(42%)、「水および海洋資源」(36%)、「影響を受けるコミュニティ」(31%)でした。この結果は、PwCの「グローバルCSRD対応実態調査2024(Global CSRD Survey 2024)」において、経営層に自社の報告スコープに入ると予想されるトピックについて尋ねた質問への回答結果と合致しました。
トピック別の集計値からは、業種によるパターンの違いが明確に見えてきました。例えば、テクノロジー・メディア・通信(TMT)では、「生物多様性および生態系」(9%)、「水および海洋資源」(9%)、「汚染」(0%)に関連する開示を報告に含めた企業はごく一部に過ぎません。対照的に、産業・サービスでは、約半数の企業が、この3トピックのそれぞれに対して、少なくとも1つはインパクト、リスクまたは機会を開示していました。
ESRSで定義されたサステナビリティのサブトピックとサブ-サブトピックまで掘り下げてみると、消費者市場(61%)、エネルギー・ユーティリティ・資源(57%)、産業・サービス(53%)では、過半数の企業が「自社の労働者」の「健康と安全」に関して開示していました。一方、金融サービスでは、10社のうち1社にも満たない(9%)という結果でした。
TMT企業が「汚染」について開示しているケースや、金融サービス企業が労働者の「健康と安全」について開示しているという例外的なケースはどうでしょうか。こうした例外的な開示は、通常とは異なるビジネスモデルや報告基準の特異な解釈、または他の企業が気づかなかった重要な問題を鋭く識別していること示している可能性があるのでしょうか。競合企業のCSRD報告書を読むことは、企業のアプローチにおける違いを理解し、新しい基準の中で、同業他社がどのように事業を運営しているのかを知るための参考になるでしょう。
CSRDは、企業に対して、短期、中期、長期のリスクと機会の観点から、サステナビリティが財務パフォーマンスに与える影響を開示することを求めています。これは、多くの経営層や投資家にとって、新しい報告体制の核心部分と言えます。つまり、サステナビリティ報告において、価値保全と価値創造が直接語られる部分です。
単純計算すると、ほとんどの企業がサステナビリティ関連のマテリアルな機会よりもリスクの方が多いとみています。これは、トピックによっては特に驚くべきことではありません。例えば、企業が直面している気候変動やエネルギー移行に関する差し迫ったリスクの数々を考えれば、当然とも言えます。
一方で、さまざまな業種の企業が、気候変動に呼応して変化する顧客のニーズや好み、環境問題や社会問題への意識の高まり、新技術の登場などの動向から生じる価値創造の機会についても、開示を行っていました。この流れを踏まえると、CSRD報告書において、機会の開示がないケースが大企業でも複数あったことは意外でした。
CSRDの適用対象となる企業は、自社の事業活動だけでなく、より広範な自社のバリューチェーンも考慮して、人や環境に実際に与えている、または与える可能性のあるインパクトを開示する必要があります。このインパクトには、ポジティブなものもネガティブなものも含まれます。今回調査した250社のサステナビリティ報告書では、ポジティブインパクトよりもネガティブインパクトの方が47%多くなりました。業種全体の中で、総じてポジティブインパクトの開示が多いのは金融サービスの企業のみでした。
しかし、機会という観点からすると、一部の大企業のCSRD報告書でポジティブインパクトがまったく開示されていなかったことは驚きでした。この傾向は、企業がCSRDの開示経験を積んで自信を深めていくことで、おそらく変わっていくだろうと私たちは予想しています。
また、多くの企業が、人や環境に与える自社のインパクトを開示しながら、自社事業に関連するリスクや機会に言及していない点も注目されます。例えば、「企業の行動倫理」(企業文化、ロビー活動、内部通報者保護などを含む)に関連するインパクトや「気候変動」に関するインパクトの中で、リスクや機会に言及していないものは、前者が300を超え、後者が180ありました。このような企業が国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)のサステナビリティ報告フレームワークに沿った報告も行っている場合、ISSB報告とESRS報告に差異が生じる可能性があります。ISSB基準では、リスクと機会に関する情報開示が必須の報告要件です。従って、例えばある企業が気候関連のインパクトを識別していても、まだリスクや機会を識別していない状況であるならば、ISSB報告には気候変動に関する情報が含まれないことも考えられます。
前述のとおり、サンプル企業のほぼ全てが気候変動関連のインパクト、リスク、機会を開示していました。また、ほぼ全ての企業が機会よりもリスクを多く開示しており、この傾向は業種を問わず一貫していました。
70%近くの企業が温室効果ガス(GHG)排出量の削減目標を開示していますが、エネルギー・ユーティリティ・資源セクターと産業・サービスセクターでは、削減目標を開示している企業は半数程度にとどまっています。
同様に、分析した全企業の約4分の3が気候移行計画について言及していますが、その割合は金融サービスセクターで低くなっています。金融サービスセクターの企業からは、気候移行計画をまだ策定中であるという共通のメッセージが読み取れました。金融サービスセクターの企業の多くは、気候変動に関連する開示において、スコープ3排出量(投融資に伴うGHG排出量を含む)を削減するための取り組みに重点を置いていることが見られました。
全業種のスコープ3開示を見ると、ほとんどの企業が「出張」、「燃料およびエネルギー関連活動」、「購入した製品・サービス」に関連する開示を報告に含めていることが分かります。これらの共通のカテゴリーを除くと、明確なパターンが見えてきます。例えば、金融サービス企業の約4分の3が投資関連の開示、特に「ファイナンスドエミッション」の開示を行っていましたが、ヘルスケア産業では、この開示を行っている企業は15%に過ぎませんでした。
企業は、ESRSの10のトピック別報告基準のいずれでも十分にカバーされていないマテリアルなインパクト、リスク、機会があると認識した場合、企業独自の情報開示を行う義務があります。
調査した報告書では、5社に1社(20%)がサイバーセキュリティとデータプライバシーに関して独自の情報開示を行っていました。この実態は、投資家がサイバーセキュリティなどのトピックに対して高い関心を持っていることを考えれば理解できます。PwCが実施した最新のグローバル調査では、約3分の1(36%)の投資家が、今後1年で企業がサイバーリスクに非常に強く、あるいは極めて強くさらされると回答しています。
AIに関連する情報開示を行った企業は少数(2%)で、ほとんどが「責任あるAI」の取り組みを強調し、AIを事業にとっての機会、またはより広範な社会にポジティブインパクトをもたらすものとして報告に含めていました。AIをリスクとして、あるいは社会にネガティブインパクトを及ぼす可能性があるとして強調した企業は2社でした。
イノベーションは、一部の企業(8%)がポジティブインパクトや事業にとっての機会として開示しているトピックでした。イノベーションによって製品がよりサステナブルになることを強調する企業や、研究開発への投資の継続から生じる社会へのポジティブインパクトについて述べる企業もありました。
約5%の企業が税務関連の情報を報告に含めていました。この情報を、「企業の行動倫理」の報告基準に従ったガバナンス事項としていた企業があれば、企業独自の情報開示として報告した企業もありました。税務関連の開示内容は、企業の税務方針や税務ガバナンスに関する定性的な記述、企業の税負担総額の定量的な内訳といったトピックが含まれています。
ここで留意すべき点として、税の透明性を進めるEUのイニシアチブにより、多くの欧州企業に対して2026年からPublic Country-by-Country Tax Reporting(国別税務報告の開示制度)が義務付けられることがあります。これを考慮すると、一部の企業がサステナビリティ報告書に国別の情報を含めることで早めに対応しようとしていると理解できます。
CSRDは、サステナビリティ報告書に対して独立した第三者による限定的保証を求めています。保証水準をさらに引き上げ、特定の情報のサブセットに対して合理的保証(投資家が財務報告書に求める保証水準)を選択する企業もあります。合理的保証を任意で適用する際の対象として一般的なのは、「GHG排出量」や「自社の労働者」のデータです。今回のサンプルでは、サステナビリティ報告書全体に合理的保証を選択した企業が1社ありました。
調査したCSRD報告書の中で、保証業務実施者が限定付結論を表明したものはごく一部でした。しかし、多くの報告書には「強調事項(Emphasis of Matter)」区分、「その他の事項(Other Matter)」区分、「固有の限界(Inherent Limitation)」区分が記載されており、保証業務実施者は、特定の定量的指標に関する測定の不確実性が高いこと、サステナビリティ情報を企業間で経時的に比較することが困難であること、ダブルマテリアリティ評価のプロセスといった問題に注意を喚起していました。
本稿で紹介したデータと見解は、当然ながら、あくまで概要です。報告書そのものを詳しく読むことで、豊富な詳細情報やインサイトが得られます。また、CSRD適用対象の企業の中には、サステナビリティ報告を始めたばかりの企業が多い一方で、既に何年も経験を積んできた企業があることも分かります。
現在はまだCSRDの草創期です。CSRDの成功を測る最終的な尺度は、サステナビリティ報告書の利用者(必ずしも投資家とは限りません)が、それを有益であると感じるかどうかです。さらには、企業のリーダーが報告プロセスから得たデータをどう活用してより良い意思決定を行うか、例えば、新製品やサービスの開発、エネルギー利用効率の向上、サプライチェーンの再編、税務計画などにデータをどう活用するかにあります。
最後に、開示が進展する可能性が見える1つのデータを紹介します。サンプル企業の80%が、年次報告書のリスク要因のセクションにおいて、財務リスクやオペレーショナルリスクに加え、サステナビリティ関連リスクにも言及していました。このデータは、リスクやリターン、価値創造に関する主流の議論の中に、サステナビリティがますます組み込まれている傾向を示唆しています。質の高いCSRDに基づく報告が、この傾向をさらに加速させることは間違いありません。