自転車交通とヘルスケア

2020-07-28

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行に伴う緊急事態宣言が5月25日に全国的に解除されました。PwC Japanグループでは7月以降も引き続きリモートワークが原則となっていますが、会社の方針に依らず、過去と同じ働き方・生活スタイルには「もう戻れない・戻るべきではない」と感じている人が多いことでしょう。本稿では、COVID-19によって多くの人がその意義・価値を再考することとなった「通勤」にも関連する「自転車交通とヘルスケア」という観点で、住民の満足度を高めつつ、健康管理も促進できる日本の都市のあり方を考えます。

魅力的なまちづくりに向けた自転車交通の推進は世界の潮流で、欧州諸国や中国でシェア自転車の活用が進んでいることはよく知られています。日本でも2018年に「自転車活用推進計画」を政府が閣議決定し、地方自治体は地域の実情に応じた「地方版自転車活用推進計画」を策定しています1)

世界的な自転車交通の推進の背景には、自転車交通の持つ多くのメリットがあります。自転車交通は、バスや路面電車といった公共交通の維持管理と比較して財源の負担が軽く済み、自動車交通と比較して都市空間の節約につながる上に温室効果ガスも排出しません。また、車の安全な運転が難しい高齢者が増える高齢化社会への対処にもなります。このため、先進的なまちづくりを実現している欧州の多くの都市では、自動車や公共交通よりも自転車交通の推進を優先しています。

もちろん、この前提として、日常生活における移動の目的地が自転車で到達できる範囲内に整備されていることが必要です。実際、ドイツのフライブルク市などでは、住民の移動が近距離で完結するまちづくりが実現されているほか、フランスのパリ市長は2020年1月、「2024年までに、誰もが車なしでも15分で仕事、学校、買い物、公園、そしてあらゆるまちの機能にアクセスできる都市を目指す」と宣言しました。

このように、自転車交通には多くのメリットがありますが、見逃せないのが市民の健康増進効果です。WHO(世界保健機関)の欧州事務局が2000年に発表した内容によると、自転車や歩行による定期的な運動は冠動脈性心疾患、成人のII型糖尿病、肥満症のリスクを50%程度、高血圧症のリスクを30%低下させるほか、骨粗しょう症などのリスクを大幅に低下させる効果があるとされています2)。この点でも、高齢化に伴う社会保障費の急増を抑えたい日本にとって自転車交通の推進は大きな意義を持ちます。

PwCでは、スマートシティを単なるまちの「形」ではなく、「社会課題を解決する『仕組み』を有し、新たなテクノロジーを活用して、継続的に住民満足度を高めるまち」と定義しています。自治体や住民にとってさまざまなメリットを持つ自転車交通は、こうした社会課題解決の「仕組み」の1つとして重要な役割を果たすと言えるでしょう。しかし、残念ながら日本の道路は自転車交通に優しいとは言えません。日本のほとんどの道路において、自転車通行空間は車道と構造的に分離されていないためです3)。筆者は一時期ドイツに住んでいましたが、ドイツでは自転車専用レーンが整備されていることが多く、すぐ脇を通り抜ける自動車に恐怖を感じる場面はありませんでした。一方、日本では、交通状況を踏まえた整備形態の選定について「自転車通行空間整備の基本方針」が定められているものの、自転車専用交通帯の設置といった「完成形態」まで整備が完了している道路は少なく、多くの道路は当面は整備が困難な「暫定形態」となっています。

こうした事態の打開に向けては、「脱自動車」の発想が必要です。上述のドイツのフライブルク市は、1970年代から旧市街地への自動車進入制限を行っています。自転車交通の推進といった政策は行政主体で進められるものと考えがちですが、こうした政策の元になるのは市民の意識です。そして、市民の意識を変革させるには企業の果たす役割も大きいと言えます。例えば横浜市は「健康寿命日本一」を目指し、複数の民間企業と提携して「よこはまウォーキングポイント事業」4)を2014年から展開しています。市民の健康が増進されれば自治体は医療費を削減できますし、企業側は健康増進に貢献する製品の単品売りだけではなく、IoTを活用することで製品を使用する住民の健康データの変化に関する情報を入手し、新たなエビデンスの創出やソリューションビジネスにつなげることも考えられます。この事例ではウォーキングですが、サイクリングでも新たな取り組みは考えられるかもしれません。

都市が抱える問題は複雑であり、かつ問題の根本となる課題は日常生活では空気のように見えないことが多いでしょう。しかし、都市の課題には市民一人ひとりが日常生活を通じて考察できるものも存在します。「ローマは一日にしてならず」の言葉の通り、一人ひとりが理想とするまちに向けて声を上げ、行動を起こすことが、魅力的なまちづくりには必要です。

※詳しくは「2050年 日本の都市の未来を再創造するスマートシティ」レポートをご覧ください。

  1. 自転車活用推進計画(国土交通省
  2. Transport, environment and health / edited by Carlos Dora and Margaret Phillips(WHO regional publications. European series ; No. 89)[English][PDF 1,270KB]
  3. 国土交通省の2019年の調査[PDF 158KB]によると、歩行者と分離された自転車通行空間の合計2,260kmのうち2,020km、実に約90%の自転車通行空間は車道とは構造的に分離されていない
  4. よこはまウォーキングポイント(横浜市

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