世界のサイバーセキュリティを支えてきた「当たり前」は今、次々と失われつつあります。
脆弱性情報を共有する国際基盤は停止の危機にひんし、国・地域間の国境を越えるデータ移転には厳しい規制が課されています。さらに、国際的な法執行協力は停滞、あるいは制約が強まり、企業が対応すべき法令・ガイドラインは2020年から2025年にかけて10倍に急増しました(図表1)。こうした変化は、企業の防御体制に重い負担を課しています。攻撃者に有利な環境が広がる中、企業は何を守り、どう備えるべきでしょうか。本章では、日本企業を取り巻く変化の実態を整理します。
図表1:海外展開する日本企業が対応すべきデジタル法規制の動向
出所:各国・地域の公的情報を基にPwC作成
現在、世界各国で保護主義的な政策が強まり、データや技術の流通が国・地域ごとに分断されつつあります。
関税の引き上げ、特定産業への補助金や税制優遇、安全保障を名目とした技術輸出の制限といった現実の政策動向を見れば、その兆候は明らかです。半導体や人工知能(AI)、暗号技術といった軍民両用(デュアルユース)を含む安全保障への影響が大きい領域では規制が急速に強化され、企業の上場や政府調達にも制限が及んでいます。例えば米国は、対中半導体輸出規制の強化に加え、量子コンピューティング、AI、半導体分野への対外投資を制限する規則を2025年に施行しました。EUにおいても、5G通信網からの高リスクベンダー製品の排除や、AI規制法(AI Act)による先端技術の管理強化が進んでいます。中国もまた、データセキュリティ法や反外国制裁法を整備し、半導体材料(ガリウム・ゲルマニウム)の輸出管理を強化するなど、技術・データ両面での統制を強めています。
経済や政治の分野で進む保護主義の拡大は、サイバーセキュリティにも深刻な影響を及ぼしています。保護主義の具体例として、関税の引き上げ、輸出入制限、国内産品の優遇や補助金などが挙げられます。対して自由主義は、貿易障壁の撤廃やビザ緩和、人材交流の促進といった、より活発な貿易を促進する政策です。
近年、この構図はデジタル分野にも拡大し、「デジタル保護主義」と呼ばれる潮流が強まっています。データの国外移転を制限するデータローカライゼーションや国産クラウドサービスの利用促進といった取り組みが、その典型例です。
以上のような経済政策の軸に加え、国際秩序を理解する上でもう1つ重要なのが、政治体制をめぐる「民主主義」と「権威主義」の軸です(図表2)。民主主義国家では国民の代表者が選挙で選ばれ、国民の権利を尊重した国家運営が行われます。一方、権威主義国家では権力が一部の指導者や政府に集中し、国の統一や秩序がより優先されると言われます。この体制の違いは、サイバー空間の統治思想にも大きな影響を与えています。伝統的な国際秩序においては、国家が領域内の事柄を排他的に統治する「国家主権」の概念が基礎にありますが、サイバー空間ではその適用範囲をめぐって考え方が分かれています。インターネットはもともと米国の軍事機関の資金で研究された技術から発展し、西側諸国を中心に「自由で相互接続されたオープンな空間」という理念のもと各国政府に限らない産業界・学術界などのコミュニティが議論に参加する「マルチステークホルダー主義」が重視されてきました。
図表2:権威主義と民主主義
出所:公的情報を基にPwC作成
一方で、権威主義国家は「サイバー主権」を掲げています。これは、物理的な国境と同様にサイバー空間にも国家主権が及び、政府が自国内のインターネットを制御・規制できるとする考え方です。この立場からは、国連などの政府間枠組みを通じて、国家を主体とした国際的なルール形成によりインターネットガバナンスを構築しようとする「マルチラテラル主義」が重視される傾向にあります。民主主義国家も国連での議論に参加しています。ただし、サイバー空間における国家主権の考え方や、国際法の適用、統治主体のあり方に関する立場は異なります。
この対立構造は、国際社会でも表面化しています。2022年2月、中国とロシアは北京冬季五輪の開幕に合わせて共同声明を発表し、各国が自らの主権のもとでサイバー空間を管理すべきだとする「サイバー主権」の立場を鮮明にしました。これに対し、同年4月には米国や日本、欧州諸国など約60カ国・地域が「未来のインターネットに関する宣言」に賛同し、インターネットを「自由で開かれ、相互接続され、信頼できるもの」として維持する姿勢を示しました。この宣言では、検閲や遮断への反対とともに、多様な主体が関与するマルチステークホルダー主義への支持が明確に打ち出されています。
ただし、こうした明確な対立軸だけでは、現在の国際環境の複雑さを十分に説明できません。実際の国際情勢は、単純な二項対立で説明できるものではないからです。経済分野の保護主義と自由主義、政治体制の権威主義と民主主義、さらには大国間の米中対立といった複数の軸が複雑に絡み合い、相互に影響し合いながら形成されています。中でも近年顕著なのは、デジタル化を契機として、保護主義・権威主義的な動きが世界的に広がっていることです。こうした傾向は、権威主義国家に限らず見られるようになっています。
さらにデジタル領域では、規制のあり方がより複雑化しています。各国では個人情報保護や越境データ移転の制限、データローカライゼーションの強化が進められています。表向きは国民の権利保護を目的としていても、実際には安全保障のための手段として利用されるケースもあります。こうした動きは、特定の政治体制に限らず各国に広がっており、結果としてデータや技術をめぐる新たな「見えない国境」を生み出しています。
保護主義的な動きは、確実にデジタルの領域へと波及しています。
その典型が、「データローカライゼーション」です。EU、米国、中国などの主要経済圏では、プライバシー保護を掲げた法制度が相次いで整備されてきました。その結果、データを域外に移転するには厳格な手続きと審査を要するようになり、かつて自由だった情報流通は例外的な運用に変わりつつあります。データの移転コストが上昇し、国や地域ごとの制度差が企業活動の新たな制約となっているのです。
同時に、情報統制の動きも顕在化しています。日本では、インターネットは誰もが利用できる「開かれた空間」と捉えられがちですが、世界では必ずしもそうではありません。中国では「グレート・ファイアウォール」という国家によるインターネット検閲・遮断システムが存在することが知られており、2025年8月に中国本土で発生した大規模な通信遮断との関連でも注目を集めました。ロシアでも2022年以降、インターネット通信に対する規制の強化が報告されており、接続の不安定さも指摘されています。
さらにSNSの利用制限は、権威主義国家だけの現象ではありません。先進的な民主主義国家においても、プラットフォーム規制や情報発信の統制をめぐる動きが広がりつつあります。
地政学的な構造変化は、企業のリスク認識を大きく変えています。PwC Japanグループが2025年6月に実施した「企業の地政学リスク対応実態調査 2025」でも、その傾向が明確に示されました(図表3)。
図表3:企業の地政学リスク対応実態調査2025
出所:PwC Japanグループ 企業の地政学リスク対応実態調査 2025
調査では、海外事業を展開する企業に「現在、最も懸念する地政学リスクは何か」を尋ねています。2024年調査では「ロシア・中国・北朝鮮などによるサイバーアタック/サイバーテロ」が首位でしたが、2025年調査では上位から順位を下げました。代わって上位を占めたのは、「保護主義的政策」(43%)、「米中対立」(39%)、「第2次トランプ政権の政権運営」(28%)です。企業の関心は、サイバー攻撃そのものから、国家間の対立や政策の不確実性へと明確にシフトしているのです。
こうした国際環境の変化は、サイバーセキュリティにも深刻な影響を及ぼしています。
保護主義や権威主義が進行すると、ある傾向が生まれます。それは「サイバー活動によって失われたものを取り戻そうとする誘惑」です。こうした流れを後押ししている要因は3つあります。まず、保護主義政策の強化です。データローカライゼーションや輸出・買収規制の拡大により、技術やデータを合法的に取得することが難しくなりました。その結果、非合法な手段に頼る動きが増えています。
次に挙げられるのが、権威主義国家のサイバー能力の高度化です。国内の監視や検閲を進める過程で、情報操作や他国への影響工作を担う専門機関が発展し、国家レベルの攻撃能力が高まっています。
そして、国際協力の停滞です。先述したとおり法制度や主権の壁が協力を難しくし、結果として攻撃が実行しやすい環境を生んでいるのです。
PwCが世界規模で追跡しているデータでも、この傾向が明確に表れています。2026年8月時点で把握されている脅威アクター(サイバー攻撃グループ)は619に上り、それぞれの拠点や標的となる産業を詳細に分析しています。
国際協力が難しくなる一方で、攻撃者にとってはより行動しやすい環境が広がっています。こうした状況の中で、企業は自らの力で防御を強化しなければなりません。
次章からは、このような環境下、サイバーセキュリティ領域で企業が特に注視すべき事項と企業対応の要諦を多面的に解説します。
日本企業がDXを推進し、ビジネスを持続的に成長させていくためには、デジタル時代において必要とされる信頼、すなわち「デジタルトラスト」の構築が求められています。PwCは、サイバーセキュリティ、プライバシー、データの安全性、信頼性などさまざまな観点から、クライアントのデジタルトラスト構築を支援します。
PwCは、企業のITシステム、OTシステム、IoTの領域におけるサイバーセキュリティ対策を支援します。高度なサイバー攻撃の検知、インシデントが発生した際の迅速な事故対応や被害の最小化、再発防止から対策の抜本的見直しまでさまざまなアプローチを通じ、最適なサイバーセキュリティ対策を実行します。
PwCは、実在する攻撃者の戦術やテクニック、手順を想定した攻撃をクライアント企業に対して実際に行い、脆弱性の洗い出しやレジリエンス能力の評価を実施します。
PwCは、クライアントのプライバシーに関する課題の解決を、総合的に支援します。世界各国のプライバシー関連法令のモニタリングを通じて、クライアントのビジネスに合わせて対応すべきプライバシー規制とのギャップ調査や、対応計画の立案と実行をサポート。さらにはグローバルスタンダードや業界の最新動向を踏まえて、プライバシーに配慮し...
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