シンガポールは、東南アジア地域における地理的利点、安定した政治環境、政府主導の先進的なデジタルインフラ、優れた人材、公用語として英語が広く使われていること、そして企業活動を後押しする政策や税制によって、世界的な投資、金融、イノベーション、トレーディング、物流のハブとしての地位を確立しています。そのため、日系企業を含めて多くの企業が地域統括拠点を置いています。
本稿では、それぞれの分野におけるシンガポールの役割と影響力、税制の動向、金融セクターの特徴や金融規制について解説します。
なお、文中の意見に係る記載は筆者の私見であり、PwCシンガポールおよび所属部門の正式見解ではないことをお断りします。
シンガポールは、ASEANにおける海外直接投資(FDI)の主要な受入先として知られています。シンガポール経済開発庁(EDB Singapore)は多国籍企業の誘致に積極的に取り組んでおり、法人税の優遇措置や投資インセンティブを提供しています。加えて、安定した法制度や知的財産権の保護が確立されており、企業が安心して事業を展開できる環境が整っています。
また、シンガポール政府はスタートアップへの支援にも力を入れており、「Startup SG」などのプログラムを通じて資金援助やメンタリングを提供しています。その結果、シンガポールは東南アジア最大のベンチャーキャピタル市場の1つとなり、グローバルな投資家にとって魅力的な場所となっています。
シンガポールはアジアにおける主要な金融センターであり、世界でもトップクラスの金融都市です。シンガポール金融管理局(MAS)の厳格な規制と柔軟な政策により、多くの国際銀行、投資ファンド、保険会社が拠点を構えています。
特に、資産運用市場の成長が著しく、プライベートバンキングやウェルスマネジメントの分野で世界中の富裕層に選ばれる金融センターとなっています。また、フィンテック(金融テクノロジー)産業も急速に発展しており、多くのスタートアップがブロックチェーン、デジタル決済、人工知能(AI)を活用した金融サービスを提供しています。
シンガポールは、イノベーションと技術開発を促進するエコシステムを持つ都市としても評価されています。政府は研究開発への投資を積極的に行い、大学や企業と連携して技術革新を推し進めています。
特に、バイオテクノロジー、クリーンエネルギー、スマートシティ技術などの分野で、多くの研究機関や企業が集まっています。また、AIやロボティクスの分野では、シンガポール政府が主導する「スマート国家」構想により、都市全体をテストベッドとして活用する取り組みが進められてきました。
シンガポールは、世界有数のコモディティトレーディング(商品取引)センターでもあります。特に、石油、天然ガス、貴金属、農産物の取引が盛んで、多くのグローバルトレーダーや商社が拠点を設け、アジア市場へのアクセスを強化しています。
シンガポールは、世界屈指の物流ハブとしても知られており、世界銀行が発表している2023年の「物流パフォーマンス指標(LPI)」で世界1位と評価されています。世界でもトップクラスの貨物取扱量を誇るシンガポール港は、東南アジアの貿易の中心地として機能しており、年間約4,100TEU(2024年実績)のコンテナが取引されています。
また、チャンギ国際空港は、貨物輸送の面でも重要な役割を果たしており、世界中の物流企業がシンガポールをハブとして利用しています。政府は「ロジスティクス4.0」戦略を推進し、IoTやAIを活用したスマート物流の実現を目指しています。
シンガポールの税務行政は安定しており、他の東南アジア諸国と比較しても合理的な税務執行が行われていることで知られています。
シンガポール税制の主な特色は図表1のとおりですが、「株式譲渡キャピタルゲインの非課税」および「各種優遇税制の適用可能性」といった点で2024年に重要な改正が行われています。日系企業のシンガポールにおける今後の事業展開に関する税務上の論点が生じると考えられるため、以下では、それぞれの特徴や留意点について解説します。
図表1:シンガポール法人税制の概観
出所:PwC作成
シンガポールでは、資本取引から生じる損益(例:株式、固定資産から生じるキャピタルゲイン/キャピタルロス)は課税所得計算上、益金にも損金にもならないとされています。どのような取引が資本取引に該当するか、法人税の課税対象となる損益取引に該当するかは法令上明確な定義がなく、譲渡の対象となる資産の種類や資産取得時の意図、資産の保有期間、類似の譲渡取引の頻度、譲渡時の状況、資産取得の原資、資産に関連して行われる付随業務の内容といった要素を総合的に勘案して判定されることになります。
なお、以下の要件を満たした株式の譲渡から生じるキャピタルゲインは、特例として上記の判定を行うことなく無条件で非課税となります。
ただし、対象法人が不動産関連法人(不動産の保有や開発、売却等を行う法人)に該当する場合はこの非課税特例を適用することができず、原則通り取引ごとに上記の判定を行う必要があります。
さらに、2024年1月1日以降に事業実態のないシンガポール法人が行う外国法人株式をはじめとした国外資産の譲渡から生じる損益は、上記の要件を満たしていても当該損益をシンガポール国内で受領した際に課税対象となるよう改正されました。なお、この改正は国際的な租税回避に対するガイダンスとしてEUのCode of Conduct Groupが公表したガイダンスに沿ったものとなっており、シンガポールのみならず香港でも同様の改正が行われています。
シンガポールに投資ビークルを設立したうえで東南アジア諸国に投資を行う日系企業は比較的多いと考えられますが、今後は投資売却時のシンガポールにおけるキャピタルゲイン課税の発生可能性をどのようにコントロールできるかが新たな検討課題になると考えられます。
資源に乏しいシンガポールでは多種多様な優遇税制を提供し、外資系企業を誘致して発展してきた経緯があります。特に、海運業や投資運用業に対する優遇税制が充実しているほか、一定規模のトレーディング機能や地域統括機能、シンガポールでの研究開発により生じた無形資産、グループファイナンス機能から生じる所得に対しては軽減税率が適用され、これらの優遇税制を目的としてシンガポールに拠点を設置する企業も多いと考えられます。
しかし、多国籍企業に対するグローバル・ミニマム課税制度(Pillar2)の導入により、シンガポールでも2025年1月1日以降に開始する事業年度から同制度が実施されることとなりました。これにより、過去4事業年度において少なくとも2事業年度で連結総収入金額が7億5,000万ユーロ以上の大規模多国籍企業グループに属し、これまで5~10%といった軽減税率を適用していたシンガポール法人は、国単位での実効税率が15%に達するまでの追加納税を行う必要が生じ、シンガポールにおける各種優遇税制のメリットが薄れています。
このような状況の中、シンガポール政府は既存の優遇措置に替わる制度として新たにRefundable Investment Credit(RIC)を導入しました。RICは、企業が行う一定の適格活動により生じた一定の適格支出について、適格支出額に対して最大50%の税額控除を認める制度となっています(図表2)。
図表2:RICにおける適格活動と適格支出
| 適格活動 | 適格支出 |
RICの対象となる適格活動の例は以下の通りです。
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プロジェクトの種類に応じ、適格支出には以下のものが含まれると考えられますが、当局の承認が必要です。
※減価償却費、維持費、シンガポール国外の従業員への人件費、シンガポール国外で生じた費用は適格支出に該当しません。 |
出所:PwC作成
当該金額は、対象法人のほか内国グループ法人の法人税およびPillar2によるトップアップ税額から控除することができますが、控除すべき税額がない場合は翌年以降に繰り越されます。そして、4年経過後に繰越額が残っている場合は当該繰越額の現金還付を受けることができます。なお、最大50%とされている税額控除率は、原則として適格活動の内容や、一定期間内におけるシンガポール国内での投資額や案件に従事する従業員数に応じて個別に判定されることとなります。
また、RICはPillar2における適格還付可能税額控除(Qual ified Refundable Tax Credit:QRTC)に該当することが明らかにされており、RICによる税額控除額はPillar2による実効税率の計算上は補助金として取り扱い、分子である税額から控除するのではなく、分母であるGloBE所得の金額に加えるという処理を行うことでPillar2の影響をほぼ受けることなく税務メリットを享受できる仕組みになっています。さらに、既存の優遇税制においても新たな軽減税率のTier(10%または15%)が導入されており、企業における優遇措置の選択の幅が大きく広がったと言えます(図表3)。
図表3:既存優遇税制の軽減税率の追加
出所:PwC作成
前述の通り、Pillar2によるトップアップ税の有無は国単位の実効税率が15%を下回っているかどうかで判定されます。ある法人が特定の所得に対して5%や10%の軽減税率の適用を受けていたとしても他の法人の所得が法定税率である17%で課税されており、国単位でみた実効税率が15%を超えている場合はこれまで通り5%、10%の恩典を受け続けられます。一方で、国単位でみた実効税率が15%を下回ってしまう場合は既存の優遇税制における軽減税率の見直し(例:5%から15%へ軽減税率の変更)や、RICの適用可能性、さらには軽減税率の適用を取りやめて補助金の申請が可能かどうかといった検討をするなど、シンガポールにおける実効税率を最適化するためのケースバイケースでのシナリオ分析が必要になると考えられます。
シンガポール政府は金融ハブとしての地位を強化するため、金融セクターにおいてさまざまな施策を実施しています。前述の低い法人税率や各種優遇税制を整備するだけではなく、シンガポール金融管理局(MAS)は、金融技術の革新を促進するための規制サンドボックス(Regulatory Sandbox)を設け、新しい金融サービスの開発を支援しています。シンガポールの規制サンドボックスは、金融機関やフィンテック企業が新しい金融商品や金融サービスを試験的に導入できる環境を提供します。規制サンドボックス内では、特定の法的要件や規制要件が一時的に緩和され、企業は実際の市場環境で製品をテストすることができます。例えば新しいテクノロジーを駆使した国際送金サービスや保険サービス、投資サービスなど、新しい金融サービスが規制サンドボックスの枠組みを利用してローンチされており(図表4)、イノベーションと顧客保護のバランスをうまく取りながら、シンガポールの金融業の競争力強化を後押ししています。これらのサービスは社会が抱える課題に注目し、それをテクノロジーにより解決し、顧客に新たな価値をもたらすという特徴があります。スタートアップだけではなく、大手地場銀行も規制サンドボックスを利用していることも特筆すべき点です。
図表4:シンガポールにおける金融サービスの代表例
出所:PwC作成
また、シンガポールは世界中のフィンテック企業が集まる国際的なフィンテックセンターとしての地位を確立しています。シンガポール政府はスタートアップを支援するために「Startup SG」という取り組みを行っており、さまざまな政策を打ち出しています(図表5)。
図表5:スタートアップに対する支援プログラムの例
| プログラム名 | プログラムの概要 |
| Startup SG Founder | 起業家に対するメンターシッププログラムや補助金を提供するプログラム |
| Startup SG Equity | スタートアップ企業への共同投資プログラム |
| Startup SG Loan | 資金を低金利で提供する融資プログラム |
| Startup SG Infrastructure | オフィススペース、研究施設、製造施設などのインフラを提供するプログラム |
| Global Ready Talent Programme | シンガポールの若い才能を中国やインドなどの主要市場に送り出し、現地での経験を積ませることで、起業家精神を育成することを目的としたプログラム |
出所:https://www.startupsg.gov.sg/をもとにPwC作成
例えば「Startup SG Equity」プログラムでは、スタートアップへの共同投資を行い、スタートアップをサポートするための資金を提供しています。一般的に政府系ファンドはリスクを回避する傾向があり、スタートアップへの資金提供に消極な傾向がありますが、シンガポール政府は積極的にスタートアップに対して資金援助を行っています。また、シンガポールには多くのベンチャーキャピタルやエンジェル投資家が活発に活動しており、スタートアップが資金を調達しやすい環境が整っています。
また、シンガポールは高水準の教育システムを持ち、優れた人材を育成しています。地元の大学は世界トップレベルのランキングに位置しており、起業家精神を育むためのコースやプログラムも充実しています。資金の確保だけではなく、人材の確保という観点からもシンガポールは優れた環境を提供しています。
MASは金融機関に対して厳格な規制を設けていることで知られています。シンガポールは国際的な金融センターとしての地位を維持するために、他国の中央銀行や国際機関と協力し、国際的な規制との調和を取りながら、さまざまな規制を施行および改廃してきました。これにより、グローバルな競争力を維持し、シンガポールの金融市場に対する投資家の信頼を確保しています。
MASの監督アプローチの特徴は、金融システムの潜在的リスクに焦点を当てたリスクベースの手法を採用している点です(図表6)。最近の傾向として、金融サービスの強靭性や復旧力に焦点を当てた規制の改定が進んでいます。金融機関はその業務の特性やデジタル化の進展により、サイバー攻撃の主要なターゲットとなりやすい状況にあります。
図表6:MASの金融セクターの監督アプローチの主要な原則(参考訳)
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出所:https://www.mas.gov.sg/をもとにPwC作成
一方で、金融システムは私たちの生活を支える重要な社会的なインフラとしての役割を果たしており、金融システムに何らかの不具合が発生すると社会に対して甚大な影響を与える可能性があります。サイバー攻撃に対する防御策の導入や定期的なぜい弱性評価の実施、事業継続計画の策定、障害対応訓練など、さまざまな対応を金融機関に対して求めています。また、多くの金融機関が業務の一部を外部企業に委託している現状を踏まえ、業務委託先の適切な管理も求められています。
シンガポールでは2023年に世界最大規模のマネー・ロンダリング(資金洗浄)事件が発覚したことを受け、シンガポール政府はアンチ・マネー・ロンダリング(AML)に関する関係閣僚会議(the Inter-Ministerial Committee on Anti-Money Laundering)を設立し、AMLフレームワークの包括的な見直し実施するとともに、MASはAMLのための規制を強化しました。MASは中央集約型デジタルプラットフォーム「COSMIC(Collaborative Sharing of Money Laundering/Terrorism Financing Information & Cases)」を導入し、シンガポール国内の主要な商業銀行は、顧客情報の機密性を確保しつつ、金融犯罪の早期発見および防止のための情報共有を可能にしています。世界中から資金が集まり、かつ、人口の約4割が外国人であるシンガポールの特性や、近年の地政学的なリスクの高まり、金融犯罪の巧妙化等を背景に、金融機関が金融犯罪に巻き込まれるリスクがますます高まっているため、シンガポール政府はこのような金融市場の信頼性を高めるための施策を講じています。
シンガポール政府は金融セクターをシンガポールの主要産業と明確に位置付けており、金融セクターに対して積極的な支援を行うとともに、国際競争力を高め、金融市場の信頼性確保に取り組んできました。自国や周辺国の経済成長に支えられ、シンガポールの金融セクターは引き続き安定した成長が見込まれています。シンガポールは、アジア地域における国際金融センターとしての地位をさらに強化し、引き続きグローバルな金融ハブとしての役割を果たすことが期待されています。
シンガポールの人件費や不動産賃料が上昇していることから、シンガポールの地域統括機能の一部をタイなどの近隣国に移管する企業もあります。前述のとおり、2025年からはグローバル・ミニマム課税制度が導入されましたが、外国資本の誘致のインセンティブとしてRICの政策を2024年度予算で導入しており、引き続き税務メリットを享受できるようにして、ビジネスハブとしての魅力の維持を目指しています。
シンガポール政府の戦略的な政策とインフラ整備、そしてビジネス環境の整備により、今後も国際的な地位を強化していくことが期待されます。アジアの中心に位置するシンガポールは、今後も重要なプレイヤーとして発展を続けるでしょう。
PricewaterhouseCoopers LLP
シニアマネージャー 森 昭夫
PricewaterhouseCoopers Singapore Pte. Ltd.
シニアマネージャー 山本 尚紀
PricewaterhouseCoopers GHRS Pte. Ltd.
シニアマネージャー 宮部 将孝