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「社会における信頼を構築し、重要な課題を解決する」。これはPwCのPurpose(存在意義)ですが、はじめてこの言葉を聞いたとき、順番が逆ではないかと疑問を持ったことを覚えています。「重要な課題を解決するからこそ、信頼が生まれるのではないか」と。
ただ、少し立ち止まって考えてみると、私たちの日常にもこの順番を裏づける場面があることに気づきます。たとえば、病院での診察を思い浮かべてください。医師が正しい診断にたどり着くためには、患者が症状を正直に伝える必要があります。ところが、「この先生に話しても聞き流されるのではないか」と感じれば、患者は本当のことを話しません。話さなければ、どれほど腕の良い医師でも正しい診断にはたどり着けないでしょう。カルテを書くのは医師ですが、症状を語るのは患者です。つまり、医師が問題(病気)を解決するためには、患者が本音を話せるだけの信頼が先に必要なのです。問題解決の能力がいくら高くても、信頼がなければ正しい情報が得られず、そもそも解決すべき課題が見えません。ここから、私たちは信頼とは問題解決の「結果」ではなく、問題を正しく認識するための「前提条件」であることを再認識することができます。
そして、この構造は会社と従業員の関係にもそのまま当てはまります。信頼のない組織では、従業員は声を上げることが困難です。エンゲージメントサーベイや従業員満足度調査には当たり障りのないことを書き、1on1では無難な話しかせず、声を上げる代わりに黙って辞めていきます。結果として、会社側は問題を認識することができず(もしくは誤った認識を持ち)、見当違いの施策を打つことになるのです。
PwCが48カ国・約5万人を対象に実施した「グローバル従業員意識/職場環境調査『希望と不安』2025」(以下、「希望と不安」2025)でも、信頼がモチベーションの源泉であることが示されています。直属の上司への信頼が最も高い従業員は、最も低い従業員と比べてモチベーションが72%高くなっています。一方、日本では直属の上司を信頼していると答えた従業員は33%、経営陣に対してはわずか25%にとどまっています*1。
信頼を先に差し出すのは、会社側です。「声を上げてほしい」と求める前に、「あなたの声を聴きます。聴いたうえで誠実に対応します」という姿勢を行動で示す必要があります。ただし、ここには一つの難しさがあります。会社がそうした姿勢を表明した瞬間、従業員はそれを「約束」として受け取るということです。組織行動研究では、これを心理的契約と呼びます。雇用契約には書かれていないけれど、会社と従業員の間に暗黙のうちに形成される期待のことです。たとえば「会社と従業員は対等である」と掲げれば、従業員はその言葉を前提に期待を形成します。そして、その期待に反する行動が続いたとき—つまり心理的契約が破られたと感じたとき—組織コミットメントの低下や離職意向の上昇につながることが、研究で繰り返し実証されています。「聴く」と「宣言すること」自体が、すでに約束です。
ここまで、信頼と問題解決の関係について少し遠回りをしてきました。しかしこれは、今回のテーマであるEmployee Experience(EX)の核心に直結する話です。第2回のコラムとなる今回は、EXのコンセプトである「従業員の声(Voice of Employee)を起点に思考すること」が、人的資本経営高度化にいかに寄与するのかを考えてみたいと思います。
人的資本開示高度化への関心の高まりを受けて、当社では人的資本経営の方針策定や開示内容の作成を支援する機会が増えていますが、取り組みへの熱量や施策の多さの一方、そこで感じるのは、多くの企業の取り組みが「会社の意向先行」になっており、従業員側の行動変容にうまくつながっていない、ということです。
象徴的な例が「自律的な学び・キャリア開発」です。LMS(Learning Management System)やLXP(Learning Experience Platform)といった基盤を整備し、選び放題の学習コンテンツを用意すること自体は素晴らしい取り組みです。しかしながら、学んだ先に何があるのか—キャリアパスへの接続、評価や処遇への反映、学ぶ時間の確保—が従業員から見えなければ、「企業側が育成責任を個々人に転嫁している」と受け取られるリスクすらあります。「希望と不安」2025でも、学習や能力開発のための十分なリソースがあると感じている非管理職は日本では20%台と低く、グローバルの51%を大きく下回っています。過去1年間で新たなスキルを獲得した日本の従業員はわずか24%にとどまります*1。
これは学びに限った話ではありません。1on1のルール化、スキル管理など、いずれも方向性は正しいものの、起点が「会社が考える良い取り組み」であり、「従業員が実際に何を経験し、何に困り、何を求めているか」でないとすれば、それはどれほど善意であっても一方通行の愛情表現、つまり「片思い」です。実際、PwCのグローバル調査(「希望と不安」2024)でも、従業員が重視している要素と普段の仕事で実際に得られていることとの間には大きなギャップがあることが明らかになっています*2。
「片思い」の構造は、最新の「希望と不安」2025にも表れています。日本の非管理職で組織の長期目標に理解・共感しているのは20〜30%程度。経営陣にその遂行能力があると信頼しているのはわずか19%でした*1。会社がビジョンを語っても、それが従業員に届いていない——片思いの実態がデータに表れています。
先ほどの心理的契約の話を思い出してください。「会社と従業員は対等である」と掲げた瞬間、従業員はその言葉を前提に期待を形成します。制度をつくり、予算を投じ、開示を充実させているのに、従業員の声を起点にしていなければ、むしろ期待と現実のギャップが広がり、信頼を損ねかねません。
片思いと双方向の関係の違いは、「相手の声を聴いているかどうか」です。それでは、会社はどうやって「あなたの声を聴きます」という姿勢を行動で示すのでしょうか。その実装手法が、Employee Listening(エンプロイーリスニング)です。
Employee Listeningとは、年に一度のサーベイを実施することではありません。従業員が仕事や組織、上司、キャリア、変化をどう経験しているかを、継続的かつ多面的に把握し、その声をマネジャーの行動改善や制度設計、組織変革につなげる仕組みです。具体的な手法も、年次のエンゲージメントサーベイにとどまらず、パルスサーベイ、ステイ・インタビュー(在職者への対話型ヒアリング)、現場担当者を通じた定期的なフィードバック収集など多岐にわたります。特に定性的なインタビューでは、定量調査では把握しにくい潜在的なニーズを発見することが可能です。単なる調査手法というより、「従業員の声を経営に組み込む」という組織のスタンスそのものと言えます。
ここで、冒頭で述べた「信頼」の構造をもう少し掘り下げておきたいと思います。海外でエレベーターに乗る時、見知らぬ人同士が"Hi"と声を交わすことがあります。あの一言は、問題を解決しているわけでも、相手に何かを提供しているわけでもありません。ただ、「この人は敵ではない」という最低限の安心—信頼のごく小さな基盤—をつくっているのです。社会学者のニクラス・ルーマンが言うように、信頼とは不確実さのなかでも行動を可能にするメカニズムであり、エレベーターの「Hi」はその最も原初的な形です。組織心理学では、この信頼をさらに具体的に捉える枠組みが提示されています。信頼とは「相手の行動に対して脆弱な状態を受け入れる意思」——つまり、自分が傷つきうる状態をあえて引き受けることであり、その意思は相手の「能力」、「善意」、「誠実さ」の3つの認知から生まれるとされています*4。
Employee Listeningの文脈でこれを読み替えると、こうなります。
従業員がこの3つを認知できたとき、はじめて「声を上げても大丈夫だ」という信頼が生まれます。エレベーターの「Hi」のように、最初の一歩は小さなもので構いません。大切なのは、会社が先にその一歩を踏み出すことです。
重要なのは、「聴くこと」自体が目的ではないという点です。聴いた結果を分析し、従業員に返し、改善に動き、その変化を再び検証する——この一連のサイクルが回って初めて、Listeningは機能します。
ところが実際には、「聴く→共有する→計画する」までは到達しているものの、「動く→変わる→実感できる」の段階には十分に至っていない企業が多いのが現状です。PwCコンサルティングがHR総研(ProFuture株式会社)と共同で実施した「エンプロイーエクスペリエンスサーベイ2023」(EXサーベイ2023)によれば、エンゲージメント調査を実施している大企業は約8割に達している一方、改善に向けた施策を検討している企業は約3割、改善策の実施内容と進捗を従業員に公開している企業は2割程度にとどまります*3。聴いてはいるが、応答が見えない——この状態が続けば、従業員にとっては「聞かれたけれど、その後何も起きなかった」という体験になってしまいます。
人事部門の方と議論すると、サーベイの頻度を上げることによる「サーベイ疲れ」を懸念する声をよく耳にします。しかし、従業員が疲れるのはサーベイの回数が多いからではなく、聴いた結果に対する応答がないからです。EX先進企業では、高頻度のサーベイと結果を踏まえた対応——施策の実施や従業員へのフィードバック——までがセットでプロセスに組み込まれ、フィードバックカルチャーとも呼ぶべき文化が醸成されています。たとえば、従業員の声を聴くワークショップで従業員のペインポイントを洗い出し、バディ制度やピアボーナスプログラムの導入につなげている企業事例もあります。
このギャップこそが、先ほど触れた心理的契約の違反を生みかねない場所です。「あなたの声を聴きます」と言いながら、聴いた結果が何にもつながらなければ、従業員は「約束を破られた」と感じます。聴くことは、それ自体が約束であり、応答する義務を伴うのです。
従業員が本当に聴いてほしいのは、「満足していますか?」ではありません。「自分はこの会社で成長できるのか」「この仕事に意味はあるのか」です。
「希望と不安」2025では、仕事に最も意義を感じている従業員は、最も感じていない従業員よりもモチベーションが91%高いことが示されています。一方で、日本の従業員で自身の役割の将来に強く楽観的な見方をしている人はわずか19%。過去1年間で新たなスキルを獲得した日本の従業員も24%にとどまります*1。EXサーベイ2025でも、現在の注力領域・今後の強化領域のいずれにおいても「キャリア・スキルディベロップメント領域」が最も高く、企業側もこの領域の重要性は認識しています*3。にもかかわらず、従業員が学習リソースを十分と感じていないという乖離は、まさに「聴くべきテーマ」がどこにあるかを示しています。
近年の研究では、安全な労働環境や適切な報酬、社会的保護といった基本的な労働条件——ILOが提唱する「ディーセント・ワーク」——が確保されてはじめて、従業員は仕事に意味を見いだす余地が生まれるとされています。つまり、日々の働き方に不安や不満を抱えた状態では、仕事の意義を問う段階にすら至れないということです。Employee Listeningにおいても、まず従業員が基本的な労働環境をどう体験しているかを把握したうえで、キャリアや仕事の意味にまでテーマを広げていく順序が重要です。
また、仕事の意味は会社から「与えられる」ものとは限りません。従業員自身が業務のなかで価値を感じる部分により多くの時間を使う、新たな協働関係をつくる、自分の仕事が誰の役に立っているかを意識的に捉え直す——こうした主体的な再設計を通じて仕事の意味を見いだしていくジョブクラフティングは、まさにその実践です。Listeningで集めた声をもとに、従業員がジョブクラフティングに踏み出せる環境を整えていくことが、次のステップになります。
もう一つの重要なポイントは、全社一律のメッセージが必ずしも届かないということです。「希望と不安」2025では、経営幹部と非管理職のあいだで、将来の楽観性(38%vs15%)、組織の長期目標への共感度(50-60%vs20-30%)、学習リソースの充実感に大きな差が確認されています*1。同じビジョンを語っても、それをどう受け取るかは立場によってまったく異なります。
Employee Listeningでは、声を「集める」段階だけでなく、結果を「返す」段階でも、受け手の属性・価値観・キャリアステージを前提にメッセージを設計する必要があります。経営幹部にとっては「当然」のことが、現場の非管理職にとっては「初めて聞いた」ということは珍しくありません。聴いた声を活かすには、返し方にも同じだけの解像度が求められるのです。EX向上施策の検討においても、情報の透明性、個々の状況に応じた個別性、そして応答の即時性といった要素を意識することが、従業員に「聴いてもらえた」という実感を生む鍵になります。
冒頭で触れた心理的契約は、Listeningの設計にも深く関わります。会社が意図していなくても、従業員は採用時の説明、上司の一言、制度の趣旨説明などから暗黙の期待を形成しています。施策を変更・廃止する際には、その期待がどう形成され、どう変わるのかを丁寧に説明する必要があります。「変えること」が問題なのではなく、「説明なく変えること」が信頼を壊すのです。
この擦り合わせに有効なのが、EVP(Employee Value Proposition:従業員への提供価値)の言語化です。報酬や福利厚生にとどまらず、仕事の魅力やキャリアの広がり、企業文化まで含めて「この会社で働くことで得られる価値」を明示し、採用場面や社内コミュニケーションで繰り返し語ることで、会社が提供する価値と従業員が求める価値の認識を近づけることができます。
「希望と不安」2025でも、リーダーが有言実行であると認識している従業員は直属の上司で55%、経営幹部で50%にとどまっています*1。言ったことを守る。守れないなら理由を説明する。これがListeningの品質を決めます。
Employee Listeningにおいて、サーベイ結果を人事部門だけが読み、全社施策に落とすだけでは不十分です。従業員が日常的に接するのはマネジャーであり、「聴いてもらえた」「変化が起きた」と実感するのもマネジャーとの関係のなかです。Gallupの調査では、チームのエンゲージメント変動の70%はマネジャーに起因するとしています*5。Listeningを本当に機能させるには、マネジャーがサーベイ結果を自分のチームとの対話に使い、フィードバックと行動変容の材料にできる状態をつくることが不可欠です。「希望と不安」2025でも、直属の上司への信頼が高い従業員はモチベーションが72%高いことが示されています*1。Listeningの最大のレバレッジは、経営会議よりもマネジャーの日常対話にあるのです。
すべての声に応えることは現実的ではありません。しかし、応えられないことを黙っていれば、従業員は「聴いたのに無視された」と感じます。UKG Workforce Instituteのグローバル調査でも、63%の従業員が声を無視された経験があると回答しています*6。「やること」だけでなく、「やらないこと」「やれないこと」の理由も含めて透明に伝える。すべてに応えるのではなく、すべてに応答する——この違いが、Employee Listeningの本質です。
ヘルマン・ヘッセの小説『シッダールタ』の終盤に、主人公が川のほとりで「聴くこと」の本質に気づく場面があります。川にはさまざまな声が流れている。喜ぶ声、嘆く声、怒る声、消えゆく声。シッダールタは、そのどれか一つだけを追いかけるのではなく、すべてを等しく受け止めようとしたとき、はじめて川の声の全体が一つの調和として聞こえてきた——そう描かれています。
Employee Listeningもまた、千の声を聴く行為です。従業員の声は一枚岩ではありません。喜びも、不安も、怒りも、諦めも、希望も、矛盾も含まれています。その複雑さを単純化せず、一つの声に偏ることなく、全体として受け止めること。それが、本当の意味で「聴く」ということです。
このコラムでは「片思い」という言葉を使いました。会社が善意で施策を届けても、従業員の声を起点にしていなければ一方通行の愛情表現になってしまう、と。しかし、片思いを双方向の関係に変えるために、会社が従業員に「愛している」と宣言する必要はありません。ただ、聴くこと。聴いたうえで、誠実に応答すること。それだけで、信頼の最初の一歩は踏み出せます。
PwCのPurposeが示す「信頼を構築し、課題を解決する」という順番は、人的資本経営にもそのまま当てはまります。人的資本経営の高度化とは、施策を増やすことではなく、従業員の声に基づいて経営を学習させること。そしてその第一歩は、「まず聴く」ことなのです。
*1 PwC「グローバル従業員意識/職場環境調査『希望と不安』2025」
*2 PwC「グローバル従業員意識/職場環境調査『希望と不安』2024」
*3 PwCコンサルティング/HR総研「エンプロイーエクスペリエンスサーベイ2024-2025」
*4 Mayer, R.C., Davis, J.H. & Schoorman, F.D. (1995). An Integrative Model of Organizational Trust. Academy of Management Review, 20(3), 709-734.
*5 Gallup (2024). State of the Global Workplace 2024 Report.
*6 The Workforce Institute at UKG and Workplace Intelligence, "The Heard and the Heard-Nots," July 2021.
https://www.ukg.com/blog/workforce-institute/new-research-the-heard-and-the-heard-nots
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