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2021-06-10
PwC Japanグループは2021年4月9日、定期的に開催している社内イベント「New Ventures Cafe」の拡大版として、東日本大震災から10年の節目を迎えた東北の復興をテーマに「New Ventures Cafe~未来を創る東北発のソーシャルイノベーション」と題し、2部構成のトークセッションをオンラインで実施しました。イベントには350名以上の登録があり、多くの社員が視聴しました。そのイベントの様子を前編後編に分けてお届けします。
PwCグローバルネットワークは、東日本大震災の発生した2011年に「日本復興タスクフォース」を立ち上げました。2013年にはPwCコンサルティング内に「東北イノベーション推進室」を設置し、PwC Japanグループ全体で東北の復興支援に取り組んでいます。イベントでは、復興支援にあたり官民のキーパーソンをゲストとしてお迎えして、東北の復興を振り返り、将来を展望しました。
第2部では「震災をきっかけに生まれたもの」をテーマに、「教育」と「農業」における実践例を取り上げて、トークセッションを行いました。ゲストは、社会の経済活動を体験するプログラムを提供する、公益社団法人ジュニア・アチーブメント日本の代表理事である佐川秀雄氏と、ITを活用した農業にいち早く取り組み、サステナブルな農業を追求している株式会社GRA代表取締役CEOの岩佐大輝氏です。
公益社団法人ジュニア・アチーブメント日本代表理事の佐川秀雄氏は、東日本大震災の発災時には、福島県いわき市教育委員会に在籍していました。「中学校の教員として、30年以上仕事をしてきました。当時は教育委員会にいたのですが、震災直後は、他の職員と一緒に、いわき市内の小中学校の児童・生徒の安否確認に奔走しました。市内では約3万人が就学していたのですが、1万人ほどしか残っていないことが分かりました」と佐川氏は話します。津波に加え、福島第一原発事故の影響で、約2万人は市外に避難していたのです。
その後、「子どもたちをいわきに戻すために何とかしないといけない」と考えた佐川氏が指揮を執り、起こした行動が多くのメディアで取り上げられました。発災から1カ月も経っていない4月6日に、いわき市内で入学式を挙行したのです。「周囲からは大きな反発がありましたが、市内で入学式をしたことで98%の子どもたちが戻り、学校を再開することができました」と佐川氏は振り返ります。
2012年に入り、佐川氏は、県外から支援を申し出る教育関係者への対応窓口を務めていました。200近いNPOや企業が佐川氏の元を訪れ、さまざまな教育プログラムの紹介を受けたそうです。その中で、「子どもたちが生きていく力をつけていくためには、教育を変えないといけない」と考えていた佐川氏の気持ちを強く揺り動かしたプログラムがありました。それが、米国発祥のNPOで、子ども向けの経済教育プログラムである、ジュニア・アチーブメントのプログラムです。
東京・品川にジュニア・アチーブメントの施設があると聞いた佐川氏は、いわき市の小学校10校の児童を引率して、訪問しました。児童が体験したプログラムは、小学生を対象とする「スチューデント・シティ」。本物の街を再現した空間で、小学校5年生が、ものやサービスを「供給する側」と「受ける側」に分かれ、それぞれの立場を1日かけて交互に体験します。社会は仕事を通じて支えあいが成立していることや経済の仕組みを体感し、「お金とは何か」「仕事とは何か」などを学びます。学校での8時間に及ぶ事前学習を含め、15時間のプログラムです。
朝4時にいわき市を出て東京・品川に向かい、品川の施設で午前9時から午後3時までプログラムを体験し、いわき市に戻るのは夜9時ごろ。帰りのバスの中では疲れているはずですが、寝ている子は1人もいなかったそうです。「みんながずっと、その日の体験について語り合っていました。そんな姿を見て、『これはすごい』と感じました」(佐川氏)。学校教育と地域社会が連動して教育を行うための装置であり、「子どもたちが生きていく力」に欠かせない社会的自立力と意思決定力の育成が可能なプログラムであると確信した瞬間だったと、佐川氏は振り返りました。
佐川氏が「ジュニア・アチーブメントを東北にも導入したい」と考えていたころに、PwCコンサルティングの野口功一との出会いがあったといいます。「カタールフレンド基金が被災3県(岩手・宮城・福島)に対して復興支援の資金を提供するとの話を、野口さんから聞きました。対象分野は教育と医療、福祉、漁業です。野口さんに相談に乗ってもらい、いわき市と仙台市、JA(ジュニア・アチーブメント)Japanの三者で基金に提案しました。104の提案があった中で、教育分野で唯一採択され、いわき市と仙台市に体験型の施設を開設することができました」(佐川氏)
2市の施設はいずれも2014年の開設で、前述した小学校高学年向けの「スチューデント・シティ」と、中学生向けの「ファイナンス・パーク」という2つのプログラムを実施しています。「ファイナンス・パーク」は、年収や保険料などの前提条件を提示された中学2年生が、社会人として家計のマネジメント、生活のシミュレーションを行うプログラムです。
「プログラムを体験した中学生のほとんどは、感想文で親への感謝を語ります。『自分の親は、いつもこんな大変なことをやっていたのか』という気づきがあるようです」と佐川氏はいいます。
「学校の授業は大事です。ただ、小中学校のうちに社会のことを学んでおくことも必要です。これからの教育では教師だけでなく、保護者や企業、地域などを含んだ幅広い協力が重要です。そのような場が生まれたことを、大変うれしく思っています」。後に学校教育の現場から転身し、現在はジュニア・アチーブメント日本の代表理事を務めている佐川氏は満足そうに語りました。
農業分野にイノベーションを起こした株式会社GRA代表取締役CEOの岩佐大輝氏は、IT分野の起業家として東京で仕事をしていましたが、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた故郷の宮城県山元町に戻り、特産品であるイチゴのITを活用した栽培に取り組んでいます。「ITの力で新しい農業の姿を作りたいと考えたのです」と、岩佐氏は話します。
まだアグリテックという言葉が普及する前の、先進的な取り組みでした。なぜ、農業にITを持ち込もうと考えたのでしょうか。「東北で周囲を見渡せば、どこでも当たり前のように田畑が目に入ります。それだけ農業は地域に欠かせない重要な産業だということです。その農業は、事業の継承に苦しんでいます。若者が農業に参入し、女性でも普通の働き方で参加できるサステナブルな農業に変えないといけないと感じました。その手段の一つがITの活用でした」(岩佐氏)
岩佐氏は就農1年目から商業ベースに乗るイチゴの栽培に成功したそうです。「私たちのイチゴ栽培がうまくいった理由は、40年の経験を持つベテランが師匠になってくれたからです。ただ、最初に師匠にお願いに行ったときは、叱られました」と岩佐氏は笑います。「イチゴづくりは教えてもらうものじゃない。イチゴと会話しながら自分で覚えるものだ」と師匠はいい、岩佐氏が「どれくらい頑張ったら、会話できるようになりますか」と聞くと、「イチゴだから15年、オレについてきたら分かり始める」との答えだったそうです。
「自分は地元で実家もあるからできるとしても、これで若い人がどんどんやって来るかというと、それはないだろうと思いました。農作業も、『毎日休まず、朝4時から』ということでは、特に子育て世代は働くことが困難です。でも、例えば朝4時にハウスに出てやる仕事は、カーテンを開ける作業であったりするわけです。それならば、センサーやコンピューターを使って自動化すればいい。機械やITに置き換えが可能な作業を探していきました」(岩佐氏)
岩佐氏は東京でのカフェ展開やイチゴのお酒づくりなども手掛け、いわゆる農業の6次産業化にも取り組んでいます。
こうした取り組みを進めた結果、岩佐氏が経営するGRAには多くの若者が集まり、事業も拡大を続けています。岩佐氏が現在、最も注力しているのが、「プラットフォーム事業」と呼ばれる就農支援です。「農業をやりたいという人たちに、私たちが培った農業技術を教えています。2年間、寮に住み込んでトレーニングを受けてもらい、卒業後の独立を応援する。これまで、11人の卒業生が独立しています。これからもサステナブルな農業の実現に取り組んでいきたいと思います」(岩佐氏)。
ここまでの岩佐氏の説明を、「中高生の気持ちになって聞いた」という教育者である佐川氏は、「輝いている大人、カッコいい大人が近くにいることが、子どもたちにとっては重要です。岩佐さんの働く姿やメッセージを、ぜひ子どもたちにも伝えたいですね」と力を込めました。
最後に、モデレーターを務めたPwCコンサルティングの野口功一は、「今日ご紹介したお二人の取り組みは、教育と農業を震災前の姿に戻すのではなく、10歩も100歩も前に進めるイノベーティブなものです。私たちはお二人との出会いを通じて、多くの気づきを得るとともに、学ぶことができました」と結び、ディスカッションはお開きとなりました。PwC Japanグループは、これからも東日本大震災からの復興に関与し続け、東北の皆さまに学びながら、東北をもっとよくするためのお役に立ちたいと考えています。
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