
不透明な時代と向き合う変革、生き残りの鍵に
関税政策を巡る混乱で世界経済の先行きは不確実性を増し、深刻化する気候変動の影響やAIをはじめとするテクノロジーの進化も待ったなしの対応を企業に迫っています。昨日までの常識が通用しない不透明な時代をどう乗り越えるべきか。これからの10年を見据えた針路の定め方について、PwCのグローバル・チーフ・コマーシャル・オフィサー(CCO)であるキャロル・スタビングスと、PwC Japanグループで副代表およびCCOを務める吉田あかねが意見を交わしました。
クラスター株式会社
代表取締役CEO
加藤 直人氏
PwCあらた有限責任監査法人
パートナー
宮村 和谷
「メタバース」を活用する領域はますます広がり、ビジネスから教育や医療の分野まで、さまざまな方面で利用の可能性が模索されています。企業各社はこの新たなデジタル世界の出現をビジネス機会ととらえ、「攻め」の取り組みを活発化する一方、情報セキュリティや信頼をいかに担保するか、ルールづくりやガバナンスをどう考えるべきかなど、「守り」の面での課題にも直面しています。
日本発のメタバースプラットフォーム「cluster」を提供するクラスター株式会社の創業者、加藤直人氏をゲストに迎え、システム領域のガバナンスや業務のデジタル化に伴うリスクマネジメントなどを専門とするPwCあらた有限責任監査法人パートナーの宮村和谷が対談しました。2人の議論から浮かび上がったのは、「合意形成しながらのガバナンス」「自発的に生まれるルール」の重要性でした。
宮村:
加藤さんはメタバースについて、「人類の限界値を超える存在になり得る」「現実世界がひどいものだと感じている人にとってバーチャル世界が救いになる」といった趣旨のご発信をなさっています。ご著書『メタバース さよならアトムの時代』の中では「メタバースは人類の描いた夢の生活スタイル」だともおっしゃっていましたね。メタバースがディストピアに転落することなく、現実世界を超えた“人類の理想郷”へと発展するには、どのようなアプローチでのルール形成が必要だとお考えでしょうか。
加藤:
メタバースは新しい技術的な文化ですから、問題はすでにたくさん起こっていますし、今後もきっと起こり続けるでしょう。だからといって「あれも駄目、これも駄目」と、まだ実際に起きたわけでもない“妄想”から発想してルールをつくることは避けるべきです。
その一方、メタバース内で“生活”する人はすでに多数存在し、「バーチャル空間で過ごす時間こそが本当の人生」「生身の身体は“現実空間というかりそめの世界”におけるアバター」と考える人も珍しくありません。そんなメタバース内の住人のあり方やライフスタイルが損なわれないようにすることはとても大切です。まず、これが大前提です。
宮村:
メタバースでは誰もが、国や自治体・企業・学校・家庭といった既存の社会的枠組みからも、物理法則からも解き放たれ、ルールに縛られずに創造性を発揮できます。この特徴が人々を引きつけているのでしょうね。
加藤:
その通りです。とはいえメタバースは、人間同士が関わり合うソーシャルな場です。「物理的な暴力」が行使される可能性こそ今のところ限りなくゼロに近いものの、「精神的な暴力」はいくらでも起き得ます。この「精神的な暴力」については、適切なガイドラインやルールが必要だと考えています。まずは、既存のSNSやネット上のコミュニティに適用されている法規制やガイドラインが、ベースとして流用可能でしょう。
ただメタバースには、既存のルールではカバーできない事象もたくさんあります。たとえば「自身のアバターが別のアバターにしつこくつきまとわれる」といった、バーチャル空間内のデジタルデータ同士のストーカー行為をどう考えるべきか。既存のルールを当てはめにくいこうした事例を踏まえて、安全や信頼を担保する新たな決め事を考えなければなりません。
宮村:
加藤さんは、メタバースに対するルールづくり自体には前向きな立場なのですね。
加藤:
ルールは絶対に必要です。ただし、「短絡的な制限を設けることで、メタバースの住人が不利益を被るのは望ましくない」というのが私の基本的なスタンスです。
ただ、この「不利益」というのがなかなかの難物です。「あちらを立てればこちらが立たず」の言葉通り、ルールをつくればつくるほど、ユーザーとプラットフォーマーのいずれかに無理を強いてしまうことがあり得るからです。バーチャル空間におけるデジタルアイテムの所有権が典型例です。現行法上、所有権の対象となる「物」とは形のある有体物であり、デジタルアイテムはデータ(形のない無体物)なので、所有権が適用されません。そこで何らかの形で所有権を設定しようとすると、ユーザーが自らの所有権を主張したり他者の所有権を侵害しないようにしたりするために、ユーザーにとってはきわめて不便な仕組みが必要になるでしょう。あるいは、それをプラットフォーマー側で担保しようとすると、今度はプラットフォーマーに大きな負担がかかることになります。そのルールは本当に必要なのか、みんなを幸せにするのか、実態に合わせて議論がなされるべきです。
宮村:
バーチャル空間は物理的な空間とは異なり、法令・条例のような強制力を伴ういわゆる「ハードロー」がまだ及んでいない領域が多々あります。だからこそ、新たなライフスタイルを模索したり、利便性の高いデジタル経済圏を構築したりといったさまざまな試みが可能で、そこに「夢」があるわけです。であれば、「何もルールがない空間」が試験的に存在してもよいのではないでしょうか。ただし、たとえば株式市場にプロ市場と一般市場があるように、棲み分けることは必要になるかもしれません。
余談ですが、私は多人数で共同生活するスタイルの「コレクティブハウス」と呼ばれる集合住宅で暮らしています。他人同士が1つ屋根の下で暮らすわけですから当然ルールが必要になりますが、そのルールの決め方が独特です。
加藤:
どのような決め方なのですか。
宮村:
まずは試しにルールをつくり、それに則って生活してみて、もしうまくいかなかったらすぐに見直す。場合によってはそのルールは「なし」にする――要するに、はじめから厳格なルールを設けて運用するのではなく、「居住者=ステークホルダー」同士が話し合って柔軟に見直し、収まりのよい形を段階的に目指すやり方です。実はこうしたルール形成は、政府が提唱する未来社会のコンセプト「Society5.0」で推奨する「アジャイル・ガバナンス※」の考え方にも通じているのです。
※アジャイル・ガバナンス 現実に即してガバナンスの仕組みを迅速にアップデートし続けるというアプローチ
Society5.0では「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を融合させたシステム」の社会実装が前提とされています。このシステムを基盤とする社会は、複雑で変化が速く、リスクの統制が困難であり、ガバナンスが目指すゴールも常に変化します。そのためSociety5.0の実現には、「一律にルールを定めて適用し続けるガバナンス」ではなく、「さまざまなステークホルダーがルールや制度のあり方を継続的に評価し、合意形成しながらガバナンスをアップデートする」というやり方が求められるのです。メタバースにおいても、「徐々に合意形成しながらルールを形成する」というガバナンスの方が実態に合うのではないでしょうか。
加藤:
おっしゃるように、上からのお仕着せではなく、「自発的に生まれてくるルール」が理想だと思います。私はメタバースの定義に「自己組織化」を加えています。自己組織化とは、プラットフォームの提供者からユーザーが独立して独自の活動を展開する一方、全体としての構造が保たれ、「自律的」に発展していくことです。
あらかじめ決められた固定的なルールの下での体験しかできないのであれば、それはゲームで遊ぶのと変わりがなく、メタバースである意味がありません。
加藤:
ルールやガバナンスを考えるための観点として「セレクタビリティ」(選択可能性)も忘れてはなりません。メタバースはあらゆる人が自分の思い描く「世界」をバーチャル空間につくり、その中である種のルールも自ら設定できます。つまり、どんなルールの「世界」をつくるかはクリエイターの自由なわけです。
逆にユーザー側は、さまざまなルールの「世界」から自分の好きな「世界」を自由に選択できる。この自由が保障されていることがきわめて大切です。自分が生きる「世界」を自らが選ぶ――「我思う、ゆえに我あり」ではなく、いわば「我選ぶ、ゆえに我あり」です。
宮村:
メタバースの「世界」を選ぶことは、生きることと同義ということですね。バーチャル空間における人々の営みに対する加藤さんのリスペクトが伝わってきます。
メタバースがいずれ成熟し社会インフラとして定着すれば、多種多様なメタバースが存在する「マルチバース」時代が到来することが予想されます。そうなった場合、たとえば異なるメタバースで同じアバターを使用できるような、プラットフォーム間のシームレスな「インターオペラビリティ」(相互運用性)も求められますね。
加藤:
おっしゃる通り、インターオペラビリティはメタバースの普及のカギといわれています。ただし、インターオペラビリティの確保は望ましいとしても、現実はそう簡単ではありません。メタバースのサービスを提供しビジネスを展開するプラットフォーマーやベンダー各社は、サービス向上と業界発展のために手を携える局面もありますが、同時に厳しい競争も繰り広げています。そんな状況下でインターオペラビリティを確保するのは困難です。しかも、日本の中だけでインターオペラビリティが実現しても意味がありません。メタバースには国境がないのですから。
ご承知のように、インターオペラビリティの確保は、分散型(非中央集権型)の次世代インターネット「Web3」実現のカギにもなると指摘されています。Web3は、メタバース市場がさらに巨大化し、崩壊する中で「圧力」によって実現するのかもしれません。つまり、まずは各メタバースが分断された状態が続き、IT各社がWeb2.0的な世界での覇権を目指してしのぎを削りながら発展します。そして、最終的に一定のプレーヤーに収斂した段階で、世論による圧力によってインターオペラビリティの実現が不可避となり、ようやく立ち上がってくると予測します。ただしこれにはまだ数十年はかかると見ています。
宮村:
コミュニティの形成と同じですね。「国」「地域」が成立する過程とも一緒です。セレクタビリティとインターオペラビリティがどのように確保されたWeb3になるのか、個人的にも楽しみです。
宮村:
既存のSNSと同様、メタバースは基本的に誰でも参加して交流できるものですが、適切なガバナンスを考慮すると、「誰もが参加できる」と「誰もが安全」は必ずしも両立しません。サービスへの「アクセシビリティ」(利用のしやすさ・利便性)と「安全と信頼」の両立をどう実現すべきとお考えでしょうか。
加藤:
メタバースでは、SNSですでに見られるさまざまな問題事象が起こる可能性があります。最も起きてはならない事態は、「バーチャル空間を出会いの場にして、リアルの世界で人に害が及ぶ」ことでしょう。SNSでは、違法性を内在していたり、犯罪につながったりするような不適切な出会いの場は、サービスとして生き残れずに、やがては市場から排除されます。逆に、プラットフォーマーがガイドラインを設けて“クリーン”な交流の場が実現できているサービスは、ビジネスとして成功しています。ここでいう“クリーン”とは、親が安心して子どもに使わせられること、ネットリテラシーが高くない一般ユーザーでも「使いたい」と不安なく思えること、などです。メタバースでもそれと同様、ガバナンスがしっかり効いたプラットフォームが必然的に選ばれ、そうでないところは淘汰されるでしょう。
ただし、新しいルールや制限を一律に設ける必要はなく、ガバナンスにどのように効力を持たせるかは、プラットフォーマー各社がそれぞれ知恵を絞るところだと思います。
宮村:
そこはテクノロジーがカバーできる部分がありそうですし、リスクのレベルに応じて切り分けて考えてもよいかもしれませんね。たとえば、“クリーン”を担保する「本人認証」については、マネーロンダリングに利用されるなどの犯罪レベルの事態を避けるために厳格な認証が必要となる場合もあれば、ユーザーのおおよその属性が確認できればそれで十分なケースもあります。後者についてはサービス間の相互認証システムで解決することも可能でしょう。
加藤:
現在のSNSも「身元確認をしなければ利用できない」となっていたら、ここまでの隆盛はなかったでしょう。もちろん、メタバース内に経済圏が確立して、金銭的価値をやりとりするようになった際には、適切な身元確認が必要になります。
宮村:
リスク軽減策の1つとして、言語や嗜好などによる「ゾーニング/ドメイン化」も考えられます。ただし一方で、それはコミュニティ内に「分断」を生むおそれもはらんでいます。人間は、異なる価値観を持つグループが生まれれば必ず争いを始める生き物です。ゾーニングと分断についてはどのようにとらえていますか。
加藤:
メタバースが1つの人間社会である以上、ある程度の分断が進むのは不可避でしょう。
アルゴリズムによって自動的に分断が生じることはよくあります。各プラットフォーマーはユーザーを定着させるために、それぞれのユーザーが価値観AのグループとBのグループのどちらに定着する可能性が高いかをアルゴリズムによって自動判定し、振り分ける=ゾーニングするはずだからです。プラットフォーム間の競争が激化する中でアルゴリズムの効率が上がっていけば、そうした分断はますます進んでいくでしょう。
一方で、メタバース内の「世界」(スペース、ワールド)そのものがAIによって自動生成される時代が到来すれば、「友人はAIでいい」「仲がよい相手が実はボットだった」ということにもなるかもしれません。バーチャル空間がそこまで進化し、アルゴリズムによる分断が進展していったとき、その分断が邪か正かを判断できるのは哲学や思想でしかないでしょう。ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)で脳に直接働きかけることが可能になる時代の到来や、バーチャル空間での生活が当たり前になったときの未来を見据えると、社会全体で「これがあるべき姿だ」という原理を追究する議論が必要になってきます。
宮村:
そのために新しい宗教や哲学が生まれるのかもしれませんね。メタバースが発展した未来が我々に投げかける問いは、人間の根源的な部分に関わるとのご示唆、大変興味深く伺いました。
※後編に続く。
京都大学理学部で、宇宙論と量子コンピューターを研究。2015年にVR技術を駆使したスタートアップ「クラスター」を起業。2017年、大規模バーチャルイベントを開催することのできるVRプラットフォーム「cluster」を公開。clusterは好きなアバターで友達としゃべったりオンラインゲームを投稿して遊んだりできるメタバースプラットフォームへと進化している。
2000年より20年以上にわたり、PwC Japanグループにおいて、さまざまな業種の企業の事業変革(トランスフォーメーション)や事業強化(ビジネスレジリエンス構築)を支援してきた。近年は、PwCあらた有限責任監査法人の企業のデジタルトランスフォーメーション支援サービスをリードしている。
※ 法人名、役職、本文の内容などは掲載当時のものです。