
不透明な時代と向き合う変革、生き残りの鍵に
関税政策を巡る混乱で世界経済の先行きは不確実性を増し、深刻化する気候変動の影響やAIをはじめとするテクノロジーの進化も待ったなしの対応を企業に迫っています。昨日までの常識が通用しない不透明な時代をどう乗り越えるべきか。これからの10年を見据えた針路の定め方について、PwCのグローバル・チーフ・コマーシャル・オフィサー(CCO)であるキャロル・スタビングスと、PwC Japanグループで副代表およびCCOを務める吉田あかねが意見を交わしました。
クラスター株式会社
代表取締役CEO
加藤 直人氏
PwCあらた有限責任監査法人
パートナー
宮村 和谷
さまざまな領域で活用の可能性が広がる「メタバース」。日本発のメタバースプラットフォーム「cluster」を提供するクラスター株式会社・創業者の加藤直人氏と、システム領域のガバナンスや業務のデジタル化に伴うリスクマネジメントなどを専門とするPwCあらた有限責任監査法人パートナーの宮村和谷による対談後編では、共創と権利保護を両立する仕組み、「自由に創造できる」がゆえのリスク、成長産業としての可能性について議論を深めました。
宮村:
加藤さんは、ご著書『メタバース さよならアトムの時代』の中で、「メタバースはいくつかのレイヤーで成立し、その中でも『クリエイター・エコノミー』が最も大切な要素」だと述べていらっしゃいます。メタバース空間でのクリエイティブな活動を促しながら、権利の保護と経済性を実現するために必要となるガバナンスは、どうすれば構築できるのでしょうか。
加藤:
デジタル上の著作物を守るには多額のコストがかかります。動画配信サービスなどでは、権利を守ると同時にマネタイズもしやすい仕組みを構築することで、この点を上手にクリアしている好例がありますね。たとえば、著作権者が自分のつくった音楽を登録しておけば、それが他の誰かによる配信コンテンツ内で使用されると、広告収益が自動的に著作権者に分配されるといった仕組みが整っています。ユーザー一人ひとりの自由な表現行為を邪魔することなく、権利者の収益にも結びつけるエコシステムは、メタバースのプラットフォーマーが目指すべき姿です。
ただ、こうしたエコシステムを早期に構築することは、スタートアップにとっては高いハードルとなります。もし、この仕組みをつくることがルール化されれば、既存の技術や事業を難なく買収できるだけの資本力を持つビッグテックが圧倒的に有利になり、スタートアップは育たなくなります。ルール化するのであれば、スタートアップがグローバルなフィールドで競えるような「公平な競争条件」が必要でしょう。
宮村:
バーチャル空間で「co-creation」(共創)できるプラットフォームをどうつくるかをまず優先し、そのうえで権利を保護する仕組みを埋め込んでいくべきなのだと思います。そこは「競争領域」であると同時に、実は「協調領域」でもあるわけです。メタバースにおける3D空間は、アルゴリズムやコンテンツをユーザー同士でコラボレーションしながら構築できることが醍醐味です。意識せずとも対価をきちんと受け取れる、自分の権利が守られているという安心感を持って使えるプラットフォームが実現できれば、ユーザーにとって一番うれしいことでしょう。
ただ、最初から完全な仕組みを備えたプラットフォームを実現できるわけではありません。理想的な姿にたどり着くまでは、制作物の権利を主張したり、制作物の利用の「証跡」を後から確認しながら仲裁したりするといった「場」を用意して、そこでの事例や解決の成果をプラットフォームの空間開発の機能の中に織り込んでいくような仕組みがあるとよいのではないでしょうか。
加藤:
核心を突くご指摘です。権利の保護や経済性の実現という観点で最優先に確保すべきは「トレーサビリティ」です。バーチャル空間やメタバースのよいところは、全てがデジタル(データ)で残ること。トレース(追跡)さえできれば、権利上の問題が生じても後から遡って判断できます。
ただし、ここで考慮しなければならないのがプライバシーの問題です。バーチャル空間内でのユーザーの全てのやりとり、全てのデータが個人のプライバシーというわけではありませんが、かといって、個人間のひそひそ話までオープンになるのもおかしなことです。何をどこまでトレースし、どの範囲までを「安心」と「信頼」が確保されるべき領域とするのか。こうした切り分けは今後の課題になっていくはずです。
宮村:
たとえば個人同士の関係のように「明確にプライバシーを保障する部分」のほかに、「何かあったときにプラットフォーム側でモニタリングやサポートができる部分」「しっかり確認してセキュリティを保ち、犯罪レベルの事態を回避すべき部分」と、大きく3つぐらいに分けて考えるのが妥当かもしれません。
宮村:
メタバースが、あらゆる人が思いのままに「世界」をつくれる場だとすれば、「クリエイター=創造主」はルールや倫理観も含む“全て”を決定することまで可能だともいえます。これは「人類が思い描いた夢の生活」であるはずのメタバースがディストピアに転落するリスクの1つなのかもしれません。ネガティブな未来の可能性も踏まえて、メタバース上での創造・創作をどこまで許容するべきか、何らかの制約が設けられるべきなのか。お考えをお聞かせください。
加藤:
1つ言えるのは「絶対に人権を侵害してはならない」ことです。バーチャル空間では基本的に「物理的な暴力」は存在しませんが、つきまといのようなハラスメントや、言葉の暴力はあります。すでにインターネットで適用されているルールやガイダンスの延長線上で手当てできる部分もありますが、メタバースがより多くの人にとって当たり前のものになり、利用形態も多様化すれば、既存のルールではカバーできない事態も起こり得るでしょう。社会全体で知恵を出し合わなければなりません。
宮村:
あえてもう少しだけ思考実験を続けさせてください。
メタバース内ではアバターが介在することでコミュニケーションを取りやすくなっており、その結果、コミュニティも形成しやすい。その中で、キャラクター設定やデジタルのギミックで巧みに自分のカリスマ性を演出し、自身に対する依存度を高めさせるという手法が成立するおそれは十分にあり得ます。悪意あるクリエイターが、メタバースの「世界」からユーザーを心理的・精神的に「抜けられなくさせる」ことは考えられませんか。「セレクタビリティ」が担保されていたり、適切な「ゾーニング/ドメイン化」がなされていたりしても、「深みにはまる」というケースはありそうです。
加藤:
「依存」への対応はあってしかるべきでしょう。たとえば世界では、メタバースとは異なりますが、ルートボックス、いわゆる「ガチャ」が禁止されている国もあります。
ハラスメント行為も含め、相手に不快な思いをさせることは論外というのが前提です。ただ一方で、「人(アバター)同士の接触や集会の自由は守るべき」というのが私の立場です。一部の国ではバーチャル空間内で別のアバターに触れることを法律で禁じようとしたり、メタバースに登録制を導入して集会の自由を制限したりするなどの動きも見られます。しかし、メタバースのよさは人との距離感が近いという点にあります。チャットやビデオ通話では得られない、「人と会っている」という感覚があるし、そこに没入感が生まれる。そのイノベーションを阻害するような規制の動きに対しては憂慮を感じています。
宮村:
ここまでのお話で実感するのは、リスクがあるところこそ、価値が生まれ得るところでもあり、表裏一体だということです。それを考えると、やはり必要とされるのは合意形成しながらの緩やかなルールづくりであり、ルールをつくる過程で「改善できる」「変更ができる」という柔軟性を担保することが、産業としての競争力を持つためにも重要だと感じます。
加藤:
そうですね。ルールづくりの話をするときに私が常々訴えているのは、「メタバースは日本の一大産業になり得る」ということです。日本には世界に誇るゲーム産業があります。メタバース産業を牽引している技術アセットはゲーム産業のものなので、そのスキルセットやインフラを転用できます。日本ではアニメやマンガのような「バーチャル」なカルチャーも発達していて、各国で親しまれているコンテンツやキャラクターのIP(知的財産)も数多く保有しています。メタバースはこうした日本のストロングポイントが生かせる産業分野なのです。
産業化において課題となることの1つは、事業参入のハードルの高さです。メタバースはスマートフォンやウェブ上のアプリと比べると多くのエンジニアリングリソースが必要で、3Dでつくり込むとなると初期投資の負担も小さくありません。メタバースを日本の一大産業・マーケットに育てるためには、1~2社のみが大きく勝つようなルールやスタンダードではなく、大小さまざまな規模の企業や事業者が参入できる土壌が求められます。チャレンジを阻害するようなルールがある国よりも、新規参入のハードルがより低い国の方が企業にとって有利だからです。国家間の競争という観点でも、企業の参入や事業化を促進するルールやスタンダードをいち早く整えることが望まれます。
逆に、参入や事業化にブレーキがかかるような規制は慎重に設けていくべきです。もちろん無秩序がよいわけではなく、「急がずにルールをつくる部分」と「スピードアップしながらルールをつくる部分」の区分が必要ということです。その見極めは「参入事業者が増えるか否か」で判断すればよいと考えています。
宮村:
ガバナンスを「守り」の視点のみでとらえると、産業化はうまく進みませんね。ポジティブなインパクトをよりスケールさせるような「攻め」の視点でのガバナンスの構築、そして攻守のバランスが重要です。
加藤:
ガバナンスを「守り」ではなく「攻め」にも使えるようにすべきという観点には非常に共感します。
インターネットのプラットフォームをグローバルに大きくするには2段階あります。最初の段階は「コミュニティを形成する」こと、次の段階が「ルールに基づき、アルゴリズムで大きくする」こと。第1の段階は、日本が比較的得意とする仕事です。
宮村:
その一方で、スケールさせることは上手ではないのですよね。
加藤:
おっしゃる通りです。ルールや仕組みを適切に整え、ガバナンスを利かせる。加えて、そこにアルゴリズムやテクノロジーの力を入れて拡張していく。これができれば、日本発のメタバースをグローバルに展開することは十分に可能です。
ガバナンスとは詰まるところ、ステークホルダーの期待に沿って方向付けし、改善しながら構築する営みです。ガバナンスというと、日本では「守り」のことばかり考える傾向にあります。せっかく先行者利益を享受できる可能性を秘めた新しい技術を開発できても、「守り」の視点のみでルールや制度づくりを進め、そのせいで成長産業に育つ前に全てがストップしてしまうことが起こりがちです。目指すべき姿、なりたい姿に対する合意を形成し、それをどう実現するかという議論の中で「攻め」と「守り」に同時に取り組むことで、ポジティブなインパクトをスケールさせながらルールをつくっていけるかどうか。それが、メタバースが日本の次代を担う産業となれるかの試金石となりそうです。
京都大学理学部で、宇宙論と量子コンピューターを研究。2015年にVR技術を駆使したスタートアップ「クラスター」を起業。2017年、大規模バーチャルイベントを開催することのできるVRプラットフォーム「cluster」を公開。clusterは好きなアバターで友達としゃべったりオンラインゲームを投稿して遊んだりできるメタバースプラットフォームへと進化している。
2000年より20年以上にわたり、PwC Japanグループにおいて、さまざまな業種の企業の事業変革(トランスフォーメーション)や事業強化(ビジネスレジリエンス構築)を支援してきた。近年は、PwCあらた有限責任監査法人の企業のデジタルトランスフォーメーション支援サービスをリードしている。
※ 法人名、役職、本文の内容などは掲載当時のものです。