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本シリーズではこれまでゲノム医療と倫理的・社会的課題、その課題に対応する遺伝カウンセリングと認定遺伝カウンセラーの役割(Case1.)について紹介してきました。今回は架空の症例を用いながら、昨今ゲノム情報活用の進歩が目覚ましい腫瘍の領域をテーマに、ゲノム医療やそこで生じている課題について解説します。
33歳の女性はなこさんは、入浴中に左胸のしこりに気が付き、病院で検査を受けたところ乳がんと診断されました。乳腺外科医と治療方針を相談する中で、祖母が卵巣がんを経験していたこと、30代と若い年齢で乳がんを発症したことから「遺伝性腫瘍」が疑われました。遺伝性腫瘍とは遺伝的にがんになりやすい体質を持っていることです。はなこさんは乳腺外科医から遺伝性乳がん卵巣がん(Hereditary Breast and Ovarian Cancer:HBOC)の遺伝学的検査を受けることを提案され、詳しい話を聞くために認定遺伝カウンセラー(Certified Genetic Counselor、以下CGC)の在籍する同院の遺伝外来を受診することになりました。
HBOCは遺伝性腫瘍の一つで、生まれつき乳がん、卵巣がん、前立腺がん、すい臓がんなどのがんを発症するリスクが一般に比べて高い体質を指します(図表1)。例えば乳がんでは、一般的な日本人女性の場合は生涯で12%の人が発症しますが、HBOCの女性は最大72%の確率で発症すると言われています※1。
図表1:HBOCとは
遺伝外来ではなこさんに家族の病歴を尋ねると、図表2右側に示すような家系図になりました。はなこさんの母方祖母が卵巣がんを経験していることから、はなこさんとその母方の家族と娘にHBOCの疑いがあることがわかりました。
正確には他の遺伝性腫瘍を持つ可能性や、はなこさんの父方家族が遺伝性腫瘍を持つ可能性もありますが、ここでは最も頻度の高いHBOCについて、家族歴からこれを持つ可能性が高い家族を中心に話を進めます。
図表2:来談経緯と家系図
この状況下で、はなこさんがHBOCの遺伝学的検査を受けるメリットは大きく分けて2つです。一つ目ははなこさん自身の健康管理のため、二つ目は家族の健康管理のためです。一方デメリットも存在します。
まずメリットについてですが、今回はなこさんは乳がんを発症しているため、保険を使って遺伝学的検査を受けることができます。そこで陽性だった場合は、今発症している乳がんの薬剤や手術などの治療方針にも生かすことができます。例えば、乳がんが再発する可能性が高いことから温存手術よりも全摘出手術を行うこと、今回がんができている左側だけでなく右側の乳房を切除することが検討されるでしょう。また、今後のがん発症リスクが高いことを踏まえ、がんの検診や予防に取り組むこともできます。リスクの高い乳房や卵巣などに対して、一般よりも綿密な検診の実施や、がん発症前に乳房や卵巣を切除する手術を保険適用で受けることも可能です。
またはなこさんの家族についても、はなこさんがHBOCと診断を受けた場合、同じ体質を持つことが推測されます。遺伝学的検査を受けて陽性だった場合の対応は先述のとおりですが、がんを発症していない段階では検査・検診・予防手術の全てが保険適用外である点に留意が必要です。
一方で、遺伝学的検査を受けることのデメリットとして、主に心理的負担と結果の曖昧性が挙げられます。はなこさん自身も家族も、HBOCと診断された場合はがんのリスクが高いことへの不安が生じることが想定されます。2023年に制定されたゲノム医療推進法※2ではゲノム情報による差別を禁止しているものの、就職や結婚、子どもを持つことなどに対する不安感を持つケースもあり得ます。また結果の曖昧性は、結果が陽性の場合、陰性の場合、それ以外の場合全てにおいて生じてきます。はなこさんの遺伝学的検査の結果が陽性で、HBOCと診断された場合でも、この先必ずもう一度がんを発症することを意味するわけではありません。はなこさんがHBOCと診断されても家族がHBOCかどうかは確定しないのはもちろん、検査で陽性でも先述のとおりがんになるとは限りません。次に、はなこさんの検査で陰性結果が出た場合ですが、HBOCは否定されるものの、別の遺伝性腫瘍の疑いは残ります。はなこさんの既往歴・家族歴(家族の病歴)からはHBOC以外にも遺伝性腫瘍が疑われますが、他の遺伝学的検査は保険適用で受けることができない点に注意が必要です。さらに、陽性/陰性ではなく「判定保留」の結果が出る可能性もあります。HBOCの原因は遺伝子BRCA1/2の変化によるものですが、この変化には病気の原因になるものも、ならないものもあります。遺伝子の変化が病的か否かはこれまでの症例のデータから推測されますが、今まで発見されてこなかった変化が見つかった場合、それが病気に結び付いているかは明らかにならず、判定保留と判断されます。将来的にデータが蓄積して陽性/陰性の結果が明らかになる場合もありますが、現時点では曖昧な結果となります。
図表3:HBOCの遺伝学的検査のメリット・デメリット
現状医学的には、HBOCが疑われる場合は遺伝学的検査が推奨されています※1。しかし、それを機械的に進めることは危険です。本人の心理状態や家族の状況を踏まえ、正しい情報を伝えた上で患者さん本人が自律的な意思決定を行うことが大切です。そのためには、遺伝カウンセリングでの意思決定支援が必要です。
これまで見てきた家系図聴取やその解釈、情報提供を行いながら、はなこさんが遺伝学的検査を受けるかどうか意思決定支援を行います。
はなこさん:
「今がんを発症しただけでいっぱいいっぱいなのに、遺伝の話もということになって正直戸惑っています。今後もがんにかかりやすいことが分かるのは怖いです。でも、家族のことも考えると検査を受けた方がいいのでしょうか」
CGC:
「ご病気で大変な中、遺伝の話も、となると心配ですよね。おっしゃるとおり遺伝の検査を受けることはご家族にメリットもあります。ただ、あくまでご自身の意思で受けていただくものなので、『受けなければならない』というものではありません」
はなこさん:
「そうなのですね、先生に勧められたので受けるものなのかと思っていました」
CGC:
「ご自身にとってのメリット・デメリットを考えながら、一緒に決めていきましょう」
はなこさん:
「祖母ががんで亡くなった時に母が看病をしていたのですが、すごく辛かったようで、その話を思い出すと自分もそうなってしまうのではと思ってしまって…」
CGC:
「おばあさまやその看病をしていたお母さまのお話からのイメージが強いのですね。がんが怖い病気であることは変わりませんが、昔と今とでは治療法も進歩していますし、お持ちのイメージとは違っている部分もあると思います。例えば、検査を受けて陽性だった場合、効果のあるお薬を選ぶこともできます」
はなこさん:
「確かに医療は進歩していると考えると少し安心かも…自分のことを考えても受けたほうがいい検査ですよね。家族にも影響があると思うと抵抗はあるのですが」
CGC:
「まだがんを発症されていないご家族にとっても、がんの検診や、ご希望に応じて予防の手術を受けることにもつながるのでメリットはあります」
はなこさん:
「母は祖母が亡くなった年にも近づいてきているので、リスクがあるならしっかり明らかにしておいたほうがいい気がしています。ただ妹と、まだ小さいですが娘は結婚前で、今後遺伝のことが足かせになると思うとかわいそうで…」
CGC:
「遺伝の問題は結婚や出産に不安を感じることもありますよね。ただ、仮にはなこさんがHBOCだったとして、そういった体質を持ちながら娘さんを授かって、子育てをなさっています。おばあさまも家族を持っていました。遺伝性腫瘍だから結婚してはいけない、子どもを持ってはいけないということは全くありません。知ることの恐怖はごもっともですが、知ることで検診や予防などの選択を取ることもできます」
はなこさん:
「遺伝の病気だったら娘をはじめ家族に申し訳ないと思っていました。でも、分かることで良いこともあると思うと少しは前向きにも捉えられそうです」
CGC:
「まずははなこさんが検査を受けてみて、ご家族にも少しずつ情報共有していくのはどうでしょうか。お見舞いにいらした際などに私も同席しながらお話しすることもできますよ」
はなこさん:
「そうですね。検査は今の自分に必要なものだと思います。家族には病気をしたことは伝えたのですが、遺伝の話も少しずつ伝えていきます。同席していただけるなら安心です」
ゲノム医療の中でも腫瘍の分野は進歩が目覚ましく、検査で体質を明らかにして予防や治療に役立てようとの潮流が強い分野です。一方で、倫理的・社会的課題は依然として存在しています。遺伝カウンセリングの場を設け、患者さん自身で検査を受けるかどうかや、どのような治療を受けるかを選択することはPatient Centricityの実現に不可欠です。
また、技術の進歩を患者さんに還元していくためにも、差別の防止や保険適用の拡大を含めた社会全体の議論が必要です。
遺伝性疾患に対する差別や偏見はいまだにゼロとは言えません。厚生労働省の「第7回ゲノム医療基本計画ワーキンググループ」は、がんの患者団体が家族や職場、そして医療者から遺伝性腫瘍に関して差別的な発言を受けた経験があると報告しています※3。一般市民はもとより、医療従事者に対しても啓発などを通して正しい知識とともに差別的な言動をしたり、差別的な思考に陥らないよう強く訴えていかねばなりません。そして、先述のとおり、遺伝的にがんのリスクが高い人でもがんを発症していなければ遺伝学的検査、および検査後の検診は保険適用になりません。患者さんやその家族から「がんを発症するまで検査を待たなければならないのか」といった疑問が生じるのは必然でしょう。また、特定の遺伝性腫瘍の診断ではなくさまざまな治療の可能性を網羅的に調べる「がん遺伝子パネル検査」は、標準治療を終えたケースでのみ保険が適用されていますが、こちらもより早い段階で実施できる体制が求められています※4 ※5。
進歩が目覚ましいがんゲノム医療の技術を広く患者さんに提供するためには、社会で実装する上での課題を乗り越えていく必要があります。財源の限りもある中で、研究機関、医療機関、製薬企業、検査企業、そして市民と、さまざまなステークホルダーが加わって議論をしていくことが重要ではないでしょうか。
※1 Petrucelli N, Daly MB, Pal T. BRCA1- and BRCA2-Associated Hereditary Breast and Ovarian Cancer. 1998 Sep 4 [Updated 2025 Mar 20]. In: Adam MP, Feldman J, Mirzaa GM, et al., editors. GeneReviews® [Internet]. Seattle (WA): University of Washington, Seattle; 1993-2025. Available from: https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK1247/
※2 良質かつ適切なゲノム医療を国民が安心して受けられるようにするための施策の総合的かつ計画的な推進に関する法律(令和五年法律第五十七号)
※3 一般社団法人全国がん患者団体連合会 理事長 天野 慎介「第7回ゲノム医療推進法に基づく基本計画の検討に係るワーキンググループ 資料2」、令和6年7月23日(火)、https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_41688.html
※4 一般社団法人日本癌治療学会「2024年度(令和6年度)診療報酬改定におけるがん遺伝子パネル検査の取り扱いに関する緊急共同声明について」、2024年6月19日、
https://www.jsco.or.jp/news/detail.html?itemid=609&dispmid=767
※5 日本癌治療学会・日本臨床腫瘍学会・日本癌学会 3 学会合同ゲノム医療推進タスクフォース/ワーキンググループ「参考資料6-1日本癌治療学会・日本臨床腫瘍学会・日本癌学会次世代シークエンサー等を用いた遺伝子パネル検査に基づく固形がん診療に関するブリーフィングレポート」、令和7年6月16日、https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_58839.html
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