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前回11月号では、『企業価値向上を見据えた「投資家とのギャップ」の処方箋』と題して、サステナビリティ経営の推進過程で求められる「投資家視点」に着眼した。「投資家のニーズを推し量る3種類のフレームワーク」と「投資家と企業の間に生じうる2種類の認識ギャップ」という2つの角度から「投資家視点」を読み解き、ギャップ解消アクションを「5種類の戦略要素」に区分して実施すべきであることを解説した。さらに、企業価値の構成要素を「氷山」に例えて、氷山のうち、「水面下に潜む未財務情報を含む戦略要素」と「水面上に表出した財務成果」を結び付ける価値創造ストーリーが重要であることを改めて指摘した。
本稿では、8月号および11月号に続く「サステナビリティ開示の歩き方 第3弾」として、8月号で解説した「マネジメントサイクル」と11月号で解説した「投資家視点」を踏まえ、これらを実践している先行事例が取り組みの「初手」として採用している「未財務価値の定量化」に関して、その具体的な方法や実践時の考慮事項を解説する。
本誌の読者にとっては、サステナビリティを企業価値向上に繋げる上で、財務要素(経済的価値)だけでなく、未財務要素(社会的価値)の貢献が不可欠であることは自明であろう。サステナビリティ開示が「任意開示」から「法令開示」に変化し、いよいよ2027年から時価総額に応じて段階的に開示が開始される段となったが、この主旨は「開示すること」ではない。これは、この変化が、「環境への取り組みや人的資本への投資、ガバナンス体制の有効性を始めとした未財務領域への取り組みが、企業の中長期的な利益成長および事業リスク低減に貢献するものとして認識され始めたこと」が端緒だからだ。
図表1:企業価値を構成する要素(サステナビリティ開示の対象範囲)
「株主資本コストを上回る利益を創出し得るか」「その利益は長期にわたって成長し得るか」という2種類の問いに対する答えは、11月号で「氷山モデル」を用いて解説した通り、企業価値の構成要素のうち「事業戦略」や資本政策などの「財務戦略」、および収益性、効率性、投資・配当、資金調達などの「それらに付随する財務的成果」だけによって得られるものではない。これは、財務指標群が「結果として可視化される指標」に過ぎず、「企業価値を向上させるために必要な活動」には、単に「これらの指標を改善する活動」だけではなく、その背景にある「多様な戦略要素に関わる活動」が不可欠だからである。
図表2:企業価値の構成要素 全体像
それが故、読者には、これらの認識を踏まえて、未財務要素に関する活動に注力している、もしくは注力しようとしている方も多いと思われる。反面、未財務要素は「定量化」が難しい。多くの読者が、財務要素と異なり、「自社が取り組む未財務活動には果たしてどれ程の意味があるのか」を定量的に証明できないことで、投資家との建設的対話が阻害されたり、社内での取り組み是非の協議・討議が遅々として進展しなかったりすることに課題認識をお持ちなのではないだろうか。
例えば、未財務の主要な要素である人的資本ではどうだろうか。PwCコンサルティング合同会社が2025年2月に実施した調査「国内企業における人的資本情報開示の最新トレンド」(対象:2024年12月時点で日経225を構成する国内企業225社)によれば、人的資本情報の開示媒体(統合報告書、サステナビリティレポート、人的資本レポートなど)において、自社の人的資本の重要テーマ/施策と企業価値を筆頭とするアウトカムの関係性(パス)を開示できている企業は、日経225企業のうちわずか5.8%(7社)に過ぎない。国内企業の多くは、人的資本と企業価値の関係性の定量的な提示に取り組んでいるが、両者の関係性を具体的に示すに至るには道半ばだ、といえる。
図表3:人的資本における事業との関係性
図表4:人的資本のパスを明示している企業割合
このように未財務要素の価値を定量的に示せない状態が続けば、経営陣に対して活動の経済合理性を説明できず予算配分や戦略決定は遅延するだろう。また、未財務要素の取り組みは「コスト先行」となる傾向がある故、定量的な証明なきままに活動状況を開示するだけでは、投資家は活動を「コスト要因」としてネガティブに評価する可能性すら生じ得る。未財務要素の取り組みを企業価値向上に繋げるには、それらが「どのように企業の中長期的な利益成長や事業リスクの低減に貢献するか」について、具体的かつ説得力を持つ説明が求められる。そのためには、何等かの手法を用いて「未財務要素が企業価値に与える影響を定量的に把握する」ことが欠かせない、と言えるだろう。
「未財務要素が企業価値に与える影響を定量的に把握する術が求められる」という課題認識は、企業だけでなく、学術的にも広がっており、盛んに研究が進んでいる。結果として、昨今未財務価値を定量的に評価することを試みたモデルは数多く提案されており、その手法は枚挙に暇がない。本誌の読者ならば、幾つかのモデルはお聞き及びだろう。
だが、課題認識に対して複数の解決策が提示されているが故、読者の中には「果たして、どれを選択すれば良いか」に頭を悩ませている方も大勢いらっしゃるのではないだろうか。
本稿では、世に発表されている全てのモデルをご紹介することは誌面の都合上叶わない。だが、幾つかのモデルをご紹介することで、自社にとってどのモデルが最適なのかを読者に検討いただく機会としたい。
例えば、未財務要素に対して、「環境・社会の生産性/効率性」と「インクルーシブ・ウェルス」を用いて統合評価するモデルAや、環境・社会インパクトを金額換算し財務数値に統合する会計的枠組みを採用するモデルBはどうだろうか。前者は、自然・人的・生産資本を統合評価して、包摂的富で持続可能性と便益を可視化することを目指しており、定量化・可視化の要諦は、「生産性・効率性」にあるといえる。一方後者は、社会・環境の影響を金額換算して損益に統合することで、資本配分と投資判断を改善することを目指しており、定量化の要諦は、「外部性の金額換算」にあるといえる。「社会的価値を重視して訴求したい」と考えるならば、これらのモデルを採用することが選択肢になるだろう。
また、指標の変化を「構成効果」と「率効果」に要因分解するモデルCや、未財務領域においても将来キャッシュフローを割引して本質的価値を算定するモデルDはどうだろうか。前者は、差を構成比効果と率効果に分解して要因構造を明らかにし、施策設計に資することを目指しており、要諦は「寄与分解」にあるといえる。一方後者は、将来キャッシュフローの現在価値で企業価値を合理的に算定する基礎的評価を目指しており、要諦は「施策の金額換算」にあるといえる。「未財務活動に対する意思決定モデルを改革したい」と考えるならば、これらのモデルを採用することが選択肢になるだろう。
対して、東証の発表に端を発してPBRに未財務要素がどの程度織り込まれるかを検証するモデルEはどうだろうか。このモデルは、資本効率と稼ぐ力を高めてPBRを改善し、市場での企業価値向上を促すことを目指しており、定量化の要諦は「市場評価(投資家視点)」といえる。「投資家との建設的対話を筆頭とするステークホルダーマネジメントで訴求したい」と考えるならば、このモデルを採用することが選択肢になるだろう。
図表5:さまざまな「定量化モデル」(例)
なお、いずれのモデルも「良い・悪い」や「どれが正しい・どれが間違っている」という評価ではなく、目的を実現するための補完関係にあると筆者は考えている。故に、読者が選択すべきモデルが、常に1つに特定されるわけではない。読者には、どのような目的・狙いに基づいて未財務要素の取り組みを推進するかを踏まえ、適切なモデルを選択する、もしくは複数のモデルを組み合わせて活用いただくことを推奨したい。
本稿では、8月号および11月号から継続して、「企業価値の最大化に資するサステナビリティ開示の歩き方」と題して、開示に関する要諦を解説してきた。また、ここまでに、要諦となり得る「未財務要素の定量化」に対して幾つかのモデル例を挙げ、自社の目的に応じて適切なモデルを選択もしくは複数組み合わせるべきだと説いてきた。
そこで、本稿の後半では、11月号で解説した「投資家視点」を踏まえて、5番目のモデル「モデルE」を用いて、実際に投資家視点での未財務価値の定量化に取り組んでいる先行事例を紹介する。その上で、読者に対して「未財務要素の定量化」に向けた具体的なアクションを推奨したい。
前述の通り、当該モデルでは、「資本効率と稼ぐ力を高めてPBRを改善し、市場での企業価値向上を促すこと」を目指している。これは、PBRがROE(自己資本利益率)とPER(株価収益率)の積で表現されることから、PBR向上のためにはROEまたはPERいずれかの改善が必要となるが、多くの企業が伊藤レポートを旗印に改善に取り組んでいるROEに対して、PERについては十分な取り組みがされていないのではないか、という課題認識に基づいている。
図表6:PBR(株価純資産倍率)の構成要素
PERを構成する「期待利益成長率」と「株主資本コスト」は、企業の将来の事業の成長やリスクに係る市場(投資家)の長期的な見通し(期待)を反映している。したがって、PERが低いということは、これらの指標に反映される投資家の期待が低いということを意味する。故に、投資家が企業のどのような活動や成果に注目して事業リスクや成長に係る期待形成を行っているか、すなわち、「投資家視点」でアクションすべき対象を定量的に特定することが、このモデルの本質的な狙いだ。
11月号を一読いただいた読者には、このモデルの背景にある考え方が容易に理解できるだろう。それは、企業価値向上に向けて、資本市場を通じて財務および未財務属性が株主価値に与える影響を適切に評価し、投資家の視点を加味した財務・未財務要素のマネジメントサイクルに繋げたい、という考えに基づくアクションの一環であることだ。
先行事例では、資本市場を通じて株主価値に影響を与える財務・未財務属性値についてTOPIX Core30や業界他社と相対比較して優位点と劣位点を見定め、統計的に改善機会やマテリアリティを特定することに取り組んでいる。具体的には、5種類のアウトプットにより、企業価値に対する未財務各項目の感応度と他社との相対的な優劣度、試算効果を可視化し、今後改善に取り組んだ際に得られる企業価値への期待効果の根拠情報を定量的に把握している。
図表7:先行事例が「初手」と選んだ5種類の創出成果
例えば、上場企業2000社超の84か月間平均を用いて、未財務属性の改善が株主資本コストと期待利益成長率に与える「影響の有無」と「影響の度合い」を特定している。これは、「市場全体」で企業価値に、項目単位で「何が」「どの程度」影響があるか、を定量的に抽出する取り組みであり、すなわち「企業価値に対するネットインパクトが大きい項目」を統計的かつ定量的に特定することを意味している。
図表8:株主価値に影響を与える財務・未財務項目
統計的推定から、投資家が注目している属性のプレミアム値を特定し、資本コストに影響を与え得る属性が何かを把握
またこの取り組みを通じて、市場において「何が」企業価値に影響し得るか(≒投資家から注目されている要素)を定量的に把握している。例えば、この事例では「研究開発費/売上高」「人材獲得とリテンション」は株主資本コストと期待利益成長率の双方に有意な影響を与え得る、また人材は育成よりも獲得の方がよりインパクトが生じ得る、など他属性と比較したインパクトの相対的多寡を把握している。
また、事例では、市場全体の評価に留まらず、比較対象企業を競合会社や異業種の先進企業から選定の上、自社との比較を行っている。業界平均を起点に、未財務属性の影響を定量的に評価し、株価から推計される株主資本コスト・期待利益成長率に対する貢献度を特定している。合わせて、自社と比較対象企業について、各属性が持つ感応度の影響を除外した上で、未財務属性ごとの評価値を相対的に比較(優劣評価)している。これによって、自社および比較対象企業において、各未財務項目がどれだけ企業価値にインパクトを与えているか、その優劣はどの程度か、を定量的に把握し、目標達成には「何を」改善すればよいかを特定している。
図表9:資本コストのインパクト分解と企業間比較
イナズマ図では、感応度を除いた評価値のみを抽出し、他社比較を通じて優劣の度合いや同業種/他業種の分布を可視化している。これにより、項目ごとの優先度や業種特性を鑑みた注力度を検討する際のインプットとしている。比較企業(同業種/他業種)との評価値の相対的な位置づけから、自社のみが大幅劣位ならば優先度高で対応すべきであり、他業種より劣位だが業種内は僅差ならば業種影響大として優先度を調整する。業種に依らず僅差ならば、改善を通じてより優位にすべき、など定量的な情報に基づいて改善対象の特定に活用している。感応度が高いかつ評価値が劣位な項目ならば、改善期待効果が高いという評価もしている。
図表10:資本コストに係る企業属性値の企業間比較
このように得られた定量情報を、先行事例では、戦略ストーリーに組み込む要素の優先度検討や「どの程度意欲的な目標/指標を設定すべきか」の妥当性検討に活用している。未財務要素の影響を定量的に把握することで、社内コミュニケーションに説得力が増すだけでなく、投資家との対話においては、根拠に基づいた意志を示すことが可能になる。
さらに、当該モデルを活用した事例では、「目標達成には何を改善すればよいか」だけでなく、「目標達成にはどれだけの改善が必要か」も定量的にシミュレーションしている。シミュレーション結果を通じて、項目ごとのシナリオ別株価上昇率や、シナリオごとの改善結果と比較企業との位置関係を可視化することで、ROIの「R(リターン)」を定量的に把握している。これにより、ROIのRを踏まえた取り組み優先度や改善の程度を検討できることに加えて、リターンを踏まえてどの程度までコストがかけられるかというROIの「I(インベストメント)」の検討インプットとしても活用している。本稿の冒頭では、未財務領域の定量化に各社課題認識を持っている旨に言及したが、未財務活動の投資対効果という観点では、多くの読者が特に「効果」の特定に困難があったのではないか、と認識している。当該モデルを用いた分析では、未財務要素の改善によって得られる効果を期待株価に対する上昇率や金額で示すことを実現している。また「何を、どの程度改善すれば、企業価値に何%の影響があるか、株価はいくら上がるのか」をシミュレーションした複数パターンの試算結果を、随時、戦略や開示の改善判断のインプットとして活用できる状況は、多くの読者の活動にブレイクスルーをもたらすのではないだろうか。
図表11:インパクト分析結果を用いた活動計画(例)
先行事例では、このように定量化モデルを活用して「改善すべきESG項目とその改善による期待効果」を創出した暁には、これらを開示戦略や中期経営計画実行過程での各部とのやり取りに組み入れることで、「真のサステナビリティ経営」の実現に繋げている。
例えば、マテリアリティ選定における重要性判断のインプットに定量化の結果を用いれば、企業価値に対して合理的な裏付けをもつマテリアリティの選定に繋がる。読者の中には、自社が選定したマテリアリティに対して、評価機関の項目からロングリストを作成して事業へのインパクトを定性的に評価・順位付けするなど、理論上は「適切な手法」で検討している反面、定量的な根拠がなく、設定や定義には合理性の強化や、そもそもの見直しが必要だと認識している方も多いのではないだろうか。そうした懸念に対して、「未財務領域の定量化」が有効な解を示し得ることは容易に理解できるだろう。
また、自社にとって重要な未財務KPI候補を洗い出す際のインプットにも、定量化結果を用いることが可能だ。これにより、定量化結果を踏まえた、因果関係の検証を要する範囲や、そのKPI候補の洗い出しに繋がるだけでなく、事業部門に展開する中期経営計画策定ガイドラインを通して、KPIの見直しや再定義の指示を、根拠を伴って実施可能な状態を創出している。
さらには、別の先行事例では、エンゲージメントを通した投資家の意見を、サステナビリティ経営の高度化に繋げる布石としている。この事例では、毎期統合報告書を発行しているものの、投資家との建設的な対話には至らず、投資家から毎期「開示内容の書き方に対する意見」を受け取るだけでエンゲージメントが終わっており、統合報告書の社内価値が低下するという課題を認識していた。定量的な根拠を伴わない価値創造ストーリーによって、投資家から有用な意見を引き出せていない状況が生じていた訳だ。これに対して、定量的な根拠に基づき、他社と比較して企業価値視点で改善幅が大きいと判断した劣位項目について、記載内容の改善優先度を判定した上で、記載内容の充実を図っている。この過程では、他社比較で劣位と判断した項目について、自社の開示と他社の開示を比較し、その差分を実質課題と開示課題に分類した。実質課題については、他社開示との比較から把握した課題を新中期経営計画に対する開示担当部門からのインプットとして、各担当部門に連携している。一方、開示課題はレポーティングの高度化に繋がる課題として取り扱い、各部門に当該視点を組み込んだ原稿を記載するよう依頼し、とりまとめを実施している。結果として、投資家視点を反映した開示媒体の発行に繋がり、投資家とのエンゲージメントの円滑化に繋がったとの意見が出ている。
このように、定量的な分析結果をレポーティングの高度化のインプットに用いることは、社内外の説明に合理性を持たせることができるため、開示担当部門にとって有益であることが先行事例から読み取れる。
本稿では、サステナビリティ経営を企業価値向上に結びつけるための核心として「未財務要素の定量化」を取り上げ、その重要性と実践の方向性を、幾多あるモデルから1つを例に、先行事例の取り組みを交えて解説してきた。開示義務化の流れは、単なる情報公開に留まらず、企業の中長期的な利益成長や事業リスク低減に資する活動を投資家が評価する時代の到来を意味している。財務指標は結果であり、価値創造の源泉が「氷山モデル」における水面下の未財務要素にあることを踏まえ、これらを定量化し、説明性を担保することは、サステナビリティ経営の成否を分ける分水嶺だ、と筆者は考えている。
自社にとってどのモデルが最適かは深い議論を要するが、8月号で解説した「マネジメントサイクルの実現」と、11月号で解説した「投資家視点」に加えて本稿で示した要諦を三位一体で合わせることにより、本稿が、読者が持続可能な未来に向けた新たな価値創出に踏み出し、「価値創造経営実現」を進めるうえでの糧になれば幸いである。
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