他者権利侵害リスクに備える―有事対応フローの整備とシナリオ検証による実効性向上―

  • 2026-10-28

はじめに

近年、企業価値の源泉が有形資産から無形資産へとシフトする中で、知的財産(知財)に関するガバナンスの高度化を求める社会的要請が一段と強まっています。2026年6月に内閣府・知的財産戦略本部が公表した「知的財産推進計画2026」※1では、「知財・無形資産は企業の稼ぐ力、日本の成長力の源泉」と位置付けられ、経営層における知財・無形資産の重要性に対する意識の向上や、知財部門の経営戦略・価値創造プロセスへの関与強化が重点施策として掲げられています。加えて2026年度中には「知財・無形資産ガバナンスガイドライン」の改訂が予定されており、企業に求められる知財ガバナンスの水準は、今後さらに引き上げられていく見通しです。

知財ガバナンスにおいては自社の権利だけでなく、他者権利を侵害するリスクについても対応を進めなければなりません。「知財・無形資産ガバナンスガイドライン」でも、他者権利の尊重は企業の信頼性・持続可能性を支える基盤的要素として明記されており、知財ガバナンスの中で取り組むべき課題として認識されるようになっています。

一方で、多くの企業では知的財産基本方針等において、他者の知財の尊重や権利侵害の回避を明文化しているものの、懸念が生じた際に全社的かつ適切に対応するための体制・ルールや業務フローの整備までは至っていないケースも少なくありません。つまり、方針の整備と、現場における実効的な運用との間に重要なギャップが生じていると言えます。

本コラムでは、こうした課題認識を踏まえ、他者権利侵害リスク(注)に対応する体制の構築・運用に着目していきます。

(注)「他者権利侵害リスク」とは、第三者が保有する特許権・実用新案権・意匠権・商標権・著作権といった知的財産権や営業秘密について、十分な確認をせずに業務を行うことにより権利侵害に至る可能性、および、権利侵害をした疑いが生じた際の対応を誤ることで不利益を被る可能性を指します。

1.他者権利侵害リスクを巡る環境変化

1.1 知財ガバナンスの重要性の高まり

前回コラム「高まる無形資産の重要性と権利侵害を防ぐ体制構築」でも触れたとおり、企業価値の源泉が有形資産から無形資産へとシフトする中で、知財ガバナンスの高度化に向けた取り組みが求められています。「コーポレートガバナンス・コード」(2026年改訂)※2や「知財・無形資産ガバナンスガイドライン Ver.2.0」(2023年)※3といった指針の整備はその象徴と言えます。

また、「知的財産推進計画2026」においても、「経営戦略の中枢に知財・無形資産を据えた知財経営のさらなる浸透」が重点施策の一つとして掲げられました。具体的には、2026年度中の「知財・無形資産ガバナンスガイドライン」改訂による知財・無形資産の可視化推進、有価証券報告書・統合報告書等における開示の在り方の検討、経営層の意識向上および知財部門の経営戦略への関与強化などが明記されており、知財ガバナンスの高度化を企業に求める動きは、より具体的かつ実践的なフェーズに入りつつあります。

1.2 多くの企業に残る「方針と運用のギャップ」

一方で、企業の現場に目を向けると、知的財産基本方針等において「他者の知的財産の尊重」「権利侵害の回避」を明文化している企業は多いものの、方針はあるが体制・ルール・業務フローがないというケースが少なくありません。

もっとも、このギャップの現れ方は、企業が蓄積してきた経験によっても異なります。例えば、知財紛争の対応経験を相応に有する企業であっても、その知見が特定の部門や担当者に偏り、全社的なルールとして整備・共有されていないケースがあります。こうした場合、知財に知見のある部門が事業部門の初動対応を十分に統制できず、事業部門が相手方からの問い合わせに対し、後の交渉や訴訟上不利になる情報まで安易に開示してしまうといった事態を招きかねません。他にも、法務部門において一般的な紛争対応の経験は豊富な一方で、知財紛争に関する知見が乏しく、知財部門と連携して有事に備える体制も整っていないといったケースも見られます。そうした企業では、新規事業の立ち上げ局面における他社特許権等の調査(FTO調査※4)を中心としたリスク評価プロセスも十分に整備されていないことがあります。

このように、自社がどの段階・どのタイプの課題に直面しているのかを正しく見極めることが、実効的な体制整備の出発点となります。

1.3 「方針はあるが運用が伴わない」状態が招くリスク

しかし、こうした「他者の知財の尊重や権利侵害の回避方針はあるが運用が伴わない」状態を放置することは、特許権等侵害の指摘、場合によっては訴訟に発展することで、事業の継続性やレピュテーション上のリスクにつながるため、企業にとって看過できない問題と言えます。また、生成AIの業務利用拡大やSNSを通じたタイムリーな情報伝達といった近年の環境変化は、他者権利侵害リスクの顕在化の確率とスピードをいずれも押し上げており、平時の備えの重要性は一層高まっています。

とりわけ、権利侵害が疑われる事象が発生した際の「初動対応」の巧拙は、その後の紛争の結末を大きく左右します。業務フローや判断基準が整備されておらず、初動を誤った場合には、例えば以下のような不利益を被るおそれがあります。

  • 不用意な情報開示による権利者の立証容易化:
    権利者からの問い合わせや警告に対し、自社製品・サービスの構成や技術仕様等の情報を慎重な検討を経ずに開示してしまうと、権利者側による侵害の立証を容易にしてしまい、交渉上不利な立場に陥りかねません。
  • 標準必須特許(SEP※5)に基づく差し止めリスク:
    FRAND(Fair, Reasonable, and Non-Discriminatory)宣言がなされた標準必須特許が関わる製品・サービスの場合、誠実にライセンス交渉を行わないと、FRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しないと評価され、差し止め請求が認められてしまう可能性があります。
  • サプライヤーとの契約上の保護の喪失:
    部材の納入元や開発の委託先といったサプライヤーがいる場合、契約上、知財紛争が生じた際には速やかなサプライヤーへの通知等が求められていることが少なくありません。そうした求めにもかかわらず、サプライヤーと連携せずに独断で権利者との協議を進めると、非侵害保証・補償条項※6に基づく費用負担をサプライヤーに求められなくなるなど、本来確保できたはずの契約上の保護を失うおそれがあります。

このように、初動対応の誤りは、単なる対応の遅延にとどまらず、リカバリー困難な法律上・事実上の不利益を招きかねません。また、初動対応時に求められる各種判断には高度な法的知見を要するため、事象の発生直後という限られた時間の中で、誰が・どの専門家と連携し・どう判断するかをあらかじめ業務フローに組み込んでおくことが、こうした不利益を回避するうえで決定的に重要となります。このように、他者権利侵害リスクへの対応体制の中でも、有事の対応体制を整備することの緊急性が高いことを踏まえ、次章ではその運用整備の方法に焦点を当てていきます。

2.有事の運用整備における基本アプローチ

PwCコンサルティングでは、他者の権利侵害に関する有事対応体制の運用整備にあたり、以下図表1の6つのステップを基本アプローチとして提案しています。

図表1:各対応施策の運用整備に共通する基本アプローチ

各対応施策の運用整備に共通する基本アプローチ ,

Step1:現状整理

最初のステップは、現行の制度・ルール・業務手順を収集し、運用実態とのギャップを可視化することです。関連する法令・社内規程・業界動向を確認したうえで、必要に応じて関係部署へのヒアリングを行い、運用実態を把握します。ここでの要点は、現状の課題を事実ベースで可視化し、改善の目的を明確化することです。併せて改善の優先度を設定し、検討範囲を明確にすることが、以降のステップを効果的に進めるうえで重要となります。

Step2:関係者の役割・責任の明確化

次に、関係部署・関係者を洗い出し、意思決定権限や責任範囲、実施責任者、支援者、報告先などを定義します。「誰が何を決め、誰が実行し、誰が確認・承認するのか」を明確化することが要点であり、担当者・管理者・経営層それぞれの関与のあり方を整理します。役割分担の曖昧さは、有事における初動の遅れにも直結するため、丁寧な検討が求められる工程と言えます。

Step3:プロセスの検討

Step2で定めた役割と責任を基に、導入すべき業務プロセスや判断基準を定義します。ここでの要点は、実効性の高いプロセスを目指しつつ、リスク管理・効率性・透明性のバランスを考慮し、実務現場の負担を過度に増やさない設計とすることです。理想形を追求するあまり現場で形骸化するプロセスとなっては実効性が損なわれるため、業務プロセスのあるべき姿を押し付けるのではなく、現場の意見を丁寧に取り上げながらプロセスを検討します。

Step4:手順書作成

検討したプロセスを文書化します。関係者の役割・責任およびプロセスを、「誰が読んでも分かる」「実務で使える」手順書として整備することが目的です。属人化を排し、組織として継続的に運用していくための基盤となる工程と言えます。

Step5:シナリオを用いた検証

ここまでで設計したフロー・手順書が、実際の業務シーンで機能するかを、シナリオを用いて検証するステップです。シナリオの検討にあたっては、リスクの影響度や発生可能性を踏まえたリスクベースアプローチが重要となります。具体的には、「シナリオ化→実効性検証→手順書の修正」を行います。机上で整備された手順書は、具体的な事象に当てはめて初めてその有効性が検証されるものであり、シナリオを通じて見えてくる課題を洗い出し、運用に耐え得る品質へと磨き上げていく工程です。

Step6:関係者との机上訓練

最後に、整備した手順書の実効性を関係者全体で確認するため、関連部署を巻き込んだ机上訓練を実施します。具体的には、想定シナリオに基づき、各関係者が自らの役割に沿って判断・対応を疑似体験することで、手順書どおりに業務が回るか、判断基準や情報伝達経路に不備がないかを検証します。机上訓練は、手順書の実効性検証の場であると同時に、関係者間で「目的」「背景」「影響範囲」に対する共通認識を形成し、運用開始に向けた合意形成を進める場としても機能します。訓練を通じて抽出された課題は手順書に反映し、関係者も含めて実効性のある手順書が完成します。

3.シナリオによる検証がもたらす価値

第2章で述べた6つのステップのうち、有事対応体制という文脈で特に重要となるのが、Step5・Step6のシナリオを用いた検証です。なぜなら、知財紛争・訴訟という有事は、日常的なインシデント対応とは性質を異にするからです。発生頻度は必ずしも高くない一方、ひとたび顕在化すれば、初動の判断が事業や交渉の帰趨を大きく左右します。机上で整備した手順書が「いざというとき本当に機能するか」は、具体的な事象に当てはめて検証して初めて明らかになります。

PwCコンサルティングが実際に支援した取り組みにおいても、シナリオ検証を通じて、平時には見えてこなかった数多くの示唆が得られました。一般論として、例えば以下のような効果が期待されます。

  • 部門間連携の促進:
    自社のサービスを念頭に手順書の対応を具体化することで、知的財産部門・法務部門・コンプライアンス部門・広報部門といった、平時は接点の少ない関係部門間で、有事の動き方に関する認識合わせが進むことが期待されます。各部門が同じシナリオに取り組むことを通して、連携上の前提のずれが具体的な場面の中で共有され、スムーズな協働の土台が形成されることが見込まれます。
  • 責任・役割の明確化:
    シナリオに沿って対応を疑似体験する過程を通して、関係者の責任所在や役割分担が一層明確化されていきます。「誰が何を判断し、誰が動くのか」が具体的な事例を通じて整理され、有事における初動の遅れや判断の空白を防ぐことが期待されます。
  • 実効性の検証:
    各対応に要する時間を把握することで、経営層への報告や社外の弁護士・弁理士といった外部専門家との連携を、どのタイミングでどのように行うべきかを実務の観点から検証することが可能です。これにより、手順書が時間的な制約の中でも実際に機能するかを確認し、その実効性を一段と高めることが期待されます。

このように、シナリオによる検証は、手順書を「作って終わり」にせず、実務で使える水準へと引き上げるうえで欠かせない工程と言えます。

4.他の有事対応への展開

ここまで述べてきたシナリオによる検証アプローチは、権利侵害に限らない広範なリスク管理領域への応用も可能です。例えば、昨今増えている情報漏えいや社内不祥事の発覚など、発生頻度は必ずしも高くないものの、発生時の対応を誤れば企業全体に重大なリスクをもたらす事象について、リスクシナリオを用いた社内予行演習を行い、社内規程や手順書などの実効性について確認を行うといった活用が想定されます。

特に、関係者を巻き込んだ机上訓練の設計・ファシリテーションには、リスク管理の知見と法的知見の双方の専門性が求められ、PwC Japanグループのメンバーファームによる連携の強みが発揮される領域です。こうしたトラブルへの対応では、プレスリリースやQ&Aといった対外発信が、後に紛争・訴訟へと発展した際に自社の立場を不利にしないよう、法的観点からの配慮が欠かせません。名誉毀損や不正競争防止法上の論点、自社に不利な事実を開示することの是非に留意しながら、開示する情報の範囲を適切にコントロールし、後に事実と異なると指摘されかねない表現を避けるといった点が要諦となります。これらは権利侵害を巡る紛争・訴訟対応と本質的に共通する視点であり、弁護士法人を有するPwCのネットワークを生かせる場面です。

おわりに

本コラムでは、知財ガバナンスへの社会的要請の高まりを背景に、他者権利侵害リスクへの対応体制、特に、権利侵害に関する有事対応体制の運用整備における基本アプローチについて取り上げてきました。

全ての企業で、一足飛びに高度なガバナンスを構築する必要はありません。自社の事業とリスクの特性に応じて、優先度の高い対応施策からスモールスタートで取り組みを始め、段階的に整備を進めていくことが現実的なアプローチとなるでしょう。また、すでに社内体制を構築している企業においても、環境変化を踏まえた継続的なアップデートを通じて、その実効性を維持していくことが求められます。

PwCコンサルティングでは、過去の支援を通じて蓄積してきた知見・方法論を体系化しています。他者権利侵害リスクへの対応体制の構築・高度化を目指す企業に対しては、第2章で紹介した6ステップの基本フレームを基に、企業ごとの事業やリスクの特性に応じた最適な体制構築・高度化の支援を提供しています。

また、PwC弁護士法人・PwC Japan監査法人などのファーム間連携により、コンサルティングの方法論と法的専門性を掛け合わせた支援を提供できる点がPwCの強みです。例えば、PwC弁護士法人が手順書整備に関与することで、知財紛争のタイムラインを踏まえた各局面で必要な証拠収集(無効資料調査など)や、適切な段階での外部の弁護士・弁理士の関与、法務部・知財部門を中心とする各部門とのフェーズごとの連携について、あらかじめ手順書に織り込むことができます。こうした設計は、例えば警告状への対応において、相手方が指定した回答期限に追われて拙速な対応に陥るといった、初動段階で後の交渉を不利にしかねない判断を避けるうえで有効です。

本コラムが、皆さんが自社の他者権利侵害リスクへの対応体制を見つめ直す契機となれば幸いです。具体的な検討にあたっては、PwCコンサルティングまでお気軽にお問い合わせください。企業の事業特性に応じた最適なアプローチを提案します。

※1「知的財産推進計画2026」…内閣府・知的財産戦略本部が2026年6月12日に公表した、知的財産政策に関する政府の基本方針。「成長戦略を支える知財戦略の推進」をテーマに、知財・無形資産への投資促進による価値創造、生成AI等の新たな時代に即した知的財産の保護、成長投資によるコンテンツ戦略の推進等が重点項目として掲げられている。

※2「コーポレートガバナンス・コード」…金融庁と東京証券取引所が2015年に策定した、上場企業が持続的に企業価値を高めるための行動原則をまとめた指針。経営の透明性、説明責任、ステークホルダーとの関係性等の原則が整理されている。2026年7月の改訂では、知的財産等の無形資産を含む成長投資への経営資源配分について、取締役会による検証と株主への説明の重要性が明記された。

※3「知財・無形資産ガバナンスガイドライン Ver.2.0」…内閣府と経済産業省が、2021年の「コーポレートガバナンス・コード」改訂内容を実務に反映させるため、2022年に策定した「知財・無形資産ガバナンスガイドライン」の改訂版。2023年に公表され、取締役会における具体的なチェック点や事例・テンプレート等が増補されている。2026年のコーポレートガバナンス・コード改訂を受け、本ガイドラインは2026年度中に改訂される予定である。

※4「FTO調査(Freedom to Operate)」…自社が製品やサービスを開発・製造・販売等するにあたり、他者の特許権等を侵害するおそれがないか(事業遂行の自由が確保されているか)をあらかじめ確認するための調査を言う。

※5「標準必須特許(SEP:Standard Essential Patent)」…特定の技術標準(LTE規格等)に準拠した製品を製造・販売するうえで、その発明の実施を避けて通れない特許を指す。標準規格の円滑な普及を担保するため、SEPの権利者は標準化団体に対し、公正・合理的かつ非差別的な条件(FRAND条件)でライセンスする意思がある旨の宣言(FRAND宣言)をしているのが通例である。FRAND宣言がなされたSEPに基づく差止請求が認められるためには、裁判例上、実施者がFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しないことが必要とされている。

※6「非侵害保証・補償条項」…部材調達契約や開発委託契約等において、納入物が第三者の知的財産権を侵害しない旨をサプライヤーが保証し(非侵害保証)、侵害に起因して発注者が損害・費用を負担した場合にサプライヤーがこれを補償する旨を定める条項。補償の条件として契約上、知財紛争が生じた際の速やかなサプライヤーへの通知等の手続きが求められていることもある。

※本稿は法的助言を目的とするものではなく、プロフェッショナルによるコンサルティングの代替となるものではありません。個別の案件については各案件の状況に応じて専門家の助言を求めていただく必要があります。また、本稿における意見にわたる部分は筆者らの個人的見解であり、各所属法人の見解ではありません。

執筆者

山崎 幸一
パートナー, PwCコンサルティング合同会社

黒瀧 海詩
PwC弁護士法人

日比 慎
パートナー, PwC弁護士法人

眞島 陸
シニアアソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

橘 了道
シニアマネージャー, PwCコンサルティング合同会社

増本 涼介
アソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

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