ヘルスケア業界における生成AIへの期待
個人から企業まで、実にさまざま領域で生成AIの活用が議論されていますが、中でもヘルスケア業界は生成AIによるインパクトが特に期待される領域の1つです。PwCが実施した「生成AIに関する実態調査2023」において、生成AIによる業務代替がどの程度起こると考えているか質問したところ、ヘルスケア業界では3分の1強が「業務の半分または全てが置き換わる」と回答しました。これは、自動車業界に次いで2番目に多い割合でした。また、いわゆるビッグテック各社やその他のさまざまなテクノロジー企業がヘルスケアに特化した生成AIのモデルやアプリケーションを開発していることからも、本業界における生成AIのインパクトへの期待の大きさが伺えます。
なお、一口にヘルスケア業界といってもさまざまな企業・組織が含まれますが、以降は主に医薬品・医療機器メーカーと医療機関を念頭に置いて論じます。
具体的な適用例とさらなる可能性
現時点で、多くの企業・組織で最も検討や検証が進められている生成AIは、テキストを生成するものです。こうした生成AIの活用事例として、まずは医療従事者向けの臨床文書作成サポートが挙げられます。従来数時間は要していたこのような事務作業が生成AIによって瞬時に作成されるようになれば、医療従事者の負担は軽減されるとともに、診断・治療により多くの時間と意識を割くことができるようになるため、医療の質の向上につながることも期待されます。
また、医薬品・医療機器メーカーが行っている、医療従事者・患者への情報提供や当局への申請・報告などの業務にも、テキスト生成AIの活用が期待されています。こうした業務は、疾患や患者に係る情報、自社製品の情報、有害事象や安全性に係る情報などのさまざまなインプット情報を参照・整理し、業界の法規やガイドラインに準拠しつつ、目的や対象者に応じて適切な形式でドキュメントを作成する必要があるため、多くの労力と時間を要しています。テキスト生成AIは、必要な情報の抽出・整理や各種文書の下書きを自動化することで、こうした業務の効率化につながると考えられます。
このようなテキスト生成AIの他に、よりヘルスケアに特化した生成AIの活用に向けた動きも加速しています。具体的には、医薬品の研究開発領域において、テクノロジー企業が分子構造を予測・生成する生成AIプラットフォームの提供を開始したり、医薬品メーカーとテクノロジー企業が生成AIを活用した医薬品設計の共同研究を行っていたり、といった事例が挙げられます。実際、生成AIを活用して探索した新薬候補が治験に進んだ事例もあり、従来に比べてコストは10分の1、期間は3分の1になったとのことです。
ヘルスケア業界が特に意識すべきこと
このように多くの期待が寄せられている生成AIですが、一方で著作権の帰属や倫理的な問題、セキュリティとプライバシーのリスクやハルシネーション（流暢だが事実と全く異なるコンテンツを生成してしまうこと）といったさまざまな課題も指摘されています。
加えて、ヘルスケア業界で考慮すべき特有の課題も考えられます。例えば、疾患や医薬品に関する専門的な情報・資料を参照させてアウトプットを生成するようなユースケースの場合、一般的なデータで学習した大規模言語モデルでは、学術用語や専門用語などを正しく扱えない可能性があります。そのため、ベクトル化のような元データの整理・加工に加え、場合によってはモデル自体を再学習（ファインチューニング）させるといった工夫が必要になると考えられます。また、ユースケースに応じて、インプットデータの取り扱い（例：治験データの二次利用）やアウトプットデータのチェック（例：情報提供活動に係るガイドラインへの準拠）など、業界固有の規制への対応方法なども併せて検討する必要があります。
ヘルスケア業界はそのビジネスが人々の健康や生命に直結することから、さまざまな義務や法規制が課されたり、科学的な正確性が強く求められたりするため、こうした業界固有のリスクや社会的責任を十分に考慮する必要があります。そのため、生成AIがもたらしうる大きなインパクトを捉え損ねないよう、その活用方法を見出していくことが急務と考えられます。
