PwCが考える「日本に必要な食料安全保障政策」―第3回―

  • 2024-10-17

1. はじめに

トリプルクライシスと呼ばれる「気候変動」「生態系破壊」「汚染・廃棄物」の問題がグローバルで農林水産業のあり方を変えています。特に農作物の生産に関しては、気候変動の影響を大きく受け、世界的にダメージを受けており、資源のほとんどを海外に依存している日本においては、食料安全保障リスクが高まっています。

今年に入り、世界的な農作物の不作によりオリーブオイル、トマト、カカオ、オレンジ、コーヒー豆、タコ、鶏肉などの価格が急激に高騰したことは、私たちの食卓にも大きな影響を及ぼしており、食料危機が身近に迫っていることを多くの人が実感する契機となりました。特にオレンジの不作により、春ごろからコンビニのオレンジジュースがミカンジュースに替わったことに、衝撃を受けられた方も多かったのではないでしょうか。

気候変動を加速させている要因のひとつが食料生産です。世界の温室効果ガス(GHG)排出量520億t-CO2(2007~16年平均)のうち、農業、林業、その他土地利用の排出が23%を占めています1。加えて、食料生産時に使用される化学肥料や農薬は、土壌の劣化や水質汚染を招いています。化学肥料と農薬を大量に使用する慣行農業によって日本の豊かな食文化を維持することは限界を迎えています。

新たな生産方法として、バイオテクノロジーを活用した細胞農業や精密発酵など、さまざまな研究開発が進められています。その中でも、従来の栽培法を変える方法として特に注目されているのが、環境保全型農業です。

現在、世界は気候変動、エネルギー消費量の増加、人口増加、食料不足のテトラレンマ(4重苦)に直面しています。これらの課題解決にあたって、PwC Japanグループでは、環境保全型農林水産業への転換や、地域の生物多様性の持続的な維持が重要な役割を果たすと考えています。

本稿では、環境保全型農業について現状・課題を概説したうえで、今後、日本が必要とする対応策を整理し、PwCが考える食料安全保障戦略(案)について概説します。

3. 各国の政策動向

世界的に頻発している自然災害や、気候変動に伴う食料・農林水産物への影響の深刻さから、持続可能な食料システムの構築と環境負荷低減型農業に対する注目が高まっています。各国において、農林水産業や地域の将来も見据えた持続可能な食料システムの構築が急務となっており、対策が実施されています。

(1)諸外国

EUは、2030年までに化学農薬の使用およびリスクを50%削減し、有機農業を25%に拡大させ、代替タンパク質の研究開発を促進することなどを明記した「Farm to Fork戦略(2020年)」を発表しました。これは「欧州グリーン・ディール」を実現するための戦略のひとつで、生産から消費までのフードシステム全体において、環境負荷の低減を掲げています。

米国は、「農業イノベーションアジェンダ(2020年)」を公表し、2050年までに農業生産量を40%増加させ、環境フットプリントを半減する目標を掲げています。2021年1月にはバイデン大統領が会見において、「世界で初めて農業分野におけるネットゼロエミッションを達成する」と表明しています。

(2)日本

農林水産・食品分野における国内の主な政策としては、「みどりの食料システム戦略」や「改正 食料・農業・農村基本法」があります。いずれにおいても、「環境との調和」や「持続可能な食料システム」の重要性が強調されています。環境保全型農業は、環境負荷の低減や生物多様性の保全だけではなく、生産性向上や作業の効率化にもつながることが期待されています。

みどりの食料システム戦略

農林水産省は2021年5月、持続可能な食料システムの構築に向け、食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現するための政策方針として「みどりの食料システム戦略」を策定しました。日本版の「Farm to Fork戦略」とも言われており、本戦略では、2050年までの農林水産業のCO2ゼロエミッション化や化学農薬・化学肥料の使用低減、有機農業の取組面積の拡大などの目標を掲げています。

2022年4月には、農林漁業および食品産業の持続的な発展、環境負荷の低減を図ることを目的とし、“環境と調和のとれた食料システムの確立のための環境負荷低減事業活動の促進等に関する法律”、通称「みどりの食料システム法」が成立しました。

2023年には、農林水産業の生産力向上と持続性の両立を目指すため、「農林水産省生物多様性戦略」が改定されました。改定戦略は、農山漁村における生物多様性や生態系サービスの保全、生態系サービスの可視化、生物多様性の価値を金融へ組み込むことで、農林水産業の新たな技術体系の確立とさらなるイノベーションの創造を図ることなどが盛り込まれています。

食料・農業・農村基本法

2024年5月29日、“農政の憲法”とも称される「食料・農業・農村基本法」の改正法が、参院本会議で可決・成立しました。1999年に制定されて以来、25年ぶりの大幅改正となります。

主な変更点としては、基本理念に「環境と調和のとれた食料システムの確立」が追加され、法律全般にわたり強調されています。また、食料生産から流通、消費までの食料システム全体で環境負荷の低減を目指すことが法律全般に明記されました。法改正と並行して、農林水産省では2027年までに新たな環境直接支払制度を創設するなど、環境保全に貢献する農業への公的支援の拡充に向けた検討が始まっています。

主な変更点
  • 「食料の安定供給」から「食料安全保障の確保」へ変更
  • 「環境と調和のとれた食料システムの確立」を基本理念に追加
  • 「先端的な技術(スマート農業、AIなど)」による生産性向上・付加価値創出
  • 「適切な価格」への消費者理解の促進
  • 収益性向上に向けた「輸出の促進」
  • 食料システム全体で環境負荷低減を目指すことを、法律全般に明記

4. 環境保全型農業の取り組み例

環境保全型農業にはさまざまなアプローチがありますが、単収(一定面積当たりの収量)を維持しながら環境負荷を軽減できる代表的な農法を紹介します。いずれも、先端的なテクノロジーを活用したものではなく、これまでも行われてきた農法であり、環境負荷の低減や生物多様性の保全に貢献しながら、生産性向上と作業負荷軽減が見込めます。

なお、以下の農法は後述するPwCコンサルティング合同会社(以下、PwCコンサルティング)の作業圃場でも実践しています。

再生二期作

  • 1回の田植えで2回の収穫を行う、水稲の再生能力を活かした多収生産技術
  • 一般的な二期作と比べ、二期作目の育苗・移植が不要になるため生産・労働コストが削減できることに加え、GHGのひとつであるメタンの発生を抑制しつつ収穫量を増やすことが可能

陸稲栽培

  • 水を張らない畑で米作りをすること
  • 水管理が不要になることによる農作業の効率化、水使用量の削減、水田由来のメタン発生をほぼゼロにすることが可能

中干し延長

  • 水稲栽培における中干し(水田の水を抜いて田面を乾かすこと)期間を延長することで、メタン発生量を削減
  • 7日間の延長で、メタン発生量を3割削減可能4

バイオスティミュラント

  • 農薬・肥料・土壌改良材の効果を高める効果を持ち、近年注目されている新しい農業資材
  • 高温・低温・乾燥や酸欠などの非生物的ストレスを緩和することで、農作物の収量・品質を向上させる

5. 課題と対応策

「食料・農業・農村基本法」は、食料安全保障の確保の強化と環境負荷低減型農業への転換を目的として改定され、その基本理念に「環境との調和」が追加されました。

一方、本法の参議院の付帯決議に盛り込まれていた「生物多様性の保全」は、条文には追加されませんでした。また、基本理念の上位にあたる法律の目的において、「環境」は含まれていません。生物多様性は食料・農林水産業の基盤であり、「環境と調和のとれた食料システムの確立」には生物多様性の観点が不可欠です。

また、日本の農林水産分野のGHG排出量(2020年度)は、5,084万t-CO2で全排出量のわずか4.4%ですが5、これにはカラクリがあります。日本のカロリーベース総合食料自給率はわずか38%(2023年度)6で、約62%を海外輸入に依存しています。そのため、食料品輸送に伴うCO2排出量の指標である“フード・マイレージ”において、日本は世界第1位となっています7

さらには、日本の農林水産物純輸入額は中国に次いで世界第2位(2021年)であり、日本は食料生産に必要なリン酸アンモニウムの100%、塩化カリウムの100%、尿素の96%、種苗の90%など、ほとんどの資材を輸入に依存しています8

このように、日本は自国の食料需要を海外からの輸入に大きく依存しており、食料生産に必要な資源(水、土地、肥料など)を海外から調達しているため、農林水産分野のGHG排出量が少なくなっているのです。

日本のバーチャルウォーターは世界6位です。バーチャルウォーターとは、ロンドン大学東洋アフリカ学科名誉教授のアンソニー・アラン氏が紹介した概念で、食料を輸入している国において、もしその輸入食料を生産するとしたら、どの程度の水が必要かを推定したものです。つまり、食料の海外依存度が高い日本は、形を変えて世界から水を輸入していることになります。

海外から日本に輸入されたバーチャルウォーター量は、約800億立方メートルにも 及び、これは日本国内で使用される年間水使用量と同程度です。そのため、世界での干ばつや水不足、水質汚染などは、決して対岸の火事ではなく、日本の食料安全保障にかかわる重大なことです。

世界の気候変動対策および日本の食料安全保障のためにも、海外資源への依存度を下げ、化学肥料や農薬の使用量を減らし、農業基盤を支える生物多様性を棄損しない環境保全型農業への転換を早急に進めるべきです。

最先端テクノロジーを使用せずとも、陸稲栽培や中干し延長などの栽培方法は、水田から発生するメタンを抑制することが可能です。特に陸稲栽培は水を使用しない栽培方法であるため、農業インフラ維持の観点からも、今後日本国内への普及が求められます。慣行農業の方法を少し変えるだけで環境負荷の低い栽培方法への切り替えが可能で、環境保全型農業には手軽に着手できる方法もあります。

現在の日本の施策、規制、インセンティブ設計は、慣行農業を守るために作られており、環境保全型農業の推進には適していないため、新しい食料生産方法へ移行しにくいのが現状です。慣行農業から環境保全型農業への移行を急速に進めるためには、リジェネラティブ(環境再生型)農業に取り組んでいる農家への格付け・評価を行い、その評価に応じた農作物の金額設定や支援策を講じるなどのインセンティブの導入が必要です。

6. 提言

人類による自然資源消費が、地球が持つ1年分の資源の再生産量とCO2吸収量を超える日、いわゆる「アース・オーバーシュート・デー」は、1990年代以降急速に早まっています。2024年の日本の年間資源使い切り日は5月16日でした。ちなみに、世界のアース・オーバーシュート・デーは8月1日であり、日本は世界よりも2カ月以上も早く、年間で使用できる資源を使い切ったことになります。

日本の豊かな食生活や食文化は、海外に依存して成り立っています。私たち消費者は、数十年後に、この日本の豊かな食生活・食文化がなくならないよう、地域の生物多様性を保全することの重要性を認識し、環境保全型農業への転換の必要性について声を上げるべきです。

私たちは、現在、未来への分岐点に立っています。

PwCの環境保全型農林水産業の取り組み紹介

昨今、社会課題は地政学リスクの拡大により、グローバル規模で発展しているだけではなく、複雑化を極めています。

このような潮流の中で、企業は将来予測が難しい複合的な経営リスクに対して、スピード感を持って対応する必要があり、コンサルティング会社は単に戦略立案だけではなく、具体的な実行支援までも求められています。

PwCコンサルティングでは、プロフェッショナル人材として「現場」「現物」「現実」の三現主義を重視し、机上ではなく、実際に現場で現物を観察して、現実を認識したうえで、問題の解決を図っています。

社員自らが田植え・収穫などの現場作業に携わり、環境保全型農業を体験することで現場感覚を養い、現場の状況に合わせた具体的な実行支援が行える能力を身につけることを目的とし、PwC Japanグループは以下のようなアプローチで環境保全型農林水産業に取り組んでいます10

PwCコンサルティングが作業する圃場について(福島県飯舘村および浪江町)

福島県飯舘村および浪江町は、2011年3月に発生した東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故の影響で、全員避難するよう求められた地域です。今でも、除染作業による土や草が入った黒いフレコンバックが残っています。PwCコンサルティングが作業する圃場は、除染後3年間寝かして、震災から12年目にしてようやく使えるようになりました。

元々、この福島浜通りエリアは農林水産業が主要産業でした。農業従事者が減少したこのエリアは、人口減少が進む日本の数十年後の未来を先取りしているとも言えるかもしれません。

取り組み① 環境保全型農業の実践

PwCコンサルティングは、環境保全型農業として「再生二期作」や「メタン抑制型栽培」、「陸稲(りくとう/おかぼ)」にチャレンジしています。

(1)再生二期作

再生二期作とは、1回の田植えで2回の収穫を行う、水稲の再生能力を生かした多収生産技術です。米の収穫後に伸びてくるひこばえ(切った稲の根元から新たに生える若芽)を実らせ、もう一度収穫します。

一般的な二期作と比べ、二期作目の育苗・移植が不要になるため、生産・労働コストが削減できるだけでなく、GHGのひとつであるメタンの発生を抑制しつつ収穫量を増やすことができます。

再生二期作の技術開発を進める農業・食品産業技術総合研究機構によると、関東以西の温暖地で可能な技術とのことですが、適切な管理を行うことで、福島県でも実施可能であることが分かりました11

再生二期作

(2)陸稲栽培

水を張らない畑で米作りすることを「陸稲」と言います。米作りで一般的な水稲の場合、作付け前に代かき(田に水を入れ、土を砕いて均平にしていく作業)を行って水を張り、気候や成長速度に合わせて水田内の水深を調整する必要があります。複数カ所に圃場を保有している場合、水深の調整であちこちの圃場を往復する必要があり、かなりの手間がかかります。しかし、陸稲であれば、水を張らないので、そうした手間は不要です。

また、水稲に比べ水の使用量を70%削減できるとともに、水田由来のメタン発生をほぼゼロにできます。

陸稲栽培

取り組み② 農林水産業を起点としたまちづくり

PwCコンサルティングでは、収穫した農林水産物を使ったプロダクト開発によるまちづくりも行っています。

2024年は、PwCコンサルティングが作業する圃場で去年収穫したお米を使って、地元・福島の酒蔵が焼酎を製造しています。今年初めての取り組みということもあり、この焼酎は社内の懇親イベントや贈答品として提供予定です。今後さらに取り組みを拡大し、福島の農林水産業と地元企業の地域・経済振興に貢献していきます。

田植え・稲刈り・サツマイモ収穫

PwCコンサルティングが作業している圃場にて、社員が米作り(田植え・稲刈り)やサツマイモ収穫を実施しました。

収穫作業の前に、農業用マルチシート(畑の畝を覆うための資材)を手作業で取り除く必要があり、これがかなりの重労働でした。積みあがったマルチシートを見て、生分解性マルチシート普及の必要性を強く実感しました。

田植え

稲刈り

サツマイモ収穫

PwCコンサルティングでは、現場感を持ったアドバイザリーを大切にするため、環境保全型農業の実現、食料安全保障への理解促進、農林水産業を起点としたまちづくりに取り組んでいきます。今後も、現場で得られた知見を形にし、随時情報発信していきます。

1 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)「土地関係特別報告書(2019年)」

2 農林水産省HP
https://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/hozen_type/

3 PwCが考える「日本に必要な食料安全保障政策」―第1回―
https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/thoughtleadership/food-security/vol01.html

4 農林水産省HP
https://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/b_kankyo/230301.html

5 国立環境研究所温室効果ガスインベントリオフィス「日本の温室効果ガス排出量データ」

6 農林水産省HP
https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012.html

7 農林水産政策研究第5号『食料の総輸入量・距離(フード・マイレージ)とその環境に及ぼす負荷に関する考察』

8 農林水産省「肥料をめぐる情勢」(2023年5月)
https://www.maff.go.jp/j/seisan/sien/sizai/s_hiryo/attach/pdf/HiryouMegujiR5-5b.pdf

9 環境省HP
https://www.env.go.jp/water/virtual_water/

10 PwC Japanグループ「環境保全型農林水産業支援」
https://www.pwc.com/jp/ja/industries/agriculture/conservation-oriented-agriculture.html

11 農業・食品産業技術総合研究機構,「温暖化条件下で威力を発揮する水稲の再生能力を活かした米の飛躍的多収生産技術」
https://www.naro.go.jp/project/results/4th_laboratory/karc/2020/karc20_s16.html

PwCが考える「日本に必要な食料安全保障政策」―第3回―

インサイト/ニュース

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執筆者

齊藤 三希子

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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川原 佑貴

シニアアソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

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