高齢者ウェルビーイングは「社会課題」ではなく「次の成長基盤」である

  • 2026-08-18

医療・介護の「手前」に広がる人口ボリュームと空白領域

高齢者支援というと、医療、介護、見守り、介護予防といった既存の制度領域がまず浮かびます。しかし実際の生活では、そうした制度の手前に大きな人口ボリュームが存在します。地域在住の65歳以上の日本人の約半数は、現時点で医療・介護の直接的な支援は必要としていないものの、身体機能・健康状態が低下傾向にある「フレイル」または「プレフレイル」状態にあると推計されています1。具体的には、日本の高齢者のうち8.7%が「フレイル」、40.8%が「プレフレイル」で、残り約50.5%が健常状態という統計結果があります2。これは半数近くの高齢者が、医療や介護の対象ではないものの、明確に健康影響の兆候を抱えていることを意味します。

こうした「医療・介護の手前」にいる高齢者の日常生活とその周囲には、曖昧で捉えにくい不安や兆候が潜んでいます。例えば、以下のような状態です。

  • 「まだ介護が必要ではないが、以前より外出や人との交流を控えがちになった」(生活圏の縮小)
  • 「趣味や旅行に興味はあっても、体力や健康面に不安があり踏み出せない」(活動への心理的ブレーキ)
  • 「離れて暮らす親のことが少し気になるが、どの段階でどこに相談すべきか分からない」(家族の不安と情報不足)
  • 「高齢顧客の健康変化により契約トラブルや事故リスクが心配だが、事前に把握する術がない」(企業やサービス提供側のリスク・負担感)
  • 「介護現場で多くの職種との連携や家族との調整負荷が限界に達している」(ケア人材への過剰な負担)

こうした課題は、従来の制度や市場設計では十分に扱われてきませんでした。医療・介護の枠組みではカバーしきれず、かといって個人や家族に丸投げするには社会コストが無視できない――まさに大規模な「空白領域」があるのです。

高齢者ウェルビーイングの本質は、この「制度の手前」にある不安・兆候・迷いに向き合うことです。重要なのは、高齢者を管理することではありません。高齢者自身の尊厳や主体性を保ちながら、家族や企業・地域社会が過剰な負担を抱えることなく必要な配慮・支援を行える環境を整備することです。これこそ、超高齢社会で真に問われるイノベーション領域だといえます。

「見守り」から「選択肢を支える」へ:データが生む新たな価値

これまでの高齢者向けサービスは「見守り」や「安全確保」が中心で、異常を検知し、転倒や徘徊などのリスクをいかに管理するかが主要なテーマでした。しかし、高齢者ウェルビーイングにおいてはそれだけでは不十分です。むしろ、「異常が起きたときだけ介入する」という従来の発想を超え、日々の暮らしにおいて、高齢者自身が「何をどこまでできるのか」「どのように社会と関わり続けられるか」を主体的に判断し、周囲もそれを適切に支える仕組みが大切になります。

この文脈で注目されるのが、PHR(Personal Health Record)などのデータ活用です。血圧、脈拍、歩数、睡眠、生活習慣といった健康データは、単に診断・治療のためだけではなく、本人の選択肢を増やすための「意思決定の支援情報」として機能し得ます。例えば、活動量や体調データをもとに無理のない旅行プランを提案する、生活リズムに応じて就労・ボランティアの頻度を調整する、小さな不調を早期に捉えて必要なタイミングで支援につなげる、といったことが可能になります。

データ活用の本質的価値は、高齢者自身の尊厳を保ち、日常の中で適切な選択と安心をもたらすことにあります。それによって、家族や企業・支援者にとっても過度な負担や緊張感が軽減されます。データは管理のためではなく、本人と周囲の「安心して選ぶ力」を支えるためにある――こうした発想が、これからの高齢者ウェルビーイングにおけるデータ活用の基本原則と考えます。

支援の受益者と費用負担:社会実装の鍵となる設計

もう一つ重要なのは、このウェルビーイング領域のビジネスモデルです。どれほど社会的意義が大きくとも、「誰が価値を受け取り、誰が費用を負担するか」が不明確では、長期的に続く仕組みにはなり得ません。

高齢者自身のQOL向上を目指すサービスであれば、本人が対価を支払うモデルがまず想定されます。しかし前述の通り、高齢者ウェルビーイングの価値は本人だけのものではありません。例えば家族は親の状態把握や介護と仕事の両立にメリットを得ます。企業は従業員や顧客の介護離職・事故トラブルを予防できるメリットを得ます。自治体や保険者は重症化予防による医療・介護費抑制の効果が期待できます。

つまり、この領域は「本人だけでなく周囲も恩恵を受ける」構造です。にもかかわらず、現在のところ多くのサービスは本人への直接課金モデルのみを想定しており、事業継続性が課題となりがちです。政府による補助金や社会実証プロジェクトが一時的に行われても、費用負担やKPI(重要業績評価指標)設計が曖昧なままでは「意義はあるが続かない」ケースが多いのが現実です。

したがって、社会実装を成功させる鍵は、受益者と支払主体を組み合わせた持続的なビジネスモデルの設計にあります。本人・家族・企業・公的機関の複数主体が役割と費用を分担して支えるエコシステムを構築し、それぞれが自ら取り組むROI(投資対効果)やKPIの合理性を明確化することが必要です。例えば企業がリスク管理の観点から費用を負担するモデルや、市場原理で事業を動かしつつ公的支援と組み合わせるモデルなど、柔軟な設計が求められるでしょう。

高齢者ウェルビーイング:業界横断の新たなエコシステムへ

「高齢者ウェルビーイング向上」を事業領域として捉えると、その関係者は極めて広範です。趣味・余暇の側面では旅行、レジャー、文化・教育、地域サービス業が、社会参加・就労では人材サービス、企業の人事部門、自治体が、健康不調対応では医療・ヘルスケア、相談サービス、保険者が、家族支援では企業の健康経営、福利厚生、介護サービスが、高齢契約者リスクでは不動産、金融、保険、交通・インフラ各業界が、介護負担軽減では介護事業者、医療・介護連携サービス、自治体・保険者などが関わります。

もはやこれは単一企業内で完結するテーマではなく、複数の業界・機関がデータと役割を共有/分担するエコシステムとして取り組む必要があります。どの組織が高齢者との接点を持つか、誰がデータを取得・活用するか、誰がサービスを提供して誰が費用を負担するか、成果をどこで共有するか。こうした問いに対し、業界横断で答えを構想することが求められます。

高齢者ウェルビーイングは、生活者とその周囲全体を支えるために複数の領域が連携する「業界横断型ビジネス」であり、企業共創によるエコシステム設計という視点でこの領域に挑戦する必要があります。

社会課題解決を企業のビジネスに転換するために

最後に強調したいのは、高齢者ウェルビーイングを「社会課題解決」のみにとどめず、企業が継続的に取り組むべきビジネスへと昇華させる必要があるという点です。社会的意義は重要ですが、それだけでは長期にわたる投資や事業拡大は困難でしょう。企業がこの領域にリソースを投じ続けるためには、社会課題解決と経済価値の両立が不可欠です。

そのためには、3つの視点が必要となります。まず、「誰にどんな価値を提供するのか」を明確に定義することです。高齢者のQOL向上はもちろん、家族の介護負担軽減、企業のリスク低減など、ステークホルダーごとの価値創出を具体的に描きるでしょう。

次に、「その価値に対して誰がどのように支払うのか」を設計することです。BtoC/BtoB/BtoGを組み合わせ、複数の収益モデルを検討する必要があります。

最後に、「どのように継続・拡大し、他地域・他業種に展開するか」を戦略的に描くことです。標準化・共通化の要件を見定め、業界横断的なエコシステムを広げていくための展開戦略が必要です。

高齢者ウェルビーイングは、医療・介護制度の周辺課題ではなく、企業の新規事業、顧客戦略、人的資本経営、リスクマネジメント、地域共創、データ活用と深く結び付くテーマです。そして、すでに確立された市場というよりも、人口構造の変化に伴って顕在化しつつある課題を、企業・行政・地域の連携により、事業として構造化していく余地のある領域です。

日本の超高齢社会における経験・知見は、そのような社会実装型ビジネスのあり方を検討する上で、一つの出発点になり得るのではないでしょうか。

執筆者

浅野 泰史

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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