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地政学リスクの高まり、サプライチェーンの分散化、脱炭素への対応、AI・デジタル技術の進展――海運業界では今、複数の構造変化が同時に進行しています。世界の貿易・物流網が組み替わるなか、海運会社には市況変動への対応に加え、物流をはじめとする周辺領域への事業拡大や事業ポートフォリオの見直しを進める動きが広がり、業界の競争構造やM&Aのあり方を変えつつあります。
本座談会では、PwC JapanグループのM&A、地政学・経済安全保障、税務、会計を担う各プロフェッショナルが、「Transact to Transform――M&Aを通じた変革の実現」をテーマに、海運業界が直面するM&Aの方向性と固有の課題を議論しました。集荷から最終到達地点までを一貫して担うエンド・ツー・エンド化を見据えたM&A戦略から、地政学リスクによるサプライチェーンの変容、グローバルネットワークを支える国際税務や新リース会計基準への対応、そして買収後のPMI(Post Merger Integration)を通じて「稼ぐ力」をどう高めるかまで、それぞれの現場の視点から議論しました。
登壇者
PwCアドバイザリー合同会社 パートナー
杉本 究
PwCアドバイザリー合同会社 パートナー
佐藤 崇吉
PwC税理士法人 パートナー
和田 光正
PwC Japan有限責任監査法人 パートナー
澤山 宏行
PwC Japan合同会社 ディレクター
ピヴェット 久美子
※法人名、役職などは掲載当時のものです。
左から、和田 光正、ピヴェット 久美子、杉本 究、澤山 宏行、佐藤 崇吉
杉本:
かつての運輸・物流業界では、海運、陸上輸送、倉庫など、それぞれのプレーヤーが機能単位でサービスを提供し、海運会社であれば、船舶や港湾ターミナルなどのアセットを磨きながら成長を積み重ねていくことが可能でした。
しかし現在は、地政学リスクの高まりによるサプライチェーンの分断・再編、脱炭素への対応、AI・デジタル技術の進化などによって、事業環境そのものが変化しています。これは単なる景気循環ではなく、業界構造そのものを変える構造変化と言えるでしょう。
そうしたなか、海運から陸上輸送、倉庫、ラストマイルまでをシームレスにつなぐエンド・ツー・エンドの物流サービスへの転換が進んでいます。海運会社による物流会社の買収や、物流会社による倉庫・ラストマイル領域への進出、デジタルフォワーダーをはじめとする物流テック事業者との連携など、グローバルプレーヤーによるM&Aを活用した業態転換も進んでいます。
いま起きているのは、単なる業界再編ではなく、「誰がサプライチェーン全体の価値を握るのか」という競争ではないでしょうか。こうした構造変化のなかでM&Aがどう動いていくのか、また、日本企業がどのような変革を目指していくのか。本日はM&A、地政学、税務、会計というそれぞれの観点から議論していきたいと思います。
まずM&A領域を担当している佐藤さんにお聞きします。エンド・ツー・エンドモデルへの転換が進むなか、この変化をどのように捉えていますか。
PwCアドバイザリー合同会社 パートナー 杉本 究
佐藤:
海運会社はこれまで、M&Aをそれほど積極的に活用してこなかったと認識しています。M&Aを実施する場合も、同業他社の買収が中心でした。しかし、ここ10年ほどを振り返ると、M&Aに対する目線は変わってきたと感じています。
背景には、2つの観点があります。1つは、海運以外にもサービス領域を広げていくという観点です。ビジネスモデルそのものを転換するところまではいかなくても、M&Aを活用して提供するサービスの幅を広げようとする動きが見られます。
もう1つは、市況変動の影響を抑え、経営を安定させるという観点です。海運業は非常にシクリカルで、好況期には業績が伸びる一方、市況が悪化すれば大きく落ち込む可能性があります。そこで、異なる事業を組み合わせることで業績の振れ幅をいかに抑えるかは、海運会社にとって重要な経営テーマです。
どこに軸足を置くかは各社で異なりますが、M&Aを活用しながら、それぞれが事業ポートフォリオの変革を進めていると捉えています。
杉本:
フォワーダーや港湾、倉庫、陸上輸送会社などへのM&Aは、海外の大手を中心に活発化しています。日本の海運会社では、今後どのような領域がM&Aの対象になっていくのでしょうか。
佐藤:
M&Aの方向性は各社で異なりますが、例えば、自社の海運事業をいかに強化していくかという観点から、周辺領域への投資を進める動きがあります。洋上風力をはじめとする新エネルギー関連事業への出資や、タンクターミナルなどへのM&Aがその一例です。他方で、海運事業との直接的なつながりにとどまらず、フォワーディングや3PL(サードパーティ・ロジスティクス)など、より広く物流領域へ事業を拡張していく動きもあります。
杉本:
今後5~10年を見据えたとき、日本の海運会社の競争優位の源泉はどこにあると考えますか。
佐藤:
日本の海運会社については、幅広い事業を総花的に抱える一方、「どの事業にフォーカスするのか」「どこに資本やリソースを重点的に投下するのか」といった戦略の濃淡が、外部からは見えにくい部分があります。今後5~10年を見据えると、海運を中心とする事業ポートフォリオのなかで、どの領域にフォーカスし、どの事業を伸ばしていくのか。より明確な戦略を打ち出していくことが、競争優位を築くうえで重要になると考えています。
杉本:
ドライバルク、自動車船、エネルギー輸送など複数の事業を抱えるなかで、どこに濃淡をつけるかということですね。一方、海運会社各社にとっては、企業価値向上も重要な経営課題です。投資家は海運会社に対してどのような成長ストーリーを期待しているのでしょうか。PBR(株価純資産倍率)1倍超を見据えたとき、どのような成長ストーリーを描く必要があると考えますか。
佐藤:
そうですね。どの事業に注力するのかという判断が、どちらかというと各事業部に委ねられている傾向があるようにも感じています。そのうえで、投資家が海運会社をどう評価するかは、難しい問題だと思います。相関の低い事業を取り込んで経営の安定化を図る動きは、経営としては合理的でも、投資家から見れば、事業ポートフォリオが複雑になり、「分かりにくい会社」になってしまう可能性もあります。投資家のなかには、周辺事業へ多角化するよりも、海運事業そのものにフォーカスしてほしいという考え方もあるからです。
特にアクティビストからは、経営側が考える方向性とは異なる事業ポートフォリオを求められることもあります。そうしたなか、海運会社を含む運輸・物流企業では周辺領域へのM&Aを進めていますが、投資判断において事業性やリターンを以前にも増して厳しく見るようになっていると感じます。買収によってどのようなシナジーを創出できるのかについても、より踏み込んだ議論が行われるようになっています。
PwCアドバイザリー合同会社 パートナー 佐藤 崇吉
杉本:
ここからは地政学の観点で伺います。イラン情勢、紅海情勢、ウクライナ戦争、米中対立など、地政学リスクの顕在化によって海運ネットワークの前提が変わりつつあります。こうした変化は、企業の調達や経営にどのような影響を与えていると考えますか。
ピヴェット:
ご指摘のとおり、近年、企業のグローバルビジネスは、地政学リスクあるいは経済安全保障リスクを震源地とする外部環境の急速な変化にさらされています。特に企業のサプライチェーンや海運ネットワークにストレスがかかる要因としては、2つのリスクが関係しています。
1つは、軍事的な衝突や緊張によって物流が混乱・途絶する有事リスクです。紛争などで軍事的緊張が高まると、港湾封鎖、航路変更、保険料の急騰、輸送遅延・停止などが発生し、企業のサプライチェーンに直接的な影響を及ぼします。例えば、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻後、西側諸国による対ロシア制裁を受け、欧州では代替調達先を求める動きが広がり、米国からのLNG輸入が増加しました。また、2023年10月以降のガザ情勢に関連して、フーシ派が紅海を通航する商船への攻撃を行ったことを受け、スエズ運河を回避し、より時間とコストのかかる喜望峰ルートへの切り替えを余儀なくされる動きもありました。
もう1つは、各国の保護主義的な動きに伴う政策リスクです。主要国が関税や輸出入管理などの通商政策、国内規制や補助金などの産業政策を変更することで、企業のコスト構造や競争条件が想定と変わったり、一部の取引が強制的に停止したりするリスクです。例えば、第2期トランプ政権が導入した国別・製品別の関税政策は、米国市場へのアクセスを域外からの輸入で賄っていた企業のコスト構造に影響をもたらしました。また、米中が重要鉱物や先端半導体などの経済安全保障上重要な物資について、特定の国・地域や取引先との取引を制限したことで、輸出側・輸入側ともに突然のサプライチェーン分断が生じています。
現在は、こうした有事リスクと政策リスクの双方が、企業のサプライチェーンや海運ネットワークに多大なストレスをかけている状況だと捉えています。
PwC Japan合同会社 ディレクター ピヴェット 久美子
杉本:
これらのリスクに対する企業の対応も、変わってきているのでしょうか。
ピヴェット:
企業では当初は、ビジネスを止めないための短期的な対応が中心でした。代替調達や生産調整、自社ネットワークの他地域からの代替供給などの手を打ち、一過性のリスクとして乗り切ろうとする動きです。
しかし、各国が経済的な強みを武器とする政策を意図的に繰り出す「経済の安全保障化」が進むにつれ、企業側もこれを一過性の事象ではなく、今後も継続するトレンドとして捉えるようになっています。いまや企業は、経済合理性だけでなく、政治的な意図や政策も事業戦略を左右する新たな判断軸として組み込まざるを得なくなっているのです。そのため、個別事象への対症療法にとどまらず、どの国・地域にどのような機能を置き、誰とサプライチェーンを構築していくのか――そうした企業戦略そのものを、新たな前提に合わせて見直す段階に入っています。結果として、サプライチェーンやグローバルトレードのフローが恒久的に変わっていく可能性もあり、まさに今が、その潮目の変化にあると見ています。
杉本:
有事リスクと政策リスクの双方に対応していく必要があるなかで、荷主側の地政学リスクに対する感応度は高まっているのでしょうか。佐藤さんはどのように見ていますか。
佐藤:
地政学リスクを受けてM&A戦略そのものを変えるところまでは、現時点では至っていないように思います。ただ、日本の海運会社は、日本の製造業がグローバルにサプライチェーンを拡大していく動きとともに成長してきたという背景があります。今後を考えたときに、「これまでと同様に日本の製造業を追いかけていくだけでよいのか」という議論はあるように感じています。リスク分散の観点からも、日本企業以外の顧客をどう開拓していくかは、各社にとって重要なテーマになっていると思います。
杉本:
私も先日、ある海運会社の役員の方と議論する機会がありました。地政学リスクに伴うコストを海運会社側が全て負担するのではなく、荷主側でも一定の理解が広がっている、と。また、日本企業だけを追うのではなく顧客ポートフォリオを広げようとしている、とも聞き、業界全体の感応度の高まりを実感したところです。
荷主側の変化とも関連して、企業はサプライチェーンのあり方そのものを見直し始めていると思います。こうした動きは、海運業界にどのような脅威と機会をもたらしているのでしょうか。
ピヴェット:
2018年の米中貿易摩擦や2020年のコロナ禍を経て、グローバリゼーションによる過度な対外依存が自国や自社の弱みになり得るとの認識が広がりました。そこで、サプライチェーンに冗長性を持たせてレジリエンスを確保する「分散化」や、信頼できる同盟国・同志国間で完結させる「フレンドショアリング」の動きが進んでいます。
これは、海運業界の需要構造を、「最短距離・最低コストを追求する大量輸送」から、「複数拠点を結ぶ冗長で変動の大きい輸送」へと変えていくものです。今後、世界規模・地域規模で貿易相手国の組み換えが進むほか、生産工程を多国間で分散することで、中間財が国境を越える回数が増えていくでしょう。また、各国が戦略物資や重要物資の流れを自国の政策意図に沿ってコントロールしようとするなか、原産地規則や輸出管理も厳格化しており、それに伴う企業のコンプライアンスコストの増加も、今後の変化の一つだと考えています。
こうした変化を前提に考え得る脅威としては、5つ挙げられます。
これらが同時並行で起こり、コストの上昇が世界貿易の成長鈍化につながれば、海運需要全体の低下を招くおそれもあります。
一方で、こうした変化は新たな機会も生み出します。主に4つの方向性が考えられます。
このように、分散化やフレンドショアリングといった一連の変化は、海運会社にさまざまな脅威をもたらす一方で、新たな航路や輸送需要を生み出します。複雑化する物流オペレーションをエンド・ツー・エンドで担うこと自体が、新たな事業機会になっていくと考えます。
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