なぜ企業は人権課題に向き合うべきなのか

「リスク回避」と「機会獲得」2つの側面から人権対応の意義を考える

  • 2025-11-12

はじめに

近年、企業活動における人権尊重の重要性が国際的に高まっています。各国で人権デューデリジェンス義務化などの法規制が進む一方で、投資機関・消費者・取引先といったステークホルダーの期待や監視も年々強まっており、企業は内外からの要請に応えることが不可欠となっています。対応が不十分な場合、訴訟リスクの増大やレピュテーションの低下といった事業活動に対する負の影響が生じかねないだけでなく、消費者や投資家、取引先の厳しい視線にさらされることで、収益拡大や資金調達の機会を失うリスクも高まります。

人権問題への対応不足は、具体的にどのような悪影響を及ぼすのでしょうか。本稿では「リスク回避」と「機会獲得」の2つの側面から、想定されるインパクトについて解説し、人権対応の意義を考えます。

日本企業の人権対応の現状と課題

まずは、日本企業の人権対応が、現状どのような水準にあるのかを見ていきます。

企業のSDGsへの貢献度を評価する非営利団体、World Benchmarking Alliance(WBA)が2022・2023年に公表した「Corporate Human Rights Benchmark(CHRB)」によると、日本企業の人権リスクへの取り組みは、アパレル企業を除いて、他国企業よりも低い水準にあることが示されました。特に自然採掘業は、100点満点中、他国企業の平均が23.8点なのに対し、日本企業は16.4点と、かなり低く評価されています(図表1)。

図表1:CHRBによる評価結果(日本企業・他国企業の比較)

では、他国と比べて、日本企業はどのような点が不十分なのでしょうか。PwC Japanグループが日本企業の人権尊重への取り組みや、コーポレート・サステナビリティ・デューデリジェンス指令(CSDDD)への対応状況について実態調査を行ったところ、人権尊重に取り組んでいると回答した企業は、全体の約4割にとどまりました(調査期間:2025年1月15日~2月14日、回答協力社数:443社)。

図表2:人権尊重の取り組み

しかも、人権尊重に取り組んでいる企業の主な取り組みは、「人権方針策定」(74.5%)、「苦情処理体制整備」(65.0%)、「組織体制構築」(56.4%)といった初期的対応に集中しており、「予防・是正措置」や「ステークホルダーとの対話」、「有効性の確認」といった後半フェーズの取り組みについては、実施率が低いことが明らかになっています(図表2)。表面的な取り組みは進んでいるものの、肝心の課題解決に関するプロセスの実効性は低いという現状が浮き彫りとなりました。

サステナビリティ関連の取り組みにはさまざまなテーマがありますが、過去を振り返ると、日本企業は環境領域への取り組みには力を入れる一方で、人権領域は後回しになる傾向が見られます。

環境領域への取り組みに日本企業が注力したのは、高度経済成長期の公害問題を受けた法整備が進み、対策を要求する市民運動も盛んだったからだと考えられます。結果として、日本企業の環境対応は非常に進み、ISO14001(環境マネジメントシステムに関する国際規格)の認証取得や、脱炭素化への取り組みが定着しました。

人権領域に関しては、日本は歴史的・文化的な背景から、マイノリティや差別の問題が社会的に表面化しにくい傾向があります。企業においては、上下関係が重視されるヒエラルキー文化が強く、ハラスメント行為が黙認されやすい風潮も一部でいまだに残る状況です。これらの要因から、ビジネスにおける人権尊重が世界のトレンドとなった今、日本企業による人権領域への取り組みと国際水準との乖離が生じているのではないでしょうか。

人権への取り組みは戦略的な投資である

日本には、現時点で人権尊重に関する強制力を持った法律はありません。これも、日本企業による人権領域の取り組みが進まない原因の1つであると考えられます。

しかし、法律の有無にかかわらず、企業は長期的な成長を実現するため、人権尊重に関する取り組みを自発的に行っていく必要があります。

なぜなら、人権尊重への取り組みは、成長を妨げるさまざまなリスクの回避や、成長を加速させる機会の創出につながるからです。適切な人権対応は、企業を成長に導く「戦略的」な投資であるとも言えるでしょう。本稿では、「リスクの回避」と「機会の創出」の2つの側面から、企業による人権対応の意義について整理します。

人権対応の不備がもたらす5つのリスク

企業が人権課題への対応を怠ることで懸念されるリスクはさまざまです。主な5つのリスクを例示します。

➀訴訟リスクの増加

企業の人権侵害責任を問う訴訟は、欧州を中心に世界中で増えています。持続可能な発展を目指すグローバル企業団体、持続可能な開発のための世界経済人会議(WBCSD)が2023年に公表したデータによると、企業に対するESG関連の訴訟件数は過去30年間で25%も増加。日本国内でも権利侵害に関する訴訟が発生しています。

企業に対して人権に関する訴訟が行われると、ネガティブな報道やメディア露出が増えるため、消費者や投資家、取引先、社員からの信頼を損ねるおそれもあります。先ほども述べたように、日本には人権尊重に関する強制力を持った法律はありませんが、労働関連法規や雇用契約などにのっとって、適切かつ公平な処遇の実践が求められます。

②取引機会の喪失

世界的な人権尊重意識の高まりや、サプライチェーンのグローバル化に伴い、企業がサプライヤーを対象に人権デューデリジェンス(以下、人権DD)を実施する動きが広がっています。自社の信頼やブランド力が毀損することを恐れる大企業は、特にその傾向が強いようです。

欧州では、EUが施行したCSDDDや、ドイツのLkSG(サプライチェーンにおける人権デューデリジェンス法)などが、サプライヤーに対する人権DDを要求しているため、他の地域に比べて取り組みが進んでいます。

日本ではそうした法律は施行されていないものの、大企業を中心に、取引先に対してアンケート調査などの人権DDを実施する企業が増えています。

人権DDによって課題が発覚した場合、取引先は発注主から改善を要求され、場合によっては取引関係を解消されてしまうこともあります。また、企業によっては、新たなサプライヤーを選定する際に、人権リスクを排除するための基準を設けているケースも見られます。そうした基準を満たせない場合、取引の候補から外され、新規契約の機会を失うおそれもあり注意が必要です。

③サプライチェーンの分断

上記はサプライヤー側で懸念されるリスクですが、一方でサプライヤーに発注する企業側にも、サプライヤーへの人権DDの不備によって想定されるリスクがあります。それは、サプライチェーンの分断です。

サプライチェーン上の取引先において重大な人権課題が発覚し、報道などによって社会的批判が高まった場合、企業はそのサプライヤーとの取引停止を余儀なくされる可能性があります。その結果、一時的にサプライチェーンが分断され、事業の継続に支障を来すリスクが生じるのです。

こうしたリスクを回避するためには、サプライヤーとの取引契約に人権条項を盛り込み、定期的なモニタリングを通じて、リスクを可視化・予防する取り組みが重要です。

④消費者・従業員からの批判

企業の人権侵害が発覚すると、NGOなどの市民団体や消費者から批判を受け、その企業の製品・サービスの不買運動に発展することがあります。ソーシャルメディアやインターネットを通じてネガティブな評判が拡散された場合、売り上げや利益に大きな打撃を与えるものとなるかもしれません。

また、賃金や待遇など労働条件に関する人権課題は、従業員のストライキや業務遂行の停滞を生み、事業に悪影響を及ぼす可能性があります。

⑤相対的な競争力の低下

人権DDに関する法整備は、欧州以外でも進展しており、アジア圏では、タイと韓国で人権・環境デューデリジェンス法(mHREDD)が法制化される動きがあります。これらの国のサプライヤーに対する信頼性が高まる一方、相対的に日本企業のサプライヤーが「選ばれにくい存在」となるリスクがあります。

人権対応は機会の創出につながる

ここまでは、人権課題に対応しないことによって生じるリスクを見てきましたが、人権対応を積極的に行えば、新たな取引や成長の機会を創出できる可能性もあります。期待できる4つの機会創出について解説します。

①ESG投資の獲得

市場調査や産業動向分析を専門とする調査機関Grand View Researchの報告によれば、世界のESG投資市場の規模は、2023年に25兆米ドルまで拡大したと推定され、2030年には約80兆米ドルに達すると予測されています。

短期的には、ESG関連の対策に消極的な米国トランプ大統領の就任や、欧米諸国を中心とするESGよりも、経済成長・競争力を重視する風潮の強まりなどにより、ESGファンド市場から資金が流出する傾向も見られます。

しかしながら、投資家がESGを重視するのは、環境破壊や人権問題、ガバナンスの欠如といったリスクを持つ企業をあらかじめ排除し、長期的なリターンを確保しようとする投資判断に基づくものであり、中長期的にはESG投資市場への資金流入の拡大が続くと考えられます。企業にとっては、人権をはじめとするESG領域の課題を積極的に解決することが、資金調達力の強化につながると思われます。

②格付け指標の向上

世界の代表的なESG評価機関は、人権に関連する取り組みを評価基準の重要項目の1つとしています。人権への取り組み状況がレーティング(格付け)を大きく左右するのです。取り組みの改善によってレーティングが向上すれば、市場からの信頼が高まり、資金調達コストの低下につながる可能性があります。

③消費者からの支持獲得・売り上げ拡大

近年、社会的、環境的な負荷が低い製品・サービスを選好する消費者が増えています。サステナビリティ専門のコンサルティング会社であるSedgwick Richardsonが2023年に実施した調査によると、世界の消費者の88%は「倫理的な調達・生産を行っている企業から優先的に購入する」と回答しています。特に18~24歳では、「人権問題が指摘された企業からは購買を避ける」という回答の割合が約3分の2に達しました。

日本でも、博報堂が2023年に実施した調査によると、買い物の際に「環境・社会に与える影響を意識する」と答えた人の割合は、2019~2023年の間に徐々に拡大しています。人権課題への配慮を行えば、消費者からの支持を獲得し、売り上げや利益の拡大にもつながると考えられます。

④従業員エンゲージメントの向上

企業が多様な人権を尊重し、公正な機会の提供や差別・ハラスメントの禁止などを徹底すれば、従業員は「自己の尊厳が守られている」と感じやすくなります。こうした職場環境は「働きがい」や「能力の発揮」に直結し、結果的に従業員のエンゲージメント向上につながります。

また、直接的に従業員の抱えやすい問題に対処するだけでなく、包括的な人権DDを実施し、潜在的な人権侵害を防止することも、従業員の自社に対する不信感を低減し、エンゲージメントの維持に寄与する効果が期待できます。

おわりに

人権尊重は、単なるコンプライアンス対応ではなく、企業価値を高める「戦略的投資」です。リスクを最小化し、機会を最大化するという両面の観点から、事業の持続的成長に寄与する重要な経営課題として位置付け、取り組んでいくことが求められています。

日本では人権尊重に関する強制力のある法律整備は進んでいませんが、義務化される前に対応を進めることが、企業の信頼と競争力の源泉となります。

人権対応は、単発の施策ではなく、子会社・サプライチェーン全体を対象としたリスク評価や是正活動が必要になるため、実効性が現れるまでには一定の時間を要します。法的義務がないとしても、中長期的に信頼獲得や競争力の強化を目指すには、今から自発的に進めることが重要です。

PwCコンサルティングは、課題の洗い出しやリスクマッピングの作成から、人権方針の策定支援、人権DD態勢の構築と実行支援まで、人権課題に対処するための多様なサービスを提供しています。法務やリスク管理をはじめとするPwC Japanグループの包括的な知見に基づき、実効性の高い支援を行っていますので、ぜひお気軽にご相談ください。

執筆者

北崎 陽三

マネージャー, PwCコンサルティング合同会社

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相川 麦太

アソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

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