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2024年12月、厚生労働省は5つの具体的な取り組みからなる「医師偏在の是正に向けた総合的な対策パッケージ」を策定しました(図表1)。このうち、学生と若手医師に対しては「医師養成課程を通じた取組」を、中堅からシニア世代を中心とする現役医師に対しては「医師確保計画の実効性の確保」を両翼のエンジンとして、医師が少ない地域での勤務を促すこととしています。他方、「地域の医療機関の支え合いの仕組み」、「地域偏在対策における経済的インセンティブ」、「診療科偏在の是正に向けた取組」の3点は、全世代を対象とするものと位置付けられています。
図表1:厚生労働省が発表したパッケージの取組一覧※1
執筆中の2025年4月時点では取り組みの具体的内容はまだ明らかになっていないものが多く、現段階で実効性の有無を論評するのは時期尚早です。しかしながら、今回のパッケージでは、対象区域で勤務する医師や派遣元医療機関に対する手当や補助などの政策誘導に加え、事実上の義務付けとも捉えうる手法が散見されているのが特徴と言えます。とりわけ、医師不足地域での医療の提供などの要請・勧告に従わない新規開業者を対象とした医療機関名や理由などの公表、保険医療機関としての指定期間の短縮、減算を匂わせる診療報酬上の対応、補助金の不交付など(図表1・赤線参照)は、「営業の自由」をめぐる憲法論争を提起する覚悟が行政当局にあるのか、また、そもそも「地域の医療機関の支え合い」にふさわしい内容なのかは別にして、従来の立場から相当に踏み込んだとの印象を受けます。
医師の偏在は日本だけの課題ではなく、むしろ「医師が都市から辺境まで等しく分布している国は存在しない」と述べても過言ではありません。また、偏在を論ずる以前に、医師の数自体が不足している国も少なからずあります。これまで、世界における医師の偏在対策は、各国に固有の医療制度や政治・経済情勢に影響されながら、自由と規制との間を行きつ戻りつしてきました。このコラムでは、我が国と関係が深い米英独仏露の5カ国における取り組みの歴史を、主に①医師数自体のコントロール、②医師配置のコントロール、の2つの切り口から概観し、日本が進めようとしている施策への示唆を得ることを試みます。
図表2:人口1,000人当たり医師数 国際比較(2020年、日露のみ2021年)※2
米国では、日本や後述するフランスなどとは異なり、政府による医学生や医師数の直接的なコントロールは行われていないようです※3。医師数を直接決定する医学部卒業生の総数は1980年以降、四半世紀にわたって年間15,000~16,000人の幅に収まっていましたが、2008年頃より上昇に転じ、2019年以降は毎年20,000人台で推移しています※4。しかし医師不足は深刻であり、2035年頃までに少なくとも13,500人が不足、2021年統合予算法(Consolidated Appropriations Act)による現在の卒後研修定員増が継続されない場合は、最大124,000人の医師が不足すると見積もられています※5。
偏在も深刻であり、51の州・特別区単位でみると2000年からの20年間で人口あたり医師数は全ての地域で増加しているとはいえ、伸び幅には地域間の差が大きく、33州・特別区では全国平均を超える勢いを示す一方、南部および西部の山岳地帯を中心に18州においては全国平均を下回っています(図表3)。さらに、2000年と2019年の比較では、その格差が拡大していることがわかります(図表4)。2019年には最も多いワシントンD.C.(人口1,000人あたり6.6人)と最少のアイダホ州(同2.0人)との間で3倍以上の差が出ており※6、上述した「十数年で3割程度の医学部卒業生数の漸増」では、地域間格差を埋めるには不十分なのかもしれません。
図表3:医師偏在マップおよび医師偏在指標(米国):2000年から2019年までの州ごと人口あたり医師数の変化(数値は2019年時点の人口1,000人当たり医師数)※6
図表4:米国:2000年、2019年の各州・特別区における人口あたり医師数の分布 ※6
米国では、過去半世紀以上にわたり、インセンティブによる医療資源の乏しい地域への医師の誘導が、偏在是正の主要な手段として活用されてきました。地域区分の具体例としては、医療職や医療施設の少なさに着目したHealth Professional Shortage Area(HPSA)や、プライマリーケアの充足度に着目したMedically Underserved Area(MUA)などがあり、いずれも保健福祉省傘下の保険資源事業庁(HRSA)が1つまたは複数の郡(County)を基準として指定します(Shortage designation)※7。2024年度末時点では、プライマリーケアの乏しさを理由としてHPSA指定を受けた7,749の地域に全米の人口の22%に相当する7,700万人が居住しており、当該地域では13,000人以上の医師が不足していると推定されます※8。
インセンティブの内容としては、HPSAやMUAで医療を提供した際の報酬の優遇措置に加え、医師を直接これらの地域での勤務に動員する仕組みとして、学費や教育ローンの肩代わり(以下、奨学金など)、ビザ有効期間満了後の母国への帰国義務の免除などを対価として、HPSAなどでの2~4年間の勤務を義務付けるプログラムが複数の主体によって提供されています※9。一見、日本の「地域枠」と似た趣旨の制度ですが、学生が当該プログラムの適用を受けるか否かを決めるのは出願時ではなく入学後であること、プログラム対象者の定員枠があらかじめ確保されていないのが相違点です。なお、対象者が義務を放棄した場合の措置ですが、例えば国立保健サービス団 (National Health Service Corps)のプログラムでは在学中であれば奨学金などの全額、また卒後の義務年限内ならば在職月数に応じて一定の割合で逓減させた奨学金などの3倍に相当する額に利息分を添えて償還しなければなりません※10。この条件は、勤務地にかかわらず全国一律です。
奨学金の償還訴訟も起こっており、同プログラムの下で70,000米ドル(約1,000万円)あまりを受給した上で、義務年限の始期が猶予される産婦人科の専門研修に進んだにもかかわらず、4年間の研修修了後に居所を転々として10年近く債務の免脱を試みた医師に対し、上述の「3倍返しルール」と年12~13%に及ぶ法定利息が適用された結果、裁判所が当初の10倍近い約67万米ドル(約1億円)の支払を命じた例が知られています※11。日本でも、義務年限の途中で離脱した際に支払うべき数百~2,000万円あまりの違約金の妥当性を巡る議論※12※13,が過熱していますが、米国における返済条件はそれ以上に苛烈であると言えそうです。
イングランドにおいては、医学部の定員調整は保健省と教育省の共管事項として、国民保健サービス(National Health Service:NHS)を通じ政府によって実施されます※14。2000年に1学年4,300人だった定員は2021年に8,460人とほぼ倍増しましたが、政府は2023年、医学部の新設なども通じて2032年までにさらに倍の15,000人まで増やすことを眼目とする“NHS Long Term Workforce Plan”を公表しました※15。同計画では、医学部の定員増に加え、卒後の家庭医(General Practitioner:GP)の研修ポストの50%増や、その他の医療職への研修などの幅広い対策が打ち出されているのが特徴です。
医師の偏在対策に関しては、イングランドでは第二次世界大戦直後にNHS傘下に設立された医療行為委員会(Medical Practices Committee:MPC)が半世紀にわたり、1,250に分割した区域ごとの医師の充足度を複数の基準に基づき4段階で判定し、上位2段階の区域についてはGPの新規登録を拒否することで、GPを全国に公平に配分する機能を担っていました。MPCについては、医師過少地域の減少に貢献したとの主張※16がある一方、地域間の医師数の格差は1970年代から拡大と縮小を繰り返していたこと、1970年代に医師不足であった地域の多くは2000年代に入っても引き続き医師が足りていなかったことも明らかにされており※17、その評価は一定しません。
かねてより官僚的で地域の実情に疎く、意思決定が遅い組織との批判が絶えなかったMPCは、NHS改革の流れに沿う形で2001年に廃止され、以降は地域の需要により柔軟に応えるべく、分権化された151カ所のPrimary Care Trust(PCT)が需要予測を含め、各担任区域におけるGPの採用計画を立案することとなりました。PCT時代の2004年から2013年までに地域間格差はわずかに縮小しましたが、その要因として、2008年より保健省が2億5,000万ポンドを投じて開始したEquitable Access to Primary Medical Care (EAPMC) プログラムにより、特に医師が不足している50カ所のPCTにおける100以上の診療所(Practices)の新設、全てのPCTにおけるヘルスセンターの設置および毎日午前8時~午後8時までの診療提供を中心とする医療サービスの拡大が奏功したためと推定されています※18。なお、2013年にPCTは医療職への権限移譲とプライマリーケアへの特化などを意図して、106のClinical Commissioning Groups (CCGs)に改組されました。
NHSは2016年、医師偏在対策の目玉として、Targeted Enhanced Recruitment Scheme (TERS) が適用される医師少数区域において3年間の卒後研修に従事しようとする医師に対して、研修開始時に20,000ポンド(400万円弱。ただし税引き後の手取りは10,000ポンド前後とされます)の一時金支給※19を開始しました。しかし、相前後して2015年頃より医師の偏在が再び拡大するとともに、医師少数区域ではPhysician assistant(PA)や薬剤師・看護師が相対的に多くなる傾向が観察されています※20。CCG時代末期の2021年時点では、カウンティ単位で見た場合、1人のGPが診るべき患者数の差は2.2倍にのぼっていました※21。翌2022年、CCGは効率的な多機関協働を通じた健康格差の解消や、医療に加えて個人の健康面や社会的側面へのアプローチ強化などを目的として42のIntegrated Care Boards(ICBs)へと改組されましたが※22、これが医師偏在の是正にどの程度効果があるかは未知数です。さらに、米国と同様、地域における研修医の定員数と住民の健康状態には直接的な相関関係があるとの指摘も出ており、今や英国における医師の偏在はサービスへのアクセスの良し悪しを超えて、健康格差をもたらしつつあるようです。
イングランドで医師の偏在が拡大基調にある理由としては、現在の主な施策は金銭的インセンティブを介した医師の再配置を企図しているため、へき地の医師数をコントロールする効果は間接的なものにとどまっている可能性が考えられます。具体的には、前述のTERSも、またMPC廃止後の2004年から導入された診療報酬調整の計算式(Carr-Hill Formula)も、医師少数区域における勤務を考慮した給与の上乗せ措置に過ぎず、地域ごとに必要な医師数を直接規定するものではありません。一部の識者からは、地域の医師数を一元的にコントロールする機関を再設置すべきとの声も出ていますが※23、前述のようにMPCが医療格差の是正にどの程度貢献していたかは疑問であり、同委員会が廃止に至るまでの根強い批判も考慮すると、中央集権体制には誘導的手法に比べて確実に優位性があるとまでは言い切れないようです。その一方で、EAPMCが少なくとも部分的には奏功したのは、医師過少地域の特定と具体的な数値目標を設定した結果と考えられ、行政計画において医師や医療施設自体を「資源」と捉え、再配分の対象とする思想の重要性が示唆されます。
※1 厚生労働省「医師偏在の是正に向けた総合的な対策パッケージ」
※2 World Bank. “Databank World Development Indicators”
※3 ゴードン・ノエル,大滝純司,松村真司. “米国における医師数と配置の統制(前編)”. https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2009/PA02837_07
※4 Association of American Medical Colleges(AAMC). FACTS: Enrollment, Graduates, and MD-PhD Data Chart5 “Graduates to U.S. MD-Granting Medical Schools by Gender, Academic Years 1980-1981 through 2023-2024”
※5 AAMC. The Complexities of Physician Supply and Demand: Projections From 2021 to 2036.
※6 National Center for Health Statistics. Health, United States, 2020–2021: Annual Perspective. Table DocSt. Active physicians and physicians in patient care, by state: United States, selected years 1975–2019.
※7 https://bhw.hrsa.gov/workforce-shortage-areas/shortage-designation#mups
※8 HRSA. Designated Health Professional Shortage Areas Second Quarter of Fiscal Year 2025 Designated HPSA Quarterly Summary As of March 31, 2025 Statistics.
※9 Walensky RP, McCann NC. Challenges to the Future of a Robust Physician Workforce in the United States. N Engl J Med. 2025 Jan 16;392(3):286-295.
※10 HRSA. “National Health Service Corps Scholarship Program. School Year 2025-2026 Application and Program Guidance. March 2025” https://nhsc.hrsa.gov/sites/default/files/nhsc/scholarships/scholarship-application-guidance.pdf
※11 https://casetext.com/case/us-v-rowland
※12 消費者機構日本.”差止請求訴訟”.
https://www.coj.gr.jp/injunction/topic_231121_01.html
※13 自治医科大学.“ニュース&トピックス”.
https://www.jichi.ac.jp/news/general/2025030604/
※14 GOV.UK. “Expansion of medical school places to be accelerated to next year”. https://www.gov.uk/government/news/expansion-of-medical-school-places-to-be-accelerated-to-next-year
※15 National Health Service(NHS) England. “NHS Long Term Workforce Plan”. https://www.england.nhs.uk/long-read/nhs-long-term-workforce-plan-2/
※16 Gooderham. “Why we must amend the Health and Care Bill and establish an Office for Equitable Distribution of GPs in England”. https://www.smf.co.uk/commentary_podcasts/amend-health-and-care-bill/
※17 Hann M, Gravelle H. The maldistribution of general practitioners in England and Wales: 1974-2003. Br J Gen Pract. 2004 Dec;54(509):894-8.
※18 Asaria M, Cookson R, Fleetcroft R, et al. Unequal socioeconomic distribution of the primary care workforce: whole-population small area longitudinal study. BMJ Open 2016;6:e008783.
※19 NHS England. “Targeted Enhanced Recruitment Scheme (TERS)”. https://medical.hee.nhs.uk/medical-training-recruitment/medical-specialty-training/general-practice-gp/how-to-apply-for-gp-specialty-training/targeted-enhanced-recruitment-scheme
※20 Nussbaum C, Massou E, Fisher R, Morciano M, Harmer R, Ford J. Inequalities in the distribution of the general practice workforce in England: a practice-level longitudinal analysis. BJGP Open. 2021 Oct 26;5(5):BJGPO.2021.0066.
※21 Rolewicz. “Chart of the week: Which areas of England have the highest number of patients per GP?”. https://www.nuffieldtrust.org.uk/resource/chart-of-the-week-which-areas-of-england-have-the-highest-number-of-patients-per-gp
※22 NHS England. “Integrated care in your area”. https://www.england.nhs.uk/integratedcare/integrated-care-in-your-area/
※23 Russel. “Troubling patterns of overworking but underserving in the GP service, and what to do about it”. https://www.smf.co.uk/commentary_podcasts/troubling-patterns-in-gp-service/
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