日本が目指すべきテクノロジーの社会実装とその可能性(前編)

日本発のイノベーションの起こし方

  • 2025-06-05

PwCコンサルティングのシンクタンク部門であるPwC Intelligenceは2025年4月、書籍『世界の「分断」から考える 日本企業 変貌するアジアでの役割と挑戦』(ダイヤモンド社)を刊行しました。世界は米中対立と経済安全保障重視の流れのなかで大きく揺らぎ、「分断の時代」に入りつつあります。本記事は同書の執筆を担当したPwC Intelligenceメンバーのディスカッションをまとめたもので、全5回のシリーズ構成です。今回お届けするのはその第3回(前編)。PwCコンサルティングの専門家たちが、「日本の課題とされるイノベーションをいかに起こし、未来を見通したビジネスユースケースをどうつくるか」について論考を深めました。前編は、「日本でイノベーションが起こりにくいのはなぜ?」から議論がスタートします。

(左から)柳川 素子、三治 信一朗、祝出 洋輔

参加者

PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence パートナー
Technology Laboratory 所長
三治 信一朗

PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence シニアマネージャー
祝出 洋輔

PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence マネージャー
柳川 素子

※法人名、役職などは対談当時のものです。

イノベーションの「種」に事欠かない日本。その「発芽」を阻むものとは?

祝出:
本日は、新刊書籍の第7章・第8章で取り上げた「日本・アジア発のテクノロジーのポテンシャル」と「エンタテイメント&メディアを軸としたテクノロジー」を念頭に置きながら、私たち3人で議論したいと思います。鼎談前半のテーマは、「日本でイノベーションが起こりにくい原因は何か、解決には何が必要か」です。

近年、「X-Tech」(クロステック)と言われるように、コンピュータ・通信容量の進化により、あらゆる業界でデジタル技術が駆使されるようになりました。現在の状況はかつてのITの普及・進展とは異なり、テクノロジーの役割が、「機能志向=何ができるか」から「社会課題志向=何のために、何を解決できるか」に変化している点で新たな段階に突入したといえます。X-Techの時代にあって、「日本発」のテクノロジーには本来、大きなポテンシャルがあります。日本は社会課題先進国であるうえに、使い勝手の良さ、痒いところに手が届く、といったつくり込みが得意だからです。

ただし、いまの日本は世界のテクノロジーのトップランナーではありません。その一因は、イノベーション力の低下です。本来、社会課題はイノベーションの種(たね)となるはずであるにもかかわらず、少子高齢化を背景にさまざまなイノベーションの種がある日本でなぜ、イノベーションが起こりにくくなっているのか。多様性の欠如、テクノロジーに対する社会受容性の低さ、新たなビジネスの障壁となる政策や規制、投資の脆弱性など、イノベーションの芽を摘む原因や背景はさまざまです。三治さんはどのようにお考えですか。

PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence シニアマネージャー 祝出 洋輔

三治:
社会課題を起点にしてイノベーションを起こすヒントは、日本が「ロボット大国」となった経緯に見出せるかもしれません。産業用ロボットが実用化されたのは1960年代の米国です。しかし普及が進んだのは米国よりも日本で、1980年代から2010年代にかけて世界一の稼働台数を誇るまでになった。米国で普及しなかった原因の1つは、まさに祝出さんが挙げた「社会受容性」の問題です。当時、労働組合等を中心に「われわれの仕事がロボットに奪われる」との反発があり、普及しなかったといわれています。

では、なぜ日本では普及したのか。ロボットが登場するマンガやアニメの影響も指摘されますが、それ以上に、当時の生産現場——「3K」といわれていた——職場環境を改善する必要に迫られていたからです。工程の自動化を図りたいメーカーのニーズに応えるべく、国内の産業用ロボット各社が技術の改善・改良を重ねた結果、多様な産業用ロボットが開発され、多くの生産現場に浸透しました。

祝出:
社会課題として、職場環境の改善が求められていて、ロボットの導入・浸透が段階的に進んでいったということですね。

三治:
そのとおりです。そしてここで着目すべきは、「起点」です。経営層が、「自動化を取り入れなければ、労働環境を改善できない」と判断し、自動化工程を進める方向に舵を切る決断をした。費用対効果ゼロからスタートし、導入数が増えるにつれて費用対効果を生み出す流れが徐々につくられていった。さらにこのプロセス自体が速く回り出すことで、質的・量的変化を伴って、やがて日本の産業用ロボットが世界市場を席巻するまでになった。つまり、最初に「経営における意思決定」あるいは「現場の改善を促すための投資の意思決定」があったからこそ、産業用ロボットというイノベーションが花開いたのです。

もう1つのポイントは、「導入する工程の拡大」です。産業用途では、まず溶接や塗装など人間にとって負担の大きい工程のロボット化や、人間がより快適に過ごす目的に沿う自動化が推進され、そこからより複雑なハンドリング技術、物のピッキングや移動といったマテリアルハンドリング(マテハン)技術へと応用が進み、高度化につながりました。この経緯のとおり、イノベーションは実は「簡単なこと」から始まります。イノベーションで、最初から難しいことに挑む必要はありません。簡単な領域、課題がある部分にまず手を差し伸べ、そこから次の工程へと広げていくことが大切なのです。

さてそこで、祝出さんが提起なさった「なぜイノベーションが起こりにくくなっているのか」という問題に立ち返りましょう。「実はみんな課題は分かっている。分かっているけれど、やらない」。これが本質です。イノベーションを起こすには、このモメンタムを変える必要があります。

PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence パートナー Technology Laboratory 所長 三治 信一朗

祝出:
どのような道筋が考えられるでしょうか。

三治:
日本が「ロボット大国」に至った経緯が示すように、求められるのは、「“気づき”を得た人が動ける環境づくり」「意思決定を下してそこに投資し、実際にプロセスを回すためのきっかけづくり」です。「イノベーション」という言葉には、ラテン語で「内側に向かって結合する」といった意味合いがあります。課題を感じた人、「気づき」を得た人が集まり、より良くしていこうとするモチベーション。これこそ、私たちが持たなければならない決定的なマインドセットではないでしょうか。

イノベーションを起こすには、「統合知」も必要です。ロボットの基本は「ピック&プレース」(持って、離す)というシンプルな動作であり、重要なのは、「眼と手」「動作と判断」だといわれています。こうした個々の技術を構造化するには時間がかかり、しかもそれらを統合しなければ役に立ちません。そのためにはさまざま知見を持ち寄り、複雑な情報から洞察を導くアプローチが求められます。

戦略の一貫性を担保する「パーパス経営」

祝出:
かつての「ロボット大国」時代、多くの日本企業では、いわゆる日本的経営のなかで「生え抜き」のマネジメント層が経営の舵を取っていました。しかし現在、外部からプロ経営者を招聘する流れが加速しています。イノベーションの「起点」となる「経営における意思決定」は、プロ経営者が抜擢される時代にも成立するのでしょうか。

三治:
何年スパンで経営を考えるのか、次第でしょう。複数の研究で、R&D(研究開発)投資の効果が発現するまでの期間は5年程度との結果が報告されています。ただ、意思決定者が5年後も同じ人物だとは限りません。5年を経てなお、そもそもの研究開発の「目的」に立脚して意思決定できるか、経営の一貫性を保てるか、がカギです。

「経営破綻寸前」だったにもかかわらず見事にV字回復を果たし、その後も利益を出し続けている企業の例を私たちは知っています。そこでは経営者がドラスティックな改革を断行し、同じ哲学を継承する次の経営者にバトンが手渡されたことで、新たな事業の柱が確立され、持続的な成長軌道に乗ることができたわけです。同様のチャレンジの全てが成功するとはいえませんが、経営の目的を見定め、さらにそれを問い続けることで、企業はあるべき方向に前進できる。つまり重要なのは「パーパス経営」であり、経営のその本質は変わらないはずです。

短期の成果vs.中長期の戦略──ジレンマを解くカギは「乗数効果」にあり

柳川:
R&D投資の効果をイノベーションにつなげるには、それなりに時間がかかります。一方で、企業の現場では短期的な利益の実現が求められ、投資回収期間やROIが常に問われるのも事実です。それゆえ、先を見据えた意思決定やプランニングが難しいというジレンマもあるかと思います。

PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence マネージャー 柳川 素子

三治:
答えのヒントは「乗数効果」にあるでしょう。小さなパン工場でロボットを導入するケースを考えてみます。6人で1つの製造ラインを担当していたとします。そこにロボットを導入して2人で製造できるようになった。余った4人のうち2人が、増設した製造ラインを担当します。これで生産量は2倍になる計算です。さらに残った2人が新製品の企画開発を担当し、従来製品よりも単価の高い製品の開発に成功します。そこで、製造ラインをもう1つ追加して、合計3つの製造ラインの全てで単価の高い新製品を生産する。その結果、売上げは3倍以上になります。

ロボットの導入により、人員の再配置と商品展開が連鎖的に進み、乗数効果のように生産性と売上げが跳ね上がる。効率化を起点とした一連の流れが、複利的に成果を積み重ねる経営の好循環につながる——こうした乗数効果、複利的な成果が得られるイノベーションを、いかにシンプルなかたちで実現できるかがカギとなります。

柳川:
パン工場の例えで重要なポイントは、「企画開発に回った2人が製造ラインで使われている技術を熟知していること」だと思います。企業のCTO(最高技術責任者)の方などからは、「企画側とテクノロジー側との間に“距離”があり、ニーズと活用のすり合わせが難しい」といった声をよく聞きます。両者が互いに歩み寄って理解を深めたり、誰かが両者の触媒になったりしなければ、テクノロジーと社会課題を結び付け、先を見据えて展開することにはなりにくいでしょう。

三治:
そうした「距離」を埋めるには、やはり「目的」「パーパス」に立ち返る必要があります。パン工場の例でいえば、その目的は「パンを製造すること」ではなくて、「工場を活性化して、お客様に満足していただける製品をより効率的にお届けすること」だと考えられます。目の前の自分の仕事を「目的」「パーパス」によって再定義し、具体的な行動に落とし込む。経営の目的に対する「問い」を立てられる企業であること、問いを立てたうえで経営につなげられるリーダーであり続けることが大切です。

主要メンバー

三治 信一朗

パートナー, PwCコンサルティング合同会社

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祝出 洋輔

シニアマネージャー, PwCコンサルティング合同会社

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柳川 素子

マネージャー, PwCコンサルティング合同会社

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