PwCコンサルティングのシンクタンク部門であるPwC Intelligenceは2025年4月、書籍『世界の「分断」から考える 日本企業 変貌するアジアでの役割と挑戦』(ダイヤモンド社)を刊行しました。世界は米中対立と経済安全保障重視の流れのなかで大きく揺らぎ、「分断の時代」に入りつつあります。本記事は同書の執筆を担当したPwC Intelligenceメンバーのディスカッションをまとめたもので、全5回のシリーズ構成です。今回はその第5回(後編)。駒澤大学の井上智洋氏(マクロ経済学)をゲストに迎え、PwCコンサルティングの専門家との議論を通して、日本経済の飛躍の道を探ります。後編では、AI新時代にビジネスパーソンが備えるべきマインドセット、スキルセットを解き明かしていきます。
(左から)伊藤 篤、井上 智洋氏、祝出 洋輔
参加者
駒澤大学 経済学部 准教授
井上 智洋氏
PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence シニアエコノミスト
伊藤 篤
PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence シニアマネージャー
祝出 洋輔
※法人名、役職などは対談当時のものです。
伊藤:
前編では井上さんから、AI時代の人材には、知識やスキルよりも、「自身のアイデアを形にするための適切な指示をAIに出す力(ディレクション能力)」が求められる、という重要な指摘がありました。井上さん、このディレクション能力を培うためのヒントとは何でしょうか。
井上氏:
前提として強調しておきたいのは、AIに任せられる業務がどんどん増えて、スキルや知識を持っているだけでは労働市場での価値が失われると言っても、スキルや知識が「必要でなくなるわけではない」ということです。良いディレクションをするには、それなりにスキルや知識が必要だからです。それを踏まえて、ディレクション能力を培うには学校教育が重要です。私の大学のゼミでは「問題発見・問題解決の能力」を重視し、「世の中にはどういう課題があり、どうやったら解決できるかを自分たちで考えて見つけ出す」ことを主眼にしています。学生たちは実際にプログラムの作成にも取り組んでいます。
ただ、「問題発見・問題解決の能力」を伸ばすには、小学校から大学まで一貫した育成が求められます。これまで、小学校では夏休みの自由研究のような「探究型の学習」を一部実施しているのに、中学校・高校では「暗記型の学習」ばかりになってしまう現実があった。中学・高校でも「探究型」にもっと力を入れるべきでしょう。最近、高校で「探求」という科目が導入されたのは良い傾向ですが、今のところ授業は週1回程度です。
駒澤大学 経済学部 准教授 井上 智洋氏
祝出:
では、ビジネスパーソンがディレクション能力を養うにはどうすればよいでしょうか。
井上氏:
「探究型学習」と同様の訓練を企業研修でも行うべきでしょう。ポイントは「不平不満」を持つこと。AI時代の人間のなすべき仕事の一つは「不平不満を言うこと」だと私は考えています。
一見すると驚かれる方も多いかもしれませんが、私自身、世の中に対する「不平不満」を長いこと自分のスマホに書き留め続けています。もちろん、書き留めただけではただの不平不満で終わってしまうので、その不平不満を「どうやったら解決できるか」「解決のためにはどんなアプリが必要か」「どういう仕組みが世の中にあれば良いか」を日々考えるわけです。企業研修や新規事業に臨んでも、社員が抱えていそうだったり、世の中にありそうだったりする「不平不満」を洗い出して解決策を考えるディスカッションを促す。そんな過程を通した人材教育が大切です。
伊藤:
興味深く伺いました。「不平不満」という語にネガティブな響きを感じて、「そこはグッとこらえるべし」などと思いがちです。しかし、アウトプットの訓練をきちんと重ねれば、そこから社会課題の解決につなげたり、ビジネスのヒントとなったりする可能性がある、と。言わば「明るくポジティブな不平不満」こそが、未来につながるわけですね。
祝出:
新刊書籍『世界の「分断」から考える 日本企業 変貌するアジアでの役割と挑戦』で私が担当した第7章「未来に向けた、テクノロジーによる社会課題解決―日本・アジア発のテクノロジーのポテンシャル」にも通じるお話です。
近年、「X-Tech」(クロステック)という言葉で表されるように、コンピューターの処理能力と通信容量の進化により、あらゆる業界で当たり前のようにデジタル技術が使われるようになりました。こうした事象は、一見するとかつてのITの進化・普及の延長線上にあるようにも見えますが、テクノロジーの役割が「機能志向=何ができるか」から、「社会課題志向=問題をどう解決するか」に変化している点が大きく異なります。
日本は「課題先進国」なので、X-Techを生み出す上でのアイディエーション(観念化、アイデアを生み出すプロセス)では有利な立ち位置にあるはずですが、現状ではそのアドバンテージを生かし切れていません。まずは井上さんのように、「不平不満=課題」を起点に考える訓練が必要でしょう。
もう一点、日本のビジネスパーソンは「現場改善」が得意です。使い勝手を工夫し、それを積み重ねることで、世界に類を見ない日本発のX-Techを生み出せる可能性があります。アニマルスピリッツを持ち、身近なところから“得意技”=改善に結び付ける。学食の「モバイル注文Webアプリ」のようなユースケースを創出する。そんなところから成長の種は育っていくのではないでしょうか。
PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence シニアマネージャー 祝出 洋輔
伊藤:
そうですよね。「イノベーション」や「社会課題の解決」と聞くと、「自分には無理」と感じる人は多いかもしれません。特に日本の企業文化のなかではイノベーションを難しく考えすぎるきらいがあります。イノベーションは身の回りの「不平不満」からも生み出せる。ビジネス発想のヒントになる重要な指摘です。
祝出:
井上さんが、魔法の杖という話を前編でしていました。生産性を劇的に高める「AI」の可能性です。AIには人類の未来を切り拓く力がある一方で、課題も当然あります。その1つが電力消費の問題です。現在、生成AIが社会に急激に浸透しつつありますが、生成AIのベースとなるLLM(大規模言語処理モデル)が消費する電力は毎時1.3ギガワットに上るとも言われます。これは3人家族3,700軒が1カ月に消費する電力量に相当します。約6倍に大規模化された最新世代のLLMでは、さらに電力消費が大きくなるとみられています。AIと電力問題について、井上さんはどのようにお考えでしょうか。
井上氏:
電力不足はAIの普及と進歩を妨げる最大の要因です。AIで今後爆発的に増える電力需要への対応は、東日本大震災とこれに伴う原子力発電(原発)事故で原発の稼働を縮小した日本にとって、特に深刻な課題でしょう。
AIを機能させるためにも原発は再稼働すべきという意見がありますが、センシティブな問題をはらむため、慎重かつ丁寧な議論が求められます。個人的には原発そのものには抵抗感がありますが、それでも「安全を確保した上での原発再稼働」は必要になるのではないかと考えています。今のままでは、AI産業の振興が行き詰まるおそれがあるからです。
伊藤:
エネルギーに関連する未来の技術として「核融合」も注目されています。どうお考えですか。
井上氏:
大いに期待しています。核融合は現在の原発の原理である核分裂よりも安全性が高く、持続可能性に優れているとされます。ただし実用化までの壁はまだまだ高い。そこで鍵となるのがAIの「知能爆発」です。人間の知能を凌駕するに至ったAIがさらに自己改良を加え、「自分よりも賢いAIをつくり出す」サイクルが生まれる現象を指します。知能爆発による科学技術全体のブレイクスルーが期待されます。知能爆発で一気に技術が進み、2030年代には核融合炉が実現するとの予測もあります。
祝出:
原発は、いずれは廃炉処理が必要になります。そのコストを考えると、まだ償却期間に満たない原発は再稼働すべきではないかという議論もあります。
そして核融合炉は、日本が「エネルギー自給国」「資源大国」、さらには「テクノロジー輸出国」へと進化する切り札になる可能性を秘めています。ヒントとなる先例が米国のシェールオイル・シェールガスです。かつて米国は石油を輸入する側の国でしたが、技術革新によって地中深くの硬い岩盤層にあるシェールオイル・シェールガスを効率的に採掘できるようになったことで、一転してエネルギー大国に躍り出ました。つまり1つの技術がゲームチェンジの原動力になったわけです。
核融合炉の技術開発もこれと同じで、AIの技術開発と並び、国が十分な資金を投じて取り組むべきテーマです。もし核融合炉が実現しなければ、日本のAIの未来とエネルギー問題は厳しいものとなるでしょう。
伊藤:
AIの進歩を見据えたもう1つの重要な論点として、国内のデジタル関連サービスや商品の輸入額が輸出額を上回り、収支が赤字状態になる「デジタル赤字」があります。2019~2024年の日本の国際収支のサービス収支を見ると、インバウンド需要(旅行)は順調に拡大したものの、輸送・旅行以外の項目では知的財産を除きマイナスで、専門・経営コンサルティング(広告)や技術・貿易などのマイナス幅が拡大しています。
こうしたデジタル赤字の状態でも、成長率が低下するわけでは必ずしもありませんし、安全保障上の問題がないのであれば、海外のデジタル関連のサービスや商品に依存することに問題はないとする意見もあります。その一方で、井上さんが取り組まれている「新本郷バレー計画」(前編参照)のように、AIの産業拠点を自前で創るべきという考え方もあります。この辺りの井上さんのお考えをお聞かせください。
PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence シニアエコノミスト 伊藤 篤
井上氏:
デジタル赤字は、是正した方がよいと考えています。ご指摘のように「貿易・サービス収支が赤字になっても全く問題はない」との声はよく聞かれますが、議論の余地はあるでしょう。貿易・サービス収支の赤字が膨らんで円安がさらに加速すると、経済への負の影響も考えなければなりません。現状ではそこまでのボリュームはないと思いますが、日本が自前のAI産業を振興できず、将来にわたって海外のAIサービスを利用し続け、その費用が膨大な額に及べば、負の影響は無視できなくなるはずです。
もう1つ重要なポイントがあります。海外のAIサービスに対価を支払わざるを得ないという状況は、資源やエネルギーを自給できずに石油や天然ガスを輸入し、ガソリン代・電気代を支払っているのと同じことだという点です。そういった“資源”(つまり自前のAIサービス)に恵まれた国の人々は産油国と同様に潤いますが、“資源”を輸入に頼る国では国民の生活コストがかさみます。貿易・サービス収支の統計をあれこれ言う以前に、国民一人ひとりの実質的な負担になるわけです。また、もし国内で高付加価値のAIサービスを生み出して自給できれば、富の流出を避けられる上、関連産業に従事する人々の収入が増えて国内経済への波及効果も期待できます。その意味でも、高付加価値なAI産業を国内で育てる必要はあります。
伊藤:
「データは21世紀の資源」と久しく形容されています。天然の鉱物資源はいかんともしがたいところですが、AIについては、それこそ日本の企業、労働者、政府が一体となって「アニマルスピリッツ(挑戦する精神)」を発揮し投資を続けていけば、日本の新たな“資源”とすることができますね。
祝出:
電力需要急増への備えと、デジタル赤字問題の解消は構造的に同じです。「持たざる国」である限り、キャッシュは流出せざるを得ない。「新本郷バレー計画」では「AI専用の巨大データセンターも増設する」との構想をお持ちでした。データセンターについても、やはり自前で確保するべきでしょうか。
井上氏:
海外依存が必ずしもいけないわけではありませんが、可能な限り国内で持っている方が、お金が国内でより循環します。
平均的な労働者がパソコンを使ってできる作業のほとんどをこなせる汎用人工知能(AGI)が2030年ごろまでには実現し、「年率30%以上の経済成長率があり得る」との予測があります(※)。私はもっと大胆な予測をしており、AGIの革命に成功した国では、経済成長率が年々上昇するような爆発的な経済成長が実現すると考えています。そのような成長率の上昇軌道に乗ることを私は「テイクオフ」と呼んでいます。
AIを積極導入してテイクオフできた国は上昇軌道に乗れますが、そうでない国は低空飛行が続き、テイクオフ国に食い物にされるという、かつての植民地主義のようなシナリオもあり得ます。人手不足問題の解消も含めて、これからの日本の浮沈を占い、経済を左右するという意味でも、今をチャンスと捉えてAI研究を推し進めるべきでしょう。
伊藤:
日本経済が人手不足問題を乗り越えて、AIの力でテイクオフするためには、積極的で大胆な財政政策も欠かせません。PwC Intelligenceとしても、AI産業の振興・育成のために、引き続き「統合知」で産官学のサポートに尽力していきます。貴重なヒントの数々、ありがとうございました。
※出典:Leopold Aschenbrenner 2024 ”Situational Awareness”
(左から)伊藤 篤、井上 智洋氏、祝出 洋輔