連載コラム 地政学リスクの今を読み解く

翻弄される医薬品産業:トランプ関税と最恵国待遇価格の衝撃

  • 2025-08-29

はじめに

2025年、米国における第2次トランプ政権の誕生は、通商政策の保護主義的方向転換を強める兆候を鮮明にしました。今回のPwC Japanグループによる「地政学リスク対応実態調査2025」では、トランプ政権による製品別関税の対象分野となる製造業を中心に、関税引き上げの影響を懸念する企業の割合が高く、関税コストの負担やサプライチェーンの混乱といった形でこうした懸念が顕在化していることが見て取れます。

特に医薬品産業では、実態調査の回答から以下の3つの特徴が示されました。

①トランプ政権の政策を懸念する割合が他の業種と比較して高いものの、その対策に課題を持つ企業が多い。具体的には、対策を主管する部署・権限や、外部専門家などの外部リソース活用、サプライチェーン情報管理、トランプ政権の政策運営に関する情報収集などに課題を抱えている傾向が見られた。

②トランプ政権による医薬品関税発動によって、医薬品市場の冷え込みや原薬調達コスト増、関税コスト上昇分の自社負担などを懸念する割合が高い。

③医薬品関税発動に備えて、生産・投資の米国シフトや米国での提携・M&Aといった対応を検討する割合が高い一方で、対米輸出製品の減産や販売一時停止、製品設計変更、広告費・人件費の縮小を考える割合は少ない。

また、これら関税問題への対応に加えて、日本医薬品産業においては最恵国待遇(MFN)薬価政策の復活がより深刻な事業リスクとして認識されていることも明確になりました。

1. 関税に対する医薬品産業の認識

医薬品産業は、他の製品に比べても規制が強い製品特質を持っている「医薬品」を中心とする産業であり、かつその製品特質を踏まえ、現在の無関税体制が形成された歴史的背景があります。この歴史的背景が医薬品企業の関税認識にも大きく影響していますが、本稿ではその歴史的変遷とともに医薬品の市場特性についても述べていきます。

第二次世界大戦後、国際的な通商体制は、1947年のGATT(関税及び貿易に関する一般協定)に基づき多国間の自由貿易を促進する方向で動き出しました。この枠組みにおいて、医薬品は当初、他の工業製品と同様に各国で一定の関税が課されており、特に原薬や中間体には10〜20%の関税が一般的に存在していました。しかし、医薬品という「人命に関わる必需品」が、一般の消費財と同様に課税されることへの国際的な懸念が次第に高まり、1980年代から「医薬品は非関税品目とすべき」とする方向性が主要国の間で強調されるようになります。

医薬品関税の大きな転機は、1994年のGATT最終ラウンド「ウルグアイ・ラウンド」における合意であり、この交渉の中で、医薬品については日米欧など先進国間で「ゼロ関税」にするという合意が結ばれました。この合意に基づき、日米欧などがWTO加盟国として、関税率の恒久的0%へと舵を切りました。この取り決めは、1995年のWTO発足後に発効し、現在も継続しています。

その後、2000年代に入ってからは、新興国でも同様のゼロ関税措置を取る国が増加し、医薬品関税は全世界的に低水準化が進展しました。

次に日本の医薬品としての市場特性について述べます。

①魅力的な国内需要:2010年代前半までは、日本の医薬品産業は高齢化と国民皆保険制度により売上が安定しており、リスクを取って海外を目指す必要が相対的に小さい状況でした。

かつて、国民皆保険制度を軸に世界医薬品市場の20%近くの売上シェアを誇った日本は、(現在は7%程度に縮小)、市場規模が単一国として米国に次ぐ2位の規模であり、海外展開リスクを取らなくても事業の成長、継続性が担保されました。近年では日本医薬品市場自体の成長鈍化と相まって、海外進出やグローバル企業へと進化するための変容が見られています。一方その多くは海外医薬品企業と比べると売上規模が小さく、国内拠点比率が高い状況が続いています。

②創薬競争力の差:新薬創出数、特にグローバル市場で評価される革新性に、米欧と差があり競争の中で立ち遅れています。創薬力の低下と、M&A規模が小規模という限定性から、短期のみならず中長期にわたる課題を抱えています。今後も医薬品企業のグローバル化を考える上では、パイプライン強化のための継続的な研究開発投資、海外拠点整備、またこれらを迅速に進めるためのM&A戦略の活性化が必要不可欠な要素となります。創薬競争力の差が進んだ結果、「令和5年 薬事工業生産動態統計年報」による日本の医薬品市場は輸入金額(最終製品等輸入)3兆7,726億円、輸出金額(海外向け直接出荷)7,131億円となっており、大幅な輸入超の状況となっています。

以上のように、日本医薬品産業はグローバル化進展の遅れと創薬創出力低下による医薬品輸入超という結果から、地政学リスク(トランプ関税等)対応のための社内体制構築や外部リソース活用が遅れている割合が高い傾向が見られているのではないかと考えます(図表1)。

図表1:あなたの会社の地政学リスク対応においてネックとなっている・なりそうなもの(複数回答可)

  全産業(592社) 医薬品産業(42社)
地政学リスク対応を任務とする部署・権限がない 121(20%) 11(26%)
部門間の意見が合わないなど社内の意見が集約できない 91(15%) 7(17%)
外部の専門家の誰にどう依頼すればいいかわからない 76(13%) 9(21%)
外部のステークホルダーなどの賛同を得られない 40(7%) 3(7%)

次に、トランプ関税を中心とした地政学リスクの問題は、日本医薬品産業にどのような影響をもたらすのかについて考察します。

今回の実態調査(6月)では、トランプ政権による医薬品関税発動が、医薬品市場の冷え込みや原薬・医療品調達コスト増、関税コスト上昇分の自社負担などを引き起こすことを懸念する割合が高くなっています(図表2)。

図表2:トランプ政権が医薬品関税を発動した場合に想定される・または既に出ている影響は?(複数回答可)

  医薬品産業(31社)
医薬品市場冷え込みによる売上減 21(68%)
原薬・医薬品調達コスト増 15(48%)
関税コスト上昇分の自社負担 12(39%)
サプライチェーン混乱による調達難 8(26%)
対米輸出減

6(19%)

世界的な創薬イノベーションの停滞 4(13%)
取引先企業の対米輸出減による受注減 3(10%)

図表2では、原薬・医薬品調達のコスト増によって医薬品市場全体の価格が上がり、結果として医薬品の使用控えが起こるという連想が生じていると想像されます。そのコスト吸収方法としては、関税コスト上昇分を自己負担するという対応(図表2)と、米国国内販売の値上げを検討する対応(図表3)を考える企業が多い回答となっています。これは、ある程度の自己負担は仕方ないとしても、上記に述べた医薬品という規制産業の観点から、構造的に価格の転嫁について制約される環境にあることも大きな要因です。

2. 価格転嫁の難しさ

この制度的な制約については、世界的に医薬品特有の保険償還制度の硬直性、米国特有のPBM(Pharmacy Benefit Manager、処方薬の保険給付管理を担う中間業者)とのリベート交渉構造、340B制度の価格上限義務といった多くの規制によるものと考えられます。この硬直性はFDA(米国食品医薬品局)やEMA(欧州医薬品庁)の認証手続き、GMP(適正製造規範)準拠の生産要件、安定供給義務などが複合的に絡むため、一朝一夕に変えられません。一方で今まで米国医薬品の価格は需給バランスも含め、年々価格を上昇させることが可能でした。しかしインフレ抑制法(IRA)が2022年8月にバイデン政権下で成立し、処方薬の薬価に関する改革が行われています。具体的には、Centers for Medicare & Medicaid Services(CMS)に特定の処方薬の薬価交渉を義務付けたり、一定の要件を満たす新薬について、インフレ率を超える値上げをした場合にCMSへのリベートを義務付けたり、受益者の自己負担額に上限を設けたりと薬価上昇への1つのハードルが課せられるようになりました。他産業では最終需要者と流通業者との個別契約でコスト転嫁が交渉余地を持つ場合が多いですが、医薬品は製品の特性と公的制度とが複雑に絡んだ価格決定がなされており、そのため自助努力だけで負担を吸収することがより難しい産業構造となってきていることが背景の1つであると推察します。

次に関税の影響を踏まえ、医薬品市場の冷え込みによる売上減についても指摘します。

3. 米国市場への強い依存

医薬品関税発動に備えて、生産・投資の米国シフトや米国での提携・M&Aといった対応を検討する割合が高い一方で、対米輸出製品の減産や販売一時停止、製品設計変更、広告費・人権費縮小などの対応を取る割合は少なくなっています(図表3)。

図表3:トランプ政権が医薬品関税を発動した場合に備えて、検討中または実施済みの内容は?(複数回答可)

  医薬品産業(31社)
生産・投資の米国シフト 10(32%)
米国での提携・M&A 8(26%)
米国内販売価格の値上げ 7(23%)
調達網の強化(複線化/切り替え/内製化) 6(19%)
米中デカップリングの加速に備えたサプライチェーンの再編 6(19%)
事業モデル変更 5(16%)
米国以外の輸出先の多角化 5(16%)
対米輸出製品の減産または販売一時停止 2(7%)
製品設計・仕様変更 2(7%)
広告費縮小 2(7%)
人件費縮小 2(7%)
いずれも検討または実施していない 8(26%)

その理由は、世界の医薬品企業の米国売上依存度が突出していることにあると考えます。米国は世界人口の約4%を占めるに過ぎませんが、AHIP(America's Health Insurance Plans)によると、特定の新薬に関しては、世界全体の売上の56%を占めています。

世界で最も収益性が高い米国市場への偏在が、関税リスクを高める結果となっています。

他産業でも、海外事業展開を行っている企業からすれば「米国依存度が高い」のは一般的だと思われますが、医薬品は米国の医療制度、薬価水準、上市スピードなどの事情から偏在が解消しにくい構造となっています。つまり他産業よりも米国の政策変動が即グローバル収益の毀損に直結するということです。また、米国は世界の医薬品のイノベーションの源泉となっており、市場のみならず、医薬品イノベーションも米国中心で展開されています。

創薬コストについて考えた場合でも、米国での高薬価にて研究開発投資が回収されるのが世界の医薬品産業構造となっており、米国以外の他市場を開拓してリスクヘッジできるような市場構造ではないという、医薬品全体の規制産業としての難しさがあります。言い換えれば、米国中心の医薬品イノベーション体制によって投資回収がなされ、各医薬品企業が米国に集まり、多くの投資が行われてきたため、米国には最新の技術や医薬品が一番に供給されてきたという歴史があるということです。この裏返しとして、他国と比べても高い価格を支払っているという制度の不合理に納得がいかないという米国の主張があり、不満の1つの要因にもなっています。

仮に関税問題で医薬品価格を上乗せするという手段を取ろうと考えたとしても、後に述べる最恵国待遇制度導入を示唆するトランプ政権の「米国医薬品価格を下げる」という強烈なメッセージを踏まえると、今後の交渉いかんではありますが現段階では価格転嫁も限界があり、全体的な売上減少へつながると想定されます。

4. サプライチェーンの硬直性

トランプ政権の政策運営に対応するためのサプライチェーンの見直しが進まない背景に、情報収集の強化を図れていない割合が高い点が挙げられます(図表4)。

図表4:第2次トランプ政権の政策に対応するため、自社ではどのような検討や対策を行っているか?(複数回答可)

  全産業(592社) 医薬品産業(42社)
情報収集の強化 270(46%) 17(41%)
サプライチェーンの見直し(関税増加の影響分析、調達・生産の変更など) 161(27%) 10(24%)

情報収集の強化が図れていない点に加えて、医薬品製造においては原薬・製剤調達のサプライチェーンに関する地理的依存の問題も抱えています。特に医薬品の原薬では、中国やインドが世界市場での存在感を強めています。原薬については中国に依存している状況がありますが、その代わりにインドへのシフトを考える企業も多いと思われます。しかしそのインドからの調達にも、中国が間接的に関与しているケースが多くあります。つまり、中国からの調達関税リスクと他国からの調達難とを合わせて考えても、サプライチェーンの多様化には限界があるということです。仮に原薬において米国での製造工場建設が進んだとしても労務費が高く、全体的な製造コストが高くなる米国でこれらの中国、インドでの原料・原薬の生産を置き換えるハードルは高いのではないでしょうか。また、そのコストを消費者は受け入れるのでしょうか。高額な医薬品価格を問題視するトランプ政権において、最恵国待遇(MFN)価格政策と関税政策による医薬品産業の混乱は避けられないと思われます。

まとめると短期的には、米国が国策として自国への医薬品製造回帰を求めた場合、医薬品のグローバルサプライチェーンはコストのためアジアを起点にしている関係上、関税問題に解決が見られない場合は、米国での薬剤供給にも影響が出るおそれがあり、医薬品の入手が難しくなるなどの混乱が予想されます。

中長期的な観点では「サプライチェーンの再編による調達網の強化、米国での提携・M&A(生産・投資の米国シフト)、米国内販売価格の値上げ(競争がなく、革新的な医薬品では可能。MFNが政策から外されていることが前提となります)、事業モデルの変更」などについて、時間をかけて考えていくと思われます。トランプ政権の政策の実効性への疑問をいったん除いたとしても、医薬品産業は遅かれ早かれ、今までの米国市場での売上、利益を享受できる時代から変化していくことを認識していく必要性があるでしょう。

5. 関税導入に対する対応

トランプ関税への対応の取り組みは企業ごとに進むのでしょうか。具体的には、リスク対応を任される部署・権限の所在や、外部専門家など外部リソースの活用、サプライチェーン情報管理、トランプ政権の政策運営に関する情報収集などですが、これらについては課題を抱えているように見えます。対応の仕方についても、専門人材の社内育成、採用や組織体制構築について、どの部門・チームが主体となり対応するかは、しっかりとした検討が必要です。対応可能な人材の不足などの影響から、企業で具体的対応策がなされていないケースが多く見られます。目先の関税対策としては「在庫増強」「サプライチェーン多様化」「米国ローカルパートナーとの提携やM&A」が考えられますが、「米国へ設備投資による生産力増強」まで検討する場合は数年程度かかります。また「政府・業界団体への働きかけ」といった制度変更への能動的行動については策がないと言えます。

今回の関税問題は、自社のリスクシナリオをどのように立てて対応していくか、リスクマネジメントの要諦となり得る案件であり、日本医薬品産業のグローバル化進展への大きな命題ともなるべき項目であると考えます。医薬品産業は米国関税政策の影響をどのくらい織り込んでいくのか、その発動期限も不透明な状況です。薬価についてもどこまで関税負担を織り込むのかなど関税のマイナス効果を読み切れず、企業によっては、将来的に下方修正する状況になってもおかしくはありません。

また設備投資判断において、トランプ政権の関税政策の影響は全産業でまだ始まったばかりです。7月23日に日本との相互関税について15%、製品別の自動車関税が15%と合意したとトランプ大統領が発表したとはいえ、再度関税が引き上げられるリスクは残っており、医薬品の製品別関税については依然不透明です。

トランプ大統領は7月8日、輸入する医薬品・医薬品原料に対して1年もしくは1年超の猶予期間を設けた上で200%の追加関税になる可能性を示唆しましたが、後日具体的な税率などには触れず「低い関税から始める」とするなど発言が二転三転している状況にあります。なお、米国とEUの関税協定において医薬品は15%関税の対象となっており、これは現時点で米国公文書でも示されています。

日本と米国との関税交渉の中で、製品別関税において最恵国待遇が適用されるという主旨の内容も話し合われたとの報道もありますが、EUと日本では相手が違うため、文脈が異なる可能性もあります。EUと合意された15%は目安にはなり得ますが、同じ関税率が適用されるとは限りません。したがって「一つの目安にはなるが、確定値ではない」と理解するのが適切だと考えます。

トランプ政権において医薬品は、国家安全保障上の重要な製品と位置付けられています。医薬品への関税には、原薬も含めた生産を米国内に回帰させる狙いがありますが、米国内中心のサプライチェーンを構築するためには準備期間も必要であり、トランプ大統領も製薬会社に1年~1年半以上の時間を与えて準備を進めさせる方針のようです。製薬会社がそれに従わない場合は、高関税に向けた交渉になると大統領は示唆しており、状況次第では製品別関税の中でより細かい区分の税率になることも予想されます。

こうした関税によるものだけではありませんが、米国現地生産を目指した投資に関して、製薬大手や日本の大手医薬品企業では、在庫やサプライチェーン管理、委託製造も含めた新たな製造設備についても強化すると発表しています。今後、日本医薬品企業は関税策を見越した対応がますます求められ、米国拠点の生産比率の引き上げや医薬品製造受託(CMO)企業との提携といった動きが多くなるでしょう。短期的には、現状の米国生産能力の限界もあることから混乱が予想されます。

正式な追加関税発表の時期や、追加関税が実際に行われるかはまだ不確実ですが、医薬品企業は関税策を考慮した対応が必要です。

特許の医薬品はもちろんですが、米国ではジェネリック医薬品の処方薬が多く、関税の影響で薬価が上昇すれば米国の患者への負担増につながります。加えて、医薬品コストの上昇を反映して2026年度の保険料が上がるとも報道されており、特に高額薬剤を多く使用するプラン(がん、自己免疫疾患など)では、さらなる値上げも検討される中、消費者の負担は増していくことが予想されます。来年の中間選挙をにらみながら、医薬品関税問題はまだまだ不確実性が大きい問題として残るでしょう。

その不確実性を受けて、6月時点の実態調査では、医薬品関税発動による市場の冷え込みや重要原薬調達コストの増加、関税コスト上昇分の自社負担などを懸念する割合が高い結果となりました。なお、上述した7月のトランプ大統領による医薬品関税発言で、現実的な問題として認識が広がり、大きく回答が変わる可能性もあります。

一方、上記のように国内外の大手医薬品企業は、米国での生産能力の向上を含めた大型の設備投資について発表しています。関税合意に伴い医薬品、半導体、造船などの経済安全保障に関わる分野で政府系金融機関による融資保証枠を新設するとの報道もあるものの、中身は不明瞭です。今後日本の医薬品企業、特に準大手の医薬品企業はどう対応するのでしょうか。その対応が現実的に迫っており、まさに待ったなしの状況ではないでしょうか。

6. 最恵国待遇(MFN)価格政策

図表5のとおり、処方薬価への最恵国待遇(MFN)価格政策に伴い想定される自社への影響有無と程度について聞くと、マイナスの影響との回答が70%を占める結果となっています。また9%が不明と回答しており、関税が発動された場合の影響度もさることながら、MFN政策についても売上収益においては重大な影響が生じることが懸念されます。逆に「影響はない」と回答したのはわずか12%でした。

図表5:処方薬価への最恵国待遇(MFN)価格政策により、7割の企業がマイナスの影響を想定し、3割の企業が日本市場の位置付けは下がると回答

MFN政策が導入された場合、IRAやBest Price(メディケイド制度下の最安価格)、PBM改革、340B制度など複数の価格制度が交錯することにより、薬剤価格体系の一貫性が失われる懸念があります。仮に支払者間で異なる価格が同時に適用されることがあれば、医薬品企業のみならず、医療提供者・患者・保険者にも混乱をもたらすおそれがあります。

特に、MFN価格を基準とする直接患者販売制度や、通商政策と絡めた価格圧力が実現すれば、既存のPBM・GPO(Group Purchasing Organization:共同購買組織)構造の変化や、医薬品企業の採算割れによる供給停止・アクセス制限といった実務上の影響も想定されます。

このような複合的な制度干渉に備えるには、企業ごとに以下のような対応が求められると考えます。

①MFN導入に備えた価格影響シナリオ分析

②MFNがBest Priceに転化された場合の割り引き影響の定量評価

③Best Priceリストを避けるため医療価値(Value)に基づく価格戦略や成果報酬型契約(Outcome-based Contract)の導入検討

④業界全体での政策当局との対話と、合理的な制度代替案の提示

これらの動向を引き続き注視し、リスク低減の実務的対応策を早期に準備することが、グローバルに展開する医薬品企業にとっての最優先課題となります。MFN政策により、OECD諸国の最低薬価と米国価格が連動すると、日米の薬価差が大きい品目が多い日本医薬品企業にとっては価格引き下げリスクが顕在化します。希少疾患薬においては米国プレミアム価格を享受している品目も存在しますが、MFN導入の影響を受けずに価格が維持されるか、それとも影響を受け米国価格優位が崩れ、日本医薬品産業全体の収益インパクトに大きく影響するか、予断を許さない状況が続くと思われます。

このように米国の関税問題、MFN導入の問題が日本の医薬品産業の成長において大きな弊害になっていることが明らかになりました。一方でこのような状況に対して日本医薬品市場の魅力が相対的に上昇するのでないかという点についても調査の中で質問しています。しかし結果は、「大きく上がる」を含めた「上がる」が15%、「大きく下がる」を含めた「下がる」が42%、「変わらない」が23%を占めました。基本的には日本医薬品市場は米国市場リスクが高まった場合、相対的に見て悲観的であると言えます。

その理由として考えられることは、米国市場は上記のような厳しい政策リスクがあるにもかかわらず、世界最大の収益ポテンシャルを持っているという点です。特に医薬品収益に占める米国の比率は非常に大きく、企業は政策リスクを織り込んでもなお重点を置かざるを得ません。それに比較して日本医薬品市場では従来の低薬価と薬価制度改革(毎年薬価改定の導入)により、薬価引き下げの傾向が続いています。日本はOECD諸国の中でも薬価抑制圧力が強い市場の一つですが、それに加えて毎年改定の導入に伴い企業収益の予見性が成り立たなくなっており、結果としてドラッグラグなどの現象が顕著に起きています。

また、人口動態からの観点で見ても、日本市場は高齢化で一定の需要は見込めるものの、人口減少により市場全体が伸びにくい状況です。一方米国の人口動態は、2020年時点の3億3100万人から2040年には約3億8,000万人に増加が見込まれ、成長期待が大きく異なります。

さらに医療イノベーション受容性の差もあります。米国は高薬価が社会問題となりつつも、革新的治療の迅速承認・早期収載が進んでいます。米国のオーファンドラッグの指定・Breakthrough Therapy(画期的治療薬)の迅速承認に対して、日本の厳格査定、条件付き承認の運用の慎重さを踏まえても、企業は収益化スピードにも日米で差があると認識しているのではないでしょうか。

こうした要素をまとめると、「米国は政策リスク(関税・MFNなど)があるとしても、利益規模と成長余地が大きく魅力的」「日本は低成長・毎年薬価改定・人口減で収益性が低い」という推察ができます。

7. 最後に

今回の実態調査から、日本医薬品産業が関税だけでなくMFN政策に関しても深刻な影響を受ける可能性があることが明らかになりました。これらが複合的に絡んでくると、日本医薬品産業にとっては他産業よりも大きな打撃となることが想像されます。加えて、本年7月に医薬品関税に関するトランプ大統領の発言の他、減税法案(One Big Beautiful Bill Act)が成立しました。その財源捻出としてメディケイドの公的医療保険予算の削減が加わる中、医薬品産業としては逆風となるでしょう。またトランプ政権は、米国の薬価引き下げに本気で取り組むと考えられます。相互関税、製品別関税において自動車が一応の妥結を見た状況で、次のターゲットは医薬品関税と米国内の薬価の引き下げとなる可能性があります。直近でもトランプ大統領は世界製薬大手17社に対し、米国メディケイド(低所得者向け公的医療保険)対象薬品の価格を他国の最低価格と同水準に引き下げるよう書簡で要求し、今後発売される新薬についても海外と同等の価格設定を求めています。60日以内に自主的な対応に応じなければ「薬価を巡る不当な慣行の継続から米国の家族を守るためにあらゆる手段を講じる」との報道がなされています。このインパクトについては、今まで述べたとおりです。

医薬品産業は他産業に比べても米国依存(創薬バリューチェーンの側面も含め)と価格転嫁困難が並存する構造であり、短期施策だけでは克服できません。また、短期的対応のみならず中長期的な供給改革、制度対応に関する関係者の協調、価格モデルの転換などを並行して進める必要があり、業界団体および各社でどう対応していくのか、またどういった部署が中心となって対応していくのか、不透明な状況も調査から垣間見えました。こうした課題を担う部署の検討、人材育成を含めた対応が新たに要求されることになるでしょう。

医薬品産業は倫理と公共性とビジネスが絡み合い、人の命に関わるという製品特質を持った、難易度が高い規制産業であるがゆえに、大国が絡む地政学リスクのような事象においては、最も影響の受ける産業の一つであるといえるでしょう。今までの米国中心の医薬品ビジネスモデルにも、大きな変化が起こってくるでしょう。医薬品産業・各社はどのような新たなビジネスモデルへと変化させていくのか、大きな転換期に来ています。

調査について

PwC Japanグループ「企業の地政学リスク対応実態調査2025」

海外で事業を展開する年商100億円以上の企業に勤務する管理職592名(一部の設問は国内のみで事業を展開する年商100億円以上の企業に勤務する管理職97名を加えた合計689名)を対象に、2025年6月にオンラインで調査を実施。調査対象とした企業は製造業、サービス業などであり、産業全般をカバーした。同様の調査は2019年3月、2021年8月、2022年8月、2023年8月、2024年7月に実施しており、今回が6回目。

翻弄される医薬品産業:トランプ関税と最恵国待遇価格の衝撃

( PDF 617.63KB )

執筆者

堀井 俊介

パートナー, PwCコンサルティング合同会社

Email

宮崎 勝年

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

Email


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