未財務価値の「定量化」で進める価値創造経営(前編)

  • 2026-07-08

はじめに

「企業価値向上のために、事業や財務だけでなく、人的資本や研究開発、ガバナンスなどの未財務にもっと取り組むべきだ」「人的資本やサステナビリティを、単なる開示対応ではなく経営に生かしたい」

東京証券取引所の「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」などを背景に中長期の企業価値向上に向けた取り組みと説明が求められる中で、多くの企業がこのような問題意識を抱いています。

一方で、実際の現場では、次のような悩みを抱えている企業も少なくありません。

  • 未財務の取り組みが重要だという認識はあるが、「何をやっても正解」な領域だからこそ、何から手を付ければよいかが分からない
  • 経営企画・財務・IR・人事・サステナビリティ・事業部門で、追い求めるミッションが異なるため、評価基準がそろわず、優先順位を意思決定できない
  • 経営陣に対し、投資家からの要請事項を基に、人的資本や研究開発、ガバナンスなどの重要性を定性的には語れるが、その投資対効果を説明しきれず、「サステナビリティは単なるコストなのではないか」と捉えられている
  • SSBJ(サステナビリティ基準委員会)基準や投資家対応を見据えた開示高度化が必要なのは分かるが、「開示のための開示」になりつつあり、自社の企業価値を高める活動につながっている実感がない

本コラムでは、こうした課題を乗り越える鍵として「未財務価値の定量化」に着目し、データ活用を通じて企業価値向上に向けた具体的なアクションをどう導くかを、先進事例を交えながら紹介します。

なお、本稿では、ESGなどの非財務要素を「財務に非ず」という意味ではなく、「未だ財務に現れていない価値」という意味を込めて「未財務」と表記します。

1. 未財務領域でよくある課題と推進の鍵となる「定量化」

2027年3月期より、いよいよSSBJ基準に則ったサステナビリティ情報開示の適用が始まります。国際標準との整合性を確保し、グローバル投資家との対話を促進することを目指すこの動きは、単なる法令対応強化にとどまるものではありません。「自社はどの未財務資本を競争力の源泉としているか」「それがどのように中長期の収益力や成長期待、リスク低減力につながるのか」を企業価値向上のロジックの中で位置付け、未財務を経営管理に落とし込むことが求められています。

しかし、このような期待に応える取り組みの中で、「社内で未財務の重要性は理解されているものの、議論が進まない」という状況が生じ得ます。この大きな要因は、「何をどの程度重視すべきか」を共通言語で議論できていないことです。未財務の取り組みは、企業価値との関係性が直感的には理解されやすい一方で、短期の財務指標のように成果を即時かつ明快に示しづらいため、「どの施策に優先的に投資すべきか」「どこまでコストをかけるべきか」といった合意形成が困難になる可能性があります。

そこで強力なツールとなるのが、未財務価値の「定量化」です。未財務項目が企業価値に与える影響を客観的なデータとして示すことができれば、議論の土台が主観から客観へと移ります。つまり、「重要そうだからやる」という直感ベースの議論ではなく、「何が重要か」「なぜ今取り組むべきか」「どの程度の効果が見込めるか」を論理とデータに基づいて検討できるようになります。これにより、理念やスローガンの段階を超えて、経営判断の対象として関係者の賛同を得やすくなり、組織を動かす力が生まれます。

2. 未財務価値の定量化から得られる4つの示唆

では、未財務価値の定量化は実際にどのような示唆をもたらすのでしょうか。以降では、定量化の具体例として、PwCの分析フレームワークを用い、PBR(株価純資産倍率)・株価の向上における未財務の影響を統計分析した事例を取り上げます。

この事例では、PBRの構成要素のうち株主資本コスト※1と期待利益成長率※2に対して、ESGを含む未財務項目がどの程度数値の改善に寄与しているかを分析しました。その上で、TOPIX Core30や同業他社と比較し、自社のPBR・株価の向上に対して改善期待効果が大きいと見込まれる要素を特定しています。PBRはROE(自己資本利益率)とPER(株価収益率)の掛け算で捉えることができますが、多くの企業ではROE、すなわち足元の稼ぐ力の改善には取り組んでいる一方、PER、すなわち投資家の将来期待をいかに高めるかについては、十分な打ち手を持てていないケースが見られます。そこで私たちは、PER向上に向け「株主資本コストを下げ、期待利益成長率を高めるには、どの未財務項目に着目すべきか」を定量的に把握しようとしたのです(図表1)。この分析では、投資実務でも用いられる残余利益モデル※3を採用し、財務・未財務の大量データをインプットとすることで、外部視点での客観的な示唆を提供することを可能にしています。

※1 株主資本コスト:投資家(株主)が出資の見返りとして企業に求める収益率(リターン)のこと。企業にとっては、株主から預かった資本を運用する上で最低限上回るべき「ハードルレート」として捉えられ、これを超える利益を生み出すことで企業価値が向上するとされる。

※2 期待利益成長率:投資家や市場が、その企業の利益が将来どの程度のペースで伸びていくかを見込んでいる成長率のこと。株価には現在の業績だけでなく、こうした将来の成長期待が織り込まれているとされる。

※3 残余利益モデル:残余利益(企業が資本コストを上回って稼ぎ出す利益)に基づき、企業の理論株価を算定する手法。機関投資家のバリュエーション実務でも用いられる。

図表1:PBR(株価純資産倍率)の構成要素

この分析から得られる示唆は、大きく4つあります。

(1)「何が企業価値に効きやすいのか」が分かる

第1に、市場でどの未財務項目が相対的に重視されているのかを捉えられることです。この取り組みでは上場企業2,000社超、84カ月分の財務・未財務データに基づき、各未財務項目の改善が株主資本コストや期待利益成長率に与える影響の「統計的有意性(影響があると言えるか)」と「効果量(影響の大きさ)」を分析しました(図表2)。これにより、市場全体の中で投資家がどの項目を重視しているか(=何が企業価値に効きやすいのか)を可視化しています。例えば、研究開発費比率や人材獲得・リテンションといった項目を考えてみます。これらが統計的な影響の度合いが大きい、あるいは株主資本コストと期待利益成長率の双方に有意な影響を持つ場合、総合的な影響度が大きいと判断できます。そうした結果が示されれば、企業は自社が優先的に検討すべきテーマの候補を絞り込めるようになります。

図表2:株主資本コストに影響を与える財務・未財務項目

(2)「他社との比較から、自社は何を改善すべきか」が分かる

第2に、市場全体の傾向と、自社の現在地を切り分けて改善余地のある領域を把握できることです。市場で重要視される項目が分かったとしても、それがそのまま自社の最優先課題になるとは限りません。自社がすでに十分強い領域であれば追加改善の余地は限られるため、ベンチマークとする他社と各項目の企業価値に対する貢献度を比較した上で、劣位な項目を特定する必要があります(図表3-1、3-2)。(1)で特定した「市場からの注目度が高い項目」のうち、自社が他社よりも劣位にある項目であれば、改善によって企業価値への寄与が得られる可能性が高いと考えやすくなります。

またここでは、同業との比較・他業種との比較の両観点から捉えることが肝要です。例えば、業種特性が結果に反映されやすい環境項目などでは、他業種比で劣位でも業種内で大差がなければ、業種特性を加味して優先度を調整するという判断が可能です。一方、業種による影響が少ないガバナンス項目などでは、他業種を含めた先進企業の取り組みを参照することが考えられます。

図表3-1:株主資本コストのインパクト分解と企業間比較

図表3-2:株主資本コストに影響のある項目の評価と企業間比較

(3)「改善した場合にどの程度の効果が見込めるか」が分かる

第3に、取り組みを実施した際の期待効果をシナリオで試算できることです。複数の改善シナリオを設定し、各未財務項目の評価を一定程度向上させた場合の株主資本コスト・期待利益成長率・理論株価の変化をシミュレーションすることで、取り組みのリターンを具体的に見積もることが可能です(図表4)。これは、未財務施策に対する投資対効果の議論を進める上で重要です。未財務領域では「何に取り組むべきか」は議論されても、「それによってどの程度の価値向上が見込めるか」まで示されているケースは多くありません。理論株価の上昇率や金額ベースで効果を示し、項目間で比較することができれば、経営層や関係部門との議論は格段に進めやすくなります。

図表4:改善効果のシミュレーション

(4)「これまでの取り組みがどのように企業価値に反映されたか」「他社の評価はどのように動いたか」が分かる

第4に、年次サイクルで前述の分析を実施し、分析結果を経年比較することで、自社・他社の未財務の取り組みや開示改善が実際にどのように市場から評価されたかを把握できることです。企業価値や株価は市場における相対評価であるため、自社の取り組みが改善したとしても、他社がそれを上回る水準で取り組みを進めていれば、相対的な優位性は発揮しづらくなります。そのため、定点的に自社・他社の評価を把握し、その要因を「自社評価の変動」「他社評価の変動」「業種全体の変動」などの複数の観点に分解することで、他社の取り組み状況を踏まえた水準検討が進めやすくなります。例えば、気候変動に関する取り組みの株主資本コスト低減への貢献度が前年より改善していたとしても、ベンチマークとしている同業・競合他社がそれ以上に改善し、差が縮まっていない、あるいは拡大していた場合、今以上に取り組みの注力度を高める必要がある、といった判断が可能です。

このように、未財務価値の定量化により、市場で重視される項目の把握、他社と比較した自社の改善余地の見極め、期待効果の試算、経年比較による自社・他社動向の把握を行うことで、未財務領域を企業価値向上のための実践的な経営課題として扱うための出発点とすることができます。

3. おわりに

本稿では、企業価値向上を目指す上で、なぜ今、未財務価値の定量化が重要なのか、そして定量化によって何が見えるのかを整理しました。各種フレームワークや要請の本質は、未財務資本を含む経営資本全体によって中長期の価値創造を実現し、その道筋を投資家に説明することにあります。しかし、論点が多すぎること、企業価値とのつながりを比べにくいこと、部門ごとに評価軸が異なることなどの要因が重なり、「重要そうだが決めきれない」という状態が生まれてしまいます。それらの課題の解消に向けては、未財務を定量的に捉え、戦略・実行・開示をつなぐ共通言語として活用することが有効です。

ただし、定量化はあくまで出発点であり、重要なのは単に精緻な分析を実施することではなく、その結果をいかに経営上のアクションへつなげるかです。マテリアリティ(重要課題)の見直し、KPI(Key Performance Indicator)・目標設定、施策の優先順位付け、開示や対話の高度化へとどう結び付けていくかによって、定量化の価値は大きく変わります。後編では、この「数値をアクションにつなげる」という論点をテーマに、未財務価値の定量化の結果を実際の経営判断や組織行動に結び付けていくステップについて、さらに掘り下げていきます。

執筆者

小林 たくみ

パートナー, PwCコンサルティング合同会社

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小倉 健宏

シニアマネージャー, PwCコンサルティング合同会社

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鈴木 千遥

シニアアソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

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