エネルギー取引のリスク管理:日本の市場変革の課題への対応

  • 2025-08-20

前回記事では、近年の卸電力市場のダイナミックな発展について考察しました(リンク)。市場の拡大と流動性の向上は、市場参加者が価格リスクをより効果的に管理し、高度なヘッジ戦略を採用する幅広い機会を生み出していることに触れました。

本稿では、デリバティブ商品を活用した一般的なヘッジ戦略の概要と、対応するリスク管理上の課題や、グローバルにおけるいくつかのベストプラクティスについて概説します。

デリバティブ商品を活用したヘッジ戦略

市場の流動性の拡大によって、市場参加者は将来のエクスポージャーをより直接的にヘッジすることが可能となり、一般的なヘッジ手法の適用が容易になりました。図表1に一般的なヘッジ戦略と市場の流動性向上に伴う影響をまとめています。

図表1:一般的なヘッジ戦略の概要と市場流動性の向上の影響

  • 長期のデリバリー期間の流動性が向上すると、短期の金融商品(例:月次または四半期先物)を用いて長期のエクスポージャーをカバーし、徐々にロールオーバーする伝統的なスタック・アンド・ロール戦略への依存度が低下します。スタック・アンド・ロール戦略は価格最適化といった戦術的なメリットがあるものの、もはや必須ではありません。
  • 同時に、流動性の向上は、参加者が事前に定めたスケジュールに従って将来のエクスポージャーの一部を段階的にヘッジする「階層型ヘッジ戦略」を可能にします。例えば、小売電気事業者は、2年先の予想需要の25%、1年先の50%、残りの25%を当期年にヘッジすることで、ヘッジのエントリーを平準化し、タイミングリスクを軽減できます。
  • 市場商品の可用性が向上すると、ターゲット市場における流動性不足のため、関連するが完全に相関しない商品を使用する「プロキシヘッジ」の必要性も減少します。より多くのツールが利用可能になることで、市場参加者はエクスポージャーを直接ヘッジでき、ベースリスクを低減し、リスク管理ワークフローを簡素化できます。
  • 電力市場におけるもう一つの例は、市場価格の変動に応じてヘッジポジションを頻繁に調整し、望ましいリスクプロファイルを維持するダイナミックヘッジです。最も一般的な形態はデルタヘッジで、非線形エクスポージャーを有する市場参加者が一般的に使用します。これはデルタ(価格感応度)を相殺し、電力価格の小さな変動がポートフォリオの価値に影響を与えないようにすることを目的とします。価格が変動するにつれ、ヘッジは継続的に再調整されます。これは流動性の高い市場において、より実現可能性が高まります。
  • 最後に、日本の電力市場におけるオプション取引の導入は、オプションベースのヘッジ戦略の可能性を高めました。これらの金融商品(例:コールオプションやプットオプション)は、不確実なエクスポージャーの上限や下限を設定し、市場参加者がリスク許容度や市場見通しに合ったヘッジ構造を構築できるようにします。

リスク管理への影響

これらの戦略は、より高い柔軟性を提供する一方で、リスク管理上の課題をもたらします。市場参加者は、特定のヘッジ構造だけでなく、それがより広範なリスクカテゴリーとどのように相互作用するかを考慮する必要があります。最も関連性の高いリスクには、市場リスク(価格変動)、信用リスク(相手方のデフォルト)、流動性リスク(十分な資金へのアクセス)が挙げられます。これらのリスクは、デリバティブ契約の選択によって根本的に影響を受けます。多くの企業は、将来のデリバリー期間の価格を固定するために、カスタマイズされた相対契約(OTC)または標準化された取引所取引先物契約を利用しています。OTCは、担保契約に関する柔軟性(流動性リスク軽減)を提供しますが、企業が信用リスクにさらされます。取引所取引先物契約は、中央取引所で取引され清算機関によって保証されるため、信用リスクを最小限に抑えますが、日次決済要件から流動性リスクをもたらします。これらの相反するリスクを「リスク管理の三角形」として可視化することは、企業がこれらのリスクをバランスさせるのに役立ちます。図表2に示すように、1つのリスクを最小化すると、通常、別のリスクが拡大します。例えば、ヘッジを完全に回避すると、信用リスクと流動性リスクは排除されますが、市場リスクが最大化されます。同様に、OTC契約は流動性リスクを軽減できますが、信用リスクが増加します。逆に、取引所取引先物契約は信用リスクを軽減しますが、証拠金支払いが要求され、流動性リスクが増加します。リスク管理を最適化するには、企業の具体的な状況とリスク許容度に基づいたカスタマイズされたアプローチが必要です。

図表2:取引のリスク三角形

推奨事項と国際的なベストプラクティス

ダイナミックな電力市場における課題にリスク管理を適切に遂行できるよう、参加者はバリューチェーン全体にわたる改善を実施する必要があります。最も重要な改善点は以下のとおりです。

  • 堅固なリスクガバナンスと監督体制の確立:これには、フロントオフィス向けの明確な取引指針とリスク許容度を設定し、リスクの特定、評価、管理、軽減を包括的に扱う、独立したリスク管理機能を設立することを意味します。重要な点は、不利な状況下でも十分な資本と流動性を維持するために、定期的なストレステストを実施することです。国際市場で見られるように、業界のベストプラクティスは金融セクターの基準とますます一致する傾向にあります。例えば、多くのドイツのエネルギー取引企業は、国内の金融業界のコンプライアンス基準である「MaRisk」に準拠したリスクとコントロールのフレームワークを自主的に採用しています。法的義務ではないものの、これらの企業は内部監査や強制的かつ継続的なレビュープロセスをリスク管理プラクティスに取り入れることで、高い基準を設定しています。
  • 流動性リスクを含む全てのリスクの種類を考慮する:包括的なリスクフレームワークは、流動性リスクを含む全ての主要なリスクの種類に対応する必要があります。これには、市場リスクや信用リスクだけでなく、見落とされがちな流動性リスクにも専用の資本配分を行うことが不可欠です。2022年の電力とガスの価格の急激な変動は、多くの企業が深刻な財務危機に直面したことで、流動性リスク管理の重要性を浮き彫りにしました。その後、欧州政府の多くは、高水準のマージンコールによる流動性不足を防止するため、市場参加者に対して一時的な融資を提供しました。ドイツ政府が実施した100億ユーロの「マージニング・ファイナンス・インストルメント」融資プログラムが最大規模でした。このような事態は、市場参加者がヘッジ戦略を調整する契機となりました。例えば、市場参加者は、調達先の多様化や契約期間の短縮によりポートフォリオを再構築し、突然の大きなマージンコールのリスクを軽減しました。これにより、販売と調達をより密接に連動させる「バック・トゥ・バック」型のヘッジアプローチが可能になりました。全体として、欧州の市場参加者は近年、極端な市場イベントに対するストレス分析の強化、カウンターパーティリスク評価の強化、流動性監視の厳格化に一層注力しています。
  • 取引ライフサイクルプロセスの改善:現物市場およびデリバティブ市場における取引量の増加は、取引バリューチェーン全体の複雑さを著しく高めています。これには、取引捕捉チャネルの多様化、全ポートフォリオにわたるリスクKPIの拡大、取引確認および決済要件の増加、規制上の障害の増加が含まれます。さらに、新たな取引商品や期間に対応するため、リスクの全体像を把握できるように価格設定手法の調整が必要です。したがって、新規市場への参入時に、他のプロセス改善と並行して、価格設定手法と適切なツールを早期に開発する必要があります
  • 取引とリスク管理のための高度なITシステムへの投資:現代の取引オペレーションと効果的なリスク管理には、高性能な取引システム(ETRM)と堅牢なITインフラが不可欠です。主要な機能には、全ての市場における統一されたリアルタイムのポジションビュー、取引の自動捕捉と評価、および頻繁なリスクの報告が含まれます。加えて、自動取引とアルゴリズムソリューションは、特に成熟した市場における効率的な戦略実行のために不可欠となっています。取引量の増加、ビッド・アスク・スプレッドの縮小、アービトラージのウィンドウの短縮は、手動トレーダーでは対応が困難なレベルの速度と、データ駆動型の意思決定が必要になります。

次回のコラムでは、現代のトレーディングIT環境の主要な要件を概説し、最近のトレンドや実装戦略について触れていきます。

主要メンバー

森 一慈

シニアマネージャー, PwCコンサルティング合同会社

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シュルツ フリードリヒ

マネージャー, PwCコンサルティング合同会社

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