コロンビア大学教授・PwC Japanグループ顧問 Anu Bradfordに聞く 米欧中の最新の地政学的変化に伴う欧州法規制動向 第2回

「ブリュッセル効果」にもたらされる変化と日本への影響

  • 2025-07-16

激動の2025年における米中欧の関係や欧州の政治法規制における変化を、国際貿易法の専門家で、PwC Japanグループ顧問も務めるコロンビア大学ロースクール 教授 Anu Bradfordに聞きました。第1回では、第2次トランプ政権発足に伴う米中欧の全般的な関係と欧州の法規制アプローチの変化を、AIなどを例にしながら解説しました。第2回では、「ブリュッセル効果」への影響や、変化の時代における日本への示唆について語ります。

「ブリュッセル効果」を揺るがす内的な課題

米国のアメリカ第一主義によってブリュッセル効果は弱まっていくのでしょうか。

Bradford:
ブリュッセル効果というのは、今から10年ほど前に私が編み出した造語で、全世界の市場をEUが一方的に規制できる能力のことを意味しています。

EUは世界最大かつ最も豊かな消費市場の1つで、EUとの交易なしに成立する企業はほとんどありません。ですから、企業にとっては、EU市場にアクセスするためのコストとして、欧州規格への適合は避けて通ることができないものです。他方で、世界中で販売する自社製品に欧州規格を適用したり、会社のグローバルな活動を欧州規格に適合させたりすれば、各国のさまざまな規格に適合させるコストが省けるので、往々にして自社の利害にかなったことでもあるのです。

しかしながら、今日の地政学的情勢下において、ブリュッセル効果は2つの課題に直面しています。その第一は外部的な課題で、トランプ政権からの圧力の高まりです。トランプ政権は欧州が施行する規制に強い不満を漏らしていますが、それと同時に、米テック企業にテコ入れする動きも強めています。テック企業側では、現政権の力を借りて一致団結して欧州の規制措置を押し返そうという思惑も見られます。

これはブリュッセル効果に対する外的な課題ですが、より差し迫った問題として内的な課題もあります。今日の地政学的環境下で欧州が競争力を維持できるかに懸念が強まるなか、欧州のテクノロジー主権、デジタル主権、戦略的自立が重要課題になっています。

一方で、ブリュッセル効果をもたらすようなデジタル規制が欧州の進歩の妨げとなるかもしれないとの見解があります。テクノロジーは規制するだけでなく、創出しなければなりません。欧州では、ブリュッセル効果が欧州にとっての負担になりつつあるとも言われます。なぜなら、広範囲なデジタル規制環境を必要とするからです。

欧州企業がAI投資に後ろ向きなのは、欧州AI規制法が関係していると指摘する専門家もいます。欧州で施行中の規制やブリュッセル効果に対する信頼が揺らぐと、規制を後退させて緩和する機運が強まって、ブリュッセル効果が弱体化してしまうかもしれません。日本であれ、またブラジル、オーストラリア、韓国、中国であれ、ブリュッセル効果が認められる国々の規制当局は、欧州が自ら定めた規制の政策目標に対する信認を喪失するのではないかと、その動向に注視しています。

欧州は規制を緩和すべきなのでしょうか。これは欧州内で慎重に検討すべき課題であり、現段階では、ブリュッセル効果が弱まるか否か断言することはできません。こうした方向に進む恐れはあると思います。しかし、問題は規制緩和を迫る米国に屈するかどうかということではなく、欧州が内部の圧力に屈するかどうかということなのです。

欧州は米国企業に対する規制を緩和したとしても、その対価が得られる保証はないことを承知しています。米国は追加で別の要求を突き付けてくるでしょう。欧州は、外圧に屈してブリュッセル効果が損なわれるようなことはしないと思います。

私がより強く懸念しているのは、ドラギレポート※1が及ぼす影響についてです。これは昨年夏に公表された欧州の競争力に関する極めて重要なレポートですが、欧州域内において、競争力の維持に向けた政策目標が重視されるようになった結果、欧州内の一部の関係者の間で、厳しすぎる規制を懸念する声が上がるようになり、現在では、欧州での規制緩和に向けた意見をもっと広めるべきだと強く求めています。

しかし、欧州がブリュッセル効果に悪影響を与えかねない規制緩和という政策目標を本当に追求するつもりなのかどうかは疑問に思います。

※1 元欧州中央銀行総裁のマリオ・ドラギ氏が2023年に執筆したEUの競争力強化に関する提言報告書

欧州が競争力を強化するためには

多くの関係者が、欧州で実施されている規制は厳格過ぎて、往々にして事業成長の妨げになっていると見ているわけですね。このような状況を念頭に、欧州には、厳しすぎる規制を見直して、ビジネスを促進する仕組みは存在するのでしょうか。

Bradford:
いくつかの動きがありえます。例えば現在、欧州AI規制法の実施規則の制定が急がれているところで、これによって、現在の環境を反映しつつ、汎用目的型AIに対する規制内容がより明確になるものと思われます。私としては、イノベーションの妨げになりかねないとの懸念を受けて、負荷を軽減する方向で進んでいるものと考えています。

EU一般データ保護規則(GDPR:General Data Protection Regulation)の一部の条項についても見直しが行われる可能性があります。中小企業に関して、一部の義務を簡素化する方向で検討が行われるのではないでしょうか。欧州内で、小規模な企業ほどGDPR遵守のコスト負担が大きいことを懸念する声があるからです。これが実現すれば、欧州域内の小規模企業にとっては明らかに朗報になるでしょう。同時に、中小規模の日本企業が欧州でビジネスを行う場合にもメリットが及ぶことになるのです。

しかし、私の見るところ、規制の見直しが行われているのはごく一部にとどまっています。欧州の競争力強化という課題に関しては、欧州域内で活用すべきもっと重要な政策手段があります。

トランプ政権の強硬な政策に苦悩する欧州側に差し込む希望の光があるとすれば、もはや欧州で団結して米国に頼ることなく独自の技術能力を構築し、脆弱性から脱却する必要性に迫られたということだと思います。

具体的には、第一に、「デジタル単一市場」を完成させることです。欧州のIT競争力を阻害しているのは、欧州のテクノロジー企業にとって、EU加盟27カ国の全域で支障なく規模を拡大できるような統一市場が存在しないことです。加盟国間で言語や文化が異なることに加えて、規制の内容も統一されていません。

第二に、欧州資本市場同盟を完成させて、欧州のIT企業がビッグプレイヤーに成長するために不可欠なイノベーション資金の調達を欧州内で行える体制を整備することです。現在でも、数回の当初資金は問題なく調達できるものの、それに続く追加資金の調達となると、米国のベンチャーキャピタルに依存するか、さもなければ米国のテックジャイアントに買収されるという道しか残されていません。

欧州の破産法や、リスクテイキングに対する文化的な態度も改めなくてはなりません。欧州の起業家は非常に慎重で、失敗したら二度と立ち直れないという考え方が根強いことから、リスクを取ることに消極的です。こうした状況は米国と対照的です。米国の破産法は欧州に比べ懲罰的な色合いが薄く、失敗した起業家にも再度チャンスが巡ってきます。

世界中から優秀な人材を集められるようでなければ、欧州諸国の競争力強化は覚束ないでしょう。米国は移民政策の厳格化を進めようとしていますが、その結果、米国を基盤とする優秀な外国人人材が新たな居場所を探しています。米国ではもはや歓迎されないと認識したこのような人材が、次にどこに移動するのかが注視されるところです。このような状況は、トップクラスのデータサイエンティスト、AIエキスパートを欧州に惹きつけ、欧州の労働市場の高度化と競争力の強化を実現するまたとないチャンスです。

こうしたことは、欧州で検討を進めるべき市場ベースの改革の一端ということができます。しかし、同時に政府調達と産業政策についても再検討すべきです。政府調達規則が定められている国では欧州域内のサプライヤーが優先されているのか、国家安全保障や経済安全保障上の理由によって実際に欧州サプライヤーが優遇されているのかといった点について、欧州内でもっと議論を進めなければなりません。

欧州におけるテクノロジー主権の強化に向けて、「バイ・ヨーロピアン」「マニュファクチャー・イン・ヨーロッパ」「プロデュース・イン・ヨーロッパ」のような条項を設けることを可能とする技術サプライチェーンの構成要素を考える必要があります。 

求められる各国の連携、増していくその難しさ

欧州側が将来的にAIとデジタル規制へのアプローチを変える可能性はありますか。

Bradford:
ここに至って、欧州では、世界の現状に鑑みて自らの立ち位置を再考すべき時期に差しかかったと考えられています。欧州でAI規制法のような規制の整備が始まった頃は、世の中は今よりもずっと安全で住みやすい環境にありました。しかし現状では、欧州では脆弱性の増大が実感されています。

このような状況に対する回答の1つは、先述のとおり欧州には域内発の技術イノベーションが不可欠だという確固たる信念が芽生えたことです。AIは欧州が経済的繁栄を確保するための絶対的な鍵であると同時に、今後の地政学的影響力や軍事力の確保においても重要な役割を果たすという認識が以前よりも深く浸透しています。しかし、AI規制法や域内の市民の権利の保護、AIに組み込まれたさまざまなリスクに対する懸念も内包しています。

欧州においても、AIエコシステムを発展させるための条件整備を目的とするさまざまな政策を実行して、AI規制法を補足していくニーズが強まると思われます。ここに、欧州が世界中のあらゆる主要国、すなわち中国や米国、そして願わくは日本、韓国、オーストラリア、カナダ、それからラテンアメリカといった国々と、ある程度まで連携を進めていく余地を見出すことができます。さらに、AI開発を取り巻く課題の内容によっては、グローバルサウスを含めた連携が求められるかもしれません。

世界は地政学的に非常に困難な時期に入り、人類全体に関わる懸念事項がいくつも存在しますが、全世界の人々が連携して取り組むならば、国際的な協力の下でAIの安全性を巡る議論を進める可能性を切り開いていけるかもしれません。

しかし現在のところ、AIを巡る議論において圧倒的に優勢なのは、AIレースで誰が勝利を収めるかということのようです。その結果、米国、EU、中国といった大国の間の力関係に変化が生じると思われます。

今後数年のAI開発に関する緊張は、鎮静化するどころかエスカレートする一方です。最も可能性が高いのは輸出管理の動きです。投資規制も予想されます。補助金問題も継続するでしょう。

しかし、関税強化の影響で世界市場の分断が相当程度進んでしまった現状に鑑みれば、あらゆる課題が、これまでよりも緊急性を増すにもかかわらず、協調対応が難しくなっています。その結果、欧州が各国間で不統一な制度の整理に乗り出そうとしていた矢先に、期待していた議論を交わす余地が狭められてしまったのです。

EU内の結束は維持できるのか

最近政権が交代したドイツの情勢についてお聞かせください。新政権では規制に対する姿勢に何らかの変化は見られるでしょうか。

Bradford:
ドイツでの政権交代の動向はとても興味深いと思います。欧州が技術、経済、軍事の各側面における主権を強化していくため、重要な役割を担っていくことに積極姿勢を示す保守派政権が成立したことで、政策の方向性が変わるかもしれません。

例えば新首相のメルツ氏は、対米依存を脱すると明言しています。米国に依存した脆弱性は望まないとし、非常に厳格な現在の財政規律の見直しを可能にするため、容易ではないとしつつも法的措置を講じる用意があると述べています。ドイツの財政規律は効率的な軍備増強の足かせとなってきたものですが、この措置によってドイツは今後影響力と存在感を強め、欧州のリーダーとしての役割を発揮していくかもしれません。

強力な政治指導者が不在である欧州にとって、このことは、直面する課題解決のために非常に重要であると思います。ショルツ首相はどちらかといえば慎重で、ドイツと欧州の主要政策を望ましい方向に導くことができる指導者とは目されていませんでした。フランスのマクロン大統領は、内政で少なからぬ課題を抱えています。

ここで興味深いのは、米国の政策のおかげで、これまで低迷していた政治指導者に対する支持が上向いていることです。ウクライナ支援を巡るマクロン大統領の発言は非常に的を射たものだと見られていますし、英首相についても同様のことが当てはまります。ドイツもまた、より強い政治指導力を発揮していくのではないでしょうか。

特に政策立案において、ドイツがより重要な役割を果たせるようになることが期待されます。それは、強大な国内のリソースを活用してリーダーとしてのドイツの能力を強化していくことに加え、ドイツがリーダーシップを発揮して他の欧州諸国を束ね、EUの存在感と生産力を引き上げ、より統合の深化を遂げた有能なEUを実現していくことでもあります。

EUの内部では、規制に影響するような利害の衝突は見られないのでしょうか。

Bradford:
規制は非常に興味深いテーマです。欧州域内には、多くの課題を巡って深刻な対立が存在していますが、テクノロジーに対する規制だけを見れば、産業に対する規制の必要性については基本的に異論がないものと思います。

現実にはさまざまな課題が発生しているのですが、それでも、欧州においては、米国型のテクノリバタリアン(技術自由至上主義)的な市場主導モデルに乗り換える動きが増えているわけではありません。

ただし、トランプ政権の強硬な政策に対する対応についての考え方は、当然ながらEU加盟各国の政府間で若干の温度差が見られます。

欧州は現在でも、強気な政策をとる場合には各国合意の下で適切な内容で進めようとしています。いかなる報復措置にも代償が伴いますが、欧州側が受ける代償の程度は各国間で異なるというのがその理由の1つです。

仮に欧州側でも関税強化を行う場合、欧州生産者の原材料価格上昇を受けて製品価格が上昇し、消費者の負担増となります。こうして欧州側にもコストが発生することになりますが、その影響を受ける生産者はEU全土に均等に分布しているわけではありません。

その結果、欧州側の対応として採用すべき対抗措置の程度、措置対象分野、政策や部門の選択について、各国間で意見が分かれることになるのです。このような意見のとりまとめは、とりわけ、欧州委員会が超国家的な調整を行う加盟国の集合体であるEUにとって容易なことではありません。

さらに、EU理事会で加盟27カ国が合意しなければなりませんが、サステナブルで最善な進路が究極的にどのようなものであるか、各国のイメージするものが100%一致しているわけでもないのです。ですから、今後も欧州統一に向けた取り組みが続けられるかを注視する必要があるでしょう。

欧州側が間違いなく最も恐れているのは、トランプ政権がいわゆる「分断と統治」政策に打って出てくることです。つまり、特定の製品に異なる関税率を適用することで、特定の国を戦略的に集中攻撃する施策です。

例えばトランプ大統領はグリーンランドを取得する意思を表明していますが、デンマークはこれを阻止し、「グリーンランドは売り物ではない」と述べています。この状況下でデンマーク製品を標的にした関税による攻撃が行われた場合、どのような事態が想定されるでしょうか。

その対応を巡って欧州の結束に亀裂が発生した場合、他の加盟国が連帯の手を差し伸べてくるでしょうか。あるいは、自国の利益を優先する行動に出るでしょうか。

少しばかり懸念されることといえば、トランプ政権の強硬で戦略的な方策を受けて欧州が分断され、欧州側に不協和音が生じる結果、欧州の立場が弱まる可能性があることです。しかし、欧州側では、自らが直面する最も困難な課題を乗り越えていくためには、結束を崩すわけにはいかないことを認識していると思います。

欧州にも親トランプ派と目される政治指導者が存在します。その1人はイタリアのジョルジャ・メローニ首相です。ポピュリストの極右政党出身でトランプ大統領とも良好な関係にあります。トランプ政権が打ち出す政策に対する不満が欧州各国に鬱積するなかで、トランプ氏と親密で盟友関係にあると目されるこのような一部の政治指導者は、こうした関係の正当性を問われることになり、欧州内において政治的に不利な立場に追いやられる可能性があります。

不確実性を成長のチャンスに

こうした状況は日々刻々と変化しています。そして、これから数カ月もすると、私たちを取り巻く環境は大きく変わっているかもしれません。こうした時代を切り抜けていくためのアドバイスをお願いします。

Bradford:
いろいろな意味で、私たちはこれまでに経験したことのない世界を生きています。不確実性が大きく増大しているため、戦略的なアドバイスを行うことも難しくなってきています。明日、来週、来月に何が起こるか、予測することが極めて困難な世界なのです。

新しい環境にあっては、世界経済や通商上の課題が地政学、テクノロジー、国家安全保障、パワーポリティクスなどと連動するようになっています。どんな課題であっても、容易には解決できなくなりました。こうした状況が、複雑化をさらに加速しています。

結果として私たちを待ち受けているさまざまな困難な状況を念頭に置いて、直面している課題を乗り越えていかなければなりません。

欧州について言うならば、どんな事態に直面しても動じないように、短期、中期、長期的な観点から戦略を練ることが必要だと思います。

貿易自由化の進展を受けて、全世界がそのメリットを享受できると信じられていました。私たちは、これまで馴染んできたこのようなグローバリゼーションの時代にはもはや戻ることができなくなってしまったのです。

私たちは、困難や危険が多く、不安定な新しい世界に直面しています。そして、各国や各企業の指導者には、これまでよりもはるかに高い能力が要求されます。

重要なことは、たとえ現在直面している関税の脅威を払いのけることができたとしても、それは一時しのぎにすぎず、現在の不透明な状況が解消したり、失われた信頼が回復したりするものではないのです。

各国や各企業では、それぞれの生き残りとレジリエンスの確保が検討されています。新たな危機や困難に遭遇した場合でも、自身の能力アップを図ることでレジリエンスを高めて乗り越えられるようにするために、真剣な取り組みが進められているのです。

現在私たちは難しい時代を生きていますが、決してチャンスがないわけではありません。各国、各企業、各個人には、この困難な状況を成長へのチャンスにしようという努力が求められているのだと思います。


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