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サイバーセキュリティの強化は、最新ツールを導入するだけで実現するものではありません。本当に必要なのは、見えていない資産を把握し、放置された脆弱性に向き合い、現場の抵抗や予算の壁を越えて、組織の動き方そのものを変えていくことです。かつて電通は、この領域において「偏差値30」ともいえる状態にあったといいます。そこからどのように失敗と学びを重ね、防御力を高めてきたのでしょうか。dentsu Japan CIO兼CISOの根津 修二 氏に、その改革の歩みを伺いました。(本文敬称略)
登壇者
株式会社電通コーポレートワン
dentsu Japan CIO兼CISO
根津 修二 氏
PwCコンサルティング合同会社
パートナー
小林 公樹
※ 本稿は「Digital Trust Forum 2026」(2026年3月公開)のセッション4「偏差値30からの電通セキュリティ革命」の内容を基に、再構成したものです。
左から、小林 公樹、根津 修二 氏
小林:
最初に根津さんの経歴を教えてください。
根津:
私は2002年に電通へ入社し、広告営業や計画部門、電通デジタルなどを経て、2020年から国内ITの責任者を務めています。現在はdentsu JapanのCIO兼CISOとして、セキュリティを含むIT領域全般を管轄しています。
CIO兼CISOではありますが、私はエンジニア出身ではなく、コードも書けません。セキュリティの専門性という点では、部下のほうが圧倒的に勝っています。ただ「ハイレベルのマネジメントは専門知識だけでは務まらない」というのが私の実感です。今回は、ノンエンジニアにも分かりやすく、どのようにセキュリティレベルを高めてきたのかという電通の経験を紹介できればと思います。
小林:
さっそくですが、実際の取り組みについて伺います。根津さんが国内ITの責任者に就いた当時、電通のセキュリティはどのような状態だったのでしょうか。
根津:
電通は広告・マーケティングを中心に、イベント、コンテンツ、デジタルマーケティングなどの分野へ事業を展開しています。また、電通グループはSIerである電通総研も擁しています。そうした事業基盤がある一方で、正直に申し上げると、当初のセキュリティレベルはかなり低い状態でした。
まず、資産の把握ができていませんでした。当時、システムは約400、論理サーバーは約1,000台ありましたが、情報システム部が把握しきれていないものも多くありました。また、登録はされていても、何のためのシステムで、どんな環境で動いているのか分からないものもありました。
特権管理も同様です。J-SOXの対象となる会計システムなどは台帳管理されていましたが、それ以外のシステムでは、「誰が」「どの権限を持ち」「どのアカウントを使っているのか」を十分に把握できていませんでした。さらにEOLのサーバーも多く残っていました。当時はEDRも導入されていなかったため、仮にマルウェア感染や不正アクセスが起きても、気づけなかった可能性が高かったと思います。
実際、2021年にペネトレーションテストを実施したところ、30分ほどで社内ネットワークの認証基盤における管理者権限を取得されてしまいました。当時のセキュリティは境界防御に依存していたため、一度内部に侵入されれば、ランサムウェアが広範囲に感染してもおかしくない状態でした。
小林:
多くの企業では資産管理やバージョン管理が重要だと理解していながら、その対策は一部の領域にとどまっています。電通では、なぜそうした状態が続いていたのでしょうか。
根津:
一言で言えば、必要な投資をしてこなかったからです。
約400のシステムの構築・運用には、これまで数百億円規模の費用を投じてきました。しかし、これらのOSやミドルウェアをメジャーバージョンアップするには、さらなる動作検証やプログラム改修が必要です。場合によっては、一つのバージョンを上げるだけで数億円かかります。一方で、ユーザーから見ると、バージョンアップしても画面や機能が大きく変わるわけではありません。そのため「なぜそこに数億円をかけるのか」という議論になりやすいのです。
予算申請でも同様です。IT部門の予算増を申請すると「なぜこんなに増えるのか」と問われます。「EOLなのでバージョンアップが必要です」と答えると、「やらなければどんなデメリットがあるのか」「やらなければシステムは停止するのか」と聞かれます。停止するわけではないと分かると、「では見送ろう」となり、コストを抑えたことがむしろ評価されるのです。
こうした判断は、その瞬間だけ見れば合理的に見えるかもしれません。しかし長い目で見れば、企業として本当にそれでよいのかという問題があります。これは電通だけでなく、多くの企業で起きていることではないかと思います。
株式会社電通コーポレートワン dentsu Japan CIO兼CISO 根津 修二 氏
小林:
ミッションクリティカルなシステムほどスクラッチ開発で作られており、止められないためにバージョンアップできない、という話はよく伺います。先送りするほどコストが膨らむ、いわゆる「塩漬け」の状態ですね。電通では、そこからどのように改善を進めたのでしょうか。
根津:
最初に取り組んだのは、主要サーバーのクラウド移行です。移行を進める過程で電通のシステムを情報システム部門が把握し、システム基盤を会社管理の標準環境へ統一すべく、標準ルールに沿って運用できる状態に変えていきました。当然、古いオンプレミス環境で動いていたシステムの中には、そのままクラウドへ移行できないものもありましたが、規模の大きい会計システムは全面的に刷新しました。
監視体制も見直しました。現在はすべてのPCとサーバーにEDRを導入しています。OSの種類やバージョンがばらばらで、EOLの環境ではEDRを入れられないケースもあります。しかも、そうした古い環境ほど重要なシステムであることも少なくありません。そのため、他社の方に「電通では全台にEDRを導入している」とお話しすると、驚かれることもあります。
ただし、EDRは導入して終わりではありません。EDRはあくまで監視の仕組みです。アラートが上がったときには確実に検知し、対応できる体制が必要になります。サイバー攻撃は夜間や週末にも発生します。そのため電通では監視業務の一部を外部に委託し、24時間365日体制でアラートを検知できるようにしています。社員が常時対応しているわけではありませんが、少なくとも監視を途切れさせない体制にしています。
さらにパッチ適用も継続的に行っています。Windows PCは毎月、macOSはパッチが配信されたタイミングで適用しています。サーバーについてもWindows、Linuxそれぞれにメンテナンスウィンドウを設け、定期的にパッチを適用しています。
あわせて脆弱性監視の仕組みも導入しました。以前は「クリティカル」または「高リスク」に分類される脆弱性が一台サーバー当たり平均60件ほど検出されていましたが、今はPCとサーバーを合わせても2、3件程度で、ほぼ解消できています。脆弱性がどこにあるのかを確認し、不要なサービスは停止・削除する。パッチ適用で動かなくなるものがあれば改修する。そうした作業を積み重ね、現在の状態にするまでに2、3年ほどかかりました。
小林:
新製品を入れることだけがセキュリティ強化ではなく、こうした基本的な取り組みを徹底することが重要ですね。
根津:
はい。以前、セキュリティのコンサルタントに電通の現在地を相対的に評価してもらったところ、「偏差値でいえば70程度」と言われました。着任当時を仮に30とするなら、そこからかなり改善できたと自負しています。直近のペネトレーションテストでも、以前のように簡単に侵入される状態ではなくなっています。もちろん完璧ではありませんが、一定の安心感を持てるレベルには近づいていると思います。
小林:
こうした取り組みを進めるには、技術面だけでなく、組織の意思決定やこれまでの進め方を変える必要もあったと思います。何が転機となったのでしょうか。
根津:
実質的な転機は、グローバル基準のリーダーシップが入ったことだと考えています。
背景には、2020年に電通が純粋持株会社化したことがあります。その際、コーポレート機能のリーダーシップをどのように設計するかを議論し、グローバル事業との連携を前提に日本人と外国籍メンバーが対になるダブルリーダー制を導入しました。
海外企業では、CIOやCTOは経営機能として明確に位置付けられています。一方、当時の電通では、ITは総務系の延長として扱われる面もあり、専門性やグローバル対応の面で課題がありました。そこで私が国内ITの責任者として任命され、海外側のリーダーシップとも連携しながら、セキュリティ改革を推進することになったのです。
小林:
グローバルの考え方を取り入れる中で、どのようなことを重視されましたか。
根津:
欧米型の高い基準を取り入れつつ、現場で実行できるよう、理想と現実のギャップを管理することです。その背景にはポリシーやルールに対する日本と海外の考え方の違いがあります。
日本では、社内規則は「必ず守るもの」と捉えられます。そのため最初から現実的に守れる範囲でルールを定めがちです。結果として、形式的には遵守できても、セキュリティレベルは上がりにくくなります。
一方、海外のポリシーは、目指すべき理想状態を定義するものに近い考え方です。現状とのギャップがあることを前提に、その差分を管理し、PDCAを回しながら埋めていきます。もちろん、理想を掲げるだけでは不十分で、規則やプレゼンが立派でも、現場で実行されなければ意味がありません。だからこそ、高い基準と現場での実行可能性の両立を意識し、そのギャップを管理することに力を注ぎました。
小林:
「守れる最低限」に合わせるのではなく、「あるべき姿」を先に定め、現実との差分を埋めていく。その考え方が、改革の出発点なのですね。とはいえ高い基準を掲げると、現場から反発もあったのではないでしょうか。
根津:
はい、ありました。最初は「そんなことはできない」という反応が多かったです。「海外はSaaS中心だが、日本はスクラッチ開発が多い」「海外には人員がいるが、日本にはいない」――そうした違いを指摘する声もありました。
その指摘自体は間違っていません。ただ、「状況が違うからできない」で終わらせては何も変わりません。リーダーの役割は現状を踏まえたうえで「何を優先し」「どこまでをリスクとして受け入れ」「何を後回しにするのか」を判断することです。その方針を役員会や全社説明会で示し、組織として前に進める必要があります。もちろん、その判断を実行に移すには投資も必要ですが、まずは経営として優先順位を明確にすることが最優先でした。
PwCコンサルティング合同会社 パートナー 小林 公樹
小林:
実際に改革を進めるうえで、どのような難しさがありましたか。技術的なツールの導入と業務に関わるシステムの刷新とでは、克服すべき課題も違ったと拝察します。
根津:
セキュリティツールを導入すること自体は、それほど難しくありません。EDRであれば、設定して配布すれば完了です。難しいのは会計システムのように、現場の業務そのものに影響するシステムを変えることです。多額の投資をする以上、前と同じものを作っても意味がありません。時代に合わない業務を見直し、アーキテクチャもシンプルにする必要があります。
ただ、それは現場のオペレーションを大きく変えることでもあります。「取締役会で決まったから進める」というアプローチでは現場は納得しませんし、うまくいきません。要件定義の段階から説明会を開いて現場と対話し、必要に応じて追加改修も行いました。
こうしたコミュニケーションを重ねながらプロジェクトを進められた背景には、私が新卒入社以来、電通で働き、現場の事情や社内の人脈を理解していたことがあります。もし外部から来た人間だったら、もっと難しかったはずです。
小林:
こうした改革を支える体制についても伺います。ベンダーに任せきりにせず、自社側で判断し、リードできる体制をどのように整えていったのでしょうか。
根津:
グループ内に電通総研があるため、ベンダーとしては主に電通総研に協力してもらっています。一方で、企画やディレクション、プロジェクト管理は、(電通グループのコーポレート機能を担う)電通コーポレートワン側が担当しています。
重要なのは、コア人材を自社内に持つことです。私が着任した当時、会計システムの担当者は1人しかいませんでした。現在は10人ほどの体制で運用しています。情シス部門全体では約70人です。ベンダーに任せきりにすると、いざ問題が起きた時に自社で判断できません。責任を持ってリードできる人材は、社内に抱える必要があります。
小林:
次に、人工知能(AI)の活用について伺います。AI活用が進むと著作権や情報漏えいだけでなく、AIエージェントへの権限付与や、通常の開発プロセスを省略してしまうリスクも生じます。電通では、AI時代のリスクをどのように捉えていますか。
根津:
電通グループでは、事業現場でも管理部門でもAIを積極的に活用しています。当然、そこには新しいリスクがあります。分かりやすい例では、AIが生成した広告素材が著作権侵害につながるリスクです。
ただ、管理する立場から見ると、会社として危険なのは、「AIだから」といって通常のルールを無視してしまうことです。AIを特別扱いし、権限管理や開発プロセスを省略してしまうことが、最も大きなリスクになります。
こうしたリスクを避けるには、AIだからといって例外を作らず、重要な判断は人が行うことです。「自動化できる部分は自動化する」「ただし、AI任せにしない」という2つが、AIリスクを抑えるうえで欠かせないポイントだと考えています。
小林:
最後に伺います。電通の改革は基本的な対策を徹底し、必要な投資とリーダーシップによって組織を変えていく取り組みだったと感じます。こうした経験を踏まえて、日本企業がセキュリティを強化していくうえで、何が重要だとお考えでしょうか。
根津:
「日本企業のセキュリティレベルは低い」と指摘されることがあります。私の経験から見ても、基本的な対策を十分に実行できていない企業は少なくないと思います。
一方で、正しい方向性を示し、必要な投資を行い、リーダーシップを持って取り組めば、日本企業は高いレベルを実現できると考えています。日本の組織には、ルールが定まればそれを真面目に守り、現場で着実に実行する強さがあります。
電通も、5、6年前は海外のほうがセキュリティレベルは高かったと思います。しかし現在は、日本側のほうがガバナンスの実効性という点で高い水準にあると感じています。海外では、規則やプレゼンは立派でも、実態が伴っていないケースもあります。重要なのは、欧米型の高い基準を取り入れながら、日本企業の実行力を生かすこと。正しい方向に進めば、日本はセキュリティ後進国ではなく、先進国になれる。そう考えています。
小林:
欧米型の良いところを取り入れつつ、日本企業の実行力を生かしていく。その両方が、セキュリティレベルを高めるうえで不可欠ですね。本日はありがとうございました。
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