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ランサムウェア被害は拡大を続けており、その影響は被害企業にとどまらず、サプライチェーン全体へ波及するケースも増えています。近年は、VPNやリモートデスクトップを経由した侵入に加え、正規アカウントや認証情報を悪用する「アイデンティティ攻撃」も急速に広がっています。また各国では、身代金支払いの抑制や被害報告義務化など制度対応も進みつつあります。本セッションでは、NTT株式会社 チーフ・サイバーセキュリティ・ストラテジストの松原実穂子氏を迎え、最新の脅威動向や攻撃手法、各国の制度動向を整理しながら、企業に求められる対策と今後のサイバー防衛の在り方を探ります。(本文敬称略)
登壇者
NTT株式会社
チーフ・サイバーセキュリティ・ストラテジスト
松原 実穂子 氏
PwCコンサルティング合同会社
パートナー
村上 純一
※ 本稿は「Digital Trust Forum 2026」(2026年3月公開)のセッション2「NTTと考える日本企業が直面しうるサイバー空間をめぐる脅威情勢」の内容を基に、再構成したものです。
左から、村上 純一、松原 実穂子氏
村上:
最初に松原さんの現在のお立場と、活動内容を教えてください。
松原:
私は2018年より、NTTのサイバーセキュリティ専門チームで対外発信を担当しています。私の役割は、日本国内における最新のサイバー脅威やその対策を、経営層から一般層の方々に至るまでそれぞれの視点に合わせて最適化した形で、記事執筆や講演活動を通じて広く社会へ発信していくことです。
村上:
早速ですが、実際に国内外でどのような脅威が拡大しているのか、その背景に何があるのか、そして企業は何に備えるべきかを見ていきます。
図表1:ランサムウェア被害の状況
出所:Ransomware report – 2025 Issue 10 (CTO-CTS-20251014-01A), PwC Theat Intelligence
近年特に深刻化しているのがランサムウェア被害です。上図はリークサイトへの掲載件数を基に、2024年と2025年の被害件数を比較したものです。2024年は4,837件でしたが、2025年は9月時点で5,219件と、すでに前年通年を上回っています。被害は年々増加しており、過去最多のペースで推移している状況です。
「ランサムウェア」という名称からはコンピューターウイルスを想起しがちですが、背後ではランサムウェアグループと呼ばれるサイバー犯罪集団が活動しています。右側のグラフにあるように、「Akira」「Play」など、さまざまなグループが継続的に確認されています。つまり現在のランサムウェアは単発の攻撃ではなく、組織化・分業化された犯罪ビジネスへと変化しているのです。松原さんは、最近のランサムウェア被害をどのようにご覧になっていますか。
松原:
報道されている件数を見るだけでも、ランサムウェア攻撃被害の激増が分かります。
ランサムウェア攻撃被害が激増していることが分かります。
日本企業の被害には、二つの大きな特徴があります。一つ目は、日本の本社ではなく海外支社から侵入されるケースの増加。二つ目は、サプライチェーンへの打撃の深刻化です。
一つ目の背景には、少子高齢化と国内市場の縮小を受け、日本企業が海外企業の買収や海外マーケットの拡大を加速させていることがあります。その結果、海外拠点ごとにIT環境やセキュリティ対策の水準がばらつき、本社を含めたグローバル全体で統一的なガバナンスを維持することが難しくなっているのです。実際、米国、ベトナム、タイ、シンガポール、台湾などの海外拠点を起点に侵入されるケースが増えています。
二つ目は、サプライチェーン全体へ被害が波及するケースです。ランサムウェア攻撃では被害企業単体にとどまらず、関連する小売、医療、物流、製造など幅広い業種へ影響が拡大する事例が目立っています。日本企業への大規模攻撃の事例では、製品・サービスの提供遅延が発生し、取引先各社の事業活動に大きな支障が生じました。現在のランサムウェアは、一企業を狙った攻撃であっても、サプライチェーン全体の事業継続を脅かすリスクへ変化していると言えます。
NTT株式会社 チーフ・サイバーセキュリティ・ストラテジスト 松原 実穂子 氏
村上:
次に、ランサムウェアの主な侵入経路について見ていきます。
下図は警察庁の公開データを基に、国内のランサムウェア被害における侵入経路をまとめたものです。2023年から2025年にかけて傾向は大きく変わっておらず、VPN(Virtual Private Network)やリモートデスクトップ経由が大半を占めています。
図表2:ランサムウェア攻撃の侵入経路
出所:令和5年、6年、7年上半期におけるサイバー空間をめぐる脅威の情勢等について(警察庁)に基づいて作成
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/cybersecurity/data/R7kami/R07_kami_cyber_jyosei.pdf
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/cybersecurity/data/R6/R06_cyber_jousei.pdf
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/cybersecurity/data/R5/R05_cyber_jousei.pdf
従来は標的型メールやフィッシングが注目されてきました。しかし、近年のランサムウェア被害では、外部公開された機器の脆弱性や認証管理の不備が主要な侵入経路になっています。つまり、パッチ適用や認証管理といった基本対策の徹底が、依然として重要だと言えます。この点について、松原さんはどのようにご覧になっていますか。
松原:
注意喚起が繰り返されてもなお、なぜこの状況が続いているのか。その要因は二つあります。一つ目は、コロナ禍以降のリモートワーク拡大によって、VPNやリモートデスクトップの利用が急増したこと。二つ目は、デジタルトランスフォーメーション(DX)の進展とグローバル化によって管理すべきIT資産が増え、セキュリティガバナンスが複雑化していることです。
VPNやリモートデスクトップは、外部ネットワークにつながる企業の「玄関口」です。攻撃者は、最も侵入しやすい場所を狙います。守るべきIT資産が増えるほど、全てを完全に管理する難易度も上がり、「鍵の甘い箇所」がどうしても残ってしまいます。多要素認証が導入されていない、脆弱なパスワードが使われている、セキュリティパッチの適用が遅れている――。攻撃者はその管理の難しさを熟知しているからこそ、管理の取りこぼしが侵入経路であり続けているのです。
村上:
ここまでランサムウェアを中心に見てきましたが、最近はそれに加えて、さらに注意すべき攻撃トレンドが広がっています。それが「アイデンティティ(ID)」を狙う攻撃です。
従来は、マルウェアや脆弱性を悪用してシステムへ侵入する攻撃が中心でした。しかし最近は、EDR(Endpoint Detection and Response)やMFA(Multi-Factor Authentication:多要素認証)の導入も進み、対策も強化されています。その結果、攻撃者はシステムを「突破する」のではなく、正規ユーザーとして「ログインする」方向へとシフトしています。
下図はアイデンティティを狙う代表的な攻撃対象を、「人間」「設定」「デバイス」「トークン」の4つに分類したものです。
図表3:アイデンティティを狙った攻撃へのシフト
出所:Logged in: The rise of identity-centric intrusions (CTO-TIB-20251031-01A), PwC Theat Intelligence
「人間」を狙う手法では、正規の認証システムとユーザーの間に介在してMFAのコードを盗むAiTM(Adversary-in-the-Middle)攻撃、生成AIで本人を騙る音声フィッシング、認証承認の通知を大量送付して根負けを誘うMFA疲労攻撃、携帯回線を乗っ取るSIMスワップ・eSIM乗っ取り、外部要員になりすました不正オンボーディングなどが確認されています。
また、「設定」では流出したID・パスワードやアクセス設定不備、「デバイス」ではインフォスティーラー、「トークン」ではOAuthアプリケーション※1に付与された認可権限の悪用などが挙げられます。
つまり現在は「システム侵入」ではなく、「正規アカウントの悪用」が攻撃の中心になりつつあると言えます。こうした攻撃について、国内外で特に注視されている代表的な事例を教えてください。
松原:
多くの企業では、自社を狙ったサイバー攻撃への警戒が高まっています。一方、アイデンティティを狙う攻撃が、社長や役員自身を直接標的にしているという認識は、まだ十分に広がっていません。
例えば、ディープフェイク音声や動画を駆使して経営者からの指示であると現場に信じ込ませ、送金させる攻撃手法があります。日本企業を標的とした事例や未遂事案が、国内でも確認され始めてきました。特に大手企業の経営層は、講演やメディア出演などを通じて映像や音声が公開される機会が多く、ディープフェイクの標的になりやすい立場にあります。
経営層の権威が攻撃に悪用される時代です。本社のCFOから「緊急案件だ」と言われれば、現場の担当者が焦るのは無理もありません。騙されて送金してしまう事態を回避するには、通常とは異なる送金先への振り込み依頼や高額送金指示があった場合、別経路での確認や複数承認を必須化するなど、社内手続きを改めて見直す必要があります。
※1 ユーザーに代わってメールやファイルなどへアクセスする権限を持つアプリケーション
PwCコンサルティング合同会社 パートナー 村上 純一
村上:
ここまで脅威や攻撃手法を見てきました。ここからは、各国における制度対応の動きを見ていきます。
下図は、日本、米国、英国、EUにおけるランサムウェア対応の主な制度動向を整理したものです。大きな流れとしては、身代金支払いを抑制する方向と、インシデント報告を義務化する方向の二つが進んでいます。
図表4:ランサムウェア攻撃に対する各国の取り組み
特に欧米では、個人情報や重要データを含む被害について、24時間以内や72時間以内といった短時間での報告義務が導入され始めています。そのため企業には、平時のセキュリティ対策だけでなく、インシデント発生後に迅速に意思決定・報告できる体制整備も求められています。松原さんはこうした各国の制度動向や官民連携の動きをどのようにご覧になっていますか。
松原:
二つの視点からお話しします。一つ目は、被害報告の義務化が世界的な潮流になっている点です。例えばオーストラリアでは、2025年5月に新法が施行され、重要インフラ事業者や一定規模以上の企業に対し、ランサムウェア被害で身代金を支払った場合の政府機関への報告が義務付けられました。
二つ目は、各国政府が規制強化だけでなく、被害企業への支援にも乗り出している点です。例えば日本の警察庁は、「8Base」など一部ランサムウェアによって暗号化されたファイルを復号する鍵を無料で公開し、海外の捜査機関とも連携して提供しています。
この鍵だけで全てのランサムウェア被害に対応できるわけではありませんが、被害企業が身代金を支払わずにデータを復旧できる可能性を広げることで、攻撃者のビジネスモデルを崩す重要な取り組みになっています。こうした国際連携や支援の取り組みが広がっていけば、企業側の対抗力も確実に高まっていくはずです。被害企業にとっても、事業復旧に向けた現実的な選択肢の一つになるでしょう。
村上:
最後に伺います。生成AIやディープフェイクを悪用した攻撃が現実化する中で、企業は、そして経営層はサイバー防衛をどう強化していくべきでしょうか。
松原:
残念ながら、攻撃者は新しい技術をいち早く取り入れ、攻撃手法を多様化させ、コストパフォーマンスを高めながら、企業のイノベーションや企業価値、ブランド、利益を損ね続けています。
2020年にサイバーセキュリティ・ベンチャーズが公開したレポートの予測では、サイバー犯罪による世界全体の被害額は、2025年に年間10.5兆米ドル規模に達します※2。この金額を国家GDPに換算すると、米国、中国に次ぐ世界第三位の経済規模に達します。
こうした状況に対抗するには、まず「機械には機械で対抗する」という発想が欠かせません。生成AIを活用してサイバー防衛の一部を自動化・効率化していくことは、もはや選択肢ではなく必須だと思います。
一方で、自動化しきれず、最後は人間が判断しなければならない領域は必ず残ります。守るべきIT資産が激増し、攻撃も巧妙化し続ける中で、IT部門やサイバーセキュリティ部門の現場には疲労が蓄積し、日本でも燃え尽き症候群に陥る人が増えています。技術への投資と並行して、「人材」のサステナビリティをどう確保するかが、今後の企業のサイバー防衛を左右する大きな論点になると考えています。だからこそ、管理職や経営層の方々には、自社のIT・セキュリティを支えている現場に、ねぎらいと感謝の言葉をかけていただきたいと思います。
サイバー攻撃と向き合う仕事は成果が見えにくく、「何も起きなかった」ことが成果になる世界です。しかし、IT・サイバーセキュリティ部門が機能しているからこそ、企業価値やブランド、事業継続は守られているのです。経営層が現場を継続的に支援し、その重要性を組織全体へ発信していくことが、結果として企業全体のサイバー防衛力の底上げにつながっていくのだと思います。
村上:
技術への投資、そして経営層から現場への継続的な支援。この両輪が、これからの日本企業のサイバー防衛を支える鍵になるということですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
※2 2022 Official Cybercrime Report
https://cybersecurityventures.com/cyberwarfare-report-intrusion/
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