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21歳でアーセナル、22歳で日本代表として世界の舞台で2ゴール。――華やかな数字の裏で、稲本潤一氏は移籍のたびに「ゼロからの信頼」を築き直してきました。
環境を変えるとは、新しい機会を手にすることであると同時に、これまで積み上げた実績がいったん通用しなくなるということでもあります。決断の瞬間、新天地での孤独、求められる役割と自分の理想とのズレ。その葛藤の構造は、サッカー選手も、コンサルタントも変わりません。
今回の鼎談の軸は「キャリアへの挑戦と選択」。現役引退後の今は、川崎フロンターレでFRO(フロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー)を務める稲本潤一氏と、事業会社からコンサルタントへとキャリアを切り替えたPwCコンサルティング パートナーの阿部大祐、30歳で日本を離れオーストラリアへ渡った経験を持つ同パートナーの垣内啓子。新しいキャリアへの挑戦も、環境を変える挑戦も、同じ職を極め続ける挑戦も──形は違えど、3人の言葉が共鳴し合いました。
登場者
川崎フロンターレ FRO(フロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー)
稲本 潤一氏
PwCコンサルティング合同会社 パートナー
阿部 大祐
PwCコンサルティング合同会社 パートナー
垣内 啓子
※参加者の肩書き、所属法人などは掲載当時のものです。
(左から)垣内 啓子、稲本 潤一氏、阿部 大祐
1999年、ワールドユース選手権(現U-20の世界大会)の決勝。日本代表は強豪を次々と撃破し、史上初めて決勝まで駒を進めました。しかし、相手のスペインを前にまったく歯が立たず、0-4で完敗を喫します。当時19歳だった稲本氏にとって、その屈辱的な敗戦が全ての出発点になりました。
「鼻をへし折られたというか、彼らと自分たちの間で何が違うのかをすごく考えるようになりました。このまま日本にいたら追いつけないな、というのが結論でした」(稲本氏)
敗北をただ受け入れるのではなく、「差を埋めるにはどうすればいいか」という問いに変換できたことが、稲本氏を動かしました。当時、中田英寿氏や名波浩氏が海外でプレーし始めていましたが、まだ日本人選手の海外移籍はメジャーではなかった時代です。それでも稲本氏はエージェントという存在を人づてに知り、そこで出会ったエージェントが持ってきた話がイングランド・プレミアリーグのアーセナルFCでした。当時の稲本氏は、アーセナルがどれほどのクラブかも正確には把握していなかったと言います。
「20歳で日本代表になっていて、ちょっとイケイケ感があったので『大丈夫だろう』くらいの感覚で決めました。リスクなんて全く考えていなかったです。行くと決めてから、どうしたらいいかを逆算で考えていきました」(稲本氏)
PwCコンサルティングの二人の決断も、それぞれに「不確かさ」を抱えていました。阿部は前職でPwCと協業した経験があり、ある程度の見通しを持って転職を決めました。
「求められることがある程度分かった上で来たので、リスクはそこまで感じていませんでした。稲本さんの話を聞いていると、『分からないけど行く』という決断のすごさを改めて感じます」(阿部)
一方で、計算よりも感情を優先した垣内はこう語ります。
「日本で築いてきたキャリアをいったん置いてオーストラリアに渡ったのは30歳の時。実は失恋もあって(笑)、『捨てるものもないだろう』と。計算し尽くしてというよりも、行ってみないと一生後悔するだろう、その気持ちの方がずっと大きかったんです」(垣内)
「結局、行くって決めることが大事なんじゃないですかね。行ってから考える、みたいな」(稲本氏)
キャリアの決断と選択に明確な根拠は要りません。踏み出すことそのものが最初の一歩であり、その後の道を切り開く力になります。
(左から)垣内 啓子、稲本 潤一氏
アーセナルに到着した稲本氏を待ち受けていたのは、想像を超える実力差でした。当時のアーセナルにはフランス代表の主力が多数在籍しており、日本代表でチームとして戦えばある程度やり合える感覚だったものの、個人対個人になると話がまるで違ったのです。言語の壁、文化の違い、そして圧倒的なレベルギャップ。「最初の3カ月は試合や練習に慣れるだけで大変でした」と振り返ります。
それでも稲本氏は、信頼を築く方法を見つけていきます。頼ったのは言葉ではなく、ボールでした。
「僕らはボールがあれば会話できるんです。パス交換をするとか、練習前に二人でリフティングをするとか。欧州の9年間で7、8チームを経験しましたけど、基本はどこでも『ボールで会話する』という感じで近づいていきました。実はこう見えてシャイなので(笑)。今になって、もっと積極的にいけばよかったという後悔はありますが」(稲本氏)
言葉が通じない環境で信頼を積み上げていくには、自分にとっての「共通言語」を見つけることが不可欠です。阿部が選んだのは、徹底した対話でした。
100人以上のメンバーがいるチームのリードパートナーに就任した時、まずは全員と1on1で話そうと決めました。
「3カ月かけて全員と話しました。途中で辞めていく人も出てきて、なかなか大変でしたが、地道に全員と向き合い続けることで、なんとか信頼関係を築いていけたと思っています」(阿部)
オーストラリアに渡った垣内が直面したのは、アピールの「作法」でした。
「日本では実績の80%ほどを謙虚に示す感覚ですが、オーストラリアではポテンシャルも含めて実績のように話すことが多いんです。細かい話ですけど、会議室で背の高い人がいれば、目線を合わせるために椅子の高さを調整したりして。文化によってアピールの仕方も信頼の築き方も全然違うんだなというのを実感しました」(垣内)
PwCコンサルティング合同会社 パートナー 垣内 啓子
2002年、日本と韓国が共催した世界大会。稲本氏は2ゴールを挙げ、一躍注目を集めました。「ワールドカップは、世界に自分を知ってほしいというアピールの場とも捉えていました。若かったので金髪にもしましたし(笑)」と振り返るように、自らの存在を世界に示す舞台として大会を最大限に活用しました。この活躍を機に、稲本氏は英国のフルハムFCへ移籍。そこでの活躍の前に、そもそも欧州サッカーの世界が持つ本質的な厳しさについて、稲本氏はこう語ります。
「おのおのが個人事業主というか、どうアピールして誰を蹴落とすかの世界だと思うので。海外の選手たちはめちゃくちゃ喧嘩しますし、監督に対しても普通にそんな言葉を使っていいのかというぐらいぶつかります。対等というところは、日本とはちょっと違いましたね」(稲本氏)
信頼ゼロからのスタートは、移籍のたびに繰り返されます。自分の強みを把握し、弱みを補い、常に「選ばれる理由」を示し続けなければならない。その感覚は、コンサルティングの現場にも通じるものがあります。
垣内はかつて「もう二度とやりたくない」と感じた基幹システム刷新の大規模案件と向き合いました。
「自分のキャリアの中では一区切りつけていた領域でした。ただクライアントの経営課題としてはもう先延ばしできないという危機感が高まる領域でもありました。上流だけでなく最後まで支援できる力と体制をPwCに作らなきゃいけない、と覚悟したんです」(垣内)
好き嫌いを超えて、求められる役割を引き受ける。その覚悟は、新しい環境で問われる「自分の幅」につながります。ただ、求められる役割と自分の理想がズレた時、葛藤は静かに顔を出します。
(左から)垣内 啓子、稲本 潤一氏
フルハムではチームメイトやサポーターの存在が後押しとなり、アーセナル時代よりも積極的に動けたと振り返るように、移籍直後から鮮烈なスタートを切り、現地メディアの注目を集めました。しかしその直後から、新たな葛藤が始まっていました。フルハムで稲本氏が起用されたのは、本来のポジションであるボランチではなく、一列前のトップ下だったのです。数字は残せていて、チームからも期待されていました。
「自分がやりたいプレースタイルではなかった。もやもやしたまま続けていたら、やがて試合に出られなくなりました」(稲本氏)
キャリアチェンジにおける葛藤。新しい環境で一見うまくいっているように見えても、「求められていること」と「自分がやりたいこと」のズレはしばしば起こります。
「全く違う領域のプロジェクトに入ることはよくあります」(阿部)
PwCコンサルティング合同会社 パートナー 阿部 大祐
どれだけ実績を積んでいても、環境が変わればまたゼロからのスタートです。
環境を変えれば、新しい景色が手に入る。けれど、変えた先で待っているのは「ここで自分は何者でいられるのか」という、もう一つの問いでした。数字を出せば認められるのか。役割を全うすれば満たされるのか。その問いに、三人がどのように向き合ってきたのか。後編は、そこから始まります。
稲本潤一氏
川崎フロンターレ FRO(フロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー)。1979年生まれ、大阪府出身。17歳の時にガンバ大阪でプロキャリアをスタートし、21歳でアーセナルへ移籍。その後フルハム、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン、カーディフ・シティ、ガラタサライ、アイントラハト・フランクフルト、スタッド・レンヌと欧州のクラブチームを渡り歩いた。2002年日韓ワールドカップでは2ゴールを記録し、日本代表の躍進に貢献。帰国後は川崎フロンターレや北海道コンサドーレ札幌などでプレーし、2024年に現役を引退。現在は川崎フロンターレでFROを務める。
阿部大祐
PwCコンサルティング合同会社 パートナー。Business Management Transformationチームのリードパートナーとして、会計・人事・サステナビリティの変革ソリューションを統括。自身のキャリアとしては、クライアントの業界を問わず、主に、ERP(基幹業務)システムの導入から業務標準化やオペレーション変革のリードを担当。現在は並行して、PwCコンサルティング全体の中途採用チームのリーダー、および自動車部品メーカーのアカウントリーダー、PwC Japanグループ全体の経営監視委員会を務めている。
垣内啓子
PwCコンサルティング合同会社 パートナー。金融事業部のパートナーとして、保険会社のテクノロジー変革ソリューションを担当。日本とオーストラリアで20年以上金融機関向けのコンサルティングに従事し、新規事業戦略立案、保険契約管理・保険金支払管理システム、財務システム導入を伴うオペレーション改革など幅広い領域でトランスフォーメーションを手掛けている。
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