「気候安全保障」の視点で読み解く企業の課題とチャンス(前編)

気候変動がもたらすリスクと対策を考える

  • 2025-11-10

世界全体で急務となっている気候変動対策。エネルギー転換をはじめ各国がさまざまな取り組みを展開する一方、異常気象や自然災害は社会に深刻な影響を及ぼし、新たな対立や争いを生むきっかけにもなっています。世界が直面する気候変動を、安全保障の観点から捉える「気候安全保障」の第一人者である京都大学大学院総合生存学館の関山 健教授をゲストにお迎えし、PwC Intelligence シニアマネージャーの相川 高信とマネージャーの富澤 寿則とともに、気候変動がもたらすリスクとチャンスについて議論を行いました。前編では、気候安全保障の基礎概念と具体的な事象を整理します。モデレーターはPwC Intelligence シニアアソシエイトの榎本 浩司が務めました。

(左から)富澤 寿則、相川 高信、関山 健氏、榎本 浩司

(左から)富澤 寿則、相川 高信、関山 健氏、榎本 浩司

参加者

京都大学 大学院 総合生存学館 教授
関山 健氏

PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence シニアマネージャー
相川 高信

PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence マネージャー
富澤 寿則

PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence シニアアソシエイト
榎本 浩司

※法人名、役職などは対談当時のものです。

気候変動リスクが高まる今、注目される「気候安全保障」

榎本:
世界平均気温は上昇傾向にあり、過去最高を記録した2023年に続き、2024年も産業革命前と比べて1.5℃以上も上昇しています※1。また、近年では世界各国で大規模な森林火災が発生し、その背景には気温上昇や降水量の減少が関係していると言われています。このまま気温上昇が続けば、2100年までに世界の氷河の25~50%程度が失われるおそれがあり、海面上昇によって高潮や洪水などのリスクが高まると予測されています※2

こうした気候変動のリスクは、農林水産業への影響や気象災害によるサプライチェーンの混乱、高温による労働環境の悪化、労働可能期間の短縮など、ビジネスにさまざまな悪影響をもたらすことが予想されます。一方、環境の変化が新たなフロンティアを生み出している側面があることも事実です。その一つが、北極海の海氷面積の減少であり、新航路や資源開発をはじめとする北極圏の活用への期待が高まっています。

今回の統合知対談は、安全保障の領域において認識が高まりつつある「気候安全保障」の研究を行う京都大学の関山健さんをお招きし、気候変動がもたらす安全保障およびビジネスのリスクとチャンスについて考えたいと思います。なお、私 榎本の専門領域は地政学と安全保障、富澤はロシアの安全保障、相川はサステナビリティを専門としています。

関山先生、はじめに気候安全保障とはどのようなものなのか教えてください。

PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence シニアアソシエイト 榎本 浩司

関山:
「気候安全保障」という言葉はまだなじみのないものなので、まずこの概念が生まれた経緯からご説明します。

1990年代初頭、冷戦終結後に新たな脅威として認識されはじめたのが、人間による環境破壊が安全保障上の重大なリスクになるという考え方です。ここから環境問題と安全保障の関わりを捉えた「環境安全保障」という概念が生まれ、活発に議論が行われました。その後、2007年に気候変動に関する政府間パネル(IPCC)とアル・ゴア元米国副大統領が、気候変動に関する啓発活動でノーベル平和賞を受賞した頃から、気候変動に対する世界的関心が高まりはじめました。

それ以降、環境破壊の中でも、特に気候変動が安全保障に与える影響について議論が活発化しました。1990年代に環境安全保障という概念が登場し、2000年代に入って気候変動にフォーカスが当たることにより、環境安全保障がリバイバルされたのが「気候安全保障」という概念になります。

榎本:
ありがとうございます。続いて、気候安全保障の具体的な内容についてお聞かせください。

関山:
気候安全保障とは「気候変動を遠因として発生する紛争や暴動から、国や社会を守ること」です。これには大きく二つのパターンがあり、一つは、気候変動による自然現象が社会経済の混乱を招き、内戦や民族紛争に至るケースです。もう一つは、気候変動に対する政治的な対応・対策が、国家間の対立をあおり紛争に至るケースです。

ポイントは「遠因」です。気候変動が直接的に紛争や暴動を引き起こすのではなく、気候変動を機に、社会にさまざまな変化が起こった結果、紛争や暴動に至ると考えていただければと思います。

京都大学 大学院 総合生存学館 教授 関山 健氏

富澤:
1つ目の「気候変動による自然現象が社会経済の混乱を招き、内戦や紛争につながるケース」では、どのようなことが起こり得るのでしょうか。

関山:
気候変動に伴う異常気象や自然災害によって、水、土地、食料、鉱物などの資源不足が起きると、希少性が増し、それらを巡る競争や対立が発生することがあります。実際にアフリカや中東では、水や土地を巡る争いが起こり、ダルフール紛争やパレスチナ紛争の背景にもこうした要因があると言われます。

また、農作物の収穫量減少や、それに起因する食料価格の高騰、さらには物価全体の高騰が紛争や暴動の背景となることもあります。一例として、インドネシアで稲作の時期に異常気象が起こると内戦や暴動が発生しやすくなるという研究結果があります※3。アフリカでも、異常気象により主食のトウモロコシの収穫量が減少すると、紛争発生率が高まることが報告されています※4。世界中から多くの食料を輸入している日本にとっても、決して対岸の火事ではありません。

相川:
さまざまな国や地域で、気候変動が人々の暮らしに影響を与えているのですね。

関山:
人類の歴史をひもとけば、異常気象や自然災害が招いた物価高騰が暴動や紛争に至ったケースは数多くあります。18世紀フランスで起きたレヴェイヨン事件、19世紀バイエルンのライ麦不作による市民暴動、現在も起こっているアフリカの暴動や紛争の背景にも物価高騰があります。「アラブの春」もまた、異常気象による穀物不作が物価高騰を招き、大規模な民主化運動へと発展しました。

水や土地、食料が不足している、あるいは海面上昇によって住む場所がなくなれば、住み慣れた土地を離れざるを得ない場合もあります。こうした人々を「気候移民」や「気候難民」と呼ぶことがありますが、移住者と先住者との間で競争や対立が発生することが危惧されます。

一方、住む場所を移すのが難しい人々の間では格差や貧困が広がり、それが新たな紛争や暴動の引き金になることが考えられます。また、気候変動の影響による北極圏の海氷融解や、海面上昇による領土や領海の消失などによって起こる地政学的な変化もまた、新たな紛争の要因となり得るでしょう。

ただし、気候変動が起きたからといって、必ずしも紛争や暴動につながるわけではありません。気候変動により同じような影響を受けても、紛争や暴動に至る地域もあれば、そうでない地域もあります。

貧困、医療、教育、多様性―さまざまなファクターが社会の「適応力」を高める

富澤:
気候変動が結果的に紛争や暴動につながるかどうかは、何によって決まるのでしょうか。

PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence マネージャー 富澤 寿則

関山:
分かれ道となるのが、その国や地域がどれほどの「脆弱性」や「適応力」を持っているかです。社会や経済の発展レベル、行政能力、ガバナンス能力、財政力などが高ければ、異常気象や自然災害が起きても柔軟に対応し、受けた影響を軽減することができると考えられます。一方、民族紛争の火種がある地域や、地理的に紛争が起きやすい地域は、気候変動の影響により紛争リスクが高まるとされています。

気候変動と紛争の相関についてはいくつかの研究がなされており、気候変動の影響で紛争が増加する確率は20~25%程度とされています。ある研究では次のようなデータが出ています。冷戦終結から約30年間で、1,000名以上の死者が出るような激しい異常気象や自然災害が紛争地域を襲ったケースは全部で36、そのうち紛争が何らかの影響を受けたのは半分の18でした。さらにその半分、つまり9つの地域では紛争が沈静化し、残りの9つの地域では紛争が激化するという結果となりました※5

いずれにせよ、先進国でも途上国においても、紛争あるいは自然災害に対する適応力を高め、脆弱性を減らしていくことが重要だと言えるでしょう。

相川:
示唆に富むお話をありがとうございます。重ねてお伺いしたいのですが、地域や社会全体のレジリエンスを高める上で、関山先生が特に注目しているファクターはありますか。

関山:
経済に関しては、やはり貧困が広がっている地域では紛争や暴動が発生しやすい傾向があります。社会の発展レベルという意味では、衛生や医療の仕組みが行き届いているか、一定の教育水準が保たれているかが、レジリエンスや適応力を高める上で重要なファクターと言えるでしょう。また、女性やマイノリティに対する差別がまん延している地域や社会は、多様な個の力を十分に生かすことができない状態にあり、気候変動や紛争などが発生した際に、大きな影響を受けやすい傾向があると考えています。

相川:
日本で外務省が取り組む人間の安全保障や、国連を中心に世界全体で進めているSDGs(持続可能な開発目標)は、気候安全保障と密接につながっていることがよく分かりました。それぞれにバランスよく目配りをし、気候安全保障にも意識的に取り組んでいくことが重要であると感じます。

関山:
まさにそうですね。気候安全保障の世界のトップ研究者たちは、ある調査において、世界の平均気温が2℃上昇すれば約13%、4度上昇すれば約26%の確率で紛争が増加すると見ています※6。この数字を高いと見るか、低いと見るかの議論はありますが、私は決して無視できない重大なリスクと捉えています。‎

エネルギー転換でクリアすべき課題と日本の貢献可能性

相川:
気候変動対策はこれまで、温室効果ガスの排出を削減し、環境への影響を抑制する「緩和(ミティゲーション)」が中心でしたが、状況が年々深刻化する中で気候変動による影響をいかに軽減するかという「適応(アダプテーション)」についても考えねばならない時代へと本格的に突入しているのではないでしょうか。緩和と適応を両にらみし、さらには「安全保障」というキーワードを意識することで、気候変動への対応の解像度が上がっていくのではないかと考えています。

PwCコンサルティング合同会社 PwC Intelligence シニアマネージャー 相川 高信

関山:
ちょうど気候変動対策のお話をいただいたので、気候安全保障の2つ目のパターンである「気候変動に対する政策的な対応・対策が国家間の対立をあおり紛争に至るケース」についてお話ししたいと思います。ポイントは「エネルギー転換」「グリーン産業政策」「気候工学」の3つです。

気候変動対策に関しては各国が取り組みを展開していますが、脱化石燃料をはじめとするエネルギー転換に伴って国同士の力関係が変化し、地政学的な影響がもたらされることが考えられます。また、電気自動車の普及などグリーン産業政策について、技術や産業を巡る国家間の対立も懸念されます。気候変動に対して工学的な手法を用いて介入する気候工学の分野においても、国家間の利害対立やガバナンスを巡る対立が起こることが考えられるでしょう。

相川:
エネルギー転換に関して、国家間の対立構造を前提とするのではなく、協調的に進めていくにはどんなことが必要でしょうか。

関山:
ご存じのとおり、エネルギーの主たる鉱物が変わるタイミングで世界の覇権が移り変わってきました。その時代のエネルギーを握った国が、その時代の覇権を握ってきたのです。石炭の時代を制したイギリス、石油の時代をけん引した米国―そして21世紀はどうなるのか。この問いに私たちは直面しています。

再生可能エネルギー自体は世界中で利用できますが、そこには二つの注意点があります。一つは、再生可能エネルギーを利用可能にするための施設や、設備をつくるために必要なレアメタル・レアアースなどの希少鉱物の多くを中国が生産し、それを外交や政治において戦略的に利用しようとしている点です。これに対しては、中国の独占体制をいかに変えていけるかが重要であり、日本は技術的な貢献に注力する他、他の消費国とともに中国以外の供給源を多角化していく努力が必要でしょう。

もう一つの注意点は、再生可能エネルギーの安定供給の実現です。中東やオーストラリアは太陽光が、欧州は風力が豊富ですが、日本は地理的にそれほど恵まれておらず、再生可能エネルギー由来の電力をいかに安定的に供給できるかという課題を抱えています。企業は、電力を安定的かつ安価に調達できる地域に拠点を置く傾向があるため、これは日本の将来に関わる重要なテーマと捉えています。

これらの課題を認識した上で、国として技術的または外交的にどのようなアプローチが可能なのか、また民間ビジネスとの連携についてもいち早く考えはじめなければならないという危機感があります。

榎本:
私からも質問させてください。日本がこれから直面し得る気候安全保障リスクには、どのようなものがあるとお考えでしょうか。

関山:
日本は気候変動の影響に対して比較的適応力が高く、強靭な国ですので、気候変動が引き金となって日本国内で紛争や暴動が起きることは考えにくいです。しかし、日本の周辺には気候変動に対して極めて脆弱な国々が多くあります。中国はその一つであり、北朝鮮においても気候変動の影響により難民が多く発生することが危惧されています。さらに東南アジアの国々には今も民族紛争があります。

こうした周辺国で気候変動に伴う難民や暴動が発生すれば、日本への移民や難民の増加、あるいは日本企業がサプライチェーンやマーケットを依存している地域でのカントリーリスク上昇といった形で日本にも影響が出てくるでしょう。2011年にタイ・バンコク郊外で起きた大洪水により、多くの日本企業が被災しましたが、同様のことが今後も起こるリスクがあります。

また、日本は島国のため海面上昇の影響から逃れられません。特に深刻なのが沖ノ鳥島で、現状でも満潮時に海上に出ている高さはわずか5〜10cm程度です。現在の海面上昇のペースでは今後10〜20年の間に満潮時には完全に海中に沈む可能性があります。そうなると国連海洋法条約の規定では島と認められず、周囲の領海や排他的経済水域(EEZ)も認められなくなるおそれがあります。これらの可能性を踏まえ、国際社会とともに新たなルールづくりを働きかける必要があると考えています。民間企業の皆さんにも、気候変動がビジネスに与える影響についてぜひ考えていただければと思います。

榎本:
ここまで、気候安全保障の第一人者である関山先生に、気候安全保障の考え方と具体的なリスクについて伺ってきました。後編では、気候変動が社会にもたらすさまざまな変化やビジネスチャンスについて議論を進めたいと思います。

※1 出典:Global Climate Highlights 2024

※2 出典:NU Research Information 名古屋大学 研究成果発信サイト

※3 出典:Caruso, R., Petrarca, I., & Ricciuti, R. (2016). “Climate change, rice crops, and violence: evidence from Indonesia.” Journal of Peace Research, 53: 66–83.

※4 出典:Jun, T. (2017). “Temperature, maize yield, and civil conflicts in sub-Saharan Africa.” Climate Change, 142: 183–97.

※5 出典:Ide, T. (2023). Catastrophes, confrontations, and constraints: How disasters shape the dynamics of armed conflicts. Mit Press.

※6 出典:Mach, K.J., Kraan, C.M., Adger, W.N. et al. (2019). Climate as a risk factor for armed conflict. Nature 571, 193–197.

主要メンバー

相川 高信

シニアマネージャー, PwCコンサルティング合同会社

Email

富澤 寿則

マネージャー, PwCコンサルティング合同会社

Email

榎本 浩司

シニアアソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

Email

{{filterContent.facetedTitle}}

{{contentList.dataService.numberHits}} {{contentList.dataService.numberHits == 1 ? 'result' : 'results'}}
{{contentList.loadingText}}

本ページに関するお問い合わせ