
崩れ行く国際秩序、第2次トランプ政権下の米中関係とその行方 分断する世界でのアジアの展望と日本の役割・挑戦(前編)
東京大学教授の佐橋亮氏とPwCコンサルティングのシンクタンク部門であるPwC Intelligenceの専門家が、「分断」しつつある世界における日本とアジアの展望をテーマに議論しました。前編では米中関係がどのような帰結をもたらすのかについて考察します。
国際関係の不透明感が増す中、米中の間で中立を保ちつつ、順調に経済発展を続けているASEAN(東南アジア諸国連合)。日本にとって、ビジネスや政治、文化など、多様な分野で密接な関係を構築してきた重要なパートナーです。東南アジアの国際関係やビジネス環境に造詣が深い南洋理工大学(シンガポール)の古賀慶准教授とPwCコンサルティング合同会社シニアマネージャーの岡野陽二が、世界情勢の変化を踏まえたASEANと日本との関係の在り方について意見を交わしました。前編は、ASEANの特徴についての理解を深めつつ、米中とASEANの関係性に迫ります。モデレーターはPwCコンサルティング合同会社のシニアエコノミスト薗田直孝が務めました。
(左から)古賀 慶氏、岡野 陽二、薗田 直孝
参加者
南洋理工大学 准教授
古賀 慶氏
PwCコンサルティング合同会社 シニアマネージャー
岡野 陽二
PwCコンサルティング合同会社 シニアエコノミスト
薗田 直孝
薗田:
まず基本的な認識として、今、改めてASEANが注目されている理由を考えてみたいと思います。
岡野:
米国と中国の対立が進み、東西の分断が加速する中で、いずれの陣営にもくみしないのがグローバルサウスと呼ばれる新興国や途上国の国々です。ASEANはその中にあって、独自のスタイルで自分たちの生きていく空間を確保しながら、順調に経済成長を続けています。
加盟10カ国の合計で7億人近い人口を有し、平均年齢が約30歳と“若い”地域です。1人あたりGDPは、国による濃淡はありますが、平均で約5,500米ドル。国別に見ても、先進国水準のシンガポールとブルネイを除いて、だいたい日本の1960年代後半から1980年代前半に相当します。これから本格的な経済発展が期待されており、IMFは2025年に10カ国のGDP総額が日本を抜くと予測しています。
現在、先進国とその企業の多くは、経済活動における中国依存からのデリスキング(リスク回避)を考えており、その対象としてASEANに焦点が当たりやすい構図になってきています。ビジネスを改めて成長させようと考える日本企業も、中国経済が減速する中、成長の機会を求めてASEANに注目をしているわけです。
薗田:
ASEANは他と異なる特徴を備えた地域連合であると伺っています。ASEANの特徴をどのようにとらえておけばよいのでしょうか。
古賀:
ASEANの特徴を理解いただくために必要な5つのポイントを挙げます。1つ目は東南アジア諸国の外交的、政治的コンセンサスが体現されている点です。加盟10カ国、加盟手続き中の東ティモールを入れると11カ国が、1つの地域制度であるASEANに集まって、何か決定をすることが、地域としての正当性を保っています。
2つ目は、ASEANは東アジア地域における多国間枠組みのコア(核)として存在している点です。冷戦後の東アジア地域で安全保障問題を取り扱うフォーラムを新たにつくる必要があるという課題のもと、東南アジアの国々がイニシアチブを取り、ASEANに域外国を加えた協力枠組みを作り始めました。最初にできたのが1994年の「ASEAN地域フォーラム」で、1997年には日中韓を加えた「ASEANプラス3」や「東アジア・フォーラム」、さらには「ADMMプラス(拡大ASEAN国防相会議)」が設立されています。ASEANは、こうした枠組みの中心にいます。
また、ASEANの地域制度は、議論を通して互いの考えを理解し、信頼を高めていくことを目標としています。その上でルールが決められるのであればそのルールを決め、守っていくといった緩やかな枠組みとなっています。法律で国の行動を縛るのではなく、東南アジア地域、東アジア地域における信頼醸成や規範形成の中心としてASEANが存在しています。これが、3番目の特徴です。
薗田:
よく言われる「ASEANの中心性」も、5つの特徴に含まれますか。
古賀:
はい。それがまさに4つ目の特徴で、植民地として大国に支配された歴史を繰り返さないよう、「自分たちの国や地域は自分たちで管理する」という信念が東南アジアの各国の根底にあり、これがASEAN中心性、一体性の基礎となっています。ASEAN関連の協力枠組みは、その独立性や自律性を担保すべく、ASEANが中心になってそれらの枠組みを引っ張っていくのだという意志のもとにできあがっています。
そして最後の5つ目は、政治における大国間の緩衝地帯としての役割が挙げられます。東南アジアの国々は、自分たちの地域が大国の政治に巻き込まれることを避けるべく、いろいろなフォーラムをつくっています。大国間の緊張が高まるようなことがあれば、そこで関係国同士が話し合い、問題解決に向かって協力し合う。端的に言えば、そのようにして「大国政治の管理の無効化」を目指す。またはそれに資するフォーラムをつくっていくというのがASEANの特徴ではないかと考えています。
南洋理工大学 准教授 古賀 慶氏
薗田:
ありがとうございます。現在、世界情勢の不確実性が高まっています。とりわけ大国である米国と中国が、競争関係からもう一歩突っ込んだ、厳しい環境に向かう可能性も指摘されています。米国と中国の双方にとって、ASEANは安全保障や経済などの面で重要な地域ですよね。
古賀:
米国も中国も、ASEANの重要性を認識している点では同じですが、そのアプローチは大きく異なります。
米国の東南アジアに対するアプローチは、基本的に冷戦時代に構築した2国間の同盟関係をベースに関係を広げていく「2国間政治・防衛協力中心のネットワーク型」です。東南アジアでも、防衛上の同盟関係にある国々では、いわゆるバランス・オブ・パワー(勢力均衡)の考えのもとで関係を維持しています。特に最近はフィリピンとの防衛協力を強めているほか、シンガポールとも強い防衛関係を保っており、米国は大きな軍事的なプレゼンスを東南アジアに置いています。
ただ、米国は国際的に対応すべきアジェンダが多くあり、東南アジアのプライオリティが低くならざるを得ない状況にあります。中東ではパレスチナ自治区ガザでイスラエルがイスラム組織ハマスと衝突しており、欧州ではロシアのウクライナ侵攻が続いています。アジアでも、北東アジアで中国と周辺国・地域との摩擦があり、同盟国である韓国や日本を守ることに重点を置くことになります。そのため、東南アジア諸国からすると「ASEAN外交、東南アジア外交が重要だ」という米国の言葉は見せかけのように映ってしまうのです。
中国は逆に、地域協力を前面に押し出して、日韓も加えて政治、経済面で協力していく「地域囲い込み型」のアプローチをとっています。先ほど挙げたASEANの特徴の1つであるASEAN中心性を尊重しながら、地域として付き合いをしていくことを目指し、現状、中国は外交をうまく展開しています。経済的な交流や、BRI(一帯一路構想)による経済的な援助・支援によって東南アジア各国と深くかかわっており、中国との関係は大枠では安定しています。
ただ、中国は国家主権や安全保障については自国の意志を曲げないため、東南アジアが苦慮している面もあります。現在も緊張が高まる南シナ海問題ももちろんそうですが、ASEANに存在するさまざまな地域枠組みの中で、中国からは欧米諸国が入っている枠組みにはあまり力を入れず、自分たちの考えや規範、ルールを推し進めていける枠組みを重視していくという意思が見受けられます。特に最近はASEANプラス1、ASEANと中国の関係を重視した働きかけが中心となっています。
岡野:
私は経済、ビジネスの観点からお話しします。東南アジアは、前述したように経済が順調に成長していて、政治的にも安定している国が多い。なおかつインフラが相対的に整備されており、人口が伸びていくのですから、東南アジアが非常に重要な地域であることは明らかです。
このため、米国企業も相応の投資をしていますが、やはり中国の動きの方が目立ってきています。中国はさまざまな融資や国家的なプロジェクトを通じてASEANとの経済関係を強めています。中国企業が先進国で活動しにくくなる状況で、東南アジア各国は少なくとも「中国企業だから」という理由で中国の投資を排除することはしないため、事業展開も行いやすい。これは中国にとって魅力の1つです。実際、中国の対外直接投資におけるASEANの割合は着実に高まっていますし、貿易相手としても、ASEANはトップになってきています。地域的な近さもあり、中国の方が米国よりもプレゼンスを増しているのは間違いありません。
薗田:
どのような分野で中国のASEAN投資やASEANとの貿易が活発なのでしょうか。
岡野:
特に多いのが製造業です。サプライチェーンをグローバルにとらえたときに、中国企業はもちろんですが、中国に拠点を置いていた外資系企業も製造拠点の一部をASEANにシフトする動きがあります。そういった変化も背景にして、中国とASEANの貿易、サプライチェーンにおける結びつきが非常に強くなっています。
技術や製品の分野で見ると、中国がグローバルで非常に強く、力を入れている新しい産業分野が、ASEANでも存在感を発揮しています。その典型がEV(電気自動車)で、デジタル関連の製品・サービスも多いです。モバイルを使った多様なサービスやeコマースなどがこれに該当します。ASEANの側から見ると、産業の発展や高度化を考えたときに、中国は新しく伸ばしたい分野で投資をしてくれるパートナーのように映っています。
PwCコンサルティング合同会社 シニアマネージャー 岡野 陽二
薗田:
中国が自国の成長を考えたとき、ポテンシャルの高いASEANは市場として極めて重要でしょうから、EVやデジタル関連以外の分野でも、貪欲に事業機会を追求していくことになりますよね。資本を投下して、産業でプレゼンスを高めていく状況が続いた結果、ASEANにおける中国の存在感はますます高まり、経済活動に与えるインパクトも大きくなります。ASEANにとって、それは懸念材料にはならないのでしょうか。脅威を感じるレベルが限界に達する均衡点のようなものもあり得るのではないかと思うのですが、今後、中国企業のASEAN進出がどのような形で進み、どのような影響が想定され得ることになるのでしょうか。
古賀:
成長のポテンシャルの高さから、中国が東南アジアに今後も注目していくところは間違いないと思います。ただ、中国の独り勝ちにならないよう、他の国々もこの地域で積極的に展開し、競争が激化するような動きが出てくるのではないかと見ています。
当然ながら、日本もその競争に絡んで来るはずです。2023年12月に、日本とASEANの友好協力関係の50周年記念として、東京で日ASEAN特別首脳会談が行われ、包括的戦略的パートナーシップの締結とともに「共創(Co-creation)」というキーワードが打ち出されました。手を携えつつ新たな価値を作っていくという意味で、ASEANの要望を受け入れながら、自分たちが何を提供できるか、という立場をとり、中国的に言うとウィン・ウィンの関係を築いていくイニシアチブを追求していく姿勢を見せています。
そこでは130程の項目を実行していくことになっており、社会・経済をテーマにしたアジェンダのほか、安全保障、人材・文化交流を含めた包括的な協力を行っていく形で合意に至っています。気候変動、重要鉱物といった分野でも協力関係を築いていく予定で、中国の進出をただ傍観するのではなく、日本もいろいろなイニシアチブを取っていくという意志の表れと受け取れますし、今後はさまざまな領域で競争が激化していくはずです。
岡野:
古賀先生がおっしゃるとおり、日本を含め、ASEANにおける各国の競争は激しくなっていくと思います。ただ、東南アジア各地で投資誘致の担当者などに話を聞いた感触では、中国との経済関係を自国の発展につなげていくことは、すでにASEANの各国にとってデフォルトになっています。中国企業の投資割合が増えたからといって、依存が強くなり過ぎないように投資を断るという選択肢はありません。
中国依存の状況を避けたいと考えたときに、残る選択肢は、他国・地域との経済関係も強くして、中国一辺倒を避けるということになります。そのときに日本や米国、韓国などの企業に対する投資への期待や、安全保障面での建設的な関与への期待が高まってくると思います。日本がASEANの重要性を認識し、経済的なチャンスを見いだしてどのように投資やビジネスを展開していくか。先ほどの共創の考え方で、現地のニーズに応じて一緒に何かを生み出していけるかどうかが、問われてきます。これは、中国の動きに突き動かされたかどうかに関係なく、重要なことです。
薗田:
ありがとうございます。では、後編では、日本とASEANの外交や経済協力の在り方について議論を進めてみたいと思います。
PwCコンサルティング合同会社 シニアエコノミスト 薗田 直孝
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