医彩―Leader's insight

第17回 持続可能な医療提供体制を考える―慶應義塾大学 伊藤由希子教授―

  • 2026-05-19

組織の変革を推進するリーダーの思考に迫り、ヘルスケアの未来をともに創り上げるためのnext agendaを深耕するLeader's insight。第17回の今回は、医療経済学を専門とする慶應義塾大学大学院商学研究科教授の伊藤由希子氏をお迎えします。地域のニーズに合わせて集約化が必要な医療提供体制の現状や、対応の加速化に向けて必要なこと、医療者・行政・患者それぞれの視点で理解しておくべきことを中心にお話を伺いました。

(左から)惣角 凪、伊藤 由希子氏、小田原 正和

登壇者

伊藤 由希子氏
慶應義塾大学大学院商学研究科 教授

小田原 正和
PwCコンサルティング合同会社 ディレクター

惣角 凪
PwCコンサルティング合同会社 アソシエイト

※所属法人名や肩書き、各自の在籍状況については掲載当時の情報です。

医療資源の分散配置がケアの手薄さを招く
―求められる医療資源の集約化―

慶應義塾大学大学院商学研究科 教授 伊藤 由希子氏

小田原:
昔と今では医療環境が大きく異なってきています。2040年頃にかけて、医療と介護の複合ニーズを抱える高齢者が増加する一方で、生産年齢人口の減少は一層進むことが見込まれています。現場では医療従事者の確保自体がままならない地域も増えており、医療ニーズも急性期医療から高齢者救急・在宅医療へと変化していくことが想定されます。

伊藤氏:
環境変化に伴い医療提供体制も変わっていく必要がありますし、医療者・行政・患者さんも認識を変える必要があります。日本はOECD平均と比べて人口当たり病床数が3倍程度ですが、この病床数の多さは「医療提供体制の充実」を意味するわけではありません。逆に1病床当たり医師数はOECD平均の3分の1程度となっており、医療密度の低さ、つまりケアの手薄さを示していると言えます。新型コロナウイルス感染症をきっかけに日本の医療提供体制の脆弱さが浮き彫りになりましたが、医師の分散配置は少子高齢化のスピードと相まって、その弊害が顕著となっています。医療機関同士が消耗戦を繰り広げて共倒れとなる前に、医療資源を集約化することが迫られていると言えるでしょう。例えば、ある地方都市では、複数の急性期病院がそれぞれ常勤医を確保できず、救急当番を週に数日しか回せない状況に陥っています。結果、救急患者の受け入れ先が見つからず、搬送に1時間以上かかるケースも発生しています。もし病院機能を急性期・包括期・在宅に役割分担できれば、限られた医師を集中配置し、患者さんにも医療現場にも負担の少ない24時間体制の救急対応が可能になります。

小田原:
国は、新たな地域医療構想における取り組みを通じて医療機関の連携・再編・集約化等を進め、2040年を見据えた効率的かつ効果的な医療提供体制の構築を目指しています。ただしこれまでの地域医療構想は、多様なステークホルダーが集まる中で必ずしも利害が一致するわけではないこともあり、議論が進展しにくいケースもありました。集約化を加速させるために、まず医療者の立場では何が重要になるとお考えでしょうか。

ニーズが高い医療を実施することへの「誇り」を持つ
―医療者自身のマインドセットの見直し―

PwCコンサルティング合同会社 ディレクター 小田原 正和

伊藤氏:
マインドセットの面でいうと、「急性期の医療が良い医療であり、包括期や慢性期はそうではない」との考えから脱することが大事だと感じます。地域のニーズや、地域住民に良い医療を提供することを考えた際、病気やケガの状態から日常生活が送れる状態まで回復することをゴールとするならば、リハビリを提供したりとか、頻繁に再入院をせずに済むような生活支援をしたりとか、これらのケアも紛れもなく「良い医療」ですよね。実際に、ある病院では急性期を縮小しリハビリ特化型へ転換した結果、「寝たきりで意欲を失っていた高齢の患者さんが歩いて退院する姿を何度も見られるようになった」とスタッフのやりがいが劇的に向上した事例もあります。また、急性期病棟から地域包括ケア病棟の病院に異動した看護師の方からは「うちの病院がなければ、この患者さんはちゃんと自宅に戻れない、と思えることがやりがいになった」という声も聞きました。この方の場合、急性期病棟の頃は、再入院の患者さんが多くとも気にしている余裕がなかったそうです。そういった医療のアウトカムを高め、費用も急性期よりは節減できる対応に、診療報酬や補助金での支援は当然入れてもいいと思いますし、地域医療構想を進めるにあたっては、地域医療介護総合確保基金を活用した財政支援も盛り込まれています。ただ、金銭的な価値が付加されれば集約化が加速するかというとそう単純な話でもなく、むしろ「今までやってきた医療と違うことをやらなければならない」という変化への抵抗の方が大きいように思います。急性期医療から後方支援を担う病院へと機能変更する場合も、「敗れた」という意識ではなく、ニーズが高い医療を実施することへの誇りを持つというマインドセットが大事ですね。

小田原:
医療者の意識が変わっていくような空気感の醸成も重要と言えそうですね。

伊藤氏:
常日頃から、急性期の病院と後方支援の病院との信頼関係が重要と言えるのではないでしょうか。域外搬送が多かったり、再入院が多かったりと地域医療がうまくいってないと思われる地域からは、必ず双方からの不満が漏れ聞こえます。例えば、急性期病院からは「(慢性疾患の)状態が手に負えなくなってから、(大変な患者さんを)任される」、一方、後方支援病院からは「(要介護・認知症・生活習慣・退院支援等の面で)面倒な患者さんを押し付けられる」と。目下、病院の経営を考えて、一人でも多くの患者さんを受け入れるという方針を多くの病院がとっているので、こうした不満は表立っては現れません。ただ、内側に不満を抱えた状態のほうが、かえって厄介だと実感しています。

これからの医療は、軽度の高齢者救急が増え、後方支援病院から急性期病院への搬送の他、回復後はその逆の流れも増えていきます。患者さんのケアのため、お互いがプロ同士としてコミュニケーションすることが求められます。また、大きく病院機能を変えることで金銭的に損をするのではないか、病院運営が難しくなってしまうのではないか、という恐怖から動けなくなっている面もあると思います。きちんとした医療行為を継続的に実施して、情報開示なども適切に対応していれば、極めて診療報酬を低くされることもないですし、極めて厳しい状況を突き付けられることもない、という保険診療の政策的な安心感も重要です。そのためには、医療アウトカムに関する地域住民・行政に対する情報開示が欠かせないと思います。

惣角:
医療者のマインドセットを変えていくこと、それに関連して空気感を醸成することがまず大切になりますね。加えて、経営の観点でも病院運営に支障が出ないよう、財政面での支援をしっかりと打ち出していくことも不可欠ですね。

「小さな安心」は「大きな安心」を損なう
―日ごろから相談できる体制を―

PwCコンサルティング合同会社 アソシエイト 惣角 凪

小田原:
医療環境が大きく変化している現在においては、地域の医療行政に携わる方や、患者さん自身も医療に対する考え方や向き合い方を変えていかなければなりません。どのような点を認識しておく必要があるのでしょうか。まず、地域医療構想調整会議に出席するような、地域の医療行政に携わる方に関してはいかがでしょう。

伊藤氏:
医療の枠を超えて「地場産業振興会議」だと思って進めることが大事になると思います。地域の人にとってなるべく通いやすく、分かりやすくケアを提供することを地域医療だと考えると、地域に雇用や消費があり、元気な状態でないと地域医療は成り立たないですよね。地域なくして医療なし。「地域を盛り上げるためにどうするか」という思考で、医療の振興策を考えるという意識が重要になるのではないでしょうか。他人事として取り組むようなマインドや、関係者の調整だけを行えばいい、自分たちの病院だけは損をしたくないという考えで臨んでいると難しいですよね。

小田原:
「医療×教育」「医療×観光」などのように、医療を町おこしのインフラとして捉えると、まだまだ多くの可能性を秘めているように思います。

惣角:
私たち自身もそうですが、患者さんの立場としてはどのような点を認識しておく必要があるでしょうか。

伊藤氏:
「病院が近くにある=安心」ではない、ということですね。「病院がなくても大丈夫=安心」だと思います。医療資源には限りがあるため、住民一人一人の近くに専門家を置こうとすればするほど、いざという時に適切な医療提供を受けられなくなります。複雑な疾患に対応するためには、一人の医師よりもある程度の人材がまとまって、チームで対応可能な状態を作っておかなければなりません。いざという時に備えてリソースを分散配置させるのではなく、集中配置することが求められます。加えて言うと、日々の医療は近くに医師がいなくてもいいのです。現代では、医療に対する納得感や安心感を得るための手段は、対面で説明を受けるだけとは限りません。例えば、オンライン診療を活用している過疎地域では、月に1回の通院が負担だった慢性心不全の患者さんが、週に1回のオンライン服薬指導と血圧データの共有で安定的にコントロールできています。遠方の基幹病院と連携したナース・コールセンターを設置した自治体では、夜間の救急相談件数が減少し、本当に必要な救急搬送にリソースを集中できるようになりました。ここで重要なのは、患者さんが医療の専門家に相談する機会は以前より増えているということです。

会社組織で顧問弁護士や税理士などと契約し、日ごろから相談を密にできるようにしているのは、トラブルやミスをそもそも避けるためですよね。医療も同じで、日ごろから相談ができるようにして「病院に入院せずに済む」医療を実現するのが、実は価値の高い医療だと思います。

電話でもオンラインでもチャットボットでもいい。手段は多様化しているのです。「近くに病院がなくても大丈夫だ」ということを理解することが重要です。

小田原:
病院という箱があっても、リソースが分散してしまうことで充実した医療が提供できなければ、中身のない医療提供となってしまい、地域全体にとって本当の意味での安心にはつながらない。医療の人的資源が縮小している環境下においては必ずしも「病院がある=安心を提供できている」わけではありません。患者さん目線でもそうですが、医療政策を検討する行政目線でも十分に理解しないといけない点でもありますね。

伊藤氏:
地域医療の「小さな安心」は「大きな安心」を損ないます。短期的な目線ではなく中長期的な目線を持ち、局所的ではなく地域全体を俯瞰して検討しなければなりません。

「実害がある偏在」から考える医師・医療体制の再配置
―リソース不足の現状を踏まえた発想の転換―

慶應義塾大学大学院商学研究科 教授 伊藤 由希子氏

伊藤氏:
関連して医師の偏在の問題についても、メッセージの出し方には留意しなければなりません。現代では、医師を均等に配置することが必ずしも最善とは言えず、ある程度の偏在が良い医療につながる場合もあります。「実害がある偏在」と、医療の質が担保可能な「実害がない偏在」は分けて議論するのが望ましいでしょう。「公的保険なのだから、各地域に同じように医師がいないといけない」という発想そのものが古くなっていると言えるのではないでしょうか。

惣角:
そもそも論から考えていく必要がありそうですね。では「実害がある偏在」が生じている地域において、限られた資源を効率的に活用するためには、どういった考え方で検討していくべきでしょうか。

伊藤氏:
まずはデータを基に「地域によってリソースが異なること」を知っておくことが重要です。単純に規制をかけて都心から医師を少数でも連れてくるのではなく、「少ない医療資源の中で、どのように医療に向き合えばいいのか」を考えることが大事になってくると思います。日本においては生産年齢人口も減少の一途をたどっています。自分たちのリソースを理解した上で「無いなりにできることを考える」という発想がなければ、いつまでたっても解決は難しいでしょう。偏在は偏在として、医師が少ない地域では、どのようにして医療における安心・安全を確保していくのか。例えば、医師が少ない地域では、往々にして救急医療が脆弱になります。「だから救急病院を残す」のではなく、「そもそも救急搬送が必要な状態になるのを防ぐ」工夫が重要です。

具体例を挙げると、ある人口数万人の市では、訪問診療専門の医師が1人しかおらず、往診の予約が3週間待ちになる状態が続いています。しかしその一方で、隣接する市には総合病院が集中し、救急外来の軽症患者が増えて医師が疲弊しています。このような場合、両地域で救急・在宅・往診の役割を再配分し、地域連携パスを共有するだけでも、偏在の実害はかなり緩和されます。また、さらに人口の少ない中山間地域のある診療所では、常勤医師が1人しかいないため、慢性疾患の定期診療は看護師と管理栄養士が中心に実施し、医師は月に2回の「総合外来」で重症例や多剤併用の調整を行っています。これにより、無理なく地域の高血圧・糖尿病患者をフォローし、救急搬送が必要な状態になるのを防げています。

地域住民が、ある程度の救急医療にアクセス可能とするためには、どこに集約して拠点を作るかという発想が重要です。モノもヒトも足りなくなってくるという前提でできることを考えていく。リソースが潤沢にあるというケースはごく一部だと思いますが、あるならあるで他の地域にリソースを提供するというのもいいと思います。

小田原:
自分たちが持っているものを知った上で、今できることを考えるという発想が重要ですね。例えば、在宅に頼れる地域もあればそうでない地域もあります。その中で何ができるかを考える。これは地域ごとに異なるので、他の病院や地域の事例に飛びつくのではなく、まずは自分たちの地域の状況を理解して目線を合わせて検討することが大事になりますね。

惣角:
将来にわたって持続可能な医療提供体制を構築するために、医療者・行政・患者さんが理解しておかなければならない現状や考え方について、多くのインサイトをいただきました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

主要メンバー

小田原 正和

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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惣角 凪

アソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

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