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医師や看護師などの医療従事者、最新の知見や技術を持つ研究者、医療政策に携わるプロフェッショナルなどを招き、その方のPassionに迫るとともに、目指すべき将来像を探る「医彩」。第25回は医療資源の最適配分を科学する「ヘルスエコノミクス(医療経済学)」に焦点を当てます。
日本を含む多くの高所得国ではヘルスエコノミクスの枠組みを利用して、保険適用の範囲や医療資源の配分などの判断がなされています。しかし、そのロジックや意思決定の構造が社会に十分共有されているとは言えません。
そこで本稿では香港大学公衆衛生大学院でヘルスエコノミクスを専門とし、香港政府やWHOへの政策助言も行うJianchao Quan先生をお迎えしました。ヘルスエコノミクスに関わる医療の構造を中立的に言語化するとともに、なぜ今の制度が形づくられているのか、そして変革には何が求められるのかを探ります。限られた医療資源の中で人々の健康を最大化するために必要な、医療における意思決定構造を理解する糸口となるお話を伺いました。
(本文敬称略)
(左から)川口 健太、Jianchao Quan氏、中谷 彩乃
対談者
Jianchao Quan氏
香港大学公衆衛生大学院にてヘルスエコノミクス、医療政策、ヘルスケアマネジメントを専門とするClinical Assistant Professor。オックスフォード大学で医学および人文学の学位を取得後、ロンドンで臨床研修を経験。香港大学にて公衆衛生学(MPH)、経済学(MEcon)、研究博士号(MD)を修了。研究分野は医療政策、医療サービス、ヘルスエコノミクスで、Health AffairsやLancet Public Health、Value in Healthなど国際的な主要学術誌に多数の論文を発表。
糖尿病やアルコール・たばこ対策などの公衆衛生政策について、経済モデルを用いた政策評価を行い、中国CDCや香港政府の政策立案にも助言している。WHOの専門アドバイザーを務める他、医療財政に関する政府委員会のメンバーとしても活動。ヘルスエコノミクスを政策決定に結び付ける実践的研究で知られる。
中谷 彩乃
香港大学 公衆衛生学修士課程在籍
PwCコンサルティング合同会社にてマネージャーとして従事。ビジネスコンサルティングの最前線で実績を積んだ後、現在は香港大学にて公衆衛生学(Public Health)を専攻。
川口 健太
PwCコンサルティング合同会社
シニアマネージャー
※所属法人名や肩書き、各自の在籍状況については掲載当時の情報です。
川口:
HTA(医療技術評価)をはじめとするヘルスエコノミクスの枠組みが、現在の保険償還や医療制度を支えていると言われています。最初にこのヘルスエコノミクスとは何かを教えてください。
Quan:
ヘルスエコノミクスとは、「限られた医療資源をどのように配分すれば、社会全体の健康アウトカムと医療の質を最大化できるのか」を分析する学問です。高齢化の進行や慢性疾患の増加、医療技術の高度化によって医療需要は拡大し続けていますが、財源や人材といったリソースには構造的な制約があります。そのため、各国のヘルスケアシステムは「何をどこまで提供するのか」という難しい選択を迫られています。
こうした状況においてヘルスエコノミクスは、意思決定を支える分析フレームワークとツール群を提供します。具体的には、HTAや経済モデリングを通じて、医薬品や医療技術、予防介入がもたらす臨床的価値とコストを体系的に評価します。その際には、ICER(増分費用効果比)やQALY(質調整生存年)といった指標を用い、代替選択肢と比較した際の追加的な価値を定量化します。
ただし重要なのは、これらの分析が「何が正解かを決めるものではない」という点です。
ヘルスエコノミクスは、あくまで各選択肢がもたらす影響やトレードオフを可視化し、政策決定や保険償還、ガイドライン策定といった意思決定を支援する役割を担います。最終的な判断は効率性だけでなく、公平性や倫理的配慮、社会的価値観、政治的判断も不可欠です。「経済学は判断材料を提供するが、決断そのものは社会が行う」という役割分担を明確にしている点がヘルスエコノミクスの特徴です。
香港大学公衆衛生大学院 Clinical Assistant Professor Jianchao Quan氏
川口:
先生は医師としてキャリアをスタートされたと伺っています。そこから医療経済学の方向に進まれたのは、どのような理由からでしょうか。
Quan:
医師として病院で働いていた頃は、患者さん一人一人に治療を提供し、その効果を目の前で確認することができました。ただ、次第に一対一の医療だけではなく、社会全体により大きな影響をもたらす取り組みに関わりたいという思いが強くなっていきました。
特定の出来事があって方向転換したというよりも、より大きな構造の中でヘルスケアを改善していくことに関心が向くようになり、その延長としてヘルスエコノミクスに進むことを選んだのだと思います。
川口:
「より広範囲な影響」を追究すべく、ヘルスエコノミクスの道に進まれたのですね。その原動力となったパッションを教えてください。
Quan:
ヘルスエコノミクスのやりがいは、「医療の選択がどのような結果をもたらすか」を客観的に示し、より良い政策判断につなげられることです。
医療技術や治療はもちろん、リハビリテーションや生活習慣改善、公衆衛生施策など、健康アウトカムを改善するために何ができるのかは、すでに科学的に明らかになっています。しかし、それらをどのように組み合わせ、限られたリソースの中でどこに優先的に投資すべきかという判断には、経済学的視点が欠かせません。例えば、住む場所や教育、食事や運動などのライフスタイルはもちろん、空気や水といった外部環境も健康に大きな影響を与えます。
こうした構造的要因を改善することは、一人の患者を治療する以上に社会全体へ広い効果をもたらします。新薬に頼らなくても、禁煙施策や生活習慣の改善など、すでに実行可能な政策だけで健康は大きく変わります。ヘルスエコノミクスは、それらの介入がどれほどの価値を持つのかを可視化し、より良い判断を後押しする学問なのです。
川口:
臨床医の頃は治療効果を目の前で実感できたかと思いますが、ヘルスエコノミクスは成果が見えるまで時間がかかる分野です。素朴な疑問なのですが、モチベーションを維持するのは大変なことではないですか。
Quan:
確かに政策や介入の効果は短期間では見えません。しかし私は、改善と評価を繰り返しながら長期的に成果を築いていくプロセスそのものに大きな価値があると考えています。どの取り組みでも「最終的に何を評価するのか」を明確にし、その評価に耐え得るよう設計することで、より良い制度や介入につなげることができます。
製薬の世界も同じです。新薬が上市された後は、実際の効果を丁寧に評価し続けることが欠かせません。ヘルスエコノミクスも時間はかかりますが、最終的な結果を見届けて初めて価値が証明されます。「誰かがその役割を担わなければ前に進まない」という思いが、私自身のモチベーションになっています。
中谷:
次にヘルスエコノミクスが社会にもたらす影響について伺います。私はPwCコンサルティングでのコンサルタント経験を経て、現在は公衆衛生学の立場からヘルスケアを捉え直しているのですが、現場の効率性と社会全体の健康増進のバランスには難しさを感じています。先生は、現在のシステムが直面している本質的な課題をどう見ていらっしゃいますか。
香港大学 公衆衛生学修士課程在籍 中谷 彩乃
Quan:
現在のヘルスケアシステムは、高齢化の進行に伴う慢性疾患や併存疾患の増加、新技術の登場による需要の拡大が進む一方、財源や医療人材には限りがあり、従来の枠組みだけでは持続が難しくなりつつあります。個々の医療サービスを改善するだけでは十分ではなく、制度や政策の意思決定プロセスそのものを見直す必要があります。
中谷:
そうした課題に対して、ヘルスエコノミクスはどのような役割を果たせるのでしょうか。
Quan:
非常に大きな質問ですね。前述したとおり、ヘルスエコノミクスは特定の解決策を提示するものではなく、より良い意思決定を行うためのフレームワークであり、ツールの集合体です。そしてその役割は、限られたリソースの中でどの選択肢が社会にとって最も望ましいのかを整理し、判断を支えることです。
その一つが、機会費用(オポチュニティコスト)の分析です。ある施策を選ぶことで、別の選択肢を取らなかった場合に何が失われるのかを可視化するのです。こうした視点がなければ、政策判断は感覚的なものになってしまいます。ただし、分析結果を政策に反映させるには政治的意思や社会的合意が不可欠です。HTAの制度化や運用の成熟度は国・地域によって差があり、アジアでも枠組み整備が進む一方、香港のように制度化が十分でない地域も存在します。
また、ヘルスエコノミクスは短期的な成果を楽観的に示すためのものではありません。コストは比較的定量化しやすい一方で、医療や公衆衛生がもたらす長期的な質的価値を正確に数値化することは容易ではありません。それでも、人生の質を高めるために何を選択すべきかを考え続けるための共通のフレームワークとして、ヘルスエコノミクスは重要な役割を果たしていると考えています。
中谷:
社会構造の変化や高齢化が進む中、ケアラー(介護者)の存在は重要です。ヘルスエコノミクスは、ケアラーをどのように位置づけていますか。
Quan:
ケアラーの負荷や時間は、社会にとって大きな価値を持つにもかかわらず、経済活動として十分に認識されていません。多くのケアがNPO(非営利組織)や家族によって無償で提供されており、そのコストは制度上「見えない存在」になっています。ヘルスエコノミクスは、こうしたケアラーの負担を適切に評価し、政策に反映させるための枠組みを提供できると考えています。
ケアを経済活動として正式に位置づけ、ケアラーの時間や負荷を社会的コストとして算入することは、GDPの推計にも、人々のウェルビーイングにも大きく寄与します。特に日本では、家族が担うケアの割合が高く負担も大きいため、どのような支援スキームを設計すべきかをヘルスエコノミクスの視点から提案できるはずです。
川口:
ヘルスエコノミクスの重要性を社会全体に伝えるには、どのようなアプローチが必要でしょうか。
Quan:
ヘルスエコノミクスは、ほぼ全ての人に関係する分野です。ですから教育や啓発が欠かせません。ただし市民への直接的な教育は難しく、政治的な議論にもなりがちです。さらに、ヘルスエコノミクスでは特定の人にとってマイナスになってしまうことも判断しなければならない場面もあります。
中谷:
資源配分にはどうしても「選択と優先順位」が伴います。その結果、提供対象にならない人が生まれる可能性もありますが、社会の納得を得るためには何が重要でしょうか。
Quan:
個別のケースごとに「なぜ提供できないのか」を説明するのではなく、判断基準そのものを透明にすることです。どのような条件であれば提供できるのか、なぜ全員には提供できないのか。そうしたルールを明確にし、プロセスを公開することで、社会全体の理解と納得につながると考えています。
中谷:
なるほど。ではヘルスエコノミクスを活用し、将来的に市民のライフスタイルを改善したり、予防医学を推進していったりすることは可能でしょうか。
Quan:
予防医学は、少なくとも香港においてはまだ発展途上の分野です。ただし、ライフスタイルの変更や予防的な介入も、パブリックヘルスプログラムとして評価することは可能です。
実際、多くの国がこうした取り組みを進めており、互いに学び合っています。重要なのは「何を最大化しようとしているのか」を明確にすることです。健康なのか、経済的アウトプットなのか、あるいはウェルビーイングや幸福といった指標なのか。ヘルスエコノミクスはこうした価値基準を整理し、予防医学のプログラムを評価・実装していくための基盤を提供できると考えています。
中谷:
最後にヘルスエコノミクスの未来像について見解を聞かせてください。ヘルスエコノミクスは多様なステークホルダーが関わりますが、医療業界や政府、そしてアカデミアといった主体はどのように協働していくべきでしょうか。
Quan:
医療政策や資源配分を左右するという観点から、パブリックセクターは極めて重要な役割を担っています。英国やオーストラリア、シンガポールなどでは、保健省(または厚生労働省に相当する省庁)の中にヘルスエコノミクスを担う専門組織(チーフエコノミスト機能)が置かれ、制度として組み込まれています。評価手法やプロセスも徐々に標準化され、アカデミアでは「その制度設計は本当に最適か」を検証する研究が進んでいます。
一方、医療業界側も価値の提供に向けてデータを整備し、評価の前提を共有する必要があります。医療の価値は新薬の臨床上の効果だけで決まるわけではありません。患者アウトカム、社会的便益、倫理的観点など、多面的な視点が求められます。こうした多様な価値を評価する「基盤づくり」こそ、政府・医療業界・アカデミアの協働領域です。
川口:
医療業界の果たす役割にはデータ整備があるとのことですが、将来的にデータやAI(人工知能)はどのような役割を果たすとお考えですか。
PwCコンサルティング合同会社 シニアマネージャー 川口 健太
Quan:
AIの普及で価値評価はさらに精緻になっていくでしょう。従来は限られた臨床データに依存していましたが、大規模データやRWD(リアル・ワールド・データ)を活用できれば、より現実に近い判断が可能になります。ただし、データ量が増えればよいわけではありません。「どのデータに基づき、どの価値を評価しているのか」を説明できることが重要です。AIはモデル形成を支援しますが、最終的な判断を左右するのは、何を価値として捉えるかというフレームワークです。
中谷:
データ活用を進める上で留意すべきことは何でしょうか。
Quan:
医療データは国や機関、保険者ごとに分断されており、単独では十分な評価ができません。アクセス制限や規制もあり、ステークホルダー同士が連携をするには合意形成が欠かせません。医療データは価値の源泉です。透明性の高い評価を行うためにも、政府・医療機関・企業が協力してデータ連携の仕組みを整備していく必要があります。
川口:
お話を伺って、ヘルスエコノミクスではフレームワークが重要であることを理解しました。
Quan:
そのとおりです。限られたリソースの中で、患者にとって最善の選択をどう定義するか。その判断基準となるフレームワークが未来の医療の方向性を決定づけると考えています。
本来であれば、コストを考えずに最善の医療を提供することが理想です。しかし現実には財源も人材も有限です。その中で、革新的治療や希少疾患の治療など、「医療経済学的には採算が取りにくくても、社会的・倫理的価値が高い領域」をどう評価するかは、今後さらに重要になります。
川口:
そのような状況で、先生がコンサルタントに対して期待することは何でしょうか。
Quan:
コンサルタントには適切なデータを活用してプロセス化し、ビジュアライズして、人々が理解できるようにしていくよう支援する役割を期待します。安全性、アクセス可能性、規制といった観点は従来からありますが、それに加えて、価値をどう評価するかについても多くのヘルスプロバイダーが関心を持っています。
ヘルスエコノミクスは「医療を費用対効果で割り切る学問」ではありません。社会的価値・倫理・患者の声・技術革新を含め、新しい価値をどう定義するかを考える学問です。そのためのマインドセットとフレームワークが、未来の医療の形を左右します。その点を理解し、ステークホルダー同士をつなぐだけでなく、ヘルスエコノミクスを社会に浸透させる役割を担ってほしいです。
川口:
本日はありがとうございました。
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