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医師や看護師などの医療従事者、研究者、医療政策に携わるプロフェッショナルを招き、その方のPassionに迫るとともに、目指すべき将来像を探る「医彩」。今回は、バイエル薬品で長くグローバルな製薬ビジネスの最前線に立ち、現在は米国ニュージャージー州を拠点に米国の製薬業界動向を日本に伝え、日米の製薬業界関係者をつなぐ活動を続ける栄木憲和氏を迎えます。バイエル薬品にとって創立以来とも言われる危機の中で、突然のトップ就任を引き受け、変革を主導してきた栄木氏。その原点にある信念から、日本の製薬産業が世界で戦うための条件、そして創薬イノベーションの勝ち筋までを伺いました。(本文敬称略)
(左から)柚木 大介、栄木 憲和氏、阿部 幸生
座談会出席者
元バイエル薬品株式会社取締役会長
栄木 憲和氏
PwCコンサルティング合同会社
執行役員
マネージングディレクター
ヘルスケア・医薬ライフサイエンス事業部
柚木 大介
PwCコンサルティング合同会社
マネージャー
阿部 幸生
※所属法人名や肩書き、各自の在籍状況については掲載当時の情報です。
阿部:
栄木さんは製剤開発・製造のキャリアからスタートし、その後バイエル薬品株式会社の社長、会長を務めるなど、長年にわたりグローバルに製薬ビジネスに携わってこられました。ご自身の歩みを振り返り、転機となった経験を教えてください。
栄木:
私が社員によく伝えていたのは、「チャンスは突然やってくる」ということです。ただし、チャンスを生かすには、日頃から準備をしておかなければなりません。
私自身の転機も、まさに突然でした。結核薬の製剤開発をしていた頃、韓国の水原(スウォン)に工場を建設することになり、「行ってくれ」と言われたのです。私はもともと英語が嫌いで理系に進んだような人間でしたが、それでも引き受けました。
そこから必死に英語を勉強しました。当時住んでいた大阪の土佐堀にある英会話スクールへほぼ毎日通い、1年で英検2級、韓国から帰国した後には英検1級まで取得しました。
阿部:
水原ではどのような経験をされましたか。
栄木:
私が赴任した1983年当時の韓国は、歴史問題を背景に対日感情が厳しい時期でした。それでも毎日現場に通い、ほとんど毎晩現地のスタッフと飲みに行きました。次第に仲良くなり、その後も長く交流が続きました。振り返ると、あの経験が私の「逃げない」という姿勢の原点になったと思います。
阿部:
その後のキャリアでは足踏み期間もあったと伺っています。
栄木:
はい。課長になったのは44歳で、同期の中でも非常に遅い方でした。ただ、私は「あせらない」ことも大切にしてきました。
工場・研究所にいた頃は研究テーマが少なく、午後には仕事が終わってしまうような時期がありました。でも、仕事が少ないからと腐っていても仕方がありません。私は理系出身でPL(損益計算書)やBS(貸借対照表)など、経営や財務の知識がほとんどありませんでしたから、「これは勉強するいい機会だ」と考えました。
私の好きな言葉に「平凡は非凡になる」があります。目の前のことを愚直に繰り返していると、それがいつか非凡な力になる。成果は後からついてくるという意味です。私は中学1年生の時から今まで日記を書き続けていますが、それも同じです。大切なのは、すぐに結果を求めず、続けることだと思っています。
EIKI Consulting代表 栄木 憲和氏
阿部:
そうしてキャリアを重ねる中で、次の転機はかなり大きなものだったのではないでしょうか。
栄木:
はい。転職してから、「不幸も突然やってくる」ということを知りました。当時勤めていた製薬会社で重篤な副作用が報告され、米国で大規模な訴訟に発展したのです。その会社にとり創立以来最大ともいわれる危機でした。そうした中で、突然、社長への就任を求められました。
当時の私は工場長と製剤開発の責任者という立場で、営業もマーケティングも経験したことがありません。それなのに前任の社長から電話があり、「お前を社長にする」と言われたのです。私は「絶対に無理です」と断ったのですが、「もう取締役会で決まった。受けないなら辞めてくれ」とたたみ掛けられました。
悩んで妻に相談したら、「やってみたら?面白いじゃない」と言うんです。「失敗したって切腹しろとは言われないでしょう。失敗したら辞めればいいんだから、やってみなさい」と。私より妻の方が、よほど意思決定が明快でした(笑)。それで腹を決め、社長を引き受けました。
阿部:
危機のただ中でトップに立たれたわけですね。立場が大きく変わる中で、変わらずに大切にしたことはありますか。
栄木:
「現場が一番大事」という姿勢です。工場にいた頃は朝早くから夜遅くまで、二交代で働く社員と話をしました。取締役ではなく戸締役と呼ばれていました。また営業の方と一緒に顧客を訪問することもありました。社長になってからも、その姿勢は変えませんでした。現場では何が起きているのか、人は何を考えているのか。それを自分の目で見て、話をする。これが私にとっての「ぶれない」という信念です。
そしてもう一つ、今も変わらないのが好奇心です。何にでも興味を持って、いろいろなところに首を突っ込みたくなる。新しい薬や技術が出てくれば、論文を読みたくなります。いろいろなことに興味を持つのは、本当に面白いですよね。
阿部:
次に日本の製薬産業について伺います。国内では「薬価が毎年下がり、日本市場は魅力を失った」という声も聞かれます。米国から見た評価も同じなのでしょうか。
栄木:
必ずしもそうではありません。2024年9月に、米国が日本市場をどう見ているかについてインタビューを行ったことがあります。対象は、グローバル製薬企業のCEOや研究開発責任者、ボストンのバイオ企業関係者、コンサルタント、機関投資家、メディア関係者など計11名です。私自身、「薬価が下がるから日本は魅力がない、という回答が多いだろう」と予想していました。しかし、結果は逆でした。11名のうち7名は、「薬価が毎年下がるから日本市場に魅力がない」とは考えていませんでした。
日本は一国一制度の下に1億2,000万人規模の市場があり、医薬品の承認後は原則として60日以内に薬価収載されます。一方、欧州では承認後も価格や保険償還について、国ごとの手続きが必要です。ボストンのバイオ企業からは「FDA(米国食品医薬品局)の承認後、米国の次の展開先は日本を考える。日本のように市場規模が大きく、薬価収載が早い国は欧州にはない」という声も聞かれました。
もちろん、日本では毎年一定の医薬品を対象に薬価改定が行われるといったことはあります。しかし、日本市場を薬価の水準だけで評価するのは適切ではありません。「償還の速さ」「市場への浸透」「患者の服薬継続」まで含めたNPV(Net Present Value:正味現在価値)を総合的に見れば、日本市場の価値は決して低くないのです。
阿部:
それだけの魅力がありながら、なぜドラッグロスや創薬力の低下が起きているのでしょうか。
栄木:
米国側から挙がったのは、「日本の薬事制度が分かりにくい」「日本の研究者や製薬企業の国際性が弱い」「アカデミアの創薬力と事業化資金が不足している」といった点でした。日本の研究者が欧米の代表的な学会など、世界の議論の場で発表する機会が少ないという指摘もありました。これは重く受け止める必要があります。
かつて日本は、世界の新薬創出で大きな存在感を示していました。しかし現在では、世界の新薬創出に占める日本発医薬品の比率が5~6%程度まで低下しています。技術転換への対応の遅れに加え、研究成果を事業へつなぐ仕組みの弱さが、その背景にあります。
私は、日本に優れた研究シーズがないとは思いません。問題は、シーズを臨床開発、製造、資金調達、海外展開へとつなぐ力が弱いことです。米国では、サイエンスを担う人と、経営や事業開発、資金調達を担う人が役割を分け、連携しています。一方、日本では研究者自身が経営や資金調達まで担わざるを得ないケースも多く、アカデミアと事業化の間に溝があります。ベンチャーキャピタル(VC)による成長資金や、CMC(医薬品の化学・製造・品質管理)、CDMO(医薬品開発・製造受託機関)を含む開発・製造基盤を整え、研究成果を事業として育てる必要があります。
阿部:
日本の製薬産業はどのように変わるべきでしょうか。
PwCコンサルティング合同会社 マネージャー 阿部 幸生
栄木:
まず、世界で活躍できる人材を育てることです。私は若い研究者に、「3年間の海外赴任で終わるビジターではなく、現地の研究者と丁々発止で議論できるインサイダーになってほしい」と話しています。10年ほど腰を据え、研究、学会、事業開発、投資のネットワークに入る。その経験を持つ人が増えなければ、世界の技術や資金の動きを早い段階でつかむことはできません。
資金面でも、日米には大きな差があります。中国も研究開発投資を急速に拡大していますから、国内資金だけで事業を育てることには限界があります。海外VCを呼び込むと同時に、中国を含む世界の創薬ネットワークとどのように関わるかも考えなければなりません。
さらに、エコシステムのつくり方も見直す必要があります。ボストンやノースカロライナでは研究者が住まいの近くで研究し、アカデミア、VC、開発・製造を担う企業が物理的に近い場所に集まっています。アイデアをすぐに試し、治験薬を試作・製造できる。この物理的な距離感が強みです。日本は研究所まで片道1時間から2時間かかることも多く、職住が離れすぎています。ボストンもかつては繊維の街で、それをバイオの街に変えるのに100年を要しました。日本のエコシステムが根づくにも、それくらいの時間軸で取り組む覚悟が必要です。
もう1つ、エコシステムを構築する上では、産業界が行政との間に自ら壁をつくらず、最新の技術動向や現場の課題を継続的に共有していく姿勢も求められるでしょう。
阿部:
お話を伺うと、日本の製薬産業が抱える課題と、何をすべきかは明確であると感じます。現時点で変化の兆しはあるのでしょうか。
栄木:
そうですね。日本の医薬品開発を巡る環境は、潮目が変わり始めていると思います。象徴的なのが、厚生労働省が2023年12月に示した、国際共同治験への参加に先立つ日本人を対象とした第Ⅰ相試験の取り扱いの見直しです。
従来も日本人第Ⅰ相試験が一律に必要だったわけではありませんが、日本人での安全性を確認するため、国際共同治験に先立って追加試験が行われるケースがありました。その時間と費用が、日本の国際共同治験への参加を遅らせる一因になっていたのです。現在は、海外の試験データや薬剤の特性などから日本人での安全性を説明できる場合には、必要な場合を除き、原則として日本人第Ⅰ相試験を追加実施する必要はないとの考え方が明確になり、日本も国際共同治験に参加する機会を確保しやすくなりました。
PMDAはタイ・バンコクと米国・ワシントンD.C.に海外拠点を設けました。特にワシントンD.C.事務所では、米国の製薬企業やスタートアップに日本の薬事制度に関する情報を提供し、日本での開発について早期に相談できる体制を整えています。AMED(日本医療研究開発機構)も、創薬に精通した認定VCによる出資と事業化支援に、AMEDの開発補助金を組み合わせ、創薬ベンチャーの実用化や海外展開を後押ししています。規制、資金、海外との接点という複数の面で、関係機関が連携をして動き始めたことは大きな変化です。
ただし、制度を変えるだけでは足りません。こうした変化を海外の製薬企業や投資家に分かる形で伝えなければ、日本の市場や制度は変わっていないと思われたままです。日本の魅力が失われたのではありません。研究成果を事業化し、世界の患者へ届けられる仕組みに変えること。そして、その変化を世界へ発信することが必要です。
柚木:
最後に日本の創薬イノベーションの未来について伺います。新しい技術が次々と登場する中で、栄木さんは日本の創薬をどのように見ていらっしゃいますか。
栄木:
医薬品は、新しい技術が生まれてから本格的に実用化されるまで、非常に長い時間がかかります。ADC(抗体薬物複合体)や抗体医薬は、技術が本格的に成熟するまで約30年、アンチセンス医薬は約40年を要しました。
どの技術も、登場した当初は「多くの病気を治せるのではないか」と大きな期待を集めます。しかし、その後、副作用や技術的な壁に直面し、研究や投資が停滞する時期を経験します。一般的に言われるガートナーカーブ*1です。それでも改良を重ねた技術が、最終的に医薬品として定着していくのです。
新しい技術は、最初の期待どおりに一直線で伸びるわけではありません。失望期を乗り越え、長期で育てるものです。だからこそ、短期的な成果だけで見切ってはいけません。腰を据えて投資し続けることが、創薬では何より大切です。
柚木:
その長期戦の中で、日本はどの領域で勝負すべきでしょうか。
PwCコンサルティング合同会社 マネージングディレクター 柚木 大介
栄木:
私は、核酸医薬、中分子のペプチド医薬、そして次世代の低分子医薬に注力すべきだと思っています。いずれも、日本がこれまで蓄積してきた化学合成や分子設計の力を生かせる領域だからです。
低分子と聞くと「古い技術に戻るのか」と思われるかもしれませんが、そうではありません。例えば、タンパク質分解誘導薬(PROTAC)のように、低分子技術の新しい展開が始まっています。これまで経口薬にすることが難しいと考えられてきた比較的大きな分子でも、錠剤として開発する技術が進んでいます。日本が蓄積してきた合成化学や製剤技術を生かせる領域です。
一方で、抗体医薬、遺伝子細胞治療、ADCはすでに競争が激しく、既存プレーヤーが特許もノウハウも十分に保持しています。日本がこれから同じ土俵で後追いするのは、正直に言って厳しい。ですから同じ戦い方をするより、核酸や中分子、次世代の低分子といった、自国の強みが生きる分野にリソースを集中させるべきです。患者数は限られていても高い医療ニーズが残る希少疾患は、こうした日本発の技術を生かせる有望な適用領域の一つだと思います。
柚木:
近年は人工知能(AI)創薬も注目されています。この潮流についてはどう捉えていますか。
栄木:
AIは、標的探索から分子設計、候補化合物の選定、臨床試験の設計まで、創薬のスピードと精度を大きく変える可能性を持っています。海外では、AIを活用して膨大な数の分子構造を探索・評価し、見いだした候補化合物を臨床開発へ進める事例も生まれています。
一方で、日本はこうした最先端の競争の中心に、まだ十分に入れていないと感じます。もちろん、AIに過度な期待を寄せるのは禁物です。先述したとおり、技術が実を結ぶには時間がかかります。ただ、私が最も懸念しているのは別のことです。日本はかつて、抗体医薬などへの技術転換で後れを取りました。同じ失敗を、AI創薬で繰り返してはなりません。過度な期待には振り回されず、しかし長期の投資は止めない。この両立が必要だと思っています。
柚木:
では日本発の新薬を世界の患者へ届けるための鍵は何だとお考えですか。
栄木:
「日本生まれ、グローバル育ち」という発想です。日本企業が研究から開発、製造、販売まで全てを自前で抱え込む必要はありません。日本で創製された有望なシーズを、海外企業と組んでグローバルに開発していくのです。日本企業だけで完結させることにこだわらず、最も早く世界の患者へ届けられる道を選ぶ。これが一つの勝ち方だと思います。
製薬は面白い産業です。多くの産業では、成熟とともに寡占化が進みます。医薬品にも再編はありますが、一つの革新的な新薬によって、新興企業が一気に存在感を高めることがあります。たった一つの優れた新薬が、世界の勢力図を塗り替える。そういう「一発逆転」が起こり得る。だから、「日本はもう勝てない」とあきらめる必要はありません。勝負する領域を見極め、世界と組む。そうすれば、日本にはまだ十分に勝ち筋があると、私は思っています。
柚木:
日本国内だけで規制やAI創薬、今後の勝ち筋を議論していると、どうしても内向きな議論を繰り返しがちです。今回、米国に拠点を置く栄木さんの視点から、日本が世界の中でどの位置にいるのかを伺い、私たちが感じていた変化をあらためて確認することができました。同時に、こうした変化を世界へどう伝えていくかも重要だと感じています。本日は貴重なお話をありがとうございました。
*1 ガートナーカーブ:正式名称はハイプ・サイクル。米国の調査会社ガートナーが提唱する、時間の経過に伴う新たな技術の成熟度と社会における採用の進み方を可視化するフレームワーク(グラフ)。時間の経過を、新しい技術のブレークスルーが期待される「黎明期」、成功事例が語られる一方で失敗も多く起こる「過度な期待のピーク期」、期待した成果を生まず関心が薄れていく「幻滅期」、理解が広がる「啓発期」、市場での流通が本格化する「生産性の安定期」の5段階に分けて整理し、それぞれの時期における市場の期待度をグラフで表している
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