
PBR1倍超を目指す企業が実施すべきポイント
直近10年における日本企業とステークホルダーの考え方の変化や現状の課題を整理するとともに、PBR1倍超を目指す上で企業が何を実施すべきかについて、投資家コメント、東証要請等より抽出した4つのポイントに沿って説明します。
長期的な収益力が低いという日本企業の課題に対処するため、2014年に経済産業省のプロジェクトの報告書として通称「伊藤レポート」が作成、公表されました。伊藤レポートは、企業と投資家の間の良好な関係を構築し、持続可能な成長を促進することを目的として12の論点において提言と推奨を発信しました。経営者、投資家の短期志向化についても論じており、経営者、投資家に対し、持続的成長(長期目線)を意識した行動を求め、さらに企業にはその行動を促進させるガバナンス体制の構築を求めています。
伊藤レポートの発表以来、日本企業の経営には一定の変化が見られました。特に、社外取締役の増加をはじめとしたコーポレートガバナンス改革が進展し、企業の株価が上昇傾向にあることが報告されています。また、長期の企業価値を報告する統合報告書を用いた企業と投資家のエンゲージメントが増加しました。その結果、2024年1月末時点で、PBR(株価純資産倍率)1倍割れ企業の割合は3割未満まで低下しました。しかし、欧米と比較すると依然として1倍割れ企業の割合は高い水準にあります*。
このような日本企業の状況を踏まえ、東証は2023年3月、上場企業に「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を要請しました。2024年2月末時点でプライム市場の59%、スタンダード市場の22%が開示済みと、徐々に要請に対応した開示を実施する企業が増えてきています。
今後も多くの企業が東証要請に対応した開示の公表、さらにはPBR1倍超を目指し、資本コストや株価を意識した経営に向けた改革を実施していくと考えられます。
* 経済産業省持続的な企業価値の向上に関する懇談会、2024年5月、「参考資料②」https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/improving_corporate_value/pdf/001_04_00.pdf
では、PBR1倍超を目指すにあたり、企業は何を実施していくべきでしょうか。ここからは、投資家コメント、東証要請等より抽出した4つのポイントに沿って説明します。この4点は、企業の戦略の4階層に準じたものとなっています。
長期の企業価値を意識した投資家は、企業の将来像(将来のポートフォリオ)を把握したいと考えています。
ポートフォリオの検討に際して、東証からの要請では資本コストの観点だけでなく、「複数の軸」での分析が求められています。資本コスト以外の重要な視点としては、①マーケットの動向、②ビジネスモデル(モノ売りとコト売り)の評価、③自社の強み、そして④社会課題(特にマテリアリティ)の観点が挙げられます。
①マーケットの動向を把握することは、企業が市場での競争優位を維持するために極めて重要です。市場のトレンドを理解し、競争環境を分析することで、企業は新たなビジネスチャンスを見出し、競争相手に対して優位に立つための戦略を策定することができます。
また、②ビジネスモデルの評価においては、モノ売り(製品の販売)とコト売り(サービスや体験の提供)の違いを認識し、自社の収益構造やサービスの提供方法を最適化することが求められます。これにより、企業は効率的に利益を上げる仕組みを構築し、持続可能な成長を実現することが可能となります。
さらに、③自社の強みを深く理解することも重要です。競争優位性や独自技術、ブランド力を正確に把握することで、市場での地位を強化し、顧客に対して一貫した価値を提供することができます。例えば、独自技術を持つ企業はその技術を基に新製品を開発し、ブランド力を活用して新たな市場に進出することが可能です。
そして、④社会課題の観点からの分析も欠かせません。特にマテリアリティ(重要課題)を考慮することで、企業は社会的価値をどのように創造できるかを検討します。これは、企業が持続可能な成長を追求する上で非常に重要な要素です。企業が環境問題や社会的な課題に対してどのように取り組むかを示すことは現在の企業経営にとっては重要なポイントとなります。
これらの複数軸での分析を基に、将来のポートフォリオ構成の具体性やポートフォリオ変更の理由の妥当性を評価し、戦略的な意思決定(ポートフォリオのストーリーの決定)を行うことが求められます。
これらの分析とその結果のポートフォリオ戦略を開示する際に重要なポイントとして、戦略の達成確度の妥当性があげられます。投資家との対話の中で「なぜこの領域に進むのかを説明してほしい」といった声や「目指すシェアは達成可能なものなのか」といったフィードバックを受けたことはないでしょうか。
現状のポートフォリオと目指すポートフォリオに繋がりが見えない場合や、過去に会社が取った戦略により達成した市場シェアと目指している市場シェアに乖離がある場合には、戦略の妥当性に疑問が向けられます。
そのため、ポートフォリオを分析し、その戦略を開示・説明する際には、自社の過去の体験を例示しつつ、妥当性を説明することが効果的であると考えます。
2つ目は事業戦略についてです。投資家は、企業が策定したポートフォリオ戦略をどのようにして達成していくかを把握したいと考えています。
多くの企業はポートフォリオ戦略を達成するために個別の戦略を策定していますが、これらが独立しており、全体としての一貫したストーリーを発信できていないケースが散見されます。
この問題を解決するためには、まず現在のポートフォリオにおける価値創造ストーリーに必要な無形資本を特定することが重要です。そして、将来の成長領域における価値創造ストーリーに必要な無形資本を明確にし、現状と将来の無形資本の間に存在するギャップを検討する必要があります。
具体的には、企業の人財、知的財産、顧客との関係性、販売ルートなどの無形資本の現状を評価し、それが将来の戦略にどのように適合するか、何が不足しているかを分析します。これにより、企業はそのギャップを埋めるための具体的な対策を講じることができます。例えば、必要な人財の確保、スキルの向上、イノベーションの促進、マーケティングの推進などが考えられます。
これらの取り組みにより、企業は一貫した価値創造のストーリーの中で事業戦略を策定し、持続可能な成長を実現することができます。
事業戦略による無形資本の向上の指標化と進捗管理が重要です。具体的には、無形資本の相関関係や因果関係を基に分析を実施して指標(バリュードライバー)を特定し、それを管理することが求められます。この特定プロセスにより、企業は無形資本の向上状況を可視化し、具体的な成果を示すことができます。さらに投資家の投資判断を正確にすることにもつながり、投資家からの信頼を強化することが期待されます。
また、システム化等により、これらの指標を、常に最新で正確な情報として経営判断に利用できる環境も必要になってくると考えます。このように無形資本の評価と管理を通じて、企業は持続可能な成長を実現するための具体的な対策を検討、開示することが可能となります。
3つ目は財務戦略についてです。企業が策定したポートフォリオ戦略、事業戦略の推進を支えるのは財務です。投資家は財務の視点で、これらの戦略推進が実現可能なものであるかを把握したいと考えています。
財務戦略とは、ポートフォリオ戦略、事業戦略の推進にどれくらい投資が必要かを把握し、その各戦略に対し、どこの事業もしくはどの資金調達先からお金を入手し、どれだけお金を投資できるかの戦略です。財務戦略を検討する上で考慮すべき点は下記3点となります。
1つ目は、資本コストを意識した投資基準、および投資の優先順位を判断する明確な基準が整備されているかどうかです。これらの基準がなければ企業は限られた資金の中で効果的・効率的な投資を実行することができません。
2つ目は、ポートフォリオ戦略・事業戦略を推進するために必要な投資額について、現状の主要な収益源からの獲得シナリオが整備されているか、また投資額に対して事業からの獲得資金では不足が生じる場合の資金調達戦略が作成されているか、という点です。資金調達の方針を策定する際には、自社にとって適切なD/Eレシオ(負債資本比率)やWACC(加重平均資本コスト)といった、バランスシートの観点を意識して検討する必要があります。これにより、企業は最適な資本構成を維持しながら、必要な資金を調達することが可能となります。資金調達戦略が適切であれば、企業は過度な負債に頼らず、健全な財務基盤を築くことができます。
最後に、株主還元方針と投資のバランスを検討することも重要です。企業は株主への配当や自社株買いなどの還元方針と、新規投資とのバランスを取ることにより、自社にとっても株主にとっても適切な資金の使用を実現することができます。
財務戦略において「〇億円を成長投資に、〇億円を配当に振り向ける」というように全社的な投資の方向性を開示している企業もあります。社外秘にすべき情報もあるとは思いますが、より具体的な単位でのキャッシュアロケーションを開示することで、企業がどこから資金を調達し、どこに配分していくのかを投資家に伝えることができ、投資家にとってもより有用な情報となると考えます。
最後は効果的な投資家との対話の実施です。PBR1倍超に向けてエンゲージメント戦略の強化が重要です。
対話戦略を考える上で重要なポイントは社内の仕組みと対話計画の視点です。社内の仕組みとしては、経営陣や取締役会が主体的かつ積極的に関与することが重要です。また、投資家から得たフィードバックを重要性に応じて適時適切に経営陣に展開する方針も必要となります。これらの仕組みを効率的かつ効果的に運用するにはIR部を中心としたIR推進体制の整備も重要となります。
投資者との対話においては、属性に応じたアプローチが必要です。対話の計画を立て、投資家のニーズに沿った目的やアジェンダを設定し、その目的に沿った対話回数や、社内の対話実施者を決定することで、より効果的なエンゲージメントが可能となります。
対話の実施状況を開示し、さらなる対話やエンゲージメントに繋げることも重要です。上記の対話戦略の積極開示以外にも、投資家からのフィードバック内容やそれを経営戦略に反映させた事例を示すことで、企業は投資家との信頼関係を強化し、持続可能な成長を実現することができます。
直近10年で、日本企業とステークホルダーの関係は大きく変化し、持続可能な成長を目指す動きが強まっています。PBR1倍超を目指すためには、ポートフォリオ戦略や事業戦略、財務戦略の透明性を高め、投資家との効果的な対話を進めることが重要です。企業は、これらの取り組みを通じて市場での競争力を高め、長期的な企業価値の向上を図ることが求められています。企業と投資家がともに成長できる環境を継続的に築いていく努力が必要です。
直近10年における日本企業とステークホルダーの考え方の変化や現状の課題を整理するとともに、PBR1倍超を目指す上で企業が何を実施すべきかについて、投資家コメント、東証要請等より抽出した4つのポイントに沿って説明します。
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